修学旅行も最終日をむかえる本日。

 これにて胡桃くるみさんとの楽しい旅行も最後かと思うと、やはりさびしいものである。また今度二人で遊びに行けばいいだけの話ではあるのだけれど、それはそれとして──。

(なんだかんだで、『修学旅行』として楽しかったからな)

 きりしまくんやぐら、それにルームメイトになっただん話さないクラスメイトなど。

 胡桃くるみさんとの思い出以外にも、個人的に楽しい旅行だった。

 にもかくにも、今日も今日とてより良い思い出を作れたらと切に願うのだが、そうも言っていられないのが現状なわけで……。

 きの気分はじやつかんブルー。

 テレビでは昨日も見た女子アナが最低気温のこうしんをお伝えしているし、本日の天気は昨夜見たものと同じく雲が空をおおかくしていた。ここ二日間の快晴がなつかしい。

 けれど何より俺の心をくもらせているのはとなりに座る胡桃くるみさんの表情だった。

 朝食も終えてホテルを出発し、最終日の目的地へと向かう電車の中。

 胡桃くるみさんはひざに手を乗せて、ぼんやりと窓の外をながめていた。

 表情はかなくて、どこかきんちようしている様子。

 ひざの上の手もわずかにふるえており、それをかくすようにキュッとにぎりこぶしを作っていた。

 昨日話していたことが原因であろうことはちがいない。

胡桃くるみさんは十一時って言ってたっけ)

 今からきんちようしていたら精神的に持たないだろう。

 それに、そればかりに気を取られて最終日を楽しめなければ目も当てられない。

胡桃くるみさん、だいじようぶ?」

「……っ、だ、だいじようぶよ」

「それ、だいじようぶじゃない時の声じゃん」

「ぐっ……」

 図星をかれたように声をらした彼女は気まずそうに視線をらした。

きしめようか?」

「いまっ!?

胡桃くるみさんが困っているのなら、いつ、どこで、どんな時でもきしめて勇気をあげるよ」

ずかしいからやめて」

きしめられることはいやじゃないんだね」

 言うと、胡桃くるみさんは不満そうにほおふくらませながらうわづかいに見つめてきた。

「……いやなわけないでしょ。ばか」

 くされたようにて、俺のかたに頭を乗せる胡桃くるみさん。

「よし、そうと決まればさつそく──」

「ばっ、こらっ! 時と場所はわきまえてってば!」

「そうだった。こういうのは二人きりの時に、だったね」

「そ、それは、そうだけど……そうなんだけど……っ」

 何かを言いたそうにわなわなとかたふるわせる胡桃くるみさんだったが、やがてあきらめたように大きくため息をついた。

「はぁ。もう……はげますにしても、もっと他にないわけ?」

「何のことかな?」

「それくらいわかるわよ、ばか」

 とぼけてみたけれどこんたんかされていた模様。

「通じ合ってるって感じでドキドキするね」

「はいはい」

 軽く流してみせる胡桃くるみさん。

 表情こそ平素のすずしげなものにもどっていたけれど、その手はまだふるえていた。

「仕方ない。きしめられないなら、今はこれで」

 そう言って、俺は胡桃くるみさんの手をにぎった。

 冷たくて小さくふるえる手を、まるでこわものあつかうようにやさしく。

 いつしゆんこわったけれど、胡桃くるみさんもにぎかえしてくれた。

 こいびとつなぎではないものの、確かににぎられた手。

「……ありがと」

 耳元で小さくささやかれた声はまだ不安の色が残っているようだったが、それでも最初よりはいくぶんか安心しているようにも聞こえた。

 この調子で、最終日を楽しんでくれるといいのだが──。



「ね、ねぇ! 早く行きましょ!」

胡桃くるみさんとならどこへでも! 人生という道を共に歩いていこう!」

「じゃあ、まずは……ここ! ちくりんみちから!」

 そう言って観光マップを手にして道順を確かめる胡桃くるみさん。

 そこには先ほどまでの不安の色はいつさい存在しなかった。

 理由は単純──おとずれた場所に興奮しているからだ。

 いったいどれくらい興奮しているのかというと、

のテンションのがりはばやべーな」

 いつも冷静でやさしいきりしまくんが、じやつかん引くぐらいには興奮していた。

 だが、個人的にはそれも仕方のないことだと思う。

 何せ修学旅行最終日である本日おとずれたのは名所も名所。

 京都の有名どころがぎゅっと一堂に集まった地域──あらしやまなのだから。

 正直、俺もかなりワクワクしていた。

 何しろあらしやまは様々なアニメの聖地になっているからね。オタクとしては外せない。

 有名どころだと胡桃くるみさんも言っていたけれどちくりんみちや、あとはげつきようなど。

 これに加えて他にもあるというのだから興奮しない方がおかしい。

 つまりきりしまくんがおかしいと言える。……それは言い過ぎか。

 何はともあれ、

「は、早く行きましょ!」

 胡桃くるみさんが楽しんでくれているのなら、それ以上に望むことなど何もない。



 まず初めにちくりんみちおもむき、次いでてんりゆうの中を観光。

 どちらも有名観光地というだけあって、かなり見応えがある。

 胡桃くるみさんなど写真をる手が止まらない止まらない。

 それをる俺の手も止まらない止まらない。

 一息入れて近くのベンチにこしけながらさつえいした写真の整理(消すのではなく胡桃くるみさんか胡桃くるみさん以外かをアルバムに分類)していると、横からぐらのぞんできた。

「ねぇ、それ私にももらえない?」

 ちなみに胡桃くるみさんときりしまくんはお手洗いに行っていて今は居ない。

 以前までの俺なら迷う間もなくそく断っていたところだが──。

「……わかったよ」

 しゆんじゆんした後、俺はしゆこうを返した。

 するとぐらがキョトンと目を丸くさせる。

「意外。絶対断られるかと思ってた」

「ならやらん」

「う、うそだってば!」

 あわてて弁明するぐら

 正直、俺だって意外である。以前の自分にこのことを教えても絶対に信じなかっただろう。

 ならどうして認めたのかと問われれば、この二日間──否、ぐらしたあの屋上の一件以降の彼女の様子と、それに対する胡桃くるみさんの対応を見て、としか言いようがない。

 ぐら胡桃くるみさんに対して友愛以上のおもいをいだいていることはすべきこうではあるものの、それをきにすれば、俺がぐらきらい続けることは二人にとって良くない方向へ進むのではないかと判断した。

