
はてさて、時が過ぎるのも早いものである。
期末テストも恙なく終了し、返却された点数にこっそりガッツポーズを決めた翌日。
俺は斜め後ろの席に座る胡桃さんに、とあることを尋ねた。
「お土産は食べ物がいいか、それとも何かしら形に残る物がいいのか……胡桃さんはどっちがいいと思う?」
「い、いきなり何の話?」
「実は霞にお土産は何がいいかって聞いたら、任せるって言われちゃってさ……何がいいのかと困ってるんだよね」
「霞ちゃんに、か……」
うーん、と小首を傾げて悩みだす姿にときめきを感じつつ、俺は昨日のことを思い出す。
テスト返却も終わり、いよいよ修学旅行が近づいてきたこともあって、風呂上がりのマイシスター霞に『お土産は何がいい?』と尋ねたのである。
これに対して霞は『兄貴のセンスに任せる』と口にした。
『兄貴に任せる』でも『何でもいい』でもない。
『センス』に任されてしまった。
──んなもんねーよ、というのが本音であるが、彼女には胡桃さんのことで色々とお世話になっている。できれば喜んでもらいたいのが兄心というものだ。
しかしセンスなど、ないものはない。
個人的には食べ物がいいだろうか? と考えているが、相手は妹とは言え女の子。
というわけで同じ女性である胡桃さんに尋ねた次第である。
「何だろ、ぱっとは思いつかないかも……調ちゃんならお土産は何がいい?」
しばし悩んだ末、胡桃さんは前に座る金髪の少女に話しかけた。
長い金髪と豊満な胸を持つ彼女──小倉は、胡桃さんの問いに驚き半分喜び半分といった様相で振り返ると、爛漫たる笑みを浮かべて答えた。
「な、何かなっ!? 胡桃ちゃんから貰えるものなら何でも嬉しいよ!」
一瞬、忠犬の如くぶんぶんと振り回すしっぽを幻視してしまう。
「あ、いや、私じゃなくて──」
「俺の妹の話だ」
胡桃さんの言葉の続きを口にすると、小倉は意外そうなものを見る目で見つめてきた。
「……へぇ、あんた妹居たんだ」
「なんだよ」
「別に? いくつ?」
「…………中三」
「なんで言い渋るのよ」
それは仕方がない。
前より落ち着いたとはいえ、それでも小倉に対して素直に接するのはいまだ強い抵抗を覚えてしまう。こればっかりはどうしようもない。
そんなこちらを無視して、小倉は顎に手を当て胡桃さんに向き直る。
「中三かー。そうだね……。まぁ、私はその霞って子に会ったことないから何とも言えないけど、でも修学旅行って言っても行き先は京都だし、そこまでこだわる必要はないんじゃないかな?」
「確かに……同じ日本だしね」
「そうそう、普通な感じでいいと思うけど」
「そ、それで言うなら……お菓子とか、かな? 京都だったら抹茶とか有名じゃない?」
「確かに! あとは生八ツ橋? お菓子以外だと……あぶらとり紙とか」
「あー、それもいいかも! 他には──」
やがて二人で話に花を咲かせる胡桃さんと小倉。
気付けば蚊帳の外である。
ぽつねんとした状況に少なくない寂しさを覚えるも、二人のやり取りを見ているとだいぶ打ち解けてきたなと、ふとそんなことを思った。
小倉調──かつて胡桃さんを虐めていた彼女であるが、約二週間前のある日、クラスメイトの何気ない言葉によって彼女はクラス中から悪意を向けられていたところを、胡桃さんに助けられた。小倉は謝罪し、胡桃さんはそれを受け入れ──それ以降、二人の関係は日ごとに親密になっていた。
最近は休み時間に話していることも多いし、何より胡桃さんが笑顔を見せることが多くなっていて大変喜ばしい事である。
それもこれも胡桃さんの海より広い心のおかげなのか、それとも小倉のコミュ力がなせる業なのか。
判断はつかないが、あの日──クラスに蔓延した悪意ある空気から胡桃さんが小倉を救ってからというもの、すべてが良好な方へ進んでいるのは間違いなかった。
「胡桃ちゃんっ、修学旅行では一緒にお風呂に入ろうね! 背中流してあげるから!」
「えぇ~、そんないいよ~」
……が、それとこれとは別問題。
「ん、んんっ! おほん! 胡桃さん? 最初に相談したのは俺なんだけど?」
デレデレする小倉とまんざらでもない胡桃さんに俺は咳払いして割り込ませていただく。
百合の間に挟まる男は死滅して欲しいが、胡桃さんは俺の彼女なのでセーフ。
「そ、そうだった!」
本気で忘れていたのか慌てる胡桃さんに、思わずしょげていると。
「……ふへ」
小倉がこちらを見て口端を上げた。
「なんだよ」
「別になんでもないけど? 彼氏くん。……あっ、胡桃ちゃん! ホテルでは布団並べて寝ようね♡」
嫌味のように彼氏の部分を強調した小倉は、猫なで声で胡桃さんに話しかける。
「……この泥棒猫め。喧嘩売ってるなら買うが?」
「きゃっ、助けて胡桃ちゃん!」
「あっ、ズルいぞ!」
わざとらしく怯えてみせて胡桃さんにすり寄る小倉に、しかし当の本人は何処か楽しそうにしつつも呆れた様子で、子供を𠮟るような優しい声音で告げた。
「もう、調ちゃん。あんまり煽らないで! あとあんたもいい加減汚い言葉を使わない!」
……聖母かな?
