
──ここが天国なのだろうか?
俺は隣で肩に頭を乗せて寝息を立てる胡桃さんを見て、そう思った。
場所は京都へ向かう新幹線の中。昨夜あまり眠れなかったのか、乗車して数分後には胡桃さんは夢の世界へと旅立たれてしまった。
(眠れなかったのは、今朝様子がおかしかったのと何か関係があるのか……)
ぼんやりと考えてみるけれど分からない。
胡桃さんは大丈夫と言っていたけれど、やはり心配なものは心配だ。
修学旅行中は注視しておこう。……いつものことだな。
それにしてもすやすやと聞こえる寝息が非常にかわいらしい。というより愛らしい。
ちらりと顔を覗き込めばみずみずしい唇が視界に入って──あー、キスしたい。何なら途中下車して近くのラブホテルに連れ込みたい。
邪にもほどがある下心を抱きつつ、しかしさすがに自重。
瞬間、胡桃さんの身体が一瞬ビクッとはねた。
うたた寝中になるあれだろうか。可愛いな。
「んむ……もぅ、ヤバ宮くんの、へんたい……」
「夢の中で何が行われているというのだ」
「そ、そういうのは二人の時に……むにゃむにゃ」
本当に何が行われてるんだ!?
非常に気になるけれど、騒いで起こしてしまうのも忍びない。
俺は京都までの数時間、動かざること山のごとしと言わんばかりに胡桃さんの枕に徹するのだった。一回だけ頰っぺたを突っついたのは秘密である。
柔らかかった。
そうして新幹線に揺られること約二時間。
京都駅に到着した我々は、クラス別に観光バスに乗り込んだ。
この修学旅行──二泊三日の予定は次の通りとなっている。
一日目にクラス単位で観光地を散策し、夕方ホテルへ移動。
二日目・三日目が、先日決めた班別での自由行動。
そして一日目である本日──俺たちのクラスが最初に向かったのは、
「──ここが清水寺」
京都でも一、二を争うレベルの名所、清水寺だった。
雲一つない快晴の下、正面には赤くてでっかい門があった。
これが入口なのだろう。
写真やテレビなんかでは何度も見たことがあるが、実際に来たのは初めて。
正直あまり寺社仏閣には興味がなかったけれど、さすがに本物を目の前にすれば興奮してしまう。門前からでも目を惹かれるものがあった。
「まさに圧巻って感じだね、胡桃さん!」
なのでその感動を胡桃さんと共有させていただく。
バスを降りてから隣で目を見開いて微動だにしていなかった彼女は、しかし俺の声掛けにピクリと身体を動かして、頰を上気させつつ興奮した様子で口を開いた。
「ほ、ほんとに、ほんとにすごい綺麗……! 死ななくてよかったぁ!」
「重い重い」
「み、見て見てっ! あの正面に見えるのが仁王門! 高さは十四メートルもあって中には二体の仁王像が両脇に構えているのよ! そこを潜り抜けると右手には西門があって、その先には随求堂って呼ばれる──」
「……」
めっちゃ早口だった。
思わず俺が黙ってしまうほどの速さで、胡桃さんは清水寺について熱弁を始める。
ちらりと先ほど手に入れた清水寺の観光マップを見てみると、すごい全部あってるよ。
まさか胡桃さんの景色好きがここまでとは。
「そ、それでね! その先に今度は轟門って呼ばれる門があって、そこを抜けると一番有名なあの清水の舞台が──」
「おーい、お前らー。はぐれねーようにちゃんとついて来いよー」
熱弁を続ける胡桃さんに、中に入るため仁王門へと向かっていく物部先生が声をかけるが聞こえている様子はない。それほどまでに興奮しているのだろう。
愛する彼女の意外な一面を知ってしまって役得。
「でね、でねっ──」
結果、とり残されたのは興奮する胡桃さんと俺──それと、
「く、胡桃ちゃん! とりあえず先に行こ! このままだと取り残されて入れなくなるよ!」
「──ハッ! あっ、ご、ごめんね! なんか、抑えらんなくて……っ」
恥ずかしそうにしながら赤くなった頰を手で扇ぐ胡桃さん。
決して中に入れないということはないだろうが、入場券的なやつは学校がまとめて買っているだろうから、一緒に行動しなければ自費になってしまう。
胡桃さんはこの場に残っていた俺と小倉、そして苦笑を浮かべて傍観していた桐島くんに頭を下げつつ、てててっ、と物部先生やクラスメイト達の後を追い始めた。
若干早足なところに入れなかったらどうしよう、という焦りを感じられてとても愛らしい。
「胡桃ちゃんって、あんなにはっちゃけることあるんだね」
「マジで可愛いよな」
「分かる」
小倉と『分かり』を共有してしまった。
「お前らいろいろとすげーよ」
そんな俺たちをどこか呆れた目で見てくる桐島くん。
別段何もすごくはないと思うのだが。
三人並んで仁王門へと歩いていると、不意に胡桃さんが小走りで戻ってきて──。
「は、早く行くわよ!」
俺の手を摑んで引っ張った。
「ふ、二人もっ! はっ、早くっ!」
よほど楽しみにして来たのだろう。
今度は俺たちも小走りで清水寺に向かった。
「大きいー! ひろーいっ!」
轟門を抜けて清水の舞台に到着するなり、テンションが振り切れて子供のようにはしゃぐ胡桃さん。せり出した舞台の方へと小走りで駆けて行くと、手すりにもたれかかるようにして景色を一望していた。
そんな彼女を眺めて思うことはただ一つ。
「胡桃さんが可愛すぎる」
「分かりみが深い」
「あれ俺の彼女なんだぜ?」
「羨ましすぎる。いや、マジで」
小倉とだべりつつ胡桃さんへと近づくと、彼女もこちらに気付き、

「んっ、んん! ……すごい綺麗ね」
咳払いを一つして落ち着きを取り戻しながら、そう告げた。
「胡桃さんの方が綺麗だよ」
「……っ、あ、あんたはほんと突然なんだから……ば、ばか!」
いきなりで驚いたのか、髪をいじって視線を京都の景色へと向ける胡桃さん。
そんな反応が可愛くって仕方がない。
「ほんとにそのセリフ言うやつ居るんだ」
「何か言ったか?」
「別に~? ねぇねぇ、胡桃ちゃん! 写真撮ろ!」
俺の視線をかいくぐりスマホ片手に胡桃さんに近付く小倉。
相変わらずの泥棒猫っぷりである。
インカメで自撮りを始める二人を眺めていると、隣に桐島くんが近付いてきた。
「何だかんだ、仲良くしてるんだな」
「あの二人はね」
「お前は?」
「……俺は、どうだろうな。わからん」
きっとこの形が何よりもいいのだということはわかっている。胡桃さんに新しい同性の友達が出来て、小倉も以前のことを反省して自分を変えようとしている。
あぁ、いいこと尽くめじゃないか。
……だけど、俺の心の中に完全に許しきってもいいのだろうか、と靄のようなものが未だに存在するのも確かだった。外に出すつもりはないけどね。
「そう言えば、桐島くんは友達と回らなくてよかったの?」
話題を変えるために今度はこちらから話を振る。