 特に、昨夜のぐらさかくんの一件での発言を聞いていてそう思う。

(……それに元々これは胡桃くるみさんとぐらの問題だしな)

 そろそろ俺もりゆういんを下げるころいなのだろう。

「ならコーヒーをおごってくれ。ただでやるのは気に食わん」

「まぁ、それくらいならいいけど」

 不服そうにつぶやいて近くのはんでホットなかんコーヒーを買ってくるぐら

 いや、今というわけではなかったのだが……。

 しかし買ってきてもらったものは仕方ない。

 コーヒーを受け取るとスマホを取り出す。

 メッセージアプリを通じてぐらに写真を送ろうとして──その前に彼女は画面にQRコードを表示させた。

「……あ?」

「なんで一々高圧的なのよ。……友達。登録してなかったでしょ」

「そう言えばそうか」

 表示されたQRコードを読み取ると、ぐらのLINEアカウントが表示される。

 てっきり自意識高めのり写真をプロフィール画像にしていると思ったのだが、そこに映っていたのはおそらく小学校に入る前か入った直後くらいであろうぐらの写真。

 なるほど、こういう系か。

 だからどうだというわけではないが。

「まさか、お前のれんらくさきを登録する日が来るとはな」

「私もびっくり」

 適当に言い合いつつ、俺はぐられんらくさきを登録。

 友達のらんぐらの名前が追加された。



 それは土産みやげものや食べ歩きの店を散策しつつ、あらしやまのメインと言っても過言ではないげつきようわたり、一通り写真をえた時だった。

「……あ、あのっ!」

 わずかに言葉にまりつつもそう切り出したのは、俺の愛する少女──胡桃くるみさんである。

 寒風にかみがたなびくのを手で押さえつつ、しんけんな表情できりしまくんとぐらを見つめていた。

(そうか、そろそろか)

 ちらりとスマホで時間をかくにんすると、現在時刻は十時四十九分。

 十一時の待ち合わせ時刻まであと少しだった。

 場所がどこかまでは聞いていないが、今切り出したということはここからそう遠くないのだろう。

 先ほどまでテンション高く観光を楽しんでいた胡桃くるみさんのへんぼうに、事情を知らない二人はおどろきとこんわくがない混ぜになった表情で小首をかしげる。

 胡桃くるみさんは一度大きく息を吸うと、まないようにゆっくりと告げた。

「実は、この後少し用事があって……それで、少しけてもいいかな?」

「用事? 何か買いたいものがあるなら付き合うよ?」

「俺も付き合うが……」

 ぐらきりしまくんの言葉に、胡桃くるみさんは首を横にる。

「そうじゃなくて、えっと……」

 きっとこの二人なら用事の内容を教えても問題はない。

 それは胡桃くるみさんも分かっているだろう。

 だけど、分かっていても伝えるのをためらうことがらというのは存在するのだ。

 相手に関係のないことなどは、特に。

 胡桃くるみさんは何度か口をぱくぱくさせた後、がちに口を開く。

「その、ごめんなさい。今は……言えないんだけど……でも、その、大事な用事で……だ、だから、少しの間、けさせてもらえないかな……?」

 胡桃くるみさんの声は段々小さくなっていく。

 修学旅行中、それも班行動中に自分のわがままで輪を乱すことに負い目を感じているのだろう。

 ぐらきりしまくんはその様子におたがいに顔を見合わせて、こちらに視線をよこしてきた。

 それは『お前はあくしているんだよな?』とかくにんするような視線。

 目は口ほどになんとやらとはよく言ったものだ。

 言葉になっていないはずなのに、二人が何を言いたいのかが分かる。

 俺がしゆこうを返すと、彼と彼女はわずかにしようかべてから、再度胡桃くるみさんに向き直った。

「……正直なところ何があるのかは分からん。が、まぁ俺たちのことは気にするな。仮に何かあってもお前のかれが何とかしてくれるさ」

きりしまくん……ありがとう」

 きりしまくんの言葉を受けて、胡桃くるみさんが顔を上げる。

 次いで、かんはつれずにぐらも口を開いた。

「私もだいじようぶだよ。それに言えないなら無理にも聞かない。……でも」

 ぐら胡桃くるみさんにやさしく笑いかけて、続けた。

「私は……私も胡桃くるみちゃんの味方だから。何かあったらたよってね」

調しらべちゃんっ……」

 二人の言葉に胡桃くるみさんはしたくちびるをキュッとみしめると、再度頭を下げた。

「ごめんなさい。それと……ありがとう」

 顔を上げた時、そこに先ほどまでの不安の色は残っていなかった。

 しかし胡桃くるみさんはじっとこちらを見つめて、まっすぐ近付いてきて──え、どうしたの?

 こんわくしていると──ぽすんと胸に顔をうずめてきた。

 つむじがわいいな、ってそうじゃない。

 いいにおいがする、ってそうでもない。

「……んー!」

 あまりのわいさに脳がショートを起こしていると、胡桃くるみさんはのように体重をかけてきた。……ちょっとわいすぎないですか?

