第二話 見習い陰陽師と式神
「
山姥を撃退した一樹は、式神にした山姫・蒼依の家に引っ越した。
蒼依は生者で、常時顕現している。
そのため使役者の一樹は、気を与え続けなければならず、同居に至った。
あらかじめ大量の気を与えて力を節約させれば、消費し切るまでは保つだろう。
だが気を消費するごとに会いに行く手間や旅費が必要だ。それを惜しむと、蒼依の気が途中で尽きて餓死か山姥化するし、その場合は明らかに使役者である一樹の責任となる。
それらにより、一樹は多少の心理的な抵抗を抑え込み、開き直って一緒に居る結論に至った。
『俺と一緒に暮らしてくれ』
まるでプロポーズである。
はたして蒼依は、開き直った一樹に上目遣いで目を合わせながら、微笑んで答えた。
『はい、分かりました』
かくして一樹は、蒼依と一緒に住むことになったが、住居は蒼依の住んでいた家になった。
賀茂親子が住んでいたのは、築四〇年は経っている家賃四万円台の激安アパートだ。
そして蒼依は、山姥が所有するリフォーム済みの立派な日本家屋に住んでいた。
蒼依を和則の激安アパートに同居させるわけにはいかない。
そのため一樹は、経済的に困窮している父親の金銭的な負担を減らす意味もあって半ば独立し、住民票を移して中学校も転校した。実態は、式神の家に居候である。
一樹は、人生で初めて手に入れた自室を出ると、リビングへと向かった。
二階建ての日本家屋は、一階部分が6LDKで、そのほかに応接間などもある。
二階部分は4LDKで、つまりは田舎の広い住宅だ。
応接間には鷹の剥製や絵画が飾られており、庭には大きな納屋や作業場もあって、人を解体できそうな道具も沢山置かれていた。
家の駐車場は車八台が同時に駐車できる広さで、一樹は人を招き入れて喰う山姥の家らしい造りだと、妙に納得した。
かつて山姥が一階に住み、蒼依と両親は二階に住んでいた。
そして両親が殺された後、蒼依は一人で二階に住んでいた。
現在は一樹と蒼依が二階で暮らしており、山姥が住んでいた一階は手付かずとなっている。
山姥が追い出された今でも、蒼依は祖母が住んでいた一階に居ることは嫌がっている。
同居に至った件について、蒼依は全く嫌がっていない。
何しろ一樹は、蒼依にとって祖母からの解放者であり、家族との生活の復活者だ。
『両親を殺した祖母と同居し、人を誘い込む手伝いをして、いずれ山姥化する未来』
『一樹と同居して、気を得て人間を喰わずに生きて、そのまま人として生きる未来』
一階を嫌がる行動に鑑みて、蒼依は後者を選択すると一樹は予想する。
だが気を得なければ生きられない蒼依は、主体的には行動できなかった。
式神化したときは企図していなかったが、一樹が発した「これからは俺を家族と思ってくれ」との言葉も、蒼依にとって失われた家族との生活の復活になった。
蒼依が喜んでいるであろうことは、一樹に出される料理の手間などで明らかだ。
今日の朝食は、一汁三菜の和食だった。ご飯に汁物、主菜となる焼き魚、副菜が茄子南蛮で、副々菜がほうれん草のお浸しだ。それが一樹と蒼依の二人分、並べられている。
「もっと多いほうが良かったですか。ちょっと分からなくて」
「大丈夫だ。朝は、焼いた食パンにバターを塗った程度だった。ありがとう。美味しそうだ」
一樹が感謝の言葉を述べると、蒼依は嬉しそうに答えた。
これでも蒼依の料理は、一樹が抑えさせたほうである。
最初に蒼依がカレーを作ったとき、ご飯ではなくナンを生地から作っていた。
強力粉や薄力粉を入れて混ぜ、塩、砂糖、バター、ドライイーストを加えて、ぬるま湯を少しずつ注ぎながら混ぜた。
そしてサラダ油を加えて繰り返しこねて、濡れ布巾をかけて一時間ほど発酵させ、ナン生地を作って、両面を軽く焼いていた。
自分で食べるだけなら、そこまで手間を掛けない。
「おかわりも、有りますから」
