「これ、カッコつけて一人で来たのは、失敗だったかも……」

 私はスリーカウントの二本目、『逆転』の効果を持つポーションをポーションホルダーから取り出しながらつぶやく。この二本目は、変異種モンスターの体内の血と、大地を黒く変色させた土の試料を分析して錬成したものだ。

 ちらりと後ろを見ると、ハーバフルトンの防衛は順調な様子。

 セイルークによる範囲攻撃と、モンスターけの結界の利用はうまくいっているようだ。

 ──とはいえ、一人で身軽な方がいいし。

 よそ見をしていた私の足を、アンノウンのほどけた黒いひも状の呪いがかすめる。

 一瞬のしゃくねつ感。そしてアザのようなもんようが現れかけて、消える。

 私は、全身にこっそり魔導紋を描いていた。そしてスリーカウントとは別に、その魔導紋に自動でポーションを供給する専用のポーションホルダーをもう一本、腰に巻き付けていたのだ。

 呪いが触れる度に、自動で全身を覆うポーションがその傷を、呪いを、消していく。

 再び、今度は紐状の呪いが額を直撃するが、再びその痕跡も消えていく。

 私の低級ポーションによって。

「これ、本当に効果絶大だ。完全なる純水を使っているとはいえ、単なるありふれたポーションなんだけど、十分すぎるな」

 私は額をゆっくりさすると、気合いを入れ直す。

「さて、ヒポポたちが限界かな。皆、ありがとう。《送還》」

 スクロールへとかえっていく、ヒポポと残りのヒポポブラザーズたち。

 私はそれを見届けると、アンノウンの中心部、呪いの紐が無数に飛び出している根元に向けて歩きだす。

 近づくにつれ、私の体へと直撃する呪いの紐の頻度が劇的に上がっていく。

 余裕を見て、魔導紋と連動しているポーションホルダーのポーションを新しいものに入れ換えていく。

 みるみる消費されていくポーション。しかしリュックサックの中にはまだまだ無数のポーションを詰めてきてある。

 その物量で力押ししながら、私はついにアンノウンのコアとでも呼ぶべき中心部間近へと近づくことに成功する。

 ここまで来ると半分呪いに飲み込まれているようなものだ。常にポーションが発動し続けている。

 私はポーションホルダーの入れ換えのすきを見て、スリーカウントの二本目をアンノウンのコアへと注いだ。

 ポーションを注がれたアンノウンのコアから生えた無数の紐状の呪いが、縮んでいく。

 呪いの紐を構成する部品がバラバラになり、泥のようになって一まとまりの塊へとかえっていく。

 ──あの呪いの紐を形作っていた編み込み形が、一種の魔法陣と似た効果を発生させていたから、これでセイルークのブレスも通るはず。まあ、そんな簡単に消滅させて終わりなんてもったいないことはしないけど。

 私は、このあとの動きを期待しながら注視する。想定通りに進むかは、このあと次第なので。

 私の視線の先で、すべての呪いの紐がコアへと戻った次の瞬間、呪いが裏返る。

 そう、それは裏返ったとしか表現しにくい、動きだった。無理に例えるなら、まるで裏返った人間の内臓のような見た目に、アンノウンのコアが変貌していた。

「よし。分析した通りだ。あとはこれで、引きずり出す!」

 私はスリーカウント、三本目のポーションをポーションホルダーから取り出すと、裏返ったアンノウンのコアへと振りかける。わざわざ無理をし、カリーンたちを危険にさらしてまで採取錬成した三本目。

 しかしそのおかげもあってか三本目のポーションの効果は、すぐに表れる。

 裏返った内臓のような見た目のコアがモゾモゾと動きはじめる。ぜんどううんどう、そのものの動き。

 アンノウンのコアは、魔素と呪いのパスで呪術師と強く結び付いているのだ。そのパスを通して、呪術師は例の黒き血のモンスターたちをこちらへと送り込んでいたのだろう。それはアンノウンが生み出されたと思われる例の場所で見かけた、共感呪術と呼ばれているものの応用系、のはずだ。