 どうしてこう胡桃くるみさんは一挙手一投足がわいいのだろう。

 とも一生となりでそのなぞを追い求めていきたい所存である。

「……もうっ、早くしてよ」

 胸中でけつこんの決意を新たにしていると、むくれた胡桃くるみさんがジト目を向けてきた。

「ごめんごめん、胡桃くるみさんがわいすぎて。ちかいのキスをすればいいんだっけ?」

「……」

 するどい視線が飛んできた。これは反省しないとね、と思っていると。

「そ、それはまた今度……いまは、……んっ」

 両手を軽く広げる胡桃くるみさん。

 個人的には今の発言をもう少しりたいところではあるが、一秒前に反省したばかり。

 俺はたぎる思いをぐっとこらえ、胡桃くるみさんを真正面からきしめた。

 すると応えるように胡桃くるみさんも背中に手を回してくる。

がんるから、私」

「うん。がんれ、胡桃くるみさん」

 耳元でささやって、もう一度少し強めにきしめる。

「んっ、もう……」

「……」

「……ちょっ、ちょっと。もうだいじようぶ──ねぇ下心! 下心出てるわよっ!? ばかっ!」

「あぁ……」

 ガバッと勢いよくがされてしまった。

 名残なごりしいけれど、そろそろ時間もせまっている。

 胡桃くるみさんは一度時計をちらりと見た後、もう一度だけ俺を見て告げた。

「行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

 これしんこんふうみたいでうれしいねと思ったけれど、さすがに口に出すのは自重した。

「で、なんでそんな顔してんだよ」

 遠のいていく胡桃くるみさんの背中を目で追っていると、ふときりしまくんがあきれた様子で声をかけてきた。

「そうそう。あんなにいちゃついて……はぁ、ほんといちゃつき過ぎ。私もきしめながら言えばよかった」

「この変態めすねこが」

「あんたに言われたくはないんだけど」

 不満げな視線を向けてくるぐらに軽口を返しつつ、しかしそれでも視線は胡桃くるみさんを追っていた。すでに人混みにまぎれており、いつしゆんでも視線を外せば見失ってしまうだろう。

(……だいじようぶだろうか)

 遠い背中を見つめて思う。

 別に胡桃くるみさんを信じていないというわけではないのだが、そんな不安が腹の底から顔を出す。

 俺に出来る限りのことはした。ぐらきりしまくんも胡桃くるみさんの背中を押していた。

 だからだいじようぶ

 そう思いたいのにのうよぎるのは昨夜──胡桃くるみさんが電話している時の様子だった。

 俺に相談している時とは異なる、父親と二人で話している時の胡桃くるみさんの姿。

 何も言えず、うなずき、返事をする。

 そんな胡桃くるみさんらしくない、胡桃くるみさんの姿。

「……そんなに心配なら、付いていってやれよ」

「……っ」

 きりしまくんに言われて、無意識に表情に出ていたことに気付いた。

 あわててつくろうと、今度はぐらがぶっきらぼうにてる。

「それに、ナンパされるといけないからね」

「……」

「なに?」

「いや……何でもない」

 背中を押されているのはすぐにわかった。

 ただぐらからも提案されたのは意外だったが。

 俺は二人の顔をいちべつしてから、胡桃くるみさんの向かった方向を見やる。

 すでに彼女の背中は見えなくなっていた。

 しかし一度ぐっとこぶしをにぎめると、俺はその見えない背中を追って歩き始める。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

「「行ってらっしゃい」」

 二人に見送られて小走りに追いかける。

 空をおおう雲は色をよりくしていた。



 私、胡桃くるみふるえる足を奮い立たせて待ち合わせ場所へと向かっていた。

 一歩すたびに先ほどのみんなの言葉を思い出す。

 むしろ思い出さないと進めなかった。

だいじようぶだいじようぶの、はず)

 気をけばもどりたくなるけれど、必死に前を向いて待ち合わせ場所へと歩いていく。

 先ほどまで楽しんでながめていた景色は、しかし今はそんなゆうはない。

 げつきようわたり、交差点を曲がると、待ち合わせ場所が近づいてくる。

 そこはげつきようかるかつらがわ沿い。だんゆうだいな山をバックにげつきようの写真がれるということで人が多い当所であるが、本日に限っては天気が悪くなってきたこともあってか人はまばらになっていた。しかし、そんな中に目的の人物が──居た。

 久しぶりに会うというのに、遠目でもいつしゆんで気付いたのは親子だからだろう。

 スーツに厚手のコートを羽織った父が、そこには居た。

 あちらも気付いたようで、片手を挙げて私を呼ぶ。

「……」

 いよいよだ。

 なまつばを飲み込みつつ私は近付いていって──そして、

「久しぶりだな、胡桃くるみ

「……うん、久しぶり。お父さん」

 私は約一年ぶりに、父と再会した。



 ……寒い。

 冷たい風がほおでた。

 乱れたかみまんで耳にかけると、私はゆるんでいたマフラーを巻き直して、深く息を吸い込む。かわいた空気が肺を冷やして、意識をはっきりさせる。

 出来うることなら、最初の電話の時のように、気付かぬうちに話し合いが終わってくれればいいのにと思ったけれど、どうやらそれは無理なようだ。

 冷たい指先に息をきかけると、白い息が中空へとのぼって消えた。

 ぼんやりと見上げた空は分厚い雲がおおっていて、今にも一雨来そうな様子。

 周りから人はどんどん減っていき、川を流れる水の音がいやに耳につく。

 そのせいじやくを打ち破ったのは父だった。

「わざわざけさせてすまなかった。ただどうしても直接会いたくて……時間を作ってくれてありがとう」

「う、ううん、別に……」

 言うと、父はやさしい──家を出ていく前と何ら変わらないやさしいみをかべた。

「そうか。……ところで、電話でも聞いたが学校の方は順調か? 生活の方も何も問題はないか? 何かあればいつでも相談していいんだぞ」

 その言葉に私の頭は真っ白になった。

 れられたくない傷をぐりっとえんりよえぐられたような、いやな気分。

「う、うん。……問題ないよ」

 だから、本当は問題しかないのに私はしゆこうを返した。

 ……いや、いちがいうそとも言い切れないか。

 確かにいじめられて、められて、その果てに屋上から飛び降りようとしたけれど、でもすべては過去のこと。もちろん『全部元通り、学校生活も何もかもが順調!』とは言えないけれど、それでも今の生活がじゆうじつしていることには変わりない。

 一人なつとくしていると、不意に大きなため息が聞こえた。

「……あのな、確かに最近会っていなかったけど、これでもお前の父親なんだ。何かあったことぐらいはわかる。私生活か?」

「べ、別になにも──」

「学校か」

「……っ」

 言葉にまった。

「相変わらず顔によく出るな。……大体、まだ仕事も休止したままだし、これで問題ないと言われて『はいそうですか』と引き下がるほど俺はおろかじゃない。胡桃くるみ……だいじようぶか?」

「……」

「心配なんだ」

…………

 父の言葉に、私はたまらずうつむいてしたくちびるめる。

(なら、ならどうして──心配してくれてたのなら、どうしていつさいれんらくをくれなかったの?)