「分かった。でも程々で良いからな」
一樹は新しく用意された箸を使って朝食を
一樹が相川家に住む名目は、相川家の山に住み着いた妖怪から、相川家を守るためということにした。
その依頼は、依頼主の老婆からC級陰陽師の賀茂和則に対して、正式に行われている。
だが老婆は陰陽師が到着する前に、孫娘に「もう一度だけ森を見てくる」と言って姿を消した。そして到着した陰陽師が孫娘の話を聞いて森に入ったところ、何かが戦った痕跡があった。
そのような形で、老婆に対しては蒼依が特別失踪届を出している。
ほかの陰陽師も入って現場検証が行われ、確かに妖気は確認された。
正式に依頼が出された記録があり、初対面の国家資格を持つ陰陽師と、当事者の家の孫娘の証言とが一致しており、現場検証でも確認されたので、これ以上は疑う余地が無い。
「もしも山姥がノコノコと出てくれば、『これは依頼主を喰った山姥だ』と主張するから、そのときは口裏合わせを頼む」
食事時にする話ではないが、早めに伝えておくべきことであろう。
一樹が対処方法を話すと、蒼依は疑問を尋ねた。
「もしも祖母が全てを話したら、どうしましょうか」
すなわち蒼依が山姥の孫であり、山姥になりかねないという話だ。
なにしろ山姥は、夫に振られて「一日一〇〇〇人殺す」と宣うような相手の分体である。自暴自棄になって、周囲を巻き添えにする可能性は、無いとは言えない。
一樹は箸で焼き魚の身をほぐしながら、山姥の捨て身に対する方法を語った。
「そのときは、蒼依が山姥ではなく、神気を備えた山姫だと説明する」
陰陽師には、妖気と神気の判別くらいは出来る。
輪廻転生時、一樹の気を倍加させた裁定者……本人は閻魔大王とは名乗っていなかったが、閻魔大王は地蔵菩薩の化身だ。
地蔵菩薩は疫病や悪霊を防ぐ神であり、その気は神気である。
それを送り込まれる蒼依は、まさに神気を備えている。
神気を備える山の女神は、当然ながら陰陽師協会の討伐対象には指定されていない。
人を守る神を討伐するなど不遜であり、陰陽師のほうが人の敵になってしまう。
「俺が気を送る限り、人を喰わずに済む。そして神気を備えていけば、神性を得て山姥ではなく、山の女神に至る。まあ、俺の式神のまま一緒に暮らすわけだが」
「別に、それで良いですよ」
蒼依の返答に対する解釈に迷った一樹は、沈黙して箸を進めた。
なお山姥が抱え込んでいた財産は、一年ほどで蒼依に相続される予定だ。
蒼依は既に両親の財産を相続しており、死んだ祖父から相続した母の預金があったため、生活に困ることはない。
それに対して一樹は、護衛の名目は兎も角として、実態は完全に居候だ。
式神の主として、威厳の無さにも程があった。
「今後の話だが、俺は正式な陰陽師になろうと思う」
「正式な陰陽師ですか?」
聞き返された一樹は、厳かに頷いた。
陰陽師は、試験に合格すると与えられる国家資格だ。
日本のライセンスは国際基準に沿い、上はS級から、下はF級まで、七段階で統一されている。一樹は見習いで、未だ正式な資格を持っていない。
「合格者は毎年五〇〇人以上で、収入は上であるほど稼げる」
実入りが良い分だけ、命の危険もあって、一定の殉職者も出ている。
高齢になった陰陽師が現場に出られなくなり、資格が人数外の退役陰陽師に切り替わる時期は、六〇歳が目安とされる。
一六歳で合格して六〇歳まで活動すれば四四年間。毎年五〇〇人を受からせれば二万二〇〇〇人の陰陽師がいる計算だが、日本には一万人しか陰陽師が居ない。
つまり半数以上の陰陽師は、定年を迎えられずに引退ないし殉職している。
それでも自身の穢れを祓うためには、一樹には選択の余地が無い。
魂に染み込んだ穢れを祓わなければ極楽浄土に行けず、浄化するまで輪廻転生を続けるだろう。だが安穏としていれば、どこかの時点で妖怪に喰われ、吸収されて一体化する恐れがある。