 錬金術で言えば私がローズのつるを遠隔地からスクロールを通して部分的に顕在させる仕組みと、ほぼ同じようなものだろう。

 その仕組みがわかってしまえば、あとはそれを利用するだけ。スリーカウントの三本目のポーションの作用は、敵の呪いのパスを逆に利用させてもらった、術者の強制召喚。

「いち、に、さん──。来たっ! セイルークっ!」

 私は空を旋回しながらこちらをうかがっていたセイルークに叫ぶ。

 コアの中から、人影が吐き出される。

 なぜかうっすらと湿った姿で勢いよく吐き出された人影が、その勢いのまま大地を転がる。

 その背後に残されたアンノウンのコアへと空から光が降り注ぐ。セイルークのドラゴンブレスが、すべての防御をぎ取られたアンノウンのコアへと突き刺さり、消滅させる。

 私は、コアという逃げ道を処理し終わったことを確認すると、吐き出された人影──呪術師へとたいした。


「うぇ。ぺっ。ぺっ。いやはや、ひどい目にあいました。まったくここはどこですか? せっかく、特等席で優雅にお茶をしていたというのにこの仕打ち。まるで神に見捨てられたときのような気持ちですよ」

 の脚のように細い指を地面につき、ゆっくりと体を起こす呪術師。

 前に見かけたときは幻影だった。しかし今は本体で間違いないだろう。

 コアから吐き出されたときにめくれ上がったフード。その下の顔が、立ち上がったことであらわになる。

 それは蜘蛛のような手に比べ、ごくごく平凡な、どこにでもいそうななんの特徴もない男の顔だった。顔だけは普通の人間、そのものだ。

「お前は、魔族なのか?」

 私は先ほどアンノウンの周囲を回るように移動していた際に、こっそり地面にいて仕掛けておいたスクロール群をいつでも《展開》できるようにしながら、呪術師に思わず問いかけてしまう。

「魔族! あんな愉快で世話のかかる連中とは違いますよ。いやはや、私は単なる一人の男にすぎませんって。はてはて、こんなことを前にも錬金術師相手に言った気がしますね。そうだそうだ。リハルザム師でしたっけ。あの出来損ない。期待外れもいいところでしたよ。ただただ劣等感と優秀な若手への嫉妬心に凝り固まった、小物でしたね。もっと負の感情を爆発させて、力を手にし、魔王へと至ってくれたら私も気持ちよく終われたのに。で、そうだそうだ、あいつがまだ人間だったときにも聞かれたんでした。何ですかね。錬金術師というのは同じようなことを聞くんですね」

