第五話 新任陰陽師と動画配信
「アイツ嫌い。沙羅、なんであんな奴の電話番号を聞いたの」
国家試験が終わって各自が帰路に就く中、紫苑が不満も露わに訴えた。
国民が配信を見守る中、八咫烏五羽に追い回されてボコボコにされた紫苑は、一樹への不満を募らせている。
だが試合は五鬼童から提案したもので、一樹はルールに則って戦った。
故に紫苑も、一樹が卑怯なことや、理不尽なことをしたとは思っていない。
だが、追い回されたことに対する怒りは、頭で分かっても消えたりはしない。それくらい散々な目に遭ったのだ。
「基本的には、善い人だと思うよ。それに一樹さんは、直ぐにA級になると思うから、連絡先も必要になるでしょう?」
沙羅が「基本的には」と前置きしたのは、一樹が僧侶ではなく、陰陽師だからだ。
陰陽師は、妖怪との騙し合いや殺し合いを繰り広げる。
そのため単なる善人には、務まらない。
それでも一樹と話した沙羅は、一樹が陰陽師の平均よりも善性寄りだと感じた。
善性寄りで優秀な陰陽師であるならば、交流すべきだ。
強大な妖怪が出たとき、強い陰陽師が複数で立ち向かえば、安全かつ確実に倒せる。
その際、都道府県の陰陽師協会を経由して連絡を取り合うより、直接電話を掛けた方が早い。
さらに普段から交流していれば、話もスムーズに進む。
そうやって諭す姉の沙羅に対して、妹の紫苑は膨れっ面で不満を訴えた。
「善い人は、勝ち負けが決まっているのに、追い回したりしないし」
「それは紫苑が、降伏しないからでしょう?」
沙羅の正論に対して、紫苑はムスッと押し黙った。
そんな双子の妹を適当に放置して、沙羅はショートメッセージを打ち始めた。
『一足先のC級、おめでとうございます。私達は、少し間を空けてから上がりますね。B級昇格の吉報も、お待ちしています』
そんなメッセージを何度か受け取りながら、一樹は蒼依と八咫烏達を引き連れて帰宅した。
◇◇◇◇◇◇
八月上旬は、日本中の中学校が夏休みだ。
夏休みの開始は、概ね七月の祝日である海の日が目安にされる。
終了はバラバラで、夏でも涼しい北海道のほか、山形県や長野県などは、お盆の終わる時期になる。ほかは概ね八月下旬で、全国の三分の一から四分の一ほどは八月三一日までだ。
現在の大人達にも、学生時代には夏休みがあった。
したがって現在の学生は、大手を振って、夏休みを堂々と満喫すべきである。
そんな考え方の下、一樹は山姥が残した立派な家のクーラーが効いた部屋で、大手を振って堂々と寛いでいた。
そして、自身が宣伝用に持つYouTuboの生配信で、陰陽師の資格取得を報告した。
「ご存知の方も多いと思いますが、C級陰陽師の資格を取得しました。試験中は応援、動画へのコメントや高評価、ありがとうございました。コメントは、試験後に読ませていただきました」
生配信で一樹がお礼を述べると、YouTuboのコメント欄に物凄い勢いで、拍手のアイコンが流れて行った。
試合に出る以前、八咫烏達を育てていた頃は、チャンネル登録者数が一〇〇〇人程度だった。
知名度は殆ど無くて、動物の飼育動画や、垂れ流し映像を作業用にする人達から登録されていた程度だった。
それが国家試験で凄まじい注目を浴びた。登録者数は四万二〇〇〇人という異様な数字に膨れ上がっており、現在も上昇中である。
俗に言う「バズった」理由に関しては、複数が考えられる。
・五〇トンで一分を耐え切った新記録の守護護符。
・プレス機を破壊して、試験官を脅した守護護符?