そうなれば妖怪が引き起こす災厄の罪を共に背負って、再び地獄に墜ちるかもしれない。そして一樹の本能が、「もう地獄は、絶対に嫌だ」と拒絶している。
裁定者は、『高い呪力で邪を祓えば、その分だけ魂に染み込んだ穢れの浄化も早まる』と告げた。だから一樹は今世において、魂に染み込んだ穢れを浄化するために、強大な妖怪変化を調伏する依頼が舞い込むような陰陽師とならなければならない。
より上位の陰陽師となって、大型の依頼を熟していけば、下位の陰陽師が沢山の依頼を熟すよりも効率的に穢れを祓えるだろう。今世で穢れを祓ってしまうには、相応に仕事が舞い込む陰陽師になるしかなかった。
「試験は夏にある。それまでに試験用の式神を使役して、準備を整える。だから、すまないが……金を貸してくれないか」
貧乏な転生先に送り込んだ裁定者に向かって、一樹は呪詛を送った。
「主様は、わたしにご不満ですか?」
一樹に質した蒼依の表情は、初めて会った日のように蒼白となっていた。
────どうして不安になっている。
不安の原因を考えた一樹は、蒼依が自身の式神であることを思い起こした。
蒼依が居ながらほかの式神を求めるのは、蒼依が役に立たないと言っている風に捉えられかねない。
式神として役に立たないのであれば、蒼依は一樹から一方的に気を受け取っている立場になる。
一樹が気を与えるのを止めれば、蒼依は自身の存在を保つための気を得られない。
その状態が続けば、いずれ人肉を喰わなければならなくなる。
なるべく生気が薄れていない新鮮な死肉を喰うか、自ら殺した人間を喰って山姥に変化するか、死にたくなければ二択であろう。
一樹が蒼依を見捨てれば終わりであり、これは対等な関係ではない。
言葉を重ねる必要性を痛感した一樹は、蒼依に語り掛ける。
「蒼依のことは、一生手放さないから安心しろ。俺のことは、家族と思えと言ったはずだ」
直ぐに不安を解消する必要性を感じた一樹は、蒼依に対して直接的な強い言葉を重ねた。
言った張本人が押し黙り、頬を朱に染めた蒼依も追及しなくなり、食卓には沈黙が流れた。
「ところで、式神を増やす理由だが」
テレビを付けて、そちらに注目している風を装って誤魔化した一樹は、やがて気を取り直して説明を始めた。
「あ、はい。どうぞ増やしてください。お金でしたっけ。金庫から出しますね」
一樹が恥ずかしい思いをして放った言葉は、効果が抜群であったらしい。先程とは打って変わって、蒼依は話も聞かずに全肯定した。
「五〇〇万円くらいなら直ぐに渡せますけれど、それで足りますか」
「いや、説明するから聞けって。それに大金過ぎる!」
思わずツッコミを入れた一樹は、蒼依に言い聞かせるように説明を続ける。
「牛鬼は八メートルの巨躯で、屋内の依頼では使えない。普通に生活している蒼依は、式神だとは言えない。俺が安定して依頼を受けるためには、屋内でも使えるような、ほかの式神も必要だ」
屋内に妖怪が出て調伏を依頼されるような場合、巨大な牛鬼は建物を壊してしまう。
一樹自身は、カヤの木の妖怪である頬撫でを使役しており、弓を使える。だが弓は、屋内で使用する武器ではない。
蒼依は屋内に入れるが、式神だと言えば人間としての生活に支障を来す。
現状であれば、屋内の依頼はほかの陰陽師に回されるだろう。
「はい、どうぞ。お金は三〇〇万くらいですか」
一樹が説明したところ、全肯定状態の蒼依は大金を出そうとした。
蒼依は料理と異なり、常識や金銭感覚には、極めて疎い。
杉林を植えた頃の話をしていた山姥に育てられており、常識はあるが一〇〇年ほど昔のものだ。式神化したときに「不束者ですが」と言ったが、現代人はそんなことを言わない。
金銭感覚のズレに関しても、蒼依の家が山姥の一族であったことから、概ね察せられる。