 それはきっと、ずっといだいていた不満だった。

 いじめを受けていて、クラスにまだだれも味方が居なくて、仕事も休止して、何が楽しくて、何を楽しみに、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった時、れんらくを取り合っていたなら、もしかしたら相談できていたかもしれなかった。

 けど、私のスマホは鳴らなかった。

 インターホンも。家の電話も。何も。何も鳴らなかった。

 私は、助けて欲しかったのに。

「……胡桃くるみ

 名前を呼ばれて顔を上げる。

 視線が合うと、父はおだやかな、落ち着きのあるやさしい声で告げた。

「こっちで、いつしよに暮らさないか?」

「……え?」

 その提案に、私ののどかわいた声を出すのが精いっぱいだった。

 父は気付いた様子なく続ける。

「その、学校は転校になるが、そっちで問題があるなら構わないだろう? それにお前は頭も悪くないし、編入も問題ないだろう。仕事も今のまま復帰しないんだったら……どうだ? いつしよに暮らさないか? いつしよに住めば私生活の面でも支えられる。それにもうじき冬休みだろう? そこをねらえばしもやりやすいはずだ」

 ばやに告げる父に、言葉をはさすきはない。

 まだ提案を受けているだけのはずなのに、すでに決まっているかのように話を続ける父。

 ──別に、忘れてなんていなかった。この人はこういう人間だ。

 何しろ、一家さんの引き金を引いたのが目の前の男なのだから。

 じくじくと、傷口をえぐられているようないやな気分が続く。

 そろそろまんの限界だと、口を開こうとして──さらに続く父の言葉に、いよいよもって私の思考は停止した。

「そう言えば、母さんの方も最近は落ち着いているみたいなんだ」

 ……え?

 ──雨が降り始めた。



「……」

「何度か会ったんだが、あいつもあの時のことはこうかいしているみたいでな。今度三人で集まってもう一度話し合えないだろうか? それからいつしよに──」

 すでに父の言葉は右から左へ、にんしきすることを──理解することを脳がこばみ、流れていく。

 私はどうが激しくなるのを感じた。イヤな予感が脳をけ、のどかわいて仕方がない。胸焼けより気持ち悪い感覚が胸中をおそい、すら感じる。

 理由は一つ。

(……どういう、こと?)

 いや、ちがう。疑問じゃない。これは疑問じゃなくて、理解が出来ないだけ。

 目の前でみすらかべて話す父が、私には理解できなかった。

 だって、そうでしょ?

 父の言うことが正しいのならそれは、それはつまり、


 ──お母さんとはれんらくを取り続けていたってことじゃないの?


 言葉の意味をしやくし、飲み込んだしゆんかん、息がまった。

「っと、本格的に降り出したか。……胡桃くるみ?」

 降り出した雨がかみらす。冷たい。

 けど、私の胸中はそれどころじゃない。

 私には何のれんらくもなくて、二日前の電話がはなばなれになってから初めてのれんらくで、色々問題もあったけど、でも何とかえたし、何のれんらくもくれなかったことは正直ショックだったけど、でもそういう人なんだって、そう……そう、決めつけて、けいべつして終わりだと思ったのに。

「……なに、それ」

胡桃くるみ?」

「心配って……」

 先ほど父がのたまった言葉に不快感すら覚える。

 確かに家族がはなれる前、母は精神的に少し参っている様子だった。

 でも、心配してれんらくして何度か会って、さらに最近落ち着いている、なんて会話までして。

 それで、私には?

「もう……いや」

 結局それって、私は心配されていなかったってことじゃないの?

胡桃くるみ? どうかしたのか? とりあえず、どこか雨をしのげるところに移動を──」

 心配げに見つめてくる父に、歯をみしめ、思う。

 私が苦しんでる時、この人は何をしていたのだろう、と。

 私が家で一人ご飯を食べている時、この人は母とご飯を食べていたのだろうか。

 私がだれも居ない部屋にただいまって言っている時、この人は母と会っていたのだろうか。

 私が死ぬ前に飲もうってお酒を買っている時、この人は母と酒を飲んでいたのだろうか。

 それで、その果てで、私が助けて欲しい時に何もしてくれなかったこの人は、母と仲直りして、家族の間の問題を自分たちだけですべて解決した気になっていたのだろうか。

(……もう、ダメだ)

 もう私は、この人を父親として見られない。

 この父親に、なにも期待ができない。

「……いろいろ、あったよ」

「え?」

「問題なんかいろいろ、あった。たくさんあった。仕事はやめて、高校に行くようになって、でも教室には居場所がなくて」

「く、胡桃くるみ?」

 心配げな声をかけてくるが、無視して続ける。

「何回も何回も死にたいって思って、何回も何回も助けて欲しいって泣きながらとんの中で丸まって、でもれんらくなんかない。れんらくもらったと思ったら、お母さんと仲直りしたからいつしよに暮らさないかって、意味がわからない」

「死にたいってお前……なんでれんらくしなかったんだ!」

「……できるわけないでしょ」

 れんらくなんて、できない。できるわけがない。

 死にたいぐらいつらいのに、そんな勇気、出るわけない。


 ──自分を置いて出て行った人に、そんな相談ができるわけない。


 ぎりっ、とおくみしめる。

胡桃くるみ

「……ほんと、なにこれ。なに? ……なんなの? なんで私ばっかりこんな……なんで全部解決したみたいな顔してるの? なんで私にはなにもないって思ってるの? なんでお母さんと仲良くしてるの? なんで、なんで──なんで、あの日出て行ったの?」