・八咫烏達と五鬼童姉妹で繰り広げられた空中戦。
・エキシビションマッチで登場した、強大な牛鬼。
・エキシビションマッチで行った、弓の爆発射撃。
これだけ派手にやれば、ネット上で注目を浴びて当然だ。
一樹が膨大な気を用いて行ったことは、全て非常識である。
また対戦相手が、空を駆ける可愛い双子であったことも、注目に一役買った。
時期も夏休みであり、学生のチャンネル登録者が爆発的に増加したと思われる。
それと同時に、魔物被害に困る大人達の関心も引き寄せた。
当事者の一樹は、人数の増加速度に驚きはしたが、直ぐに開き直った。
────金がない分は、転生させた閻魔大王の気で補償してもらわないとな。
一樹がYouTuboを利用するのは、陰陽師の活動を宣伝するコンテンツとして、動画投稿サイトが便利だからだ。一樹は、YouTuborとして活動したい訳ではない。
活動資金を稼ぎ、将来的には大きな邪を祓って穢れを浄化したいと思っている。
そのためスーパーチャットは可能にしても、メンバーシップまで行う予定は無いのだが、そんな方針を迷わせるほどに登録者数の増加は顕著だった。
今も、事前予告していなかったにもかかわらず、五〇〇人を超える視聴者が配信を見ている。
『これからどうするの?』
合格報告に対する拍手が収まると、コメント欄に質問が飛んだ。
「今は中学三年生で、高校受験が控えています。市立と私立を両方受けて、受かれば私立に行きます。それまでの間、調伏活動は少ないと思います」
質問に答えた一樹に対して、新たなコメントが次々と書き込まれていく。
『成績は良いの?』
『陰陽師として推薦を受ければ良いのに』
父が借金大王の陰陽師で、弟子という立場にあった一樹の成績は、同級生には及ぶべくもない。学業に専念したり、塾に通ったり、家庭教師を付けたりは出来なかったのだ。
蒼依の家に居候中の身としては、推薦で学費や寮費が無料だとしても、その他の出費に鑑みて、遠方には進学できない。
貧乏の原因は、父親の和則が陰陽師としてのプライドに拘り、収入を上回る支出を続けたことにある。そして高校に進学できる目処が立つのは、蒼依のおかげだ。
一樹は引き攣った笑みを浮かべて、根本的な問題に触れることを避けた。
「高校生になっても、本業の方々のように沢山の依頼は受けられません。中学生の間は、休日に大きな仕事を数個受けて、ドンと稼ぎたいです……プレス機も弁償しないといけませんので」
遠い眼差しをした一樹に向かって、コメントが押し寄せる。
『マジで弁償するんかい!』
『協会が無保険とかw』
『プレス機って、一台で幾らなの?』
盛り上がるコメント欄には、プレス機の値段が一台一〇〇万円を超える情報などが、次々と飛び交っていく。
それらのコメントを見ていた一樹は、胃がキリキリと痛んだ。
「運営側の偉い人からは、試験の課題は守護護符で、反撃する護符は特殊護符だと言われました。守護効果はあるから合格にはするが、弁償しろと……受験の費用も含めてですが、云百万ほど借金しています」
一樹が試験中に言い張った守護護符だとの主張は、一部だけが通らなかった。
確かに守護護符の常識は逸脱していたかもしれないが、守護護符だと一樹は認識している。
そして配信者の一樹が言及せずとも、コメント欄の視聴者が勝手に事情を察し始めた。
『運営側の副責任者=エキシビションマッチで戦った双子の父親』
『……あっ(察し』
八咫烏達にとって飛行できる紫苑は、犬にとっての一緒に走ってくれる人間のような相手だった。
そして狭い室内から数日振りに解き放たれた八咫烏達は、そのストレスを発散するように、存分に紫苑と遊び回ったのである。
途中までは、一樹が制御していた。
だが沙羅を捕まえた後の一樹は、沙羅と話し合っていた。五鬼童家が、エキシビションマッチを行った理由などを考えていたために、八咫烏達は放任したのだ。
そのため紫苑は、八咫烏達に追い回された。
まるで犬に追い回されて顔中を嘗め回されるように、八咫烏達に五行の術を浴びせられたのだ。