すなわち周辺に住む人間や、喰った人間の財産を奪い、済し崩しに自分達一族のものとしてきた。足りなければ、大金持ちの家でも襲って奪えば良かった。
何百年も前に奪った土地は、現代では誰かに貸せば自動的に金が入ってくる。そんな一族に生まれて、金に困ったことがなければ、まともな金銭感覚など身に付こうはずもない。
一樹は蒼依が詐欺などに引っ掛からないか、不安を抱いた。
「ところで蒼依は、どれくらい戦えるんだ」
式神としての貢献問題が出た一樹は、ふと気になって蒼依に尋ねた。
牛鬼と山姥は、同程度だった。『国生み』や『神生み』と呼ばれた女神イザナミの分体であり、山姥は生半可な強さではない。それでは山姥の前段階である山姫は、如何ほどか。
一樹は気になったが、蒼依の答えは不明瞭だった。
「分かりません。主様の気を頂く前は、そこまで強くなかったと思います。主様に力を頂いてからは、力が上がって、祖母と同じくらいの力に成った気がしますけれど」
蒼依は神気を発して、山姥が妖刀の山刀を生み出したように、手元に一本の矛を生み出した。
それは薙刀ほどの長い柄に、先端が両刃の剣となった矛だった。
「イザナミが、日本を作ったときに混沌を掻き混ぜたとされる
「分からないです」
分体が持つ模造品であろうと、途方もない品だ。
山姥が死者寄りになったのに対し、生者の山姫である蒼依がイザナミ寄りになったのだろうかと一樹は考えた。
「だったら蒼依は、なおさら式神としては出せないな。元々出す気は無いが、目立ちすぎる」
牛鬼の棍棒と打ち合えそうな矛を見ながら、一樹は断言した。
牛鬼も蒼依も、式神として軽々しくは使えない。
一樹の場合、調伏の現場に大量の式神符を持ち込めば解決するが、国家試験では、それが通用しないと考えられる。
立派な道具の持ち込みで試験に受かるのであれば、金とコネのある人間ばかりが合格して、全体的な陰陽師の質が下がるからだ。
妖怪を倒す陰陽師を増やす試験で、役に立たない陰陽師ばかり受からせては、本末転倒である。
そのため一樹は、有り余る呪力で霊符を自作しても、持ち込みは制限されると考えた。
陰陽師の国家試験に際し、試験用の式神を持たなければならない。
式神使いが式神を持つのは、流石に本人が持つ霊能の内であろう。
「俺は呪力が強くて霊符も作れるから、式神が無くても下級なら受かる。だけどF級陰陽師に認定されても、ろくな仕事が来ない。最初から良い評価を取っておきたい」
全力を出して、同業者や妖怪に手の内を曝け出すのも問題がある。
協会に所属する陰陽師達は、お友達同士ではなく、顧客を取り合う同業他社のライバルだ。
隣り合う飲食店、密集するコンビニエンスストア、道路を挟んで向かい合うガソリンスタンド。いずれもライバルに対しては、何らかの対策をするだろう。
だから一樹も全ては公開しないが、相応に客を呼ぶために、品揃えの良いコンビニ、看板メニューのある飲食店、タイヤ交換も受け付けるガソリンスタンドなのだと示す必要はある。
一樹が説明すると、蒼依は納得の表情を浮かべた。
「どんな式神を増やすのですか」
蒼依と同じく、一樹の式神となる存在だ。
調伏の現場では共闘するかも知れず、蒼依も関心を持った。
「怨念系を呪力と術で縛るのが作り易くて強いが、それは嫌だしなぁ」
「怨念系ですか?」
式神について詳しくない蒼依は、怨念系という言葉に疑問符を浮かべた。
言葉通りに捉えれば、恨む霊を使役することだと考えられる。
だが一樹の説明は、蒼依の想像よりも残酷なものだった。
「例えば、犬神の式神を作る場合は……犬を顔だけ出して土に埋めるか、何かに縛り付ける。そして口がギリギリ届かないところに食べ物を置いて、餓えで、食べ物に欲望を集中させる」
思わず息を呑んだ蒼依に、一樹はさらに残酷なことを口にした。