 たずねると、父はいつしゆん言葉にまった後、まっすぐ見つめて──答えた。

「あれが、最善だったからだ」

「……ぁ」

 そのしゆんかん、最後の支えがぽきりと折れた音が聞こえた。

「……ふざけないでよ」

「ふざけていない」

「もう……もういいっ! もう何も聞きたくないっ!」

胡桃くるみ! 話を聞け! 一体なにが──」

「うるさいっ! もうお父さんなんかっ──」

 カッ──と頭に血が上り、私は感情のままにてようとして、

胡桃くるみさん!」

 聞きなれた、私が世界で一番大好きな人の声が聞こえた。

 しゆんかんきかけていた言葉を飲み込む。

 おどろいて目を見開き、その声の方に視線を向けると、そこには予想通りの人物の姿。

 どこまでもまっすぐなひとみは私に向けられていて、彼はしんけんな表情のまま告げた。

「それ以上は、言っちゃだめだよ」

 その言葉に、私のあらぶっていた感情は冷や水を浴びせられたように落ち着いていく。

 そうだ。

 私はここにけんをしに来たわけじゃない。

 問題を解決しに来たのだ。

「……いち

 気付けば、彼の名前を呼んでいた。

 彼は応えるように、先ほどとは打って変わってやさしいみをかべた。

 それだけで何を言いたいかが分かった。

 バカップルだから、なのかもしれない。

 見つめ返すと、小さくしゆこうするいち

 視線だけで通じ合う。そんな関係性に、とくんと心臓がねた。

 私はキュッと口を結んで気合を入れ直し、真正面から父をえる。

 いま私がやることは、んでいたうつぷんすことじゃない。

 ちゃんと、話し合うこと。

 情けないけど、そのために彼の力を借りさせてもらう。

 降り続いていた雨が、やんだ。



 胡桃くるみさんのあとを追うのは簡単だった。

 何しろ俺にはラブラブセンサーがあるからな。

 見つけてからしばらく、ぬすきということに罪悪感を覚えつつも胡桃くるみさんたちの会話を耳にしていたところ、話し合いは難航しているようだった。

 そしてさすがにこれ以上はダメだと判断し、こうして割り込ませていただいただいである。

胡桃くるみさん、落ち着いた?」

「……ん、落ち着いた」

「それは良かった」

「……うん」

 返事をする胡桃くるみさんは確かに落ち着いているし、もう一度父親と向き合おうと決意をあらわにしていたが、それとは別にポーっと熱い視線をこちらに向けていた。

「いやん、照れちゃうねぇ」

「ば、ばかっ、なに言ってるのよっ」

 見つめていたことにいまさらながら気付いたのかほおを染めて顔をらす胡桃くるみさん。

 ともこのままお持ち帰りしたいところなのだが、その前にころさんばかりの殺意のこもった視線をどうにかしなければならない。その主は言わずもがな、胡桃くるみさんの父親。

 彼は不快そうにけんにしわを寄せると、低い声でたずねてきた。

「お前は胡桃くるみのクラスメイトか何かか?」

「はい、一応」

 将来の約束をしているこいびと同士ではあるが、クラスメイトであることにも変わりない。

 俺の返答を受けて彼は大きくため息をつくと、頭をかかえて告げた。

「これは家族の問題だ。部外者は口をはさまないでくれ」

「なら将来的に家族になるのでなんの問題もありませんね! 全力ではさませていただきます! おさん!」

「お、おさんっ!?

 とんきような声を上げるおさんは、俺と胡桃くるみさんをこうに見つめて口をポカンと開けた。

 どうやらじようきようが理解できずにショートしている模様。

 すると、すぐとなりからため息が聞こえた。

「……もう、なに言ってるのよ」

「本当のことでしょ?」

「……そ、そうだけど」

 もごもごと口ごもった胡桃くるみさんはすように話題を変えた。

「そ、それよりっ、どうしてここに居るの?」

胡桃くるみさんの居るとこならどこへでも」

「……相変わらずバカなんだから」

 そうして言葉をわす胡桃くるみさんはすっかりいつも通りにもどっていた。

 しばらくイチャイチャしていると、ようやくじようきようを理解したおさんがあわてたように声をあらげる。

「ふ、ふざけるな! 胡桃くるみはうちの大事なむすめだ! もし何かしたのなら絶対に許さんっ!」

 それは、俺が思わず一歩下がってしまいそうなほどのけんまくだった。

 胡桃くるみさんも初めて見たのか、目を丸くしている。

 しかし数回まばたきすると、くちびるとがらせながらつぶやいた。

「別に、そ、そこまで心配しなくても何もないわよ」

胡桃くるみ……」

「何を言っているんだ胡桃くるみさん! 俺たちの間には愛という名の赤い糸があるじゃないか! いい機会だしともおさんにも認めてもらおう!」

「お前は何を言っているんだ!? 胡桃くるみ! こんなのがクラスメイトなど大変だったろうに! お前が原因かこのストーカーめ! 胡桃くるみ、やっぱりこっちでいつしよに暮らそう!」

「こ、こんなの!? ストーカー!?

 さすがにひどくない? 一応初対面なのだけど。

 助けて胡桃くるみさん、と視線を向ける。

「ヤバみやくんはちょっとだまってて。はぁ……」

「ため息!?

 あつかいちょっと雑くない? とか思わないでもないが、胡桃くるみさん相手なら雑にあつかわれようがごほうである。変態じゃないよ、愛の力だよ。

 仕方がないので大人しくしていると、胡桃くるみさんはあごに手を当ててしゆんじゆん

 おさんを真正面からえると言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。

「お父さん、私が思ってること正直に言うから聞いて」

「あ、あぁ」

 おさんがうなずくのを待ってから、胡桃くるみさんは続けた。

「まず、私はいつしよに暮らせない。その、まだ心の整理がついてなくて二人とは暮らしたくないっていうのもあるけど、それより今は絶対に転校したくないから」

「……こいつか?」

 だからこいつて。

 おさんのてきに、胡桃くるみさんのほおじよじよに赤くなる。

 耳まで真っ赤になると、熱でこわれたロボットのように首を縦にった。

「……ま、まぁ、うん。その……あ、改めてしようかいすると、彼はかさみやいちくん。一応、私のかれというか、こいびとというか……大切な人」

「この頭のおかしいやつが?」

 さっきから失礼じゃない?

