翌日、カリーンはアーリを伴って早朝から出掛けていた。

 どうやら昨日の襲撃について、王都の治安維持に関する関係各所に届け出に行くらしい。

 救国の英雄が国の重鎮との会の帰り道に襲われたのだ。方々に圧力をかけたりしておく、と息巻いていた。交渉の手札がまた増えたと、カリーンはうれしげだった。

 どちらかといえば、久しぶりの戦闘が楽しかったのではないかと、宿に残ったロアと私は話しているところだった。

「カリーン様も、色々たまっている」

 そういうロアの視線は、何かカリーンのストレス発散になる機会を用意して、と私に言っているかのようだった。

「あ、ああ。何か考えてみるよ……」

 私はそっとロアから視線をそらす。

 無尽蔵の体力ときょうじんな肉体を有するカリーンのことだ。満足するまで付き合うとなると、何をするにしても心底疲れきるだろう自分の姿が容易に想像できる。

 私は、そういえば忙しかったんだよという雰囲気を頑張って出してみる。

 リュックサックに顔を突っ込むようにして各種機材を取り出すと、宿の備え付けの机に並べていく。

 最後にガラス製の大きめの水槽をどんと机にのせると、スクロールを取り出す。

「《展開》《顕現》ローズ」

 現れたのはローズ。そのつるの一部が、真っ黒だ。

 昨晩の襲撃で付着してしまった呪いによるもの。

「うーん。一番大きい部分は、まるまるせんていした方がいいかもな──」

 《純化》処理済みの手袋をはめて、ローズの蔓の患部を手に取り、私は観察しながらつぶやく。

 その私の呟きに、びくっと反応するローズの蔓。

「──悪いの?」

 私の手元をのぞき込んだロアが、心配そうに聞いてくる。

 ロアはうちの錬成獣たちのどの子とも、仲がいいようだ。前にローズの蔓にぶら下がって、遊んでいるのを目撃したことがある。そのときはローズも楽しそうだったので、そっと見ないふりをして私はその場を立ち去った。

「ローズなら、大丈夫だよ。すぐに良くなるから」

 私は安心させるようにロアに返事をすると、剪定用の特製のハサミを取り出す。

 ローズの蔓はとても頑丈で、普通のナイフぐらいなら簡単にはじき返してしまう。

 とはいえ弱点がないわけではないのだ。

 剪定用の魔素溶液を水槽に満杯になるまで注ぐ。

 嫌々といった様子で、しかし素直に大人しくその中に自身の蔓を沈めていくローズ。さすがにいくら剪定が嫌いだからとはいえ、わがままを言うことはなかった。

「もう少し。うん……うん、そこで大丈夫」

 蔓の位置を微調整してもらうと、私は一気に患部を剪定していく。

 剪定バサミのチョキンチョキンという音だけが室内に響く。

 ローズの本体たるバラの花びらが、しおしおと悲しそうに揺れる。

「ほら、一番ひどいとこは終わったよ。あとはすぐ済むから、頑張ろう。はい、次」

 私は呪いに侵された黒い部分を一つも残さないよう、手早く除去していく。

「──はい、おしまい! もう大丈夫だよローズ。あとは少しそのまま溶液にかっててね」

「ローズ、頑張った。偉い」

 私が剪定の終了を告げると、入れ替わるようにロアがローズをねぎらっていた。

 それをほほましく見ながら、私は手元に残る、ローズから切り離した呪いに侵された蔓を眺める。

 ──近くに呪術師が潜伏しているとすると何か対抗手段を準備しといた方がいいよな。といっても呪いのことはさっぱりだしな……。

 ぼーっと考え事をしながら、手袋をした手で切り離した蔓を持ち上げる。そのときだった、不思議なことに気がついたのは。

 わずかに手の中の蔓が引っ張られるような感じがしたのだ。それも、ローズから切り離した他の黒ずんだ蔓の方に、だ。

「これは、ごくかすかだけど引き合っているのか? だとすると……もしかしてこれを《純化》すれば……」

 そのまま思いついたことを試したくなり、私は新たなスクロールに手を伸ばした。


          