「何度か食べ物の種類を変えて、置き直すなどして、犬を嬲り苦しめる。そして食べ物に首を伸ばしたところで、首を斬り落とし、怨念を封じて敵方に送り込む。それが犬の式神の作り方だ」
これは一樹が考えたのではなく、実際に陰陽道系の呪術書に載っている基礎の儀式だ。
恨みを深くするほど怨念が強くなるので、使役者の呪力が弱くても、強大な式神を使役できる。
「残酷であるほど恨みが強くなって、強い式神になる。ただし術を破られると、術が解けて自由になった式神に復讐されるハイリスク、ハイリターンの式神術が、怨念系だ」
物語に描かれる『式神を倒された使役者が苦しむ姿』は、解放された怨念が、一番恨み深い相手に仕返しをするからだ。
術を破られた場合、術を破った敵と、返ってきた怨念系の式神から二重に襲われて、使役者は危機に陥る。
なにしろ術を破られた時点で、相手の戦闘力を読み間違えている。その状況で最も強力な怨念系の式神まで敵方に付くと、使役者は殺されかねない。
他方、紙に呪力を籠めて作る道教呪術系では、式神が破られても怨念は返って来ない。
一樹が紙で作る鳩の式神は、自身の気を陰陽で流転させて、変化させて飛ばしている。
自分の気を使って生み出すので、一樹に対する怨念は存在せず、術を破られても自分に襲い掛かってくる訳がない。
理屈を理解すれば、道教呪術系で怨念が返ってくる訳がないと分かる。
「俺は怨念系をやったことが無いし、やる意志も無い。危ないし、道義にも反するから」
「安心しました」
断言した一樹の態度に、蒼依は心底安堵した。
一樹が使いたいのは、一樹自身の気で作った紙の式神か、蒼依や牛鬼のような使役者と友好な関係にある式神だ。
前者は完全に知り尽くした安全な道具であるし、後者は自己判断で使役者を助けてくれる強力な味方となる。
「優先的に使役したいのは、人を助けた逸話のある鬼神や神霊だ。そういった存在は、使役者を助けてくれる。一応、目星も付けている。
八咫烏とは、『古事記』では
すなわち、人を助けた逸話のある鬼神や神霊であった。
「八咫烏は、神武天皇を熊野(和歌山県南部~三重県南部)から、大和国(奈良県)を流れる吉野川の末流まで導いた。だから、その辺りに現れることは分かっているのだが……」
生憎と蒼依の家からは、距離が離れすぎている。
「それで旅費が必要になるのですか」
「孵卵器と撮影機材、飼育費も貸してほしい。資格を取って、仕事をして、ちゃんと返すから」
一樹は陰陽師として活動するにあたり、父と同様に借金から始めたのであった。
◇◇◇◇◇◇
「電車とかインターネットとか、現代社会は便利だな」
蒼依から金を借りた一樹は、ネットショッピングで孵卵器などを手配した。
それから数日で準備を整えると、八咫烏を使役すべく、電車で奈良県に赴いた。
八咫烏が目撃されるのは、熊野(和歌山県南部~三重県南部)から、大和国(奈良県)を流れる吉野川の末流までだ。
すなわち三重県南部の熊野市から、奈良県南部の吉野町までの範囲に出現する。
さらに細かく絞れば、『日本書紀』では神武天皇が東回りに進んでいるため、東側に出現すると考えられた。
捜索対象の八咫烏は、三本足のカラスだ。
その物珍しさから、スマホで撮影してTwittorに写真を載せる層は、それなりにいる。
そうしてSNSにアップロードされた写真とコメントから、日付や位置情報を確認した一樹は、奈良県の吉野郡天川村にある
珍しい写真を載せる人々のおかげで、既に八咫烏の巣は特定している。
「八咫烏って、一羽だけじゃないんですね」
一緒に付いてきた蒼依が、空に浮かぶ白い雲を眺めながら呟いた。
雲の位置は、蒼依が見上げる高さには無い。一樹と蒼依は、標高一八九五メートルの弥山を登ってきた。
人が道を作った場所ではあるが、弥山は妖怪の領域に属している。
だが、おどろおどろしい雰囲気が漂っているのではなく、山の上の神社に足を踏み入れたような清浄な空気が漂っている。