「って言うと?」
「だって今日は班行動じゃないからさ、他のクラスメイトと回らないのかなって。あぁ、邪魔とかそういうことを言っているわけじゃないから」
「分かってるよ」
慌てて付け足す俺に苦笑を浮かべた桐島くんは、ポケットに手を入れながら視線を前へと向ける。つられて見れば、楽しそうに写真を撮る胡桃さんと小倉の姿。
「まぁ、なんだろうな。修学旅行はお前らと回りたいって、本当にただそれだけだ」
「そう」
「あぁ……って、俺のことはどうでもいいんだよ! それよりお前は愛する彼女と写真撮らなくていいのか?」
「──はっ! そうだった!」
桐島くんの言葉に慌てて、二人に近付く。
「胡桃さん! 俺とも撮ろう!」
「あっ、う、うん。もちろん」
「じゃあ私も……」
あさましくも割って入ろうとしてくる小倉であるが、大親友の桐島くんがサクッと回収してくれた。本当に気が利く友人だ。
小倉は彼の爪の垢を煎じて飲めばいいと思われる。
「お前はこっち。……ったく。んじゃ俺が撮ってやるよ。並べ~」
スマホを掲げる桐島くんの言葉に甘えて、胡桃さんの横に立って手を握った。
「……ち、近いんだけど」
「俺と胡桃さんの心の距離だよ!」
「重なり合ってるんだけど!?」
「そう、胡桃さんとは身も心も重なり合いたいんだっ!」
「ちょっ、ほ、他の人も居るのに何言ってんのよ!」
「本心を言っている! 絶対にこの手は離さない! 一生涯隣に居てもらうから!」
「~~っ! ば、バカバカ! こんな外でそんな……」
恥ずかしさのあまり手を離そうとする胡桃さんであるが、ぎゅっと握って引き寄せると、借りてきた猫のようにおとなしく身を寄せてきた。
「もぅ……ほんと、バカなんだから……」
「胡桃さん……」
自然と胡桃さんと見つめ合う。
綺麗な澄んだ目に俺の顔が写っていて──。
「お前ら早くしろよ!」
「「ご、ごめん」」
桐島くんの悲鳴にも近い絶叫で、現実に引き戻された。
そう言えば写真を撮る云々って話だったっけ。
胡桃さんがあまりにも魅力的過ぎてすっかり二人だけの世界に入っていた。
胡桃さんは真っ赤な顔をぱたぱたと手で扇ぎつつ、大きく深呼吸。
それから顔の火照りが取れるまで数十秒ほど待ってから、ようやく撮影が完了した。
確認すると自分で言うのもなんだが、微笑ましいカップルの写真に仕上がっていた。
これは是非とも印刷して額縁に入れて飾ろう。
まだ修学旅行は始まったばかりにもかかわらず、俺は帰ってからのことを考えながら最高の一枚を撮影してくれたカメラマンに感謝を述べる。
「ありがとう!」
「俺、二度とカップルの写真は撮らねぇ、二度とだ!」
大事なことだから二回言っていた。いや、ごめんて。
清水の舞台を通り過ぎると左手に地主神社と書かれた鳥居が現れた。
なんでも縁結びの神様が祀られている神社だそう。
これが胡桃さんと知り合う前の俺ならば、それはもう無縁もいいところの存在であったのだが、今は違う。
何なら縁はすでに結ばれているし解くつもりも毛頭ないけれど、胡桃さんと恋愛成就の神社に参拝とか絶対楽しいに決まってる。むしろ神様に見せつけてみようじゃないか。
「胡桃さん!」
「──わ、わかった! わかったから変なことは言わないで!」
こちらが何かを言うよりも早く、胡桃さんは言葉を遮った。
言葉を交わすまでもなく以心伝心出来たことは非常に嬉しいけど、一体全体胡桃さんの中で俺はどういう存在なのか。
それほど変な言葉を投げかけているつもりはないのだが……。
これは是非一度、小一時間ほど密室で二人きりで問い詰めた方がいいかもしれない。
もちろん他意しかない。
胡桃さんの許しが貰えたので一応同行者である小倉と桐島くんにも尋ねると「どうせ来たんだから行こう」と彼らからも許諾を得られた。
仮にも集団行動中だからね、こういうのは重要だ。
『地主神社』と書かれた大きな鳥居をくぐって石階段を上ると、朱色の本殿が姿を現した。
例によって胡桃さんがキラキラと日朝ヒロインを応援する小学生のような目になっているが、可愛いので写真を一枚。永久保存版だな。
次に、手を清めてお賽銭を入れる。
お参りは大切だ。
「胡桃さんと一生涯寄り添えますように。離れるつもりなんかないけど!」
「神様に何言ってるのよ」
「決意表明……的な?」
「それ合ってるの?」
「まぁ、間違ってはいないと思うよ。それに──」
「それに?」
「胡桃さんとの縁は自分で結んでいきたいからね! だから神様にはお力添えをいただくのではなく、生温かい目で未来のおしどり夫婦を見守っていてもらいたいんだよ!」
「んなっ! ばっ……な、なに言ってるのよ!」
「だから胡桃さんを幸せにする決意表明だよ! 胡桃さんは嫌だった?」
「……っ! そ、その言い方ズルいのよ……!」
そう言って胡桃さんは再度お財布を取り出すと五円玉を投げ入れもう一度お参り。
「こいつと……き、貴一と一緒に居れます、ように……っ! これでいいっ!?」
「胡桃さん……っ! 大好きだ!」
「わっ、だ、だから人前でやめてってばぁ!」
思いのままに抱きしめると、胡桃さんは顔を真っ赤にして叫ぶのだった。
ひとしきり愛を伝え、参拝を終えると──ふと、ある物が目に付いた。
「……『恋占いの石』?」
それは本殿の前に十メートルほどの間隔をあけておかれた二つの石である。
近くの立て札に書かれた説明を読むと、一方の石から目を閉じてもう一方の石まで辿り着ければ恋の願いが叶う、というものらしい。
一度で出来たら早く叶う、出来なければ遅くなる。
友人の手を借りれば、恋の方でも友人の助けがいる、とつまりはそんな内容だった。
なるほど。
「胡桃さん!」
「──わかった! わかったから変なことは言わないでっ!」
だからどうしてそんなに警戒するのか。変なことなど言っていないのに。
やはりここは一度問い詰めた方がいいかもしれない。
もちろん二人きりで。
というわけで早速『恋占いの石』に挑戦する。
俺は一方の石の前に立ち、もう一方の石を見据えた。
次いで、ぶつからないよう少し横にずれてこちらを見る三人──主に胡桃さんを見つめて、
「絶対一回で成功させるから!」
「わ、わかったから大きな声で言わないで! は、恥ずかしいっ」
消え入りそうな声で真っ赤な顔をうつむける胡桃さん。
彼女の隣で小倉がめちゃくちゃデレデレしていた。雌猫め。
さて、さくっと終わらせるとしよう。
観光地ということもあり他の観光客の視線を感じるが、緊張などはない。
俺は目を瞑ると躊躇なくまっすぐ歩きだした。
暗い視界の中を自らの心に従ってまっすぐ進み──、
「な、なんでっ!?」
俺は胡桃さんを抱きしめた。……おや?