 ベラベラと意味のないごとを述べながら、ゆっくりと指を開いたり閉じたりを繰り返す呪術師。

 その指先から真っ黒な呪いがあふれてくる。溢れた呪いが、刃物のような形をとりはじめる。

 私はそれを見て意味のある話をするのは無理と諦める。

「《複合展開》《結合》」

 呪術師の周囲に仕掛けておいたスクロール群が次々に浮かび上がり、くるくると開いていく。

「まだねー、終われないんですよね。私もさっさと終わりにしたいところなんですけどね。まったく因果なことばかりですよ。ほんとにほんとに」

 両手を高く掲げる呪術師。呪いが真っ黒なナイフのようになって、その両手に握られている。

「させない! 《リミット解放》全展開中スクロール」

「《連続顕現》ローズ! 《固着》蔓《ポーション》」

 ポーションを表面に固着させたローズの蔓が、取り囲むようにして展開している無数のスクロールから、溢れ出す。

 その蔓を彩るのは、ポーションの金色の光。

 私は腕を振り、ローズへと指示を出す。

 その指示通りに、蔓がするすると伸びると、呪術師の両手へと巻き付こうと迫る。

 しかしあと一歩というところで、呪術師の振るったナイフによってローズの蔓がはじかれる。

 再び呪術師に、幾本もの蔓が殺到する。

 激しくナイフを振るい、その全てを弾いていく呪術師。

「いやはや、直接戦闘は苦手なんですけどね。ほんとにほんとに」

 そんな戯れ言を吐きながらも、どこか余裕がある呪術師。

「うわ、これだけで刃がボロボロじゃないですか。コスパ悪いなぁ。あなたも、だいぶ性格が悪い」

 ポーションをまとったローズの攻撃は効果はあるようだ。確かに呪術師の手にした漆黒のナイフはボロボロになったように見える。

「じゃあ、これなんてどうですかね?」

 パッと両手に持っていた呪い製のナイフを手放す呪術師。次の瞬間、その両手からは植物の蔓のように漆黒の呪いが伸びる。

 まるでローズの攻撃を真似しているかのようだ。

 ポーションの金色の光をまとった蔓と、呪いの漆黒の蔓が互いに絡み合い、お互いを引きちぎろうと、せめぎ合う。

「あらま。これでも分が悪いとは。ほんとにほんとに困りますね」

 圧倒的な相性の良さによって、呪術師の蔓を徐々に徐々に制圧していくローズの蔓。

 ついには呪術師の手にまで到達し、形作られていた呪いが、ポーションの金色の光によってバラバラになって消え去る。

 それを見た呪術師が口を開く。

 その奥から、黒いものがちらりと見える。私はさせるものかと、再び腕を振る。

 呪いが外へと現れる直前、呪術師の顔の下半分を覆うようにしてローズの蔓が巻き付く。きつく締め付けていく。

 一瞬、驚きに見開かれる呪術師の目。

 しかしニヤリと笑ったかのように見えた。

 その全身から、黒い呪いが次から次へと、ポコリポコリと生まれてくる。

 それもポーションによって打ち消されていくも、止まらない。

 ついには、ローズの蔓を覆うポーションの膜がゆっくりと剥がれはじめる。

 私はローズのまだ巻き付いていない残りの蔓を全て投入する。

 全身に巻き付いた蔓で、玉のようになる呪術師。それでも呪術師は止まらない。玉になった蔓の隙間から黒い呪いが漏れ出してくる。

 私がローズの全ての蔓を投入して、手札を切りきるのを待っていたかのようなタイミングで、それが起きる。

 呪術師が手放して落下していた二振りのナイフ。それがくるくると回転しながら地面を滑るように迫ってくる。

 ──まずい、いま動いたら、呪術師を取り逃がすっ!

 私の首を狙って迫ってくる二振りのナイフ。そのときだった。一条の光が走る。

 それはタウラのけんせん

 その一振りで、私の首元を狙って飛んできたナイフの一つが弾き飛ばされていく。

 そしてもう一つのナイフはタウラの肩へと深々と突き刺さっていた。

「ぐぅっ! 我が剣にかけて、ルストには触れさせん! 神よっ。主神アレイスラよ。積年のふくしゅうを果たさんとする、そがしもべに力をっ」

 肩に刺さったナイフから、呪いが溢れ出す。それがタウラへと侵食していく。その状態のまま、蔓の玉へと駆け寄るタウラ。

「タウラっ! あのバッ」

 呪術師を逃がさないようにしておくために、私は動けない。その間に、タウラは片手で腰だめに構えた剣を、体ごとぶつかるようにして呪術師を捉えた蔓の玉へと突き立てる。

 できる子であるローズがその部分だけ隙間を空けたのか、するっと滑り込むように剣は呪術師の体へと潜り込んでいく。

 最後の悪あがきなのか、呪術師の体から溢れ出る黒い呪いが、一気に噴出する。

 ──命を代償に、呪いを加速させている!?