────まるで神域だな。
山を覆う空気に触れた一樹の肌は、人界から人外の世界に切り替わった感覚を得た。
弥山小屋の標高は一八七六メートルで、雲は同じ目線の高さや下にも存在している。
澄んだ空気を吸いながら、一樹は八咫烏に関する想像を述べる。
「一羽しか来なかったとしても、カラスなら繁殖するだろう。名前もヤタガラスだし、見た目もカラスだし、ちょっと足が三本生えているだけだ。カラス界ではイケメンで、メスのカラスにモテたかもしれない」
現代の八咫烏は、神武天皇を導いた八咫烏の子孫の可能性がある。
普通の生物と魔物の交配は良くある話で、それは人間と魔物の間にすら起こり得る。
例を挙げるならば、『鬼の子小綱』だ。そこでは鬼の男と、人の女との間に、子供が生まれた。
八咫烏の足が三本有ったとしても、長距離を飛べて力も強ければ、野生ではカラスのメスからモテた可能性がある。
最初の八咫烏が、雌雄のいずれであったのか、一樹は知らないが。
「写真のカラスの種類、ハシブトガラスでしたよね。ハシブトガラスと子供を作ったのかな」
蒼依の想像通りだろうと一樹は考える。
日本に多いカラスが、ハシブトガラスとハシボソガラスの二種類だ。
古来、ハシブトガラスが森林に生息し、ハシボソガラスが人里近くに住んでいた。
近年は都会に進出してきたが、神武天皇の時代における奈良県の山林であれば、ハシブトガラスの可能性が高い。
「おそらく、そうだと思う」
ハシブトガラスは、あまり人間から好かれていない。
食性は雑食とされ、動物や昆虫、木の実など様々なものを食べる。
嘴が鋭くて、生きたネズミや子猫を突いて肉を引き裂くこともあるほどだ。
人間が出したゴミを漁って撒き散らし、電柱の上に巣を作って糞を落とし、鳴き声が騒音となり、子育ての時期には人間を攻撃することもある。
農作物にまで被害も出すので、害鳥と認識される。
かつて神武天皇を導いた八咫烏の子孫でも、現代の八咫烏の習性は、ハシブトガラスに近い。
そのため人に害を与える妖怪変化の一覧に加えられており、積極的な討伐対象ではないが、調伏しても構わないとされている。
「捕獲シーンは載せられないが、八咫烏の卵を確保して、それを孵卵器と陽気で育てて、式神にする。それをYouTuboにアップロードして、再生回数を稼いで、集客に使うつもりだ」
資格取得後の集客は、現代の利器で補おうと一樹は考えていた。
「YouTuboで、集客ですか?」
首を傾げる蒼依に向かって、一樹はYouTuboを用いた集客効果を説明する。
「ああ。ヒナの飼育は、再生数を稼げるジャンルの一つだ」
YouTuboには、様々な動物の飼育動画が載っており、安定した再生回数を獲得している。
「飼育対象が妖怪であれば、再生数は上がるだろう。そして知名度が上がれば、直接依頼が来るようになる」
依頼が沢山来れば、美味しい依頼は自分で確保して、そうでない依頼は陰陽師協会を紹介してほかに回す手が使えるようになる。
無名な一樹の父親・和則は、常に斡旋される側で、美味しくない依頼ばかり受けていた。
それを踏まえた一樹が、対策を考えたという次第だ。
自分で依頼を受けるにしても、陰陽師協会を通して協会に正式な手数料を支払えば、契約と支払いのトラブルを避けることが出来る。
様々な観点から、八咫烏は一樹が式神にするのに最適だった。
「再生回数は、多いかもしれません。ですが批判は来ませんか?」
蒼依が懸念したのは、カラスに見える八咫烏を卵から育てることに対する批判や、妖怪を育てることに対する批判だった。
妖怪に対しては、動物愛護法や、鳥獣保護法は適用されない。
つまり三本足の八咫烏であれば、カラスとは異なるので、一樹が育てて式神にしても法的には問題ない。
妖怪の式神化に関しても、特に規制する法律は無い。