 胡桃くるみさんも何とか言ってよ!

「うん、頭おかしいし、変態だし、基本的にばかだよ」

胡桃くるみさん!?

 散々な言われようなんだが?

 内心でショックを受けていると胡桃くるみさんは「だけど」とつなぐ。

「それでも私が世界で一番大好きな人で……私のためにいつしようけんめいになってくれて、私も、その……この人のためにいつしようけんめいになりたいって思える人。……だから、お父さんといつしよに暮らすとか、転校とか、彼とはなれるのはいや。それに、最近は学校にも友達が出来て……すごく楽しいから」

胡桃くるみ……」

 おさんはじっと胡桃くるみさんを見つめると、先ほどの胡桃くるみさんのようにあごに手を当てて熟考を始める。そして数秒の後、再度口を開いた。

「一応聞くが、そいつがお前を助け──いや、これはか」

 言いかけるも、最終的には目を閉じて首をるおさん。

 どうしたのかと思っていると、胡桃くるみさんは俺のうでを取ってきしめ、おさんに向かって明るいみを向けた。

「そ、この人が助けてくれたの!」

「……そうか」

 胡桃くるみさんの言葉を聞いておさんは小さくうなずくと、それまで見せたことのないやさしいみをかべた。

 そのしゆんかん、二人の間にあったわだかまりが、確かになくなったのを感じた。

 あんの息をつくと、白くなって空へとのぼっていく。

 雲の切れ間から青空が見え始めていた。



胡桃くるみさん、これどうぞ。おさんも」

「ありがと」

「悪いな。……が、お前におさんと呼ばれる筋合いはない」

 場所を移してれてないベンチにこしける二人に、俺は近くのはんでココアとコーヒーをこうにゆうしてわたした。

「じゃあ俺は少し外すから」

「えっ」

「え?」

 わだかまりもなくなっただろうし、親子の会話のじやになるだろうと席を外そうとしたのだが、胡桃くるみさんがキュッと服のすそつかんできた。

 おさんを見ると、ため息をついて頭をいた。

「ま、聞いてどうなる話でもないしな」

 そう前置きし、おさんは語り始めた。

「正直、言われるまでお前がどれだけ苦しんでいたかなど分かっていなかった。……俺は本当に、お前ならだいじようぶだとそう思っていたんだ。何しろ中学生で立派に仕事をこなしてお金をもらっているんだからな。きっと俺は、お前のことを成人した大人として見ていたんだと思う」

 その話を胡桃くるみさんはココアのかんで手を温めながら聞き届ける。

 次にプルタブを開けてのどうるおすと、質問を投げかけた。

「出て行ったのは、正解だったと思う?」

「あの時は、そう思ったよ。いや、ずっと正解だと思っていた。……あまりむすめやそのかれに聞かせるのもあれなんだが、あの時はふうなかが良くなかったんだ。だから、『俺が』出て行きたかったというのも大きい」

 苦々しげに告げるおさんは決してしようさいを語りはしなかったが、よほどつらかったのだろうことは容易に想像できた。じやすいかもしれないが、もしかするとDVに近いものを経験していたのかもしれない。

 胡桃くるみさんも似たことを考えたのか、苦々しげに表情をゆがめる。

「そう……だったんだ。知らなかった」

「知らせなかったからな。お前が気にすることじゃない。……とにかく、そんなわけで別居をはじめてからは、何よりも不安定だった母さんのケアを優先した。胡桃くるみだいじようぶだから、こいつを先に落ち着かせないと、と。こんするつもりはなかったし、早くもう一度いつしよに暮らしたいとも考えていたからな。……それで胡桃くるみれんらくを入れるのが後回し後回しになって……そりゃあ、ダメだよな、俺」

 うなだれて頭をかかえるおさん。

胡桃くるみを傷つけないためにくやろうくやろうってしてきたつもりだったのに、俺が一番傷つけてた。最初から、空回りしてたんだ。俺は」

 ぼやくと、おさんはぐいっとコーヒーを飲み干して立ち上がる。

「昼、まだだよな。これ」

 そう言って彼はさいから三万ほど取り出して胡桃くるみさんにわたす。

「えっと……」

 こんわくする胡桃くるみさんにおさんはさいをポケットにしまう。

「お前の修学旅行をじやしてしまったおびだ。他にも友達いるんだろ? これでしいものでも食べて、気を付けて帰りなさい」

「……ありがと」

 胡桃くるみさんの返事にみをかべると、おさんは背を向けて去っていった。

「いいおさんじゃん」

きの顔よ」

 そう言いつつも胡桃くるみさんは遠ざかるおさんの背を見つめ──

「お父さんっ!」

 呼び止めた。

 半身だけでかえる彼に、胡桃くるみさんは迷うことなく告げる。

「毎週土曜、電話するからっ」

 せつ、彼の顔が初めてくしゃっとゆがんだ気がした。

 遠目でよくわからなかったが、おさんは胡桃くるみさんに右手を挙げて、もう一度背を向けようとして──きびすを返してもどってきた。その視線は俺をとらえており……え、えっ、なにっ!?