 その呪いがついにローズの表面を覆うポーションの膜を突き破り、ローズへと侵食していく。

 私は慌ててローズを《送還》すると、タウラへと駆け寄る。

 溢れ出た呪いは、当然タウラへも降りかかっていた。肩の呪いと合わせて、全身に呪いを浴びた状態のタウラ。

 その顔面は初めて出会ったときの呪いのアザとよく似た、しかしそれ以上の呪いで、すでに真っ黒だ。銀髪も、ところどころ、黒い斑点のように呪いが浮かび上がり、全身が呪いに侵食されていく。

 そんな姿になっても、タウラの瞳はらんらんと輝き、何度も剣を突き立てながら何かをささやくようにして、呪術師へと話しかけている。

 ようやくタウラの元へと到着した私は、リュックサックにしまっていた、ありったけのポーションをその全身へと振りかける。

 最高級品のも、低級のも、問わず。

 ポーションの放つ七色の光。

 それがタウラの全身へとまとわりついていた呪いを流し落としてくれる。

「タウラ、離れろ!」

 がくりと膝をつく、タウラ。

 とっさに後ろから抱えるようにして、支える。

 剣でその心臓を貫かれた呪術師も、ばたりと後ろ向きに倒れる。

「タウラ、無茶をしたな」

「ごほっ。すまない、ルスト。ルストが無事でよかった。私は、どうしても。私の、この手で……。こいつに殺され、もてあそばれた方たちの無念が晴れない──」

「わかった。無理にしゃべらなくていいから。これを飲んで」

「すま、ない」

 私が口元へ差し出したポーションを飲むタウラ。

 私はタウラから離れると、倒れた呪術師へと歩み寄る。念のため採取用の手袋をはめ、《転写》のスクロールを取り出し展開すると目の前の倒れた男の状態を確認する。

「死んでる、な。どういうことだ。本当にこいつはただの人間だ──」

「どうだ? ルスト」

 カリーンたちが駆け寄ってくる。

 私はカリーンの方を振り返ると、とりあえず疑問は飲み込み、決着がついたことを伝える。

「ああ、呪術師は倒した。タウラのお手柄だ」

「そうか」

 私の飲み込んだ疑問に、どこか気がついた様子のカリーン。しかしカリーンは優先すべきことをしっかりと優先する。

「みな、聞け! 敵の首領は、救国の英雄にしてカゲロ機関長たるルスト師と女神アレイスラが騎士タウラによって倒された! ハーバフルトンは救われたのだ! 諸君らの奮迅に感謝を」

 漆黒の剣を天に掲げ、戦場中に響き渡る声で勝利を宣言するカリーン。

 それに応えるようにして、その場に居合わせた人々から、歓声が上がった。

 そして歓声が、悲鳴に変わる。

 それはカリーンのもの。

 続いてロアと、アーリの悲鳴。

 そして、タウラの悲鳴混じりの、怒声。

 普段、悲鳴など上げない面々の声に、何があったのか首をかしげる。

 するとふと、目に入る。

 私の腹部から剣のやいばが突き出ていた。服の内ポケットにしまっていた羅針盤が、空いた服の隙間からポロリと落ちる。上を向いて地面に落ちた羅針盤の針は、とても激しく回転している。

 そこでようやく、灼熱感が走る。

 腹が、まるで燃えるようだ。

 突き出た刃には呪いの紋様が浮かび上がっていた。

 ──これは、呪術師に刺さったままだったタウラの剣、か。そうか、自分の命を代償に剣に呪いをかけて、近づいた人間に突き刺ささるようにしていたのか。最後まで性悪なわなを……。

 私はポーションホルダーを探る。

「ああ。全部、使っちゃったっけ」

 力が抜けていく。ガクッと膝をつき、そのまま横倒しに体が倒れていく。

 ちょうど倒れた視界に、こちらへと走り寄ってくる仲間たちの姿が見えた。

「剣に……素手で触っちゃだめ、だ……」

 うまく声が出ない。ちゃんと聞こえたか心配になりながらも、それを圧倒する、迫り来る強烈な寒さと眠気。

 そのあまりに強い眠気の誘いのままに、私は意識を手放してしまった。


          