母性を醸し出す胡桃さんに、二人揃って元気に返事をするのであった。
「おーい、そこのエスケープ三人組~」
そんな感じで三人で修学旅行について話していると、ふと教壇に立っていた担任教師である物部先生から声がかけられた。
因みに、エスケープ三人組とは言わずもがな俺たちのことだ。
彼は大きくため息をついて頭を搔く。
「お前らなぁ……暇なのはわかるが、一応お前らの班決めの最中なんだぞ?」
「いやぁ、だってすることないですし……」
「まぁ、そうなんだけどさぁ」
困ったような表情を見せる物部先生。
というのも、実のところ現在は休み時間ではない。LHRの時間である。
内容は修学旅行における自由行動時の班決め。
四人一班、合計十班作ることになっている。
ならどうしてこんなことになっているのか。答えは簡単である。
大半の生徒が仲のいい者と班を形成していく中で、まず俺は胡桃さんに求婚した。
高校生活におけるビッグイベントを共に過ごさないなどありえないからな。
こうして班の人数は二人。
このまま二人きりの京都散策としゃれこみたいところだったが、そうは問屋が卸さない。
ルールはルール。そこで胡桃さんがハブられていた小倉を誘った。
「修学旅行、一緒に回らない?」
と。
これに対し小倉は俺を一瞥。渋い顔を返すと、彼女は嬉々として、
「行く行く~」
と参加してきた。畜生である。
そうして形成されたのが元いじめられっ子に元いじめっ子、そして頭のおかしい変態で構成されたエスケープ三人組である。
教室内ではこれ以上なく浮いた存在であり、近寄り難いというか触らぬ神に祟りなしを地で行く存在に、残りの一枠がエンプティ。結果としてクラス内で残りの一人を誰にするかという、俺たちを中心とした俺たち以外の話し合いが現在進行形で開催中というわけだった。
まぁ、好き好んで入りたいと思う者はいないだろう。
居たらきっとマゾヒストに違いない。
なんて失礼なことを考えていると、ふとクラスメイト達の中から手が挙がった。
「んじゃ、俺行くわ」
飄々とした態度で、しかしはっきりと宣言した彼は俺の唯一の友人にしてサッカー部のイケメン、桐島くんだった。
俺や胡桃さんが困っていた時には何かと裏で相談に乗ってくれる最高の友人であるのだけど、この行動はいささか彼らしくない。何しろ普段の彼は、あくまでも裏で気にかけてくれるだけで、表で絡んでくれることはほとんどないのだから。
しかしそれが悪いとは思わない。
彼には彼の青春があり、それを放棄する必要などないのだから。
「えぇー、桐島抜けんのかよー」
「マジかー」
元々同じ班員だったのだろう生徒たちから非難を受ける桐島くん。
だけど彼は「わりーな」とだけ告げて、物部先生に班移動を願い出て、俺たちの方へとやって来た。
「うっす。よろしくな、ヤバ宮くん」
そんな非常に不名誉なあだ名を考えた彼は、特に気にした様子もなくニッと笑う。
「……いいの?」
「……何が? 俺はお前らと組んで修学旅行回りたいって思ったから入るだけだぜ?」
爽やかに答える彼と一瞬見つめ合う。相手の真意を探るように。
すると彼は再度苦笑。あまり探ってほしくないのだろう。
普段隠し事をするタイプではないので、やはり彼らしくない行動に違和感を覚える。
が、しかし。それはそれとして個人的にはこれ以上ない人選には違いない。
探ってほしくないのなら探らないのも親友というもの。
「ありがとう、桐島くんは最高の親友だよ!」
感謝の言葉を告げると、彼は苦笑を浮かべたまま、
「あぁ、そうなりたいよ。俺は」
と誰にも聞かせるつもりのないほどの声量で呟いた。