「俺の縁はすべて胡桃さんに結ばれているということだね!」
「そういうのじゃないと思うんだけどっ!?」
「でも、現にこうして胡桃さんにたどり着いたわけだし」
「め、目を開けてたんでしょ!?」
「そんなわけない」
「じゃ、じゃあもう一回やってみなさいよ!」
というわけで再挑戦。
俺はもう一度目を瞑り、まっすぐ一歩を踏み出した。
そして──。
「──っ、ど、どうしてっ!? 場所は移動したのに!」
目を開いて確かめると、確かに先ほどまで立っていた場所から胡桃さんは移動していた。
「やっぱり俺たちは運命の赤い糸で結ばれているということだね!」
「だからそういうのじゃ……っ、ほんとに目は開けてないの!?」
「そんなに言うなら……っと」
俺はカバンからアイマスクを取り出す。
旅行ということで一応持ってきていたものだ。
装着していざ三度挑戦。
結果は──。
「ぜ、絶対におかしいわよ!」
俺の腕の中で抗議する胡桃さん。可愛いなぁ。
「そんなこと言われても……」
「じゃ、じゃあどうしてわかるのよ」
どうしてかと問われれば、そりゃあ。
「俺のラブラブセンサーがビンビンに反応していたからかな!」
「ら、らぶ……こ、こんな人の目があるとこで──」
「言い換えるなら、俺の中の羅針盤は胡桃さんを指し続けているってことだよ! 永遠にね!」
いつものように心の赴くまま、愛の言葉を告げる。
すると胡桃さんはわなわなと震え出し、口をぱくぱくと数度動かした後、顔を真っ赤にして吠えた。
「ば、ばかぁぁぁああああっ!!」
因みにこの間抱きしめたままだったりする。
私、古賀胡桃は恥ずかしさを誤魔化すように火照った顔を手で扇ぎながら、ため息をつく。
「どうして私まで……」
先ほどの彼の奇行で周囲からの注目が集まる中、私は石の隣に立つ。
恥ずかしいけれど仕方がない。
あいつにだけやらせて、私は逃げるというのは……まぁ、なんと言うか不公平だと思うから。
それに──
「胡桃さんがんばれー!」
ちらりと、横にずれてこちらを応援するあいつを見る。
仮にもし私が一度でたどり着けたなら……まぁ、喜んでくれるかな、なんて。
ただ、それだけ。
「……」
私は一度頰をはたくとぎゅっと目を瞑り、歩き始めた。
なんだかんだと言ってきたけど、結局はまっすぐ歩くだけの占い。
運否天賦より、当人の方向感覚が如実に表れるのが、この恋占いだ。
その辺り、運動神経に自信がある私からすれば、そこまで難しいものではないはず……。
(で、でも、さすがに少し不安ね……)
ズレてたらどうしよう、なんて思いつつ、歩みを進める。
やがて、そろそろ反対側の石に辿り着いたかな? と足元に意識を集中し始めた瞬間──
「わぷっ」
誰かにぶつかった。
と同時に強い安心感を覚える。
この感触と言うか、この匂いは間違えることもない。
「おめでとう、胡桃さん!」
目を開けると、見慣れたあいつの顔がすぐそばにあった。
「う、うそっ! もしかして私もあんたみたいに──」
奇怪な軌道を描いて想い人の胸に飛び込んでしまったというのっ!?
焦燥と同時に周囲を見渡すも、しかし彼のすぐ後ろに本来の目的地であった『恋占いの石』がぽつねんと鎮座していた。
つまりそれは彼が私を受け止めにわざわざ待ち構えていたということで……。
「なんでっ!?」
「愛ゆえに、かな?」
「だからそういうのじゃないんだけど!?」
先ほどと同じことを叫びながら、私は急いで彼の腕から飛び退いた。
ショックを受けた表情を見せる彼。
もう、やめてって言ってるのにしつこくするからよ。
少しは反省してほしいものね。
私はふいっ、と顔を逸らして調ちゃんと桐島くんの下に合流する。
ちらりと彼に視線を向けると、まだショックを受けていた。
……もう、もうっ!