「で、出来たぁー」

「お疲れさま、ルスト師」

 そばで見守っていたロアが労ってくれる。

 私が何度も失敗するのを、飽きもせずにキラキラとした瞳で眺めていたようだ。

「大変だった、みたい?」

「いやー。どうも呪術による呪いは、錬金術と相性がかなり悪いようだね」

「ぱーんって、破裂。ちょっと面白かった」

「そう? どうも呪いに直接、通常の錬成をすると弾かれるか、おかしな具合に変質してしまうみたいでね。爆発したのはそのせいかも」

 私は苦笑いしながら答える。

「でも途中からローズが、なんか手伝ってたけど、それでうまくいったの?」

「そんな感じ」

 そう、今回は幸いなことに私の錬成獣たるローズの蔓が素材だった。

 ローズは、製作者であり錬金術師たる私と結び付いている錬成獣のうちの一体。

 ローズの協力のもと、《顕現》のスクロールの空き容量の空間内での錬成を試みることで、なんとか呪いの純度を上げて《固着》させることができた。

 その結果の錬成品が、この魔導具だ。

「ルスト師。それで、これはなに?」

 私の手元を覗きながら質問するロアに答える。

「これは一応『呪い感知の羅針盤』のつもり」

 残念なことに、数度の失敗もあって呪いの素材は全て使い切って無くなってしまっていた。そのせいで、羅針盤の針はゆらゆらと定まらない。

「近くには、いなそう?」

「どうなんだろう。多分呪い自体に反応するはずだから、そうとも言い切れないんだよ。呪術師本人に反応するかは、これから要検証だね」

「そう」

 そうしているうちに、昼過ぎ頃、カリーンたちが戻ってきた。宿の食堂で、皆で遅めの昼食をとることにする。

 私たちは王都でも一、二を争う宿に泊まっていた。今回のキノコ騒動後すぐに営業再開していた宿が、他になかったのだ。ここら辺の対応力の高さはさすが、一流の宿といったところ。

 ちなみに救国の英雄ということで宿代はタダでいいと言われたのだが、お気持ちだけ頂いて、きっちりお代は払っている。復興にはなにかと物入りだろうしね。

 昼食は、私がリュックサックに保管していたのを宿に提供した辺境のモンスターの肉だった。魔素たっぷりの肉はそのままでも人間にとっては美味おいしく感じられるのだが、一流の料理人の手で、幾重にも昇華され至高の逸品と化していた。

 王都は現在、食料が不足気味だ。魔族化したリハルザムが相当食べてしまったようなのだ。最後に見たときの肥え具合から見ても納得だが。

 そんな王都に対し、昨晩、カリーンはモンスターの肉をハーバフルトンから供給する取引をやり取りしていたらしい。かなりのもうけと、あと恩も売っていたようだ。

 皆が無言で至高の肉料理に舌鼓を打った後、カリーンが話しはじめる。

「昨晩の襲撃について、手がかりは今のところなし。ただ、今回の襲撃を受けたという事実は最大限活かせそうだぞ。王都の人々は上から下までキノコの件で怒り心頭だからな。しかも主犯のリハルザムがすでに死んでいる。その恨みは、呪術師へと集中しているってわけだ」