まぁ、俺の耳は最強なので一字一句聞き届けてしまうのだが。
「それでは、当日はこの班で回ってもらうことになるから! 残りの時間は各々行きたい場所を話し合って決めるようにー」
間延びした物部先生の声に、クラスメイト達がそれぞれ話し合いを再開する。
桐島くんのことは気になるが、今は置いておくとしよう。
俺は気を取り直し、桐島くんに人見知りを発動させていた愛くるしい胡桃さんに尋ねた。
「さて、京都のどこで式を挙げるかって話だっけ?」
「観光の計画を練るのよっ!」
私、古賀胡桃はベッドの上で横になる。
時間はあっという間に過ぎるもので、もう修学旅行の前日。
明日からは待ち望んでいた二泊三日の旅行が始まる。
そんな中、思い起こすのは先日の出来事だった。
一瞬どうなるかと思ったけど、無事にあいつと──き、貴一と同じ班になることが出来た。
「……ふふっ」
自然と笑みがこぼれてしまう。
あいつが現れてからだけど、特に最近は多い気がする。
理由の大半はあの頭のおかしい彼氏だけれど、それだけじゃない。
小倉調ちゃん……私にとってはいろいろと因縁と言うか、確執のようなものがあった彼女だけど、最近は一緒に居て本当に楽しいと感じる。
やっぱり、同性の友達と遊ぶのはあいつとは別の楽しさがあったりするのね。
同性の友達と言えば霞ちゃんもそうだけど、彼女の場合はどちらかと言うと妹のような感覚で接してしまう。
「まぁ、結婚したら本当に妹なんだけど……。…………っ!?」
ぼそりと呟いて、瞬間顔に熱が昇るのを感じた。
(な、なに恥ずかしいことを独り呟いているのっ!?)
堪らず枕を抱きしめてもだえ苦しむ。
い、いけない!
近頃本格的に貴一のおかしさが伝染してきた気がする。
べ、別に悪い気分ではないけれど……あぁ、ぐぅ……。
茹った頭で部屋の電灯を眺め、茫然と思う。
(…………笠宮胡桃、か……)
──はっ!
「ば、馬鹿じゃないのっ!? はっず! あぁぁあああああっ!」
顔が熱い。
自分でも辟易するほど浮かれ過ぎだ。
恥ずかしさのあまり顔を枕にうずめて、気を落ち着かせる。
そう言えばこのベッドであいつと寝たんだっけ。
「……」
ま、また泊まりに来ないかな。
って、別にムラムラしてるわけではないけども。
確かに、そういうことをしたいと思うこともあるけど、でもそれはそれとして一緒に居たいと、純粋な気持ちでそう思っているだけで……いったい誰に言い訳しているというのか。
「……はぁ。お風呂行こ」
ベッドの上で悶えたこともあり、服の下はじんわりと汗ばんでいた。
お風呂を準備して、さくっと入浴を済ませる。
出てきて時計を見ると一時間も経っていた。
季節的にもうすぐ冬である。
末端冷え性の身としては、どうしても長湯してしまうのだ。
「ふぅ……」
お風呂上がりにココアをごくり。
温まった後も温かい飲み物がいい、すっかりそんな季節。
明日の朝は早い。湯冷めする前にさっさと寝てしまおう。
そう考えて就寝の準備を行おうとして──不意に電話がかかってきた。
「もぅ、だれ?」
少し前なら着信音が鳴るだけで初めて鏡を見た猫のようになっていたけれど、最近では貴一や調ちゃんからよく電話を貰うのですっかり慣れたものだ。
まぁ、その二人以外、私の連絡先を知らないのだけど。
私は発信元も碌に確認せず、電話を取った。
「もしもし?」
「……もしもし、俺だ」
常套句を口にすると、返ってきたのは貴一でも調ちゃんの声でもなかった。
それは、どこか懐かしさすら覚える男性の声。
瞬間──全身が粟立つのがわかった。
身体がこわばる。
(……なんで、どうして?)