「おい、かさみやとか言ったな」

「は、はいっ」

「言い忘れていたが、むすめを泣かせるようなことをしたらようしやしないからな」

 そんなおどしのような言葉に、俺はがおでもって答える。

「もちろんです。胡桃くるみさんにはいつしようがいがおで過ごしてもらうつもりですので」

 聞き届けると、彼は不満げに鼻を鳴らして今度こそ去っていった。

 残されたのは俺と胡桃くるみさんだけ。

 自然とおたがいに顔を見合わせて、笑った。

「じゃあそろそろ二人のところにもどろうか」

「そうね。お金ももらったし、いいものおごってあげないとね」

 ちらりと時計を見ると、時刻は十一時三十六分。

 長く感じたけれど、たった三十分しかっていなかった。



 用事が終わったむねきりしまくんにれんらくを入れると、どうやら別れた場所の近くで待っていてくれているらしかった。

 これ以上待たせるのも悪いので急いでもどろうと歩き出そうとして──。

「……っと」

 ふらっ、と胡桃くるみさんが体勢をくずした。

 手で支えつつ彼女の様子を見ると、足がふるえている。

「ご、ごめん。ちょっと、きんちようが解けたみたいで……」

だいじようぶ、支えるから」

「ありがと」

 そう言って手をつないで再度歩き出そうとすると、胡桃くるみさんはつないでいた手をもぞもぞと動かし、指と指をからめるようににぎなおした。こいびとつなぎだ。

 ちらりと表情を見やると、満足気にこうたんを持ち上げていた。

 あまりのわいさに内心もんぜつしていると、胡桃くるみさんは思い出したかのようにとつぜんスマホを取り出して、インカメを表示させる。

 どうしたのだろうか? と疑問に思っていると、胡桃くるみさんはうわづかいに提案してきた。

「ね、ねぇ、その……せっかくだし二人で、らない?」

「……っ、もちろん喜んで!」

 そうしてげつきようをバックに二人で並ぶ。

 手をつないでいるためかなり近くてそれはもう興奮必至のきよであるが、シャッターを押す寸前、胡桃くるみさんはさらに一歩近付いて俺のうできしめた。

「ひょっ!?

 ──しゆんかん、シャッターが切られる。

 とつぜんのことにおどろいていると胡桃くるみさんはしたり顔でニヤリと笑い、俺の耳元でささやいた。

「大好きだよ」

 こしょこしょと告げて、サッと身を引く胡桃くるみさん。

 いたずらが成功した子どものようなみをかべる彼女に俺は……、

「俺も大好きだぁぁぁああああああぁああああっ!!

 おさえきれなくなった愛をさけび、きしめるのだった。

「ちょっ、声が……ひゃっ、あ、あわわっ」



 二人の元にもどると、向こうもすぐに気付いたようで片手をあげてってきた。

胡桃くるみちゃん、だ、だいじようぶだった!?

 まっすぐ胡桃くるみさんに近付いて心配の声を上げるぐらに、胡桃くるみさんはみを返す。

「うん、何とか無事解決した、かな。心配かけてごめんね」

「ううん、だいじようぶだよ」

 手をつないで話にふける二人を横目に、きりしまくんが声をかけてくる。

「おかえり。……にしても、また助けたのか」

「別に、俺は特に何もしてないよ。ただ少し話しやすくしただけ」

「そうか……すごいよ、お前は」

「そんなことないよ」

 軽く言葉をわして、これからどうしようかと話していると、混むだろうからと早めの昼食をとることになった。

 どこにするか話し合おうとして、待ったがかかる。どうやらぐらが待っている間にあらしやま近辺の飲食店を調べてくれていたらしく、「この辺りは少しお値段がねー」としようかべていた。

 すると胡桃くるみさんがふところからさいを取り出した。

「そういうことなら任せて。実は──」

 今回した事情を軽く説明し、おさんからお金をもらったむねを説明する胡桃くるみさん。

 ぐらきりしまくんも最初は「申し訳ないからいいよ」とえんりよしていたが、結局は胡桃くるみさんの説得の末、首を縦にっていた。

 そうして俺たちが選んだ昼食は──

「これがどう

「本当にとうだな」

 俺の言葉にきりしまくんが同意した。

 もっと他にないのかと思わないでもないが、りよくがなくなるのも無理はない。

 何しろ目の前にあるのはこんだしととう、薬味にお吸い物と天ぷらという、とても高校生の修学旅行とは思えないほどのごうせいな食事だったのだから。

「お、おとう、入れていいんだよね?」

 胡桃くるみさんがおずおずととう……なんちゃって。

とう……ふへ」

 ぐらがぼそりとつぶやいた言葉に、内心で同じレベルなのかとせんりつした。

「で、これどれくらいでるんだろ。そろそろいいかな?」

 しばらくして取り出そうとすると、ぺしっ、とぐらに手をたたかれた。

「まだダメ。とうおどしてからって書いてある」

 そう言って食べ方のったネットの記事を片手になべぎようぐらが再来した。

おどすの?」

「そうみたい」

 胡桃くるみさんの問いにぐらしゆこう

おどすのか」

「うん」

 次いできりしまくんの言葉にもうなずく。

とうおどるわけ──」

「そう書いてあるからだまって見てなさいよ!」

「……なんで俺だけるんだよ」

 りつつもなべを見ていると……、

「「「「おぉ……」」」」

 おどしたよ。ふわふわと。

 ぐらがそれぞれさらに取り分けてくれたので、感謝を述べつつ手を合わせる。

「「「「いただきます」」」」

 まずはしようゆを垂らしてパクり。……いな。

 正直とうなんて味は変わらないだろうとたかをくくっていたけれど、全然ちがう。

 続く二口目、三口目と口に入れ、時には薬味を変えながら、俺たちはどうたんのうした。



 どうを食べ終え、あらしやま観光にもどる。

 と言っても、すでに名所は大方回っているため土産みやげものてんのぞく程度なのだが。

「まだ決まらないの? かすみちゃんへのお土産みやげ

めんぼくない」

 色々とアドバイスをもらって美容系やら和風っぽいかんざしやら、せんやらと見て回っているのだが、果たして喜んでもらえるのかと言われれば……うーん。

「これなんかどうだ?」

「どれ?」

 きりしまくんが店先の木刀片手にどや顔していた。

 胡桃くるみさんもこれにはしようかべている。

「さすがにそれは……」

「……でも、かすみのやつたまに俺の見てるアニメ横からのぞいてくるしな。……意外と好きだったりするのか?」

めいそうし過ぎじゃない!?