 そう言って口元をぬぐうカリーン。

「そうだ、これが届いていたぞ、ルスト」

 そう言うと、何かを投げつけてくるカリーン。私は目の前に迫るそれをなんとか受け止める。

「っと、投げるなよ。随分と立派だな」

 それは一通の封筒だった。ユリの花の模様に二対の剣があしらわれた印章で封がされている。

 封筒自体も、多分、センスの良いものなのだろう。

 表書きに私の名前が確かに記載されている。しかし差出人の名前がない。

「リリー殿下からだぞ、それ」

 私が差出人名を探しているのを見て、カリーンが教えてくれる。なぜか笑いを含んだ声。

「この前のといい、だいぶルストにご執心のようだな。例の魔晶石で気を引いておいて、夜会か何かの誘いだろう」

「……これは、開けないわけにはいかないよな」

「うむ」

 私は確かに鍵のような魔晶石のことはかなり気になっていた。めんどくささと好奇心のはざで、一応好奇心が上回る。

 ふうろうを外すと、中身に目を通す。

「……遠乗りの誘いだ。しかも、今日」

 私は王族とは思えないその性急さにあきれて、手紙をカリーンへと渡す。

「ふむ。そのようだな。行ってこいよ、ルスト。今日だったら、ロアなら貸してやる」

 私は隣でまだ肉を食べているロアを見る。どこにそんなに入るのかと思うぐらい食べ続けているロア。口いっぱいに肉を詰め込んだまま、真面目な顔をしてこちらに一つうなずくと、再び肉へと戻っていく。

 どうやら頷いたのは、了承の合図のようだ。

「わかった。何か注意点はあるか?」

「面白いことがあったら、ぜひ報告してくれ」

 ニヤッと笑いながら朗らかにそんなことをおっしゃる上司様を私はひとにらみしてから、遠乗りの準備を始めた。


          


「久しぶり、シャリル」

 ロアがヒポポブラザーズに話しかける。その手を、シャリルの耳をくすぐるように動かしている。

 シャリルは海の近くの遺跡を探索した際に、ロアが名前をつけていたヒポポブラザーズの個体だ。

 シャリルも嬉しそうに、ぶーぶーと、ロアに応えている。

 ロアと二人で王城を訪れ、リリー殿下からの手紙を見せると、すぐに中庭へと案内された。

 そこでヒポポたちを《顕現》して待つことしばし。ついにリリー殿下が騎乗姿で現れた。数名、供を連れているが、王族の身分を考えたら、それはかなり少ない随行の人数だろう。

 膝をつき頭を下げるロア。

 私も、遅れて膝をつく。

「急なお誘いに、ようこそ参加くださいました。どうぞお立ちください」

「はっ。失礼いたします」

 はくめんの会は、言わば無礼講が建前の会だったが、今回は王族としてのリリー殿下から正式に招待を受けた身だ。私もそれなりに所作に気をつけて返事をする。不敬罪で剣のさびになるのはごめんなので。

 リリー殿下の背後に控える騎士二人。どちらも女性だ。

 身にまとう魔素の流れの滑らかさから推察するに、実力的にはリリー殿下に匹敵しそうな腕前に感じられる。まとう魔素自体も濃い。

「ああ、こちらはわたくしの騎士団の騎士です。ゾロアーと、リスミスト。こちらが救国の英雄、竜を従えし者、アドミラル領カゲロ機関の長たるルスト師です」

 おそれ多くも、リリー殿下自ら紹介してくれる。随分と私のことを調べているようだ。その気さくな言動が、どこまで計算されたものなのか考えながら、私はリリー殿下の背後の二人へと礼をとる。

 ゾロアーとリスミストと呼ばれた二人はリリー殿下の腹心だろう。であれば、事前に私の情報を共有していないわけがないのだが。

 こちらからもロアを紹介し、改めてお誘いいただいたことに感謝を伝える。

「ほう、貴殿があのロア・サードか。騎士カリーンのあおそうそうの片割れですな」

 ゾロアーと紹介された方の騎士が、ロアを見てにやりと笑う。

 微かにロアがむっとした様子を見せる。どうやらロアの気に障るポイントがあったようだ。

「どうですかな。ぜひ、ひとやり交えてみませぬか?」

 ゾロアーは背後に背負った槍を揺らしてそう、ロアを誘う。どうもこのためにロアをあおったようだ。

「ゾロアー、不躾ぶしつけですよ。何も準備をしていない客人に、そのようなこと」

 もう一人の騎士、リスミストがそんなゾロアーを止める。しかし、どこかセリフ臭いし、本当に止める気はなさそうだ。だいたいリスミストのそのセリフも、ロアがとっの戦闘に対応できないだろうと言っているようなものだ。