「い、行くわよ!」
「胡桃さん……!」
そうして向けられる愛情百パーセントの瞳。
(……っ、これに弱いのよね)
恥ずかしいけど、悪くない。
そんなふわふわとした心持ちで、私たちは地主神社を後にした。
その後、音羽の滝をぐるりと回り、清水寺を後にしたところで昼食の時間となった。
決められた時間内に決められた範囲で好きに食事をして来いとのこと。
メンツは変わらずの四人である。
結局、修学旅行中はずっとこの班のメンバーで行動することになりそうだ。
昼食に関しては、せっかく京都に来たのだから有名なラーメンでもと思ったが、女子が二人いる都合、遠慮した方がいいだろう。だからと言ってファミレスやファストフードでは味気ない。
うーむ、と迷った結果。
「やっぱり寒いときは鍋ね。……はい、胡桃ちゃん♡」
目の前で小倉が小皿に材料を取り分けながら言った。
なんでも京野菜を使ったいい感じのところなのだとか。
店で迷っていたら口コミで評判の良かった店を小倉がサクッとチョイスしてくれた次第である。俺は思いつきもしなかった。
だって誰かと知らない店に入った経験などなかったから。
さすがは元陽キャ。
今ではクラスのふわふわポジションを共にする仲だが、経歴の差に嫉妬を覚える。
ちなみに胡桃さんも終始どうしようと頭を悩ませていたので、俺と同じなのだろう。
夫婦になっても価値観に違いが生まれにくくていいかもしれない。
違いが生まれてもそれはそれでいいのだけど。
結局胡桃さんと一緒になれるのならそれ以上の幸せなんてないのだ。
「ありがと、調ちゃん」
「ううん、……と、はい桐島くん」
「うい」
胡桃さん、桐島くんと具材を取り分ける鍋奉行小倉。
胡桃さんのところにお肉が多いのは気のせいではないだろう。
きっと俺もそうするからよく分かる。
「……」
「……」
小倉は自らの皿に具材をよそって、俺を見た。
俺も無言を返す。
すると彼女は俺の皿を取り、他二人と同じように取り分けた。
「…………はい」
「おう。ありがと」
「別に」
そうして四人揃っていただきます。
湯気が昇る具材を見て、旨そうだと思う一方で、俺の皿に野菜が多いのは気のせいではないのだろう。きっと俺もそうするからよく分かる。
とりあえず目についた野菜をパクり。
ふむ……おいしいじゃないか。
食後も京都散策は続き、俺たちのクラスが乗った観光バスが最後に向かったのは本日宿泊するホテルである。各々荷物を持って、物部先生がホテルの人とチェックインやらなにやらの諸作業を行っている間、ロビーで待機となる。
それにしても本日は様々なところを散策した。
個人的に驚いたのは金閣寺と銀閣寺って結構距離が開いてたんだってこと。
教養の欠片もない自身に涙が出るね。
と言っても、本日でかなり詳しくなったが。
理由はもちろん、
「どこも綺麗だったわね!」
恍惚とした表情でそう告げる胡桃さんのおかげである。
行く先々で観光ガイドさん並みのご案内を披露していた胡桃さんの言葉を、彼氏として聞かないわけにはいかない。その結果だった。
「うん、いい思い出にもなったよ!」
「写真もたくさん撮れたし……今夜送っとくね」
「了解、それじゃあ俺も……」
そう言ってスマホのアルバムを開くと、ずらりと並んだ胡桃さんの写真がざっと百枚以上。
まるで観光地の宣材写真のような仕上がりだ。
もちろん中には俺と二人で映っているものや、小倉あるいは桐島くんと映っているものもあるが、基本胡桃さんが笑顔で景色を見ている姿の写真だった。
「い、いつの間に撮ってたの!?」
「いつの間にというか、常に撮ってたよ。胡桃さんはいついかなる時でも可愛いから、気付けば無意識レベルでシャッターを押しているんだ」
「さ、さすがに恥ずかしいんだけど……」
「ほら、これとか胡桃さんの魅力がぎゅっと詰まった一枚だと思うよ!」
「もう! わざわざ顔をアップにしなくていいから!」
「そんな。可愛いのに……いや、ほんと可愛いな。これ待ち受けにしてもいい?」
「だ、だめ!」
「えぇー」
あまりにもかわいい笑顔だったので是非ともホーム画面にセットしたかったのだが。
仕方がない。この写真は家に帰ったら写真立てを購入して枕元に飾るとしよう。
因みに今のホーム画面も胡桃さん(昼食の姿)だったりする。
正直、選びたい写真が多すぎて困っちゃうね。
「せ、せめて、その……二人で映ってる写真にしてよ。わ、私単体はさすがに……」
口元を手で隠して告げる胡桃さん。
指の隙間から見える口端は僅かに上がっていた。
「それじゃあ同じ写真をホーム画面にしよう! それでどうかな?」
「そ、それなら……ん。いいよ?」
上目遣いにこちらを見ながら了承してくれる胡桃さん。
「よし、それじゃあ早速どれにするか──」
二人で写真選びに取り掛かろうとしたところで、
「おーい、バカップル。ホテルの部屋に案内するからさっさとこ~い」
物部先生からの呼び声かかかった。
「そうだった……。それじゃあいいのがあったらまたLINEするね!」
「うん。私も探しとく」
そうして部屋は男女別のため、一時胡桃さんとお別れとなった。
この修学旅行中、俺がお世話になる部屋は六人部屋の和室だった。
桐島くん以外は話したことのないクラスメイトというだけの男子たち。
彼らと共に部屋に行き、畳の隅っこに荷物を広げる。
「ホテルの和室についてるこの空間って何なんだろうな」
そう言って、桐島くんは畳とは障子で仕切られた窓際のフローリング空間を覗いた。
確かに、何の用途で作られたのだろう。
ソファーチェアとローテーブルが置かれ、窓の外には夕焼けの京都が一望できる。
寺社仏閣もいいけれど、何気ない夕焼けの街並みを眺めるのも、やはり悪くない。
そんなことを思いつつ、夕食までの自由時間を桐島くんとだべって潰していると、不意に同室の男子が声を上げた。
「おーい、浴衣あるけど着る?」
「晩飯に着て行っていいんだっけ?」
「部屋着か浴衣でいいって言ってたし、いいんじゃね?」
浴衣を漁る男子たちを遠巻きに見ていると、
「せっかくだし俺たちも着るか」
そう桐島くんに誘われた。
断る理由もないので俺たちも着替える。
正直、浴衣って足元がスースーして落ち着かないんだよなぁ。
なんて思いながら着替えていると、着替え終わった一人が話しかけてきた。
「なぁ、笠宮!」
おちゃらけた雰囲気の彼は確か──
「えーっと……なに? 阿坂くん」
危ない危ない。いくら胡桃さん以外は基本アウトオブ眼中とは言え、同室のクラスメイトの名前を忘れかけていた。
彼の名前は阿坂健次くん、だったはず。
桐島くんほどではないが顔は整っていて、バレー部だかバスケ部だかに所属していたはず。個人的な印象は、良く言えばクラスのムードメーカーで、悪く言えば剽軽者。
……いや別に、悪く言う必要はないのだが。
阿坂くんとはほとんど話したことないというのに、気さくな様子で尋ねてきた。
「笠宮って古賀さんと付き合ってんだよな? どっちから告ったの?」
突拍子もない質問に一瞬面くらう。
……ふむ、しかしこれは。
「いわゆる恋バナ的なやつ?」
「そそ、男だけのむさ苦しい恋バナ」
「参加したくないなぁ」
「まぁまぁそう言わずにさ。この部屋の中でお前は唯一の彼女持ちなんだ。作り方をご教授してくれよ~」
わざとらしくへりくだってみせる阿坂は、しかし一度同部屋の男子をぐるりと見渡してから、俺と、それから桐島くんにどこか羨望にも似た視線を向けた。……なんだ?