 ふわふわとした感覚。私は辺りを見回す。

 灰色の世界。

 上も下もないその世界に、ただ無数の白い線が走っているのが見える。

 それぞれの線は平行に走り、それに直行するようにもたくさんの線が走っている。

《なんだろう、ここは? 私は一体どうなった?》

 声が出ない。

《ふーむ。体がないな。死ぬ間際に見るという夢か? だとすると、なんとも味気ない夢だな。もう少し何かあるだろうに。せめて錬金術で何か作っている夢にしてくれればいいのにな。移動も、できないか》

 動こうとしても、無数に走る白い十字の線があるだけで、視線は変わらない。

 そのときだった。

 急激に世界に何かが溢れ出てくる。一気に世界が色づく。

 世界に床が現れ壁が出来る。

 室内のようだ。そしてそこに、いつの間にか人影があった。

 気がつけば、いつもの自分の体が戻っている。

 しかし、その場から動くことができないまま。

《手は動くか。うん? なんだろうこれ。見たことのない装飾品だ》

 私が持ち上げた左腕に、二本のチェーンブレスレットが巻かれていた。一つは銀色に輝き、剣と盾と翼をあしらったトップがついている。チェーン自体もかなり太い。そのすぐ横に、白い極細のチェーンブレスレットがもう一本。そちらのトップはスカルをあしらったもののようだ。

 不思議に思っていると、目の前の、ぼやけていた人影が徐々にその姿をはっきりとさせていく。

 その身にまとうローブは闇のように黒い。いや、端々がほどけ、ぼうっと空間に溶け出しているようだ。まるで、闇そのものをローブとしてまとっているようにすら見える。

 その顔はどこかで見たような、どこにでもいそうな特徴の欠落した顔。意識がないのか、その瞳に光はなく、表情も全く動かない。少し違和感があるが、呪術師、だろう。

 その場から動けない私。どうしたものかと目の前のその男を眺めていたときだった。

 無表情の男のまとうローブが溶けるようにして広がると、私の足元へと迫る。私の体をい上がってくる、それ。

 そのまま、私と、目の前の男の両方を包み込むようにしてまとわりついてくる。

《このまとわりついてくるの、やっぱり呪いだよな。肌触りは、そのまんま、布だけど》

 私は唯一動く両手を振り、まとわりついてくるものを振りほどけないか、試してみる。

 触れるだけだと手応えがあるのに、勢いよく振りほどこうとすると、するりと手がすり抜けてしまう。

 バラバラの闇に一瞬変化した、その呪い。そしてまた再び布のような質感に戻ってくると、私の体へとまとわりついてくる。

《だめかー》

 そうしているうちに、ついに私の首元まですっぽりと、その呪いが包み込んでしまった。

 するとその時、無機質な壁と床が急に変わった。まるで場面の転換が起きたかのようだ。

 目の前に現れたのは、どこかの平原。

 私は相変わらず真っ黒な呪いに包まれたままだ。じわりじわりと速度を落としながらも、布状の呪いが首元から顔へとのびてくる。

 しかしその呪いで一緒に包まれていたはずの男の姿が、見えない。

《いや、いた。うん? なんだろう。生まれたばかり、なのか》

 目の前の平原に立つのは確かにあの特徴の全くない男だ。背格好も変わらない。しかし、どこかあどけない印象すらある。

《──最初の記憶──》

 私のものではない、思考が混じる。

《これは、呪術師の記憶か? ああそうか。つながった呪いを通じて、流れ込んできているのか。そうかそうか。ここが呪術師が生まれた場所なのか。懐かしい、というこの気持ちも呪術師のものか》