八咫烏達と対峙した紫苑は、鬼火を放って金剛杖も振るった。
だが、ひと当てもできないままに五対一で泥水と火矢を浴びせられて、試合後には生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。
「接待プレイ、すべきだったかなぁ」
大人の目をした中学生の一樹に対して、視聴者達が「解釈不一致w」や、「どう考えても抱き寄せた娘の件だろw」などとコメントしていく。
さらには、笑いを表す「w」を草に見立てて、「草」「大草原不可避」などと打ち込んでいった。
一樹の配信のコメント欄が、大草原に覆われて暫し後。
平坦になった大草原の中、一樹が述べた「休日に仕事を受けたい」という話に、建設的なコメントが寄せられた。
『クラウドファンディングで、数百万円の依頼を作ってみても良いかい。成立したら、必ず受けてもらう感じで』
コメントを確認した一樹は、考え込んだ。
妖怪変化は、国民の生命を奪う脅威である。
だが古来より出現しているために、天災や病など根絶できないものの一種と認識されている。
したがって、妖怪が出るたびに国家が総力を挙げて殲滅するのではなく、無差別かつ大量の殺戮を行うような妖怪にだけ、国家が対処している。
国家が動くに足らない妖怪は、個人や地域で自衛して、対応できない妖怪は陰陽師に依頼するのが通常の流れだ。
陰陽師への依頼料は、依頼を受ける陰陽師のランクや経験、対象となる妖怪変化の脅威度、想定される拘束期間など、様々な要因で幅広く変わる。
一樹の場合は、成り立てのC級陰陽師だ。
単独調伏の実績は記録されておらず、拘束期間も短い。
そのため強い妖怪を相手にしても、云百万の依頼は成立し得る。
C級以上の妖怪が相手だと割に合わないが、一樹は条件付きで賛同した。
「実績作りの初回という形で、条件付きでお引き受け可能です。難易度はB級までで、対象は陸上型、討伐数は依頼金額相応。依頼主の撮影や収益目的の配信、投稿は大丈夫です。この条件でよろしければ、お受けできます」
妖怪のランクに対して、依頼を受ける陰陽師のランクは一つ上が目安だ。
すなわちB級の妖怪が相手であれば、A級陰陽師が依頼を受ける。それは格下の妖怪が相手であれば、安全かつ確実に調伏できるからだ。
そしてA級陰陽師は、数百万円程度では仕事を引き受けない。
なぜならB級妖怪は、人間を一〇〇人くらいは軽く殺してしまう連中だ。
それを倒す場合、人間一人の命が数万円以下という算出をしなければ、報酬が数百万円以下にはならない。
それは、いくらなんでも報酬が低すぎる。
B級の調伏を数百万円で受けてしまえば、C級やD級の妖怪の依頼料はもっと安くなって、陰陽師は生計が成り立たなくなる。
したがって本来は、数百万円でB級の依頼を引き受けてはいけない。
だが一樹は、初回の実績作りという名目を立てて、内容も簡単にして、受諾を可能とした。
そして今回は、依頼人が一樹を支援する目的だ。そのため依頼者の手間賃として、収益目的の投稿も認めた。
どのような依頼を出すにせよ、依頼主の持ち出しがゼロにはならない。
これなら双方にメリットがあるだろう、と、一樹は考えたのだ。
「同じランクであれば、実績が多い陰陽師に依頼が行きます。ですから実績が低い陰陽師は、多少は条件を下げないと最初の依頼が来ません。これは初回限定ということでお願いします」
一樹は念のために、数百万円でB級の依頼を受けるのは今回限りだと念を押した。
『おっけー。同じ名前で、Twittorのフリーメールにメール入れた。準備できたら、そのメアドで連絡するのでよろしく』
「了解です」
どのような依頼が行われるかは不明瞭だが、一応の口約束は成立した。
一樹の場合、B級以下の陸上型が一体であれば、牛鬼の力押しで勝てる。
また相手がC級ならば、数体でも同時に調伏可能だ。
徹底的に倒し易い相手に絞っており、条件の範囲内であれば、一樹は引き受ける考えだった。