疑問に思うこちらに対し、しかし彼は再度人好きのする笑みを浮かべる。
「まぁ、なんだ。彼女云々は置いておくにしても、せっかくの修学旅行なんだしさ、ほとんど話したことないけど仲良くしようぜって、つまりはそんな感じ」
それが本音であることは、間違いないだろう。
それだけが本音とは限らないだろうが。
まぁ、そこを追及する必要はないだろう。
俺は口端を持ち上げて、ひとまずは彼らの期待に応えるとする。
「あぁ、構わないよ。こっちも楽しい思い出にしたいしね。……それじゃあまずは手始めに胡桃さんがいかに可愛いかということを──!」
「まずいっ、逃げろ! 二時間は聞かされるぞ!」
口を開きかけたら桐島くんにものすごい勢いで阻止されてしまった。
そんな……頑張って一時間にするからダメ? ……あ、ダメ。はい。
落ち込んでいると部屋に物部先生がやってきて、夕食の時間になったことが伝えられる。
俺は若干落ち込みつつも部屋を後にするのだった。
夕食も終えて、部屋に戻ってくると布団が敷かれていた。
同部屋の男子連中がさっそく場所争奪戦を繰り広げている。
俺はバレないようにそっと窓際の端っこを確保した。
隣に桐島くんが腰掛ける。
「時間が早かったから腹に入るか不安だったが……まぁ、余裕だったな」
「観光で歩き回って疲れたからね。にしても早く風呂に入りたい」
夕食が開始されたのは六時半。
観光途中でつまみ食いなんかをしていたら危なかった腹具合である。
そんなわけで現在時刻は八時前。そろそろお風呂の時間だ。
「汗もかいたしな」
いくら寒い季節とは言え、厚着して歩けば汗もかく。
早く流してさっぱりしたいものだ。
そう考えていると、部屋の扉がノックされた。
なんだ? と同部屋の阿坂くんがドアを開けると、そこには物部先生の姿。
「あれ、もう風呂の時間っすか~?」
阿坂くんが尋ねると物部先生は申し訳なさそうな表情で答えた。
「あー、そのことなんだが……すまん。学年全体で大浴場を使うと混雑して間に合わないことが分かった。そこで奇数のクラスは部屋風呂で済ましてくれということになってだな……」
「え、えぇっ!?」
驚嘆の声を上げる阿坂くん。俺だって同じ思いである。
だって我らのクラスは二年三組──バリバリ奇数のクラスだったから。
俺は立ち上がって物部先生に食って掛かる。
「へ、部屋風呂って本当ですか!?」
「あ、あぁ。すまん……俺が、俺がじゃんけん弱いばかりにっ……!」
おそらく先生たちはじゃんけんで勝敗を決めたのだろう。
「そ、そんな……じゃあ先生はこの大学生の一人暮らしみたいな狭いバストイレ一体の部屋風呂に代わる代わる六人も入れと、そうおっしゃるんですか!?」
「ぐぅっ……! も、もう決まったことなんだっ!」
そう言い残し去っていく物部先生。
俺はショックのあまり膝から崩れ落ちる。
「……噓だ」
「まぁ仕方ねぇよ。背中流してやろうか?」
「狭いバスタブに二人は無理だよ、桐島くん」
彼の不器用なフォローに何とか気を取り直す。
部屋を見ると同部屋の男子がしぶしぶといった様子で風呂の順番を決めていた。
ふと、ドアの外から声が聞こえて顔を出してみると、そこには偶数クラスの連中が大浴場へと向かって行く姿。羨ましすぎる。
そんな彼らを俺は指を咥えて見ているしかないのか? あまりにも理不尽じゃないか。
視線を部屋の中に戻すと、今度は風呂の順番が決まっていた。
参加しなかった俺はもちろん最後。
自分の番が回ってくるまで早くても一時間といったところか。
「…………よし」
「どうしたんだ?」
「大浴場行ってくるわ」
「いや、でも部屋で済ませろって──」
「桐島くん!」
怖気づく彼の肩を摑み、その澄んだ瞳をまっすぐ見つめて、俺は真剣な声色で告げた。
「人多いし、多分バレないって」
最低な甘言を。
桐島くんは口元に手を当てて暫し熟考すると、ぼそりと呟いた。
「……まぁ、他の生徒に交じって入るだけだし……バレてもそこまで怒られねぇか」
「ああ」
ニヤリと笑みを浮かべた彼にニヒルな感じに頷いてみせる。
気分はさながら映画に出てくる密売人。
桐島くんとの密談を終え、着替えと部屋に備え付けられていたバスタオル、フェイスタオルをカバンに入れて、いざ出陣っ──と。
「おいおい、待ちな」
「「……っ!」」
部屋の入口の柱に背を預け、ダンディズム溢れる声色で呼び止めたのは阿坂くん。
まさか、先生に告げ口するつもりじゃ……っ!