陰陽師が式神を使って妖怪を倒すことには、公益性が認められるためだ。
式神は術者の道具であり、道具が被害を与えれば持ち主である使役者が罪に問われるが、それは包丁で人を刺すのと同様の話である。
「法的には問題ないが、念のため八咫烏の卵の確保シーンは、アップロードしない。都合の悪いところも切り取って載せる」
再生数を稼いで行けば、やがて有名になって、直接依頼が来るようになる。
「それで卵から育てるんですね」
「まあほかにも、卵から育てれば親だと思って従うとか、色々あるからな」
卵から育てれば、式神が怒って術者を殺しに掛かるリスクは、限りなく低くなる。したがって一樹は、八咫烏を卵から確保しようと考えた。
ハシブトガラスの巣作りは、三月中旬から四月頃。
寒い地方や高所は少し遅れるが、奈良県の山中であれば、一般的な季節から大きく外れることはない。産卵は四月下旬から五月上旬頃で、産卵後は二〇日ほどで孵化する。
タクシーには、海外製の自動孵卵器と大型バッテリーを載せており、蒼依の家には雛の餌も用意してあって、後は卵を確保するだけである。
掛かった費用は、一樹の借金ではなく、蒼依への借り一つとなった。何を要求されるか戦々恐々としつつも、一樹は恐怖を振り払い、弥山小屋から八経ヶ岳へ向かって歩き出した。
「蒼依は、体力は大丈夫か」
「こう見えても、山姫ですから。陽気も頂いていますし」
登山中、念のために一樹が確認すると、蒼依は平然とした様子で答えた。
むしろ気は多くても普通の人間である一樹のほうが、体力的には怪しい。
普通の男子中学生……あまり良い食事をして来なかったために、並の体力だと自負する一樹は、汗を拭いながら、普通の登山者よりも時間を掛けて、目的地である八咫烏の巣に辿り着いた。
「結構居るな」
離れた場所から双眼鏡で覗き込んだ先、高い針葉樹の幹と太い枝の隙間に、八咫烏の巣は作られていた。
抱卵しているのは、いずれも一般的なハシブトガラスのメスだが、複数の巣に餌を配っているのは、三本足の八咫烏だ。
成猫や子犬などを運び込み、鋭い嘴で子犬の腹を引き裂き、臓物を抱卵するメスに与えていた。
子犬の首には、赤い首輪が付けられている。
このようにペットなども襲うことが、神鳥の子孫でありながら、妖怪の一種にも数えられ、人間から保護されていない所以である。
目の前の光景に関して、一樹は一般人のようには気にならなかった。
眉を顰めたくなる酷い光景は、冤罪で堕とされた大焦熱地獄で存分に味わった。
この世の残酷とされる全ての光景は、一樹にとって、ぬるま湯にすらならない。
それに動物が肉を食べるのは、生きるために必要で当たり前の行為だ。それどころか神々すらも、神饌という供物で、海川山野の幸を食べている。
人間が牛や豚を食べるのと同様に、卵を温めているメスに、オスが食べ物を運んでいるだけの光景で、どうして残酷だと思えるだろう。
そもそも牛肉は良くて犬肉は駄目という風習は、神武天皇の時代にはなかっただろう。
食文化は同じ人間でも多様で、時代によっても変化する。
日本では肯定的な捕鯨文化は、欧米では否定的だ。
逆に犬食文化は、日本では否定的だが、西アジアでは肯定的である。
日本人が捕鯨文化を認めろと言うならば、西アジアの犬食文化も認めなければならない。
一樹は相手の食文化を受け入れる考えを持つ。
ただし、調伏や卵を奪う行為を後から他人に非難されないために、八咫烏が人の飼う子犬を襲って喰う映像は撮っておく。
一樹達が確認した八咫烏の巣は、一ヵ所ではなかった。
「三ヵ所もあるんですね。一つの群れなのでしょうか」
山姥の孫でもある蒼依は、YouTuboでは配信不可能な光景にも、あまり気にした様子を見せなかった。巣を確認して、映像を撮るのにも協力してくれる。
「八咫烏の群れは、ライオンの群れに近い感じかも知れないな。それより、あの光景は大丈夫か」