 私の目の前でうろうろと周囲を見回している男。見知らぬ世界に不安そうだ。

《──一人きり。他のNPCノンプレイヤーキャラクターはまだ誰もいない──》

《呪術師って、神に直接作られたのに、使命と呪術のスキルを刷り込まれただけで、捨てられたのかー》

 私は流れ込んでくる呪術師の記憶とも意識とも言えそうな混濁気味のモノの表層を、読むとはなしに読んでいく。

 大して興味はわかないが、やることもなくて暇なので。

《このまま意識を流し込んで、精神から同化させていって、最後に一気に私の体を物理的に乗っ取るつもりね。うーん。困ったな。どうにもならなそうだ》

 記憶とともに呪術師のかけた呪いの狙いも読み取れる。どうやら死んでも、呪術師は他者を乗っ取れるようだ。ちょうど今がそのプロセスの最中らしい。

 とはいえ、私にはできることもなく、あまり焦った気持ちにもならない。すでに侵食されているからかもしれないが。

《──特に有望な八名のプレイヤーが、ログインしてくる──魔王へと至る者を育てよ──対の存在たる勇者を、打ち倒せ──》

《これがサーバーとやらに植え付けられた呪術師の使命なのか。ふーん》

 こんな取り留めもないものに数千年近くも束縛されていたのかと思うと、関心はわかないながらも少しだけ哀れに思えてくる。まあ、それも意識の同化のもたらすものにすぎないのだろう。

 そうしているうちに、ついに呪いの布が私の顔面を全て覆い、すっぽりと包まれてしまう。

 完全な闇だ。

 その闇の中、現れたのは呪いで出来たローブを完全に外した姿の呪術師だった。

 表情は相変わらず、すっぽりと抜け落ち、目の焦点も合ってはいない。

 まるで、何かに操られているかのように、ぎこちない動きで近づいてくる呪術師。

 そして、その蜘蛛の脚のような手を振りかぶると、ぽっかりと開いたままの私の腹の穴へ突き立てた。

 次の瞬間、呪術師の手が、燃え上がる。

 その火はすぐさま腕を伝わり、呪術師の体全身へと広がる。

《ああ。そういやアンデッドドラゴンに散々肉が薬臭いって言われてたけど、呪術師に効くほど薬効が残っていたのか……。これは少し、ポーションの飲みすぎには気をつけた方がいいかな》

 まだ同化しかけた意識で、そんなことを思っていると、私を包んでいた闇にひびが入りはじめる。

 ひびの隙間から差し込んだ光が私の左腕に当たり、急に左腕の二本のチェーンブレスレットが輝きだす。

 そしてその輝くチェーンが、なぜかするすると伸びはじめる。

 二本のチェーンが、上へ上へと伸び、ついには闇を突き抜けていく。

 その伸びたチェーンの放つ光で、闇が急激に縮小していく。どんどんと小さくなり、ついには手のひらより小さいぐらいのサイズの真っ黒な立方体になる。

 それが《ボックス》に似ているように見えた私は、なかば無意識に右手でそれをひょいっとつかんでしまう。

 ぐいっと左腕が引っ張られる。

 上方へ伸びたチェーンに、左腕ごと体が引っ張られていく。急激な勢いで、体がそのまま上へと移動していった。


          


「いててっ」

 私はとっさに左腕を押さえる。

「ルスト! よかった。わしの持っていた予備のポーションを使って傷をふさいでも、全く目を覚まさないから、もうだめかと思ったぞ」

 心配そうにこちらをのぞき込むハルハマー。

 その後ろにはカリーンにタウラ、アーリとロア、セイルークと皆がそろっていた。

「ああ。戻ってきたのか」

 どうやら私が腹を刺されて倒れた場所のすぐ近くのようだ。少しぼおっとしながらゆっくりと腹をでると、確かに傷はすでに塞がっている。その代わり、左腕から出血していた。まるでセイルークと契約したときにつけたのと同じような傷があった。