『手持ちの資金が無いなら、護符を売ったら良くない』
『護符を売るなら買うよ』
『俺も頼みたい』
コメント欄には資金確保のアドバイスが載せられたが、一般販売される呪符の作成は、六〇歳になって引退した退役陰陽師の仕事となる。
人間は歳を取ると、若い頃のようには身体が動かず、体力や気力も続かなくなる。
そのため協会は、人間の陰陽師を定年六〇歳として、現場に出なくなる者達を引退扱いとする。有事の際には手伝っても良いが、協会は戦力の頭数としては数えない。
一般向けに霊符を卸すのは引退陰陽師の役割なので、引退しても経済的には全く困らない。
支部に名誉職を用意し、弟子育成など指導者的な役割も持たせて、自尊心にも配慮する。
現役陰陽師は、自分や仲間、身内に作る分であれば自由にして良いが、一般販売は出来ない決まりになっていた。
「作成者の気を消耗しますので、一般販売される呪符の作成は、現場に出る現役陰陽師ではなく、現場に出ない退役陰陽師の仕事になっています。陰陽師協会に所属する私は売れないです」
呪符作成は、引退した陰陽師の貴重な収入源となっている。
自身の老後を考えれば、割り込むことは憚られた。
『出た、協会の既得権益』
『プレス機で失格になっていたほうが、呪符を自由に売れて儲かっていた?』
コメント欄を鋭い指摘が飛び交ったが、一樹は目を逸らし、読み上げない自由を行使した。
◇◇◇◇◇◇
中学校は、夏休みの最中である。
試験から帰宅した一樹は、動画配信を行った後、蒼依を連れて南にある『鬼猫島』を訪れた。
これは『陰陽師国家試験に付き合わせた埋め合わせ』として、一樹が蒼依の要望を聞いた結果として行った旅行である。
八咫烏達は、一樹の父である和則に預けた。八咫烏の世話が、賀茂家の力を高めることに繋がると考える和則にとって、八咫烏達の世話は労苦ではない。
かくして八咫烏達を預けた一樹は、二人きりで泊まりがけの旅行に赴いたのである。
「わぁ、猫がいっぱいですね」
感嘆の溜息を漏らす蒼依に対して、一樹は「そういう次元か」と訝しんだ。
三〇匹を超える色取り取りの毛並みの猫達が、埠頭に着いた観光客達に迫ってくる。その奥からは、さらに多数の猫達が姿を現していた。
「上陸した時点で、既に包囲されているな」
これが敵地に潜入する作戦であれば、完全に失敗している。
猫達は、獲物ならぬ観光客の姿を見定めながら、標的を絞って寄ってくる。
もっとも一樹達は、定刻通りに運航される渡し船に乗って、島の埠頭を訪れた。猫達に包囲されるのは、当然の帰結であった。
「うちはペット禁止でした。ずっと猫を飼いたいと思っていたんです」
「猫が好きなのか」
「だって、可愛いじゃないですか」
上機嫌な蒼依が語り、一樹は聞き手役となる。
鬼猫島に上陸した蒼依は、軽やかな足取りで舗装された道を歩き始めた。
その後ろに一樹が寄り添い、そんな二人の後ろからは、十数匹の猫達が追いかけて来る。
猫達は、蒼依が隠し持っている猫用の餌を認識しているらしかった。
鬼猫島は、五平方キロメートルほどの面積を持つ南の島だ。火山噴火で誕生した島は高さもあって、常緑広葉樹林が大部分を占めている。
日本人が移住した当初は、野ネズミ被害が深刻だった。
そのため沢山の猫を放って駆除を試みたのが、一樹達を追う猫達の祖先だ。
「五〇年ほど前までは、島民も住んでいたらしいな」
かつて漁業で栄えた島には、島民が二〇〇人ほど住んでいた。
人と猫が共存していた島には、猫の水飲み場が整備されている。
南国の猫達は、常緑広葉樹林の何処かで増えるネズミ達を狩ったり、島民から魚を与えられたりして、気ままに暮らしていた。
だが鬼猫島は、四〇年前からは無人島になっている。
一〇分以上も歩いただろうか。
ほかの観光客から離れた蒼依は、神社の跡地で猫の餌を配り始めた。
すると三〇匹以上に増えていた周囲の猫達は、一直線に撒かれた餌に群がった。
大半が素直に食べているが、蒼依の足元に擦り寄って鳴いて甘えたり、餌を食べようとするほかの猫を威嚇したりする猫もいる。