そんなこちらの表情を読んだのか、阿坂くんは不敵に口端を吊り上げて──。
「俺もお供しようじゃねぇか」
「……あぁ」
「歓迎するぜ」
どう考えても修学旅行で変なテンションになっていた。
大浴場には思いのほかすんなりと入ることが出来た。
一概に偶数クラスの生徒と言っても、早風呂の者もいれば長風呂の者もいる。
脱衣所周りはかなり人が多くて紛れやすかった。
「みんなもう出たのか結構空いてるな~」
などとぼやきながら桐島くんが浴衣を脱ぐ。
腹筋バキバキだった。さすがサッカー部。
「にしても、笠宮って大胆なんだな。こういうことしないやつだと思ってた」
そう言って阿坂くんも服を脱ぐ。
こちらもバキバキだ。さすが運動部。
「それを言うなら、阿坂くんが俺に話しかけてきたことの方が意外だと思ったよ」
俺も浴衣を脱いで籠の中に放り込む。
俺の腹筋は、まぁ可もなく不可もなく。
胡桃さんに見合う男になるために一般的な筋トレをしていた成果だった。
タオルを腰に当ていざ大浴場へ。
引き戸を開けるとそれなりの大きさの内風呂が広がっていた。
入口すぐ横にはサウナがあり、奥手には露天風呂へと続く扉まである。
「これに入らせないとか、学校を訴えても勝てるんじゃないだろうか?」
真剣にそんなことを思いつつ、しっかり身体を洗ってから湯船に入る。
「「「あぁ~」」」
風呂に入ると声が出るのは何故なのだろう。
「でかい風呂はいいなぁ」
「それな」
足を伸ばしてぼやく桐島くんと、同調する阿坂くん。
まったくもって同意しかない。
俺たち以外の生徒はもう出ているのか、人影はまばら。
今風呂に入っているのはかなり後半組ということなのだろう。
しばらく三人並んで浸かっていると、気付けば俺たちだけになっていた。
偶数クラスの生徒は俺たちより先に入っているので必然であるが……しかし、ほぼ貸し切りというのはなかなかに気持ちがいい。
「なぁ、ちょっとサウナ行かね?」
と、言い出したのは阿坂くん。
彼とはこの修学旅行で話したのが初めてだというのに、何だろうかこの親近感は。
普段喋らない生徒ともなんとなく話ができる。
これが修学旅行というやつか。
「いいよ」
「んじゃ、俺も」
俺が首肯すると、桐島くんも後を付いてきた。
三人でサウナに入って座る。
暫くするとじわじわと汗が噴き出してきて、息苦しいのにどこか心地いい。
サウナは不思議な施設だ。
パチパチと焼石が弾ける音に耳を傾けていると、不意に阿坂くんが口を開いた。
「……あのさ、二人に相談があるんだけど」
「どうしたんだ? 阿坂」
「……」
小首を傾げる桐島くんに対し、俺はおおよそ彼の相談内容が分かっていた。
阿坂くんもそれを察知したのだろう。
彼は俺を一瞥したのち、僅かに唇をかみしめるととつとつと語り始めた。
「笠宮は気付いてるよな? さっきも言ってたぐらいだし」
「さっき?」
桐島くんが不思議そうにこちらを見てきた。
俺が無言で阿坂くんに視線をやると、彼は自嘲するように口元を歪めた。
「『俺に話しかけてきたことの方が意外だと思った』……か。まったくだな」
阿坂くんはため息を一つついて、続けた。
「笠宮はさ、俺のこと嫌いだろ?」
「……」
無言を返すも、彼はつづけた。
「何せ──俺のせいで、小倉はあんなことになったんだから」
それは約三週間前。
クラス内の悪意ある空気が、小倉という女子生徒ただ一人に向かったあの日のこと。
席替えというなんてことはない日常の中で、
彼は──阿坂くんは──剽軽者は──最初の一言を口にした。
『俺、小倉の隣の席になったら虐められちゃうよ~』
と。
あの状況で、あのセリフ。
ウケ狙いにしても、たとえ相手が虐めを行っていた小倉だとしても──完全にアウトだ。
「俺は小倉のことを嫌っている」
「そうなのか? ……いや、それでも、お前は俺を許せないだろ?」
「そうだね。あれは俺の嫌いな行動だったし、阿坂くんのことは軽蔑したよ」
なにせあれは、俺が何よりも嫌っていること。
──虐めの、始まりを告げる言葉だったのだから。
「……だよな」
阿坂くんは膝に肘を置いて顔を伏せる。
彼の髪の先端から汗の粒がぽつぽつとサウナの床を濡らした。
「で、相談っていうのはなに?」
「……っ」
「俺に嫌われてることを確かめたかったわけじゃないでしょ?」
「そりゃあ、まぁ……」
阿坂くんはしばらく口をまごつかせてから、伏せていた顔を上げてこちらを見やった。
「お、俺は……小倉に謝罪するべき、なんだろうか?」
「……はぁ?」
意味の分からない言葉に思わず素っ頓狂な声が出た。
「俺は、俺は本当に最低なことをした。謝罪したい。だけど、謝罪してもいいのだろうかと、そう思ってしまう。傷つけたことには変わらない。どう償うこともできない。だからこれはただ、自分の罪悪感を減らすための利己的なものなのかもって思えて──だからっ」
「でも、小倉は胡桃さんに謝罪したよ」
「──っ」
阿坂くんは面食らったように目を見開いた。
何を驚くことがあるのかと思わないでもないが、きっと彼は悩み過ぎたのだろう。
事が事だけに誰かに相談することも憚られる。
一人で悩みに悩み続けて、そしてドツボにはまってしまった。
俺は続ける。
「悪いと思ってるなら謝罪するべきじゃないかな? 許してもらえるかどうかは別として。だって──それしかないでしょ?」
「……」
阿坂くんは無言で顎に手を当てて瞑目。
逡巡の後に大きく息を吸い込むと──咽せた。
サウナの中で深呼吸などするからだ。
「──けほっ。すまん、その通りだ。っけほ。ありがとう笠宮」
「別に、思ったことを言っただけだよ」
「そうか……そうだな。……なぁ、良ければ謝罪の場を──いや、なんでもない」
誤魔化すように首を振ると、彼は立ち上がる。
「先に上がるよ」
告げて、阿坂くんはサウナを後にした。
どうなるかは分からないけれど、いい方に転ぶことを陰ながら応援しておこう。
少なくとも、悪い方に転がるよりはマシなのだから。