 もしかするとどこの土産みやげものにもある、りゆうけんのキーホルダーが正解の可能性も……。

 考え込んでいると、軽いチョップが飛んできた。

「ど、どうしたの? 胡桃くるみさん」

 痛くもかゆくもないし、むしろイチャイチャの波動を感じてむずがゆいぐらいだが、ステレオタイプにこうげきを受けたしよをさすりつつおたずねすると、胡桃くるみさんはぴっと人差し指を立てた。

「私はあんまり難しく考えなくていいと思うわよ」

「そう……なのかな」

「そう。きっとあんたがもらってうれしいものは、かすみちゃんもうれしいはずよ」

 胡桃くるみさんは「だって」と続けて、ほほんだ。

「あんたとかすみちゃんって、ほんとよく似た兄妹きようだいだと思うから」

「……そっか」

「そうよ、もう……」

 あきれたように息を胡桃くるみさん。

「よく見てくれているんだね。さすがは未来のまい!」

「ち、ちがっ、そういうつもりで見てたわけじゃ……っ

ちがうの?」

「ぐっ、そ、それは……まぁ、ちが、わない、かもしれないけど……」

 顔を真っ赤にしてうつむいた胡桃くるみさんは、しかしすぐに顔を上げると一言。

「し、調しらべちゃんはなに買うか決まったっ!?

 そう告げて、てててっとしてしまった。残念である。

 それにしても『俺がうれしいものは、かすみうれしい』か……。

 兄妹きようだいである前に異性であると判断して胡桃くるみさんやぐらに相談したが、そうか。

 異性である前に、兄妹きようだいであることが正解なのかもしれない。

 俺は土産みやげものの中を物色し、いくつかこうにゆうしてから三人の元に合流。

 電車に乗り込んで、集合場所である京都駅へ。

 そうして新幹線に揺られ、俺たちは三日間お世話になった京都の街を後にした。



 学校にとうちやくするとその場で解散となる。

 きりしまくんやぐらは電車の方向がちがうため駅でお別れ。

 胡桃くるみさんと並んで電車に乗り込む。時刻は六時前。窓の外はもう暗い。

 帰宅ラッシュには少し早いのか、車内はそれほど込み合っていなかった。

「……終わっちゃったね」

「そうね……つかれた」

「確かに」

「でも、楽しかったわね」

「それも確かに」

 しゆこうすると、胡桃くるみさんはさびしそうな顔を見せる。

 そして指をもじもじと合わせながら、胡桃くるみさんは提案する。

「今度はその……個人的に二人で、ね?」

しんこん旅行?」

「……しんこんになるまでまんできるの?」

 正直、その返しは予想できなかった。

「じゃあ、こんぜん旅行?」

「そうかもしれないわね」

 ちらちらこちらの様子をうかがいながら告げる胡桃くるみさん。

 それにしても、二人で旅行か。

「二人で旅行ってなったら、その……さすがにまんできないと思うんだけど」

「もう、すぐ下世話な話になる」

「だって実際そうでしょ? としごろの男女が旅行で一つ屋根の下、まさかトランプをするわけじゃないよね?」

「それは……そうかもしれないけど……」

 想像したのかわずかにほおしゆに染めて視線をらす胡桃くるみさん。

 やがて彼女はしゆんじゆんしたのち、俺の指先を軽くまみながら、小さな──すぐとなりの俺にも聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、ぼそりとささやいた。

「……そろそろ、いいかもね」

……っ! それって──」

「あ、あーっ! わ、私ここだからっ! そ、それじゃ!」

「え、ちょっと!」

 言葉の意味を聞き終える前に、胡桃くるみさんはカバンをかかえて電車を降りる。

 そしてゆっくりかえると、小さくみをかべて、

「それじゃあ、また明日」

 と軽く手をった。

 先ほどの発言は非常に気になるけれど、これでも修学旅行帰り。

 無理やり聞き出して、体調をくずす結果となっては申し訳ない。

 特に胡桃くるみさんはおさんのこともあってつかれているだろうし。

「わかった、じゃあまた明日学校でくわしく聞くよ」

「えっ!? まっ──」

 胡桃くるみさんがあわてたように手をばしたが無情にもとびらは閉まり、電車が発車した。

 学校で聞くのはじようだんだけど、はぐらかされるつもりがないのは確かである。



 えきとうちやくして、歩きなれた道を見慣れた街をながめながら歩く。

 旅行帰りの地元の景色はどうしてこうなつかしく感じるのだろう。

 あんにも似た不思議な感覚である。

 しばらく歩いて、家にとうちやく

 かぎを開けてくつぐとリビングに顔を出した。

「ただいまー、あったけぇ」

 リビングはだんぼうがガンガンに効いていて思わずかんたんの声がれる。

「おかえり、兄貴」

 その快適な空間の中、かすみはソファーにころびながらスマホをいじっていた。

 両親は仕事なのでまだ帰ってきていない。

「場所を空けーい」

「えー」

 ソファーに近付くとかすみは不満をあらわにしつつも身体からだを起こし、俺が座れるスペースを作ってくれた。

 そんなリトルシスターの視線はすでにスマホからは外され俺が持ち帰ってきた荷物の方へ──より具体的には土産みやげものかみぶくろに注がれていた。

「お、お土産みやげは?」

「もちろん、買ってきたぞ」

 俺はかみぶくろを手に取ると、中からいくつもの箱を取り出した。

 それは、別になんてことはないおの箱。

 なまはしや、まつちやをつかったチョコレートやクッキーのおである。

「おぉー、ふつー」

「まぁ、をてらうよりましだろ。それに──」

 言葉を区切って広げたおのひとつを手に取り、続ける。

「試食して気に入ったものを買った。……不満か?」

「別に、もともと不満なんてないし。だけどまぁ……それなら安心かな」

 かすみは小袋を開けて中のおを取り出すと、ニッとみをかべて、

「ありがと、兄貴。よくやった」

「おう。どういたしまして妹」

 彼女は満足げにうなずくと、おをパクっと口に放り込んだ。

 その様子に、俺はほっと胸をなでおろす。

 さんざんなやんだし、もしかすればもっといいものもあったのかもしれない。

 だけど、こうしてがおでお礼を言われたのならミッションコンプリートだろう。

ちなみに父さんと母さんの分もいつしよだから一人で全部食べるなよ」

「えぇ!? それは不満! もっと買ってきてよバカ兄貴!」

 うがーっ、とおこったかすみなだめつつ、俺も一つ食べる。

 うん、やっぱりうまい。

「コーヒーれるけど飲むか?」

「飲む!」

 ──家に帰るまでが修学旅行。

 そんな修学旅行の終わりに、俺は妹とコーヒー片手にきゆうけいすることにした。