 そういうロアは、今にもゾロアーの誘いに乗りかねない様子。

 問題は向こうの目的が不明なことだ。私がロアを連れてくるのを予想できたとは思えないが、私たちが中庭で待っている間にでも打ち合わせをしていたのだろう。

 だとするとこのままロアを戦わせるのはリリー殿下たちの思うつぼになりかねない。

 私はそこで、一つ提案してみることにした。

「せっかくの遠乗りのお誘いです。どうですか、誰が一番速いか競うというのは?」

「まあ、それは面白そうですね」

 一見、朗らかに笑いながら同意してくるリリー殿下。

「でも、この子は王国一の駿しゅんびょうですよ。ゾロアーとリスミストの乗っている子たちも、この子の姉妹騎獣です。あまりに救国の英雄殿たちに不利ではありませんか」

 自らのまたがる猫型の騎獣をでながらそんなことを言いだすリリー。手の動きだけは優しげだ。

 その目は、どこか冷ややかにヒポポとシャリルを見ている。

「それはどうでしょう。特に私は不利には感じません。よければスタート地点とゴールを決めませんか」

 私は、救国の英雄、という呼び名のことはスルーして、さっさと始めましょうという意思を込めて伝える。シャリルを可愛がっているロアの機嫌が一層悪くなってきているのが、背後からひしひしと伝わってくるのだ。

 私もヒポポを馬鹿にされたようなものだが、リリー殿下の言葉は、実はかなり的外れな指摘だったりする。

 ヒポポタイプの錬成獣は私のオリジナルで、リリー殿下一派はその実力を見誤っている。この前のことといい、こちらのことを調査したにしては、結構抜けがあるようだ。

 逆にリリー殿下たちの乗る、二股の尾を持つ猫の錬成獣のことは、私は実はよく知っていた。私が錬金術協会にいた頃に、あのタイプの開発に手を貸していたのだ。

 ──というか、リリー殿下の騎獣、あのとき創られた錬成獣の系譜の子っぽい。魔素の雰囲気から見ても。大事にはされているみたいでよかった。

 しっかりと毛繕いされ、適切な栄養と魔石供給の管理が感じられる均整のとれた体つき。よくなついているのも見てとれる。私はそんな親心めいた視線で騎獣たちを見てしまう。

「わかりました。スタート地点は王都の門を出たところ。ゴールは街道をまっすぐ行ったところにある、ケルシャルの丘のびょうでいかがですか」

「ええ、そこならわかります。いいですよ」

 私はケルシャル王の名を冠した丘に立つれいびょうの場所を知っていたので快諾する。

 ──これは勝ちは確実なんだが、あまりに、圧勝してしまうのはよくないのかな。

 移動しながらちらりと見たロアの顔は、戦意に満ち満ちていた。手を抜くように言うタイミングもつかめず、すぐに私たちは王都の門へと到着してしまう。

 スタート直前、リリー殿下が話しかけてくる。

「さて、せっかくの競争です。ただ騎獣を駆るだけではつまらないと思いませんか、救国の英雄殿?」

 剣姫が、両手の指先だけ合わせ、首をかしげながらそんなことを言い出した。

「それは、勝者がなにか褒賞を頂けるということでしょうか?」

 私は街道の周りを続々と埋めていく人垣を眺めながらリリー殿下にたずねる。先ほど門番にゾロアーが話しに行っていた。これから始まる私たちの早駆け勝負のことが、門番からあっという間にうわさとなって広まったのだろう。