「四〇年も無人なのに、人間を覚えているんだな」
「だって、観光客が沢山来ますから」
蒼依は餌を食べる猫を撫でたりはせず、優しげに見守った。
「背中くらい撫でても、大丈夫じゃないか」
「もう少し、ご飯を食べた後にしますね」
蒼依は『心ここにあらず』といった様子で、猫を無心に眺めていた。
それを一瞥した一樹は、神社の周囲を軽く歩き回って、一樹等を乗せてきた渡し船が彼方に消えていく姿を視界に捉えた。
そして、不意に脳裏を過ぎった妄想を膨らませる。
────推理小説なら、これから殺人事件の始まりだな。
鬼猫島は、本土から二〇キロメートルも離れている。
その周囲には、流れの速い海流もあって、人間は泳いで渡れない。
埠頭は一カ所で、渡し船は朝一〇時、午後二時、夕方六時の三度。
渡し船は、旅行会社がチャーターした観光船ではなく、『波が荒れるときは運航しない』条件付きで、県から委託された渡し船だ。
そのため観光客が残っていても、台風などでは欠航することがある。
島には船便の欠航に備えて、放棄された民家を改装した県の宿泊場所があって、水道や電気、水洗トイレなどが用意されている。
だが四〇年前から無人島のため、携帯電話の基地局は存在せず、携帯もメールも繋がらない。台風でも来て、閉じ込められた島で殺人事件が起きるのは、推理小説では様式美であろう。
そんなことを一樹は考えたが、実際に鬼猫島では、五〇年ほど前に連続殺人事件が起きた。
「こんな小さな島に、鬼が三度も出たら、島民は耐えられないな」
「絶海の孤島ですからね」
一樹の一人言に、夢見心地から戻ってきた蒼依が答えた。
五〇年ほど前、鬼猫島で最初の殺人事件が発生した。
島民二〇〇人中八人が、次々と囓り殺されたのである。
遺体の傷痕から、犯人は鋭い牙を持つ鬼の仕業だと考えられて、当時の陰陽師達が捜索した。
だが鬼は、痕跡すら発見できなかった。
『島の大部分を占める常緑広葉樹林に、逃げ込んだのだろう』
捜索した陰陽師達は、そのように考えた。
八人を殺した鬼が、狭い島内に隠れ潜んでいるなど、島民にとっては想像を絶する恐怖だ。
鬼が見つからずに三ヵ月が経ち、派遣された陰陽師が引き上げた。
陰陽師達が撤収した時点で、島民の半数以上が逃げ出した。郷土愛よりも、妻や子供、孫の命が大事と判断したのだ。
残る半数は、島外での仕事や生活基盤を整えられない人々だった。
残った人々は、島で戦々恐々と暮らしていたが、それから暫くは何も起こらなかった。
『鬼は、島から出ていったんじゃないか』
楽観論が生まれた理由は、そもそも鬼が突然現れたからだ。
鬼は移動手段が無くても、絶海を渡って出現した。
それなら鬼ないし妖怪は、陸上型ではなく、水中型や飛行型かもしれない。人間という食べ物を食べて英気を養い、次の場所へ行った。あるいは陰陽師が来て、危険を感じて逃げ出した。
そのように判断されて、少しずつ島民が戻ってきた五年後、人々の行動を嘲笑うかのように、再び鬼が出て七人が殺された。
『五年も食事をせずに、島に隠れ潜んでいたなど、有り得ない』
被害を受ける島民にとって、役に立たない見解など不要だ。
今度は島民の八割ほどが逃げ出した。
そしてさらに六年間、残った二割の島民には、何も起こらなかった。
島には家や土地、漁業などの生活基盤がある。何も起こらないのであれば、島民も戻らざるを得ない。
逃げ出した島民が戻ってきて、島民が畏れたとおりに三度目の鬼が出て、また七名が殺された。
今度は陰陽師協会も、『六年間も食事をせずに云々』とは言わなかった。
だが調伏もできず、最初の鬼が出てから一一年で二二人が殺されて、島は無人島と化したのである。
「この島の殺人事件。犯人は島民に嫁いだ女で、姑の嫌がらせにキレた、リアル鬼嫁だった……とか、諸説あるらしいな」
殺人事件は、女が嫁いだ後、そして逃がした本土から島へ戻らせた後だった。そして犠牲者には、姑も含まれていた。そんな絶妙のタイミングだったために、そういう噂話も生まれている。