念のために一樹が確認すると、蒼依は首を縦に振って頷いた。
「ご飯を食べるのは、当たり前ですよね」
蒼依は所有する山に出るイノシシを獲って解体し、料理にして一樹に出したことがある。
イノシシは投石で殺していたが、そのように蒼依の感性は、普通の女子中学生とは若干異なる。
山姥の食事でも人間を食べるのは嫌がるが、それは蒼依を育てた母親が拒んでいたこと、それに端を発して祖母が両親を殺したことにあると考えられる。
確認を終えた一樹は、八咫烏に向き直った。
「さてと、イケメンを滅するか」
一樹が口にした半分は、卵を奪う罪悪感を解消するための冗談だ。
そもそも人間が飼う子犬を攫って喰う妖怪相手に遠慮は無用だが、これは気持ちの問題だ。
気持ちを切り替えた一樹は、虚空から式神を召喚した。
『カヤ』
和弓となった頬撫でを掴んだ一樹は、次いで神霊である牛鬼を自らの影から召喚した。
『出でよ、牛鬼』
二階建ての民家まで届く全長八メートルの巨体が、巨大な棍棒を持って現れると、ハーレムのメス達に食事を配っていた八咫烏のオスが、警告の鳴き声を発し始めた。
『牛鬼、ゆっくりと歩み寄れ……鳴弦』
一樹が指示を出すと、牛鬼が棍棒を構えながら八咫烏の巣に歩み寄っていく。
威嚇する八咫烏に対して、一樹は和弓を鳴らした。
ビイインッと弦の音が響き渡り、それに乗った一樹の呪術が、飛行していた八咫烏の身体を打ち据えた。
『…………鳴弦…………鳴弦』
体勢を崩された八咫烏は空中で羽ばたき、必死に立て直そうとするが、一樹が弓を鳴らすたびに、何度も打ち据えられる。
二度、三度と弾かれ続けた八咫烏は、攻撃する一樹と、巣に迫る牛鬼を交互に見て、ついには鳴き声を上げながら逃げ出した。するとメス達も一斉に羽ばたいて、逃げていった。
「八咫烏の鳴き声は、逃げろという警告だったのかも知れないな」
「賢いんですね」
カラスは賢く、車道にクルミを置いて車に割らせる動画もよく上がる。人を個体識別することも出来て、執拗に襲ったりもする。
「あいつらが戻ってくる前に、卵を回収してしまおう」
一樹は牛鬼を使って、高所にある八咫烏の巣三ヵ所から、合計一〇個の卵を手に入れた。
そして卵を回収用のキャリーバッグに入れて、天川村の弥山を後にした。
一〇個の卵を持ち帰った一樹は、予備も含めて二個調達していた鳥用の人工孵卵器に移した。
「陽気を送るほうと、神気を送るほうに分けるか」
八咫烏は妖怪にカテゴライズされているが、神鳥ともされる。
どちらを送るのが正解なのか分からなかった一樹は、二種類に分けた。
そして八咫烏が何行に寄っているのかも不明だったため、呪力は卵一つ毎に、陰陽五行の木火土金水で性質を変えることにした。
全く同じ条件で育てると、失敗したときには全滅して、式神無しの国家試験になる。失敗しても全滅しないように、条件に幅を持たせたのだ。
「主様、撮影用のカメラは、どこに置きましょうか」
蒼依がカメラを持ってきたので、一樹は部屋の片隅を指差そうと右手を振った。
すると右手が、傍に寄っていた蒼依の胸元に当たった。
胸元の柔らかい感触が、一樹の右掌に伝わる。咄嗟の状況に強張った一樹は、さらに右手を握るように閉じてしまった。
事態の悪化に焦った一樹は、慌てて右手を離して思考を高速回転させた。
────これは不作為だ。
すなわち何も無かった振りをすれば良いのか、それとも謝れば良いのか。
横目で蒼依の表情を窺った一樹は、上目遣いで睨む蒼依を見て、素直に謝った。
「……すまん」
蒼依がスリムなのは、食べたくないものを食べなかったからだろう。
あまり肉付きが良いとは言えない蒼依だが、女子の身体は、一樹が想像していた以上に柔らかかった。
「主様。使役者の感情は、繋がっている気を介して式神に伝わるみたいですよ。少しですけれど」
「…………本当にすまん」