 早駆けのため、街道を空けてもらうという点では、それはよかった。

 人垣から、若い女性を中心にリリー殿下への声援が上がっている。ただ、それを上回るぐらい、私への声援が聞こえてくる。なぜか男性や、家族連れが中心のようだ。

「あれが救国の英雄殿!」

「意外といい男じゃない?」

「パパ、ドラゴン、どこ? 真っ白なドラゴンっ」

「ルスト師の方が声援が大きい」

 ポツリと呟いたロアの声。なぜか少し満足げだ。そして、その呟きが聞こえたのだろう、ゾロアーとリスミストの顔が少し険しくなる。ただ、聞こえなかったフリはするようだ。

 私とリリー殿下は周りのもろもろは置いておいて、話を続ける。

「負ける気がないのですね。どうでしょう、賭けにするというのは」

「賭け事は、貴種にあるお方としてはあまり褒められたものではないのでは?」

 私はやんわりと止めてみる。

「上に立つ者ほど、決断が必要でしょう?」

「──賭け事も、そのうちに含まれるということですか。わかりました。何を賭けるのでしょうか」

「救国の英雄殿たちが勝ちましたら、先日お渡しした魔晶石の秘密をお教えする、というのはいかがでしょうか」

 私は一瞬、返事につまる。それはかなり気になっていたことだったので。

「──それで、私たちが負けた場合はどうすれば?」

「カルザート王国第二王女たるわたくし、リリエンタール=カルザートのものになってくださいまし」

 両手の指を再び合わせ、にっこりと笑いながら、リリー殿下が賭けの内容を告げた。

 私はその朗らかながら、目が笑っていない笑顔を見て、決意する。

 これは圧勝しなければいけない戦いなのだと。

「いいでしょう。その賭け、受けて立ちましょう」

「ルスト師っ!」

 何か言いかけるロアへ、手のひらを向けてなだめるように伝える。

「大丈夫。絶対勝つよ」

 私が力強く言い切ると、ロアもしぶしぶ引き下がる。

「まあ。それでは早速始めましょう。五人のうち最初に霊廟にたどり着いた者が、勝者です。ゾロアー」

「はっ! 門番殿! スタートの合図を頼む」

 慌ただしくも準備が整う。

 私たち五名は門の外でずらりと一列に並ぶ。

 皆の視線は急に合図役に任命された門番へと注がれている。

 大きく上げられたその手。

「それでは、スタートの合図をさせていただきます。皆様、準備はよろしいでしょうか」

「よい。始めてくれ」

「わかりました。三、二、一、スタートっ!」

 門番の手が勢いよく振り下ろされた。

 五匹の騎獣が一斉に門を飛び出す。

 街道を囲む群衆から、わーっという歓声が上がる。

 私の乗るヒポポとロアの乗るシャリル、その二匹の脚運びは伸びやかで、スライドするようにそのたいを前へ前へと進めていく。

 いっそ優雅ともいえる滑らかな体運び。ぐんぐんと加速するヒポポとシャリル。それでも、体感的には全速力の七割程度の速さだ。

 これぐらいなら上に乗る私とロアにとっては慣れたもので、辺りをゆっくり見回す余裕すらある。

「あれ?」

 私は思わず呟いてしまう。

 右手後方すぐに、ロアとシャリルはいる。しかしそれだけだ。

 私はまさかと思い、ぐっと上体を回して、後方を確認する。そこには必死の形相で騎獣の手綱にしがみつく、リリー殿下たち三人の姿があった。

「遅すぎない? 想定よりもかなり遅いかも……」

 私が開発に携わった猫型錬成獣は、もう少し速かったはず。

 ──考えられるのは……世代交代して、遅くなった、のか。もしくは乗り手の腕かな。

 いったん前方を確認して、私は再び後ろを振り向く。

 リリー殿下とちょうど目が合う。

 なぜかきょうがくに見開かれた目。本当に自身の猫型騎獣の方が、私のヒポポたちより速いと思っていたようだ。

 ──まあ、確かにヒポポたちはパッと見はまるまるしているしね。でも、そのほとんどは筋肉なんだよね。それに加えて、八本ある脚は急加速、急制動に関しても高い能力を持っているから。