『意地悪な姑だけを殺さなかったのは、犯行が露見するからだ』
『無差別殺人で嫁の実家に逃げるならば、実家に帰れると思ったのだろう』
それらの噂は、インターネットが普及した後に流れた。
ようするに都市伝説だ。
最初の事件から五〇年も経ち、島が無人島と化した以上、今更言っても詮無きことである。
噂話が間違いで、鬼が島に潜んでいたとしても、流石に三九年も絶食なら餓死している。
海を渡れる妖怪であった場合は、無人島になった後には餌が無いので、ほかに移ったであろう。
それなりに妖気を感じ取れる一樹も、十数人を殺すような妖怪の強い妖気は、島では察知できなかった。
無人島になる際、猫達は鬼猫島に放置された。
それは全ての猫を捕獲するのは不可能だったからだ。
だが鬼猫島は、雪が降らない常緑の島で、餌のネズミが尽きることもなかった。そのため猫達は、しっかりと生き延びている。
人間達も取り残された猫達を哀れに思い、漁船などで立ち寄って、餌を与えることもあった。
餌を与えていた者達が襲われないまま二〇年近く経ってからは、鬼猫島を管理する県が「島は安全になった」として、渡し船も再開させた。現在の鬼猫島は猫島になっており、県は広報して観光客を呼んでいる。ただし現在も、島に定住している者は居ない。
「一体、何匹いるんだ」
神社には、六〇匹以上の猫達が集まっていた。
観光客が一日二〇人来るとして、大半が置き去りにされた猫が可哀想だからと大量の餌を持ち込めば、一体どうなるだろうか。
温暖な南の島で、外敵が存在せず、島民二〇〇人の空き家がある。県も餌を運ぶことを止めないどころか、むしろ推奨している。
そのような環境では、猫が増えるに決まっていた。
「猫達が何匹居るのか、県も知らないそうですよ」
笑いながら答える蒼依に、一樹はおののいた。
事前に情報を仕入れていた蒼依は、猫が増えても気にせず餌を撒き続ける。
そんな中、黄赤の毛並みをした茶トラの猫が、新手の猫達に混ざってフラフラと近寄ってきた。
ほかの猫達と異なる点は、それが霊体であり、尾が二又になっていることだ。
「二又の猫は、猫又という妖怪だ。猫又には、人を助けるものと、襲うものが居るが、そいつからは、害意は感じ取れないな」
猫又を一瞥して気を感じ取った一樹は、蒼依に危険性の有無を伝えた。
「主様。この子に気を与えても、大丈夫でしょうか」
「そうだな。少しずつなら、良いだろう」
「はい、それでは少しずつ……」
フラフラと近寄った猫又に蒼依が気を送り始めると、猫又は蒼依の足元に額を擦り付け始めた。
『なぁーん』
蒼依は猫又の背を撫でながら、気を送り続ける。猫又は目を閉じて、気持ちよさそうな表情を見せた。
そんな猫又の姿を見た一樹は、不意に島の妖怪について閃いた。
「この島で人間を襲った妖怪は、鬼ではなくて、
「旧鼠って、何ですか」
「旧鼠とは、歳を経たネズミで、『窮鼠、猫を噛む』の諺にもなった妖怪だ。猫を殺して、人を襲うこともある。強い妖怪ではないが、寝込みを襲えば数人くらい殺せる」
江戸時代の『絵本百物語』(一八四一年)には、大型犬くらいの大きさのネズミが、子猫を咥えている姿が描かれている。
もしも島の殺人事件の犯人が旧鼠であれば、不明点の全てに説明を付けられる。
島に現れた理由は、島に元々暮らしていたネズミが妖怪化したからだ。
島で発生したのであれば、海を渡る必要が無い。同時に、餌になる人間が少ない孤島に現れた理由にも、説明が付く。
島から出なかったのも、本土まで二〇キロメートルもある海は、容易に渡れなかったからだ。
海にも魔物や妖怪がいて、ネズミの妖怪程度では、喰われるリスクがある。
襲われた人間が少数であったのは、旧鼠の身体が小さくて、食べきれなかったからだ。
全ての人間を殺してしまっては、後日に食糧が無くなる。それに妖怪化したばかりであれば、力も弱かったであろう。なにしろ旧鼠は、『猫を殺して、人を襲うこともある』程度の妖怪なのだ。
島中を捜しても見つけられなかったのは、島に沢山居るネズミに紛れたからだ。