 ──ああ、セイルークたちがどうにかして、呼び戻してくれたのか。あのブレスレットはそういうことか。

 そのときだった。皆が口々に話しはじめる。あまりにいっぺんに、わっと話されてうまく聞き取れないが、どうやら皆、心配してくれていたようだ。

「話すのは少し中止だ! ルスト、何があったのか覚えているか?」

 私がどうしようと目をぱちくりしているのを見てか、ハルハマーが皆を止めてくれた。さすが年の功、頼もしい。

「ああ。記憶は大丈夫だ。みんな、心配をかけてすまない」

 私は謝りながら体を起こそうと右手を地面につく。

 手のひらに感じる、不思議な感覚。

 ちらりとそちらを見ると地面との隙間に、何か黒いもやのようなものが見える。

 とっさに右手をぎゅっと握りしめる。

 黒いもやが、消える。

 私はなに食わぬ顔を取り繕うと、そのまま右手を開かないように注意しながら立ち上がる。

 そしてまだ心配そうにこちらへと話しかけてくる皆を安心させようと、明るい声で返事をしていった。


          


 深夜の研究室。

 私はあり合わせの材料で作った右手の手袋を外すと、ゆっくりと手のひらを開く。

「この状態だと、大丈夫か」

 腹を剣で貫かれ、危うく呪術師に乗っ取られそうになってから、はや数日。

 ようやく落ち着いた。

 この数日は、ばたばたと忙しかった。

 昨日などは、カリーンからはハーバフルトン防衛の功績をたたえられ、民意高揚のためのパレードに駆り出された。

 セイルークにまたがり、英雄と持ち上げられて、着飾っては手を振り続けるという、なかなかさらし者的なお仕事。

 まあ、皆が笑顔なことが唯一の救いだ。それにその分、特別賞与はもらったし。

 そして明日には、正式な領都の発足式が控えている。私はセイルークに乗っていくので現地入りは当日でいいのはありがたい限りだ。

 そんなこんなで、ようやくこの右手のことを調べられる時間が出来たのが、今というわけだ。

「やっぱりこれって呪術、だよな」

 私は実験用に用意した魔石を一つ、右手で握りながら呟く。

 右手からこぼれ出た呪いが、まといつくように魔石を包み込む。

 いっとき、呪術師の意識を流し込まれていたせいか、それに付随して色々な情報も私の意識の中に入ってきた。

 そのうちの一つに、呪術についてのものもあったのだ。そのため、なんとなく呪術の使い方がわかる。

 ──あのとき、手にした『ボックス』に見えた何か。あれがこの力を手に入れた原因だよな。どう考えても。

 同じように準備した魔晶石を握るが、こちらは呪いが弾かれてしまう。

 ──錬成したものには、呪いが非常にかかりにくくなるのか。呪術師が錬金術を嫌がるわけだ。

 私は再び魔石を手に取る。

 手にすると、どのくらいまでの呪いが付与できるか、自然とわかる。

 私は物は試しと、呪いをかけてみる。

 ──紋様は、と。なるほど。いくつもの紋を重ねて、発現する呪いの内容を決めるのか。少し魔導回路に似てるけど、こちらの方がなんとなく文字的な雰囲気だな。

 私は新たに手にした知識をもとに簡単に魔石を呪ってみる。

 そうやって魔石に刻んだ紋様は、まるで翼のような形をしていた。

 軽く力を入れて、出来たばかりの呪われた魔石を投げ上げる。

 手を離した瞬間、発動する呪い。

 魔石は空中でふわりと止まると、そのまま落ちることなく空中にとどまり続ける。

 しかしそれも長くは続かない。魔石に含まれた呪いのもととなるもの。それが徐々に消費されていくのだ。

 これが呪いの最大の特徴。呪われたモノの『ポイント』を消費して、発動するのだ。

 どうやらこの世界のモノは、多かれ少なかれ全て『ポイント』を持つようだ。

 そしてその『ポイント』がなくなると、こうなる。

 目の前の呪われた、ちょうど『ポイント』が枯渇した魔石が落下する。

 そのまま床にぶつかる直前、煙のようなものを出して、魔石は完全に消えてしまった。

「なるほどな。うん、これはやっぱり慎重に調べていかないとだな」

 私は外した手袋を手に取ると、隠すようにして再び右手につけたのだった。