 八本脚のカバ型騎獣の高い加速性能と、豊富な筋肉による高速度の維持能力は他の地を駆けるどの錬成獣よりも優れているのだ。

 二股尻尾の猫型騎獣は、確かにそれなりの走行性能がある。しかしその開発に携わった立場から言わせてもらえば、その本質は立体機動性能の高さだ。

 多分、そのことはさすがにリリー殿下も把握しているだろう。

 どんどん離れていく、後方のリリー殿下たちを見ていると、何かを決意した顔を見せる。その視線は街道の周りの森へと向けられている。

 リリー殿下の手綱がきられ、三体の猫型騎獣が街道を外れる。

 まだ街道を囲うように点在する観客をひらりと飛び越えていく猫型騎獣たち。

「お見事」

 ──なかなかの騎獣さばき。どうやらリリー殿下たちの腕が悪いわけではないな。速度が遅くなっている原因は、交配に携わった王城付きの錬金術師あたりにありそうだな。速度や性能よりも見た目の華美さを優先した、とかの気がする。

 私は周囲を見回す。

 街道はこの先、森に沿って右に曲がっている。そしてリリー殿下たちは、街道を外れ右側の森へと入っていった。

 つまり、森を突き抜けてショートカットするつもりなのだろう。

 ロアがシャリルを駆り、私の隣に並ぶ。

「ルスト師! どうする?」

「本気、出しますかっ! 霊廟までの距離が私の記憶通りなら、全力でもヒポポたちの体力的には問題ないはず!」

「了解っ!」

 私とロアはヒポポたちの肩をたたき、合図する。

 それまでの滑らかな足運びから一転。静かにすら感じられた街道に、一気に爆音が生まれる。

 それは二匹の騎獣が大地を踏みしめ、えぐり、自らの体を最速で前へ前へと推し進める音。

 街道が、そのあまりの威力に割れる。

 ヒポポたちの足の形に、穴が生まれていく。

 踏み出す衝撃に、頑丈なヒポポの脚の骨が、筋肉が、ぶるぶると波打つのが伝わってくる。

 これが、滅多に出させないヒポポたちの真の本気だった。

 ──この穴、あとでちゃんと埋めないと怒られるな。

 私は胸がヒポポの背に付くほどに身をかがめてしがみつく。そうして巻き起こる向かい風をやり過ごす。

 景色がものすごい速さで後ろへと流れていく。

 そのあまりの足音の大きさと私たちの速度、そしてえぐられた街道を見て、街道の周りの群衆の、目を丸くしている姿が私の目の端を流れていく。

 ──この短時間でよくもまあ、こんなに観客が集まったよな。ああ、違うか。街道にいた人たちがけてくれているのか。

 ロアすらも引き離し、ヒポポが前へと出る。そしてついに霊廟が見えてくる。

 私は無理やり顔を上げる。顔面を叩きつける風に逆らい、リリー殿下たちの姿を探す。

「……いない?」

「ルスト師! 真横!」

 ちょうど真横の木々の切れ目から、リリー殿下たちが飛び出してきた。

 そのままだと、衝突するコースだ。

 私は、世界がゆっくり動いているような感覚にとらわれる。

 こちらに気づいたリリー殿下の顔。驚きと恐怖が張り付いている。しかしその姿は、細い木の枝と葉っぱまみれで、なかなかに面白いことになっていた。

 そのときだった。ヒポポの体を魔素が駆け巡る。その全ての魔素がヒポポの八本ある脚へと集まり、一気に解放される。

 それはまるで砲弾だった。

 飛び出してきたリリー殿下を置き去りにして、ヒポポとそこに乗る私は一足飛びに霊廟へと到達する。

 そしてあまりの勢いに、霊廟を通り過ぎる私たち。

「《展開》《顕現》ローズ!」

 スクロールからあふれ出すローズの蔓。その蔓がヒポポを私ごと優しく包み込む。蔓がぎゅーと引き伸ばされながらも、その速度を全て殺しきってくれる。