旧鼠の外見はネズミそのもので、遠目に姿が見えたところで、一心不乱に鬼を捜している人間は見逃してしまう。
餓死しなかった理由も、妖怪化する前から住んでいたネズミだからだと理解出来る。
常緑広葉樹林が生い茂る島には、ネズミの食糧があったからだ。妖怪として気を全く食べないわけにはいかないが、食い溜めしておけば数年は保つ。
飛行可能な妖怪であれば、餌となる人間が居なくなった段階で他に移動するであろう。
ネズミでなければ島民に目撃されたり、派遣された陰陽師が見つけたりしている。
従って妖怪は、旧鼠であった可能性が最も高いと考えられる。
「どうして主様は、猫又を見て、旧鼠を思い付いたのですか」
「民間伝承には、寺の住職が助けた猫が猫又になって、死闘の末に寺に住み着いた旧鼠を撃退した話もある。猫又と旧鼠は、敵同士だ」
「この子は、良い子なんですね」
蒼依がご褒美とばかりに沢山の気を送ると、猫又は神社の石畳の上で、嬉しそうにゴロゴロと転がった。
島には、猫又の霊体に充分な気を与えられる人間が居ないのだろう。
一樹は考えた末、蒼依に告げた。
「観光客の気を吸わせないためにも、連れて行ったほうが良さそうだな。俺が陣を作って補助するから、蒼依が式神契約してみるか」
猫又が蒼依に懐いた様子を見た一樹は、猫又の連れ帰りを提案した。
鬼猫島の猫達は野良猫と同じ扱いで、誰かしらに所有権は発生していない。そもそも妖怪の霊体であるため、誰の管理下にも置かれていない。
それに猫又と争ったと思われる旧鼠も、流石に生きていないだろう。
なぜなら島民が去った後、県の管理者や観光客に被害が出ていない。猫又が死んで旧鼠が生きており、餌やりの人間が戻ってきたのであれば、餓えている旧鼠が襲わないはずがない。
思いがけず提案された蒼依は、迷った様子を見せた後、猫又に尋ねた。
「うちに来る?」
『なぁーん』
猫又の霊は、蒼依の足に額を擦り付けて、付いていくと伝えた。
「それじゃあ連れ帰るか。契約して、夕方の渡し船で本土に戻って、宿で一泊してから帰宅だな。式神契約は、俺が作った陣の中で呪を唱えて契約を求めて、猫又が合意すれば成立する」
一樹が方針を示すと、蒼依は足元の猫又を抱え上げて、軽く呪力を与えた。
すると猫又は、蒼依の腕の中で大人しくなった。
それから一樹は、猫又と契約した蒼依を連れて、島の埠頭から渡し船に乗って本土に戻った。
夕方から帰るには遅いため、一晩泊まりである。
予約した宿は『猫島の宿』という名前で、鬼猫島への渡し船がある本土の港に近い立地にある。ターゲットにしている客層は、鬼猫島の観光客だ。
そのため宿には猫の絵が数多飾られており、通路の照明はハロウィンのカボチャランプならぬ、笑顔の猫が光っている。
インテリアにも多数の猫が使われており、お土産も猫に関連したものだ。
千葉県のネズミ園とタイアップするホテルには、ネズミ尽くしの部屋があるが、こちらはまさに猫好きが泊まる宿である。
猫島の宿はペットとの宿泊も可能で、客が島から連れ帰った猫と泊まることまで黙認している。
一匹につき追加料金で三〇〇〇円を支払わされるが、猫又の霊は一般人には見えなかったため、一樹と蒼依は追加料金を払わずに済んだ。
────安いのは良いことだ。
今回の宿泊旅行は、蒼依に借りて余った資金から、一樹が二人分を出している。
ややセコいことを考えながら、一樹は蒼依と一緒に猫尽くしの通路を通って、部屋へと向かった。
だが二人きりでの旅行にもかかわらず、蒼依が見ているのは、腕の中の猫又だった。
「いい子、いい子」
蒼依は猫又に対して、構いっぱなしである。猫又のほうは、相応に歳を経た大人の猫であるからか、大人しく目を瞑って気持ちよさそうに撫でられていた。
────蒼依への御礼だから、本来の目的は達成しているけどな。
中学三年生である一樹は、多少は期待していた甘い展開と異なる状況を残念に思いつつも、蒼依が非常に満足そうにしていたので、これで良しとした。