「のけ者だったんだけど?」
「ご、ごめんって桐島くん」
「……まぁ、いいけどさ。それより露天行かね?」
「そうだった! まだ露天風呂があるんだった!」
俺たちはサウナを出て、一度シャワーで汗を流してから露天風呂へと向かう。
外に出ると十一月下旬の冷たい空気が身体の熱を一気に奪い去っていった。
俺たちは大急ぎで湯船に浸かる。
「あったけぇ」
「だなぁ」
気の抜けた声で人心地。
ぼんやりと夜空を眺める。
都会のためか星はあまり見えないが、月は綺麗に見えていた。
昼間晴れてたしね。
「にしても、阿坂も色々考えてたんだな」
「だねぇ」
「俺、あいつと結構話すけど、あんな真剣なの初めてだ。よほど後悔してたんだろな」
「だろうねぇ」
桐島くんの言葉にまったり相槌を返しつつ、俺は今日ずっと──いや、あの班決めの時からずっと疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。
阿坂くんが胸の内を吐露した今なら答えてくれるかもしれないと思ったからだ。
「で、桐島くんはどうして同じ班になったり、今日みたいに一緒に行動してくれたの?」
一瞬の間。
「……どうした、急に?」
「一緒に回りたいと思ったって言ってたけど、それだけじゃないでしょ?」
「…………」
桐島くん──彼は俺の良き友人である。
しかし、こと胡桃さん関連のことに関しては常に我関せずを貫いてきていた。
浮いている胡桃さんに表立って話しかけることはないし、だからと言って他のクラスメイト同様奇異の視線を向けることもない。裏で俺たちをフォローしてくれることはあるが、俺や小倉を助けた胡桃さんのように、真正面から関わるようなことはなかった。
彼はただ、人目があるところでは関係しない。
それだけを貫いていたのだ。
でも俺は気にしていなかった。彼には彼の生活があるのだから。
変に手を出して、彼の人間関係を、高校生活を壊す必要はない。
むしろ、裏で色々助けてくれているだけで十分以上だった。
だからこそ、今回の修学旅行に付随する行動が解せない。
昼間ははぐらかされたが、もう逃がさないと意思を固めて桐島くんを見る。
「そうだなぁ」
桐島くんは大きく息を吐くと、頭に載せていたタオルを手にして立ち上がった。
「とりあえず、そろそろ出るか。さすがにのぼせそうだ」
ハッとして備え付けの時計に目をやると入浴を始めてから一時間が経過していた。
……ふむ。
「まったくもってその通りだね」
意志を固めて約五秒、早速逃げられちゃったぜ。
急いで露天から出て脱衣所で身体を拭いていると、腰にバスタオルを巻いた桐島くんがぽつぽつと語り始めた。
「別に大した理由じゃないんだ」
「え?」
「さっきの続き」
桐島くんは自身の着替えを籠から取り出し、続ける。
「まぁなんだ。もう傍観者で居たくなかったんだよ。古賀が苦しんでいるのを見て、お前が苦しんでいるのを見て、小倉が苦しんでいるのを見て。見て、見て、見ているだけ」
「……」
「俺に助けられたかなんてのはわからない。助けられたなんて傲慢なことも言わない。……でも、助けるべきだったんじゃないかって、そう思うんだ。そう、思ってしまうんだ。──特にお前を見ていると」
「……俺?」
桐島くんは首肯する。
「あぁ……。どうなるかわからない。だけど助けたい。その一心で古賀を助けたお前。それに古賀も同じだ。元は自分を虐めていた女を、周りの目を気にせず助けた。助けてしまった」
桐島くんは浴衣に袖を通しながら続ける。
「できないかもしれないけど、何もかも放り出して助けてしまったお前や古賀を見ていると、俺は俺が恥ずかしかった。ただ見ているだけの自分に嫌気がさした。……だから、お前たちと行動している。そんな利己的な考えが理由だよ」
どうなるか分からないから手を出せなかった桐島くんは、俺が『助けた』という結果を残したからこそ、きっとその後悔を強くしているのだろう。
話し終えた彼は、大きく息を吐くと備え付けのドライヤーで髪を乾かし始める。
俺も浴衣を身に纏って、隣で髪を乾かした。
終わると、二人揃って脱衣所を後にする。
暖簾を潜れば目の前には畳の休憩スペースがあり、自販機が併設されていた。
俺は財布を出してコーヒー牛乳を二本購入。
一本を桐島くんに渡し、畳に腰掛けた。
「桐島くんの行動は素直に嬉しいと思うよ。たとえ利己的でも、結局のところ根底にあるのは俺たちへの心配だからね。……でも、それでキミの行動を制限する必要はない」
「……けど」
それでも気が済まないのか、悔しそうに顔を歪めてコーヒー牛乳の瓶を握りしめる桐島くん。
俺は瓶の蓋を開けて口を付けた。甘ったるい味わいが口の中に広がる。
ごくりと嚥下し喉を潤してから、桐島くんに向かって笑みを向けた。
「それでも桐島くんの気が済まないなら……今度は空気を読まずにキミに助けを求めるよ」
「──っ」
桐島くんは大きく目を見開いて、こちらを見た。
「だから俺たちに気を使わなくても大丈夫。桐島くんにも好きなように楽しんで欲しい」
言い終えると、彼は僅かに瓶を握る手を強め──蓋を開け一気にコーヒー牛乳を飲み干した。
「──ぷはっ。……あぁ、分かったよ」
「それは良かった」
「けど、お前は一つ勘違いをしているぜ」
「勘違い?」
何のことかと小首を傾げると、彼は今までに見たことがないほどの気持ちのいい笑みを浮かべて、堂々と告げた。
「俺はもう、充分楽しんでるってことだよ」
「……っはは、それはもっとよかった!」
「だな。……くくくっ」
二人で一通り笑い合ってから、俺たちは部屋に戻った。
時刻は夜の九時過ぎ。
就寝時間まで一時間を切った現在、俺はこの修学旅行のとある目的を達成するために、ホテルのロビーに下りてきていた。
目的地はただ一つ。
(売店まだ開いててよかった~)
俺は目的地である売店に小走りで向かった。
ここに来た理由は言わずもがな、マイシスターへのお土産探しである。