 私たちは無事に止まると、後ろを振り返る。

 はるか後方に見える霊廟に、ちょうどリリー殿下たちとロアが到着したようだ。

 とりあえず賭けに勝ったことにほっとしつつ、皆の元へと向かうことにする。

 私はヒポポから下りると、クールダウンをかねて、ゆっくりと一緒に横を歩く。

 《転写》のスクロールでヒポポの状態を簡単にチェックする。

 ──最後の急加速で、かなり魔素を消費したみたいだ。最低限の活動には問題ないけど、王都に戻ったら投薬がいる状態だな。

「ヒポポ、ご苦労さま! 最後の加速、すごかったぞ」

「ぶもーっ」

 少し疲れた様子で、それでも得意げなヒポポの鳴き声。あわや接触事故というところでとっさに機転を利かせてくれたヒポポを盛大に褒め、撫でておく。

 その後、クールダウンのためしばらく歩いたおかげで、心拍も落ち着いてきたようだ。いったんヒポポをスクロールへと送還しておく。

「ローズもありがとう」

 ふるふると蔓を振り、スクロールへと引っ込んでいくローズ。

 私は一人になると、てくてくと霊廟へと向かっていく。

 近づくにつれ、皆の表情がはっきりと見えてくる。

 必死に取り繕っているが、顔を真っ赤にして、じっとこちらを見つめるリリー殿下。

 その全身に絡まった木の枝と葉っぱをゾロアーとリスミストが必死になって取り除いている。二人も全身葉っぱまみれのままだ。

 特にリリー殿下の編み上げた髪に刺さった枝を取るのに二人は苦労している様子。

 多分、強引に引き抜くと編み上げた髪がほどけてしまうのだろう。

 顔を見合わせ、頷き合うと、諦めるようだ。

 今度は互いの体に絡んだ葉っぱを取りはじめる。

 ──え、そこ諦めちゃうの!? めちゃくちゃ目立つんだけど。他の枝とか葉っぱがなくなったから、頭から生えたままの木の枝、余計に目立ってますよ。

 思わず内心、突っ込みを入れてしまう。

 リリー殿下はようやく顔の赤みが引いて、取り澄ました顔に戻っている。少しでも威厳を保とうと背筋を伸ばし真剣な顔を作っているようだが、頭から生えたままの枝で全て台無しだ。

 その隣、少し離れたところにいるロアは非常に満足げな様子。見たこともないぐらいの笑顔を見せている。

 普段、食べ物のこと以外であまり感情を見せないロアとしては非常にレアなことだ。一応シャリルを労うようにしているが、その視線はちらりちらりとリリー殿下たちの様子をうかがっているみたいだ。その度に笑みが深まっている。

 私は直視しづらいリリー殿下の枝の生えた顔から逃げるようにシャリルの元へ向かう。まずは展開したままの《転写》のスクロールで状態をチェックする。

「うん、シャリルは大丈夫。ロアはうまく乗ってたみたいだね。……勝ったな!」

 なんとなく手のひらを見せるようにして掲げる。

 笑顔でパチンと私の手のひらにハイタッチするロア。

「ルスト師、最後の加速、すごかった! ヒポポは大丈夫?」

 早々にヒポポを送還したのを見て心配してくれたのだろう。私は安心させるように笑顔を見せて伝える。

「魔素をギリギリまで使ったみたいで少し疲れているけど、大丈夫だよ。王都に戻ったらすぐにケアしてあげる予定。すぐに元気になるさ。あっ、帰りは私もシャリルに乗せてくれ」

「わかった」

 ほっとした様子で息をつくロア。

「それで、あれ。どうするの?」

 そう伝えてくるロア。ちらっと動いた視線でリリー殿下たちのことを言っているのがわかる。

 先ほどからずっと無言のままこちらを見つめていたリリー殿下が近づいてくるところだった。