日中も様々な土産物店を探したが、これといったものが見つからず、いまだにどれも保留状態だったのだ。
売店ならメジャーな土産物がある程度揃っているだろう、との考えで出てきたのだが……。
陳列の棚を見る。
地ビール、地酒、つまみ……このコーナーじゃないな。
酒コーナーから離れて土産物をチェック。
大半がお菓子類で、名産が少し。
まぁこんなものか……って、お茶安いな。ホテル内の自販機より良心的だ。
ぼんやりと土産物を眺めていると、ふと聞き覚えのある声が耳朶を叩いた。
「えっ……?」
「むむっ、その声は聞き紛うことのない胡桃さんの声──ちょっと写真を一枚」
「なんでよっ!」
振り返ったところに立っていたのはホテルの浴衣に袖を通した胡桃さんだった。
上から茶羽織を着ている。初めて見る和の様相に思わず見惚れてしまう。
どこかさっぱりした表情からきっとお風呂上がりなのだろう。
非常に似合っていて、二人きりなら押し倒していたかもしれない。
「なんでって、似合ってるから?」
「……はぁ、一枚だけよ?」
やったぜ。ため息を伴っていたが、了承をいただいたのでさっそく一枚。
大変可愛らしい写真が出来上がった。
ほくほくと満足していると、胡桃さんは口をへの字に曲げる。
「なんか、いつもあんたばっかりズルい……わ、私にも撮らせなさいよ!」
「え、えぇっ。俺なんか撮っても──」
「う、うるさいわね! ……か、彼氏の写真欲しいって思ったらダメなの?」
頰を染めながら見つめてくる胡桃さん。
そんな目で見つめられれば断れるはずもなく……。
「わかった、何枚でも取っていいよ! なんなら脱ごうか?」
「いらない!」
鍛えてきた腹筋の見せ所と思ったが、拒絶されてしまった。当たり前だね。
突発開催の撮影会が終わったところで、俺は尋ねる。
「ところで胡桃さんはどうしてここに?」
「ん? ……んー、まぁ多分あんたと同じ理由、かな? 霞ちゃんへのお土産に何かないかなぁって見に来たの」
「気配りが行き届きすぎて凄すぎる」
「べ、別に……霞ちゃんに喜んで欲しいだけだから」
「胡桃さん……っ、好き!」
感極まって抱きしめるが、
「も、もう! 離して!」
一瞬で引き剝がされてしまった。
胡桃さんは俺をジトっとした目で睨んだ後、頰を膨らませるてピッと俺の顔を指さした。
「人前でべたべたしちゃダメ!」
「で、でも溢れ出る愛が──」
「抑えて」
「気持ちを伝えたくて──」
「伝わってるわよ! ……もう」
彼女は大きくため息をこぼすと、突然俺の手を取ってロビーの隅──人気のない突き当たりに連れ込んだ。
近くにあるのはたばこを販売する自販機のみ。
驚きのあまり喫煙者は大変だねぇ、なんて場違いなことが一瞬脳裏を過る。
「──ねぇ」
凜とした鋭い声と共に、壁際に追いやられ──ドン。
こ、これは……逆壁ドン?
真剣な表情の胡桃さんのすぐ目の前に。その距離は鼻先が当たってしまいそうなほど近くで、彼女の呼吸を肌で感じられた。
綺麗な瞳に整った鼻梁、瑞々しい唇に絹のように美しい肌。
俺が何年も想い焦がれ続けていた彼女に、まっすぐ見つめられている。
そう思うと自然と顔に熱が昇るのを感じた。
……生唾を飲み込む。
「ど、どうしたの胡桃さ──っん!?」
戸惑っていると、唐突に唇を奪われた。
柔らかい感触だとか、いい香りだとか、そういうことを考える前に驚きが先行。
そして驚いている間に、胡桃さんは唇を離す。
その顔はリンゴのように真っ赤に染まっていた。
「く、胡桃さん!?」
「……ひ、人前では、あんまりべたべたしないで。その……恥ずかしいの」
「う、うん。ごめん。そんなに嫌だったなんて──」
「い、いや、その……あんたの行動が嫌とかそういうのじゃなくて……あ、あんた以外に、あんまり見られたくない、って言うか、あんたにしか見せたくない……って言うか。……重い?」
不安に揺れる瞳で俺を見つめてくる胡桃さん。
なるほど、確かに重いかもしれない。
でも愛する人からそれほどの想いを向けられて嬉しくないわけがない。
俺は首を横に振って、胡桃さんを抱きしめた。
「そんなことないし、俺はすごく嬉しいよ!」
「……ん。その……二人きりの時だと、素直になれるから。だから……ね?」
「わかった。出来るだけ自重するよ」
「ほんとにー?」
今度は打って変わって訝し気な目を向けてくる胡桃さん。
「信用ないなぁ。こんなに胡桃さんのことを愛しているというのに」
「これだけ私のことを好きでいてくれてるって信用してるから信じられないのよ」
「確かに」
「納得するな」
ジッと見つめてくる胡桃さん。見つめ返すと、照れたように顔を逸らした。
なので彼女の頰に手を当てて正面を向かせる。再度視線が合い、胡桃さんは僅かに顎を上げた。
「好きだよ」
「知ってる」
瞳を閉じて待つ彼女に、俺は僅かに緊張を抱きつつ応えるのだった。
数分後、バレないように突き当たりから出て売店の物色を再開した。
なるほどこれが生八ツ橋かーおいしそうだなぁ。
こっちは抹茶のクッキー、おっ、これは抹茶のチョコレートか。
霞が喜びそうだなぁ。うん。
…………。
「ごめん、霞。お兄ちゃん今真剣に考えられないや」
「へっ、変なことを霞ちゃんに謝らないでっ……、わかるけどっ!」
思い出したのかお菓子片手に顔を真っ赤にした胡桃さんは、
「~~っ! は、はずっ、はずっ! なんであんなこと……うぅ、あわぁぁぁああっ!」
頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
悶絶している胡桃さんも可愛いな、なんて思いつつ、しかしさすがに弄るほどの余裕は俺も持ち合わせていなかった。むず痒いのと罪悪感と言うか、背徳感と言うか、やってしまった感がマッハ。
帰ったらもう一度霞に謝っておこう。あ、あと──。
「ごめんなさい、ホテルの人」
「そこまでしてないでしょ!?」
確かにキスしかしてないけども。
後悔なのか興奮なのか、よく分からない胡桃さんの小さな悲鳴が売店の一角に響くのだった。