いや、別に不思議なんかじゃない。
この人が電話をかけてくるのは、何も不思議な事なんかじゃない。
むしろ今まで一本も電話がなかった方が不思議なくらいだった。
そう、それは──
「……お父さん」
約一年ぶりになる父からの電話だった。
父はこちらのことなど特に気にした様子もなく、あの日と──家を出て行く前と何ら変わらない態度で話し始めた。
「久しぶりだな胡桃。元気にしていたか? あぁ、こちらは順調だ。学校の調子はどうだ? 何か困ったことは──いや、野暮な話だったな。お前のことだ。大抵のことは一人でこなしてしまうのだろう」
「──あっ、う、うん」
口を挟む間もなく、父は矢継ぎ早に言葉を口にする。
相変わらず、である。
「だろうな。ところで、仕事はまだ休止中のままなのか? 続けるのもやめるのもお前の自由だが、どっちつかずの煮え切らない状態というのは先方に対して迷惑がかかる。出来るだけ早く身の振り方を決めろよ。……って、これも野暮な話か」
「……」
能天気な声が電話越しに聞こえる。
そう、これは別に緊張するような電話ではない。
血のつながった父との約一年ぶりの電話……ただ、それだけ。
だというのに、私は言葉が喉につっかえてうまく喋れない。
加えて、じくじくと胸中を暗いものが埋め尽くしていくのを感じる。
それはきっと、大変だった時期に一切連絡をよこさなかったが故の不信。
(……切りたいな)
そう思ってしまうのは、反抗期だからではない。
ただなんとなく……話していたくなかった。
「──るみ。胡桃! ……ちゃんと聞いているのか?」
「ご、ごめん。なんだっけ?」
「ったく、だから今度修学旅行でこっちに来るんだろ?」
(こっち……あぁ、そう言えばお父さんが今勤めているのは京都の方だっけ)
ぼんやりと家族が離散した時のことを思い出す。
父は転勤のタイミングで家を出て行き、私もまた『出て行かないで』と私に依存する母を置いて家を出た。それから父と会ったのは──否、連絡を取ったのはこの部屋を契約する時の一度だけ。
できれば忘れたい記憶だ。
そんな私のことなど気にもせず、父は電話の向こうで言葉を続ける。
「それでさ、少し時間を作るから会って話をしないか?」
「……」
「あぁ、そうしよう。時間はまた追って伝えるから」
「…………」
気が付くと電話は切れていた。
会おう、との言葉に私は何と答えたのだろうか。
ほとんど上の空で聞いていなかった。
けれど、
「……っ」
私は唇をかみしめ、そのままベッドにもそもそと潜り込む。
ぐちゃぐちゃの心を落ち着けるように枕を抱きしめると、瞼をぎゅっと閉じて久しぶりに現実逃避を行った。
瞼の裏に映るのは、私の世界を華やかに染め上げてくれたあいつの姿。
(……貴一)
彼との幸せな出来事を脳裏に描き、私は逃げるように眠りについた。
「着替えよーし、忘れ物なーし。ふむ、完璧だな!」
修学旅行当日の朝。
現在時刻は午前六時。
これから一度学校に集合し、そこからバスで新幹線の乗車駅へ向かうことになっている。
着替えを詰め込んだボストンバッグの最終チェックを行っていると、上階からマイシスターが姿を現した。
そんな早朝のためか、現れた霞は当然寝巻き姿だった。
髪はところどころ跳ねていて、彼女は眠たげにあくびを嚙み殺しながらぼやく。
「もー、そんな子供じゃないんだからさぁ。兄貴は馬鹿なの? ……あっ、馬鹿だったか」
「開口一番、兄に対してなんてことを言うんだ」
鋭い言葉を放った霞はいたずら小僧のようにニヤッと笑みを浮かべる。
「それで、お土産は何にするつもりなの?」
「あー、それなぁ。とりあえず向こうで色々見ながら考える方向で」
「ふーん。期待してる」
「お兄ちゃん困っちゃうよぅ」
「キモいんだけど」
なんで朝から二度も罵倒を受けなきゃいけないんだ。
「んじゃ、そろそろ時間だから行ってくるわ」
「はいはい、行ってらっしゃい。あっ、あんまり羽目を外し過ぎて胡桃さんとハメたりしないでね」
「ドギツイ下ネタ飛ばしてきたなぁ、おい」
俺が言えた義理でもないが。
「まっ、何はともあれ楽しんでくれば? お土産だけじゃなくて土産話も期待してる」
「おう、任せとけ」
靴を履いて玄関から外に出る。
空を見上げると本日は晴天なり。
ふと振り返ると、閉じ掛けの扉の奥で霞が壁に寄りかかって手を振っていた。
その口元は僅かに動いて──。
『いってらっしゃい』
兄に対して遠慮はないけれど、何だかんだで見送ってくれる妹。
これはいい土産を買って帰らねばならいな、なんて思いつつ、俺は学校へと向かった。
学校に向かう途中、いつものように駅で胡桃さんと待ち合わせ。
朝の通勤ラッシュの中で、しかしすぐに胡桃さんの姿を発見した。
今日も今日とて非常に愛らしい。
「おはよう胡桃さん! 今日も可愛い──って、どうかした?」
声をかけた胡桃さんは何処か暗い表情を見せていた。
つい昨日までは京都への修学旅行に、それはもうワクワクしていたというのに。
「べ、別になんでもないわよ」
「……それで俺の目を誤魔化せるとでも? いつも胡桃さんのことしか見ていないから、様子がおかしいことぐらいわかるよ」
「……このすとーかー」
「否定できないっ!」
「そこはしてよ……もう」
唇を尖らせて、ジト目でこちらを見つめてきたかと思えば、胡桃さんは大きく息を吸い込んで吐き出した。
それから一度ぎゅっと目を瞑って頰を叩くと、いつもの世界で一番かわいい笑みを見せる。
「心配してくれてありがと。……でも、今は大丈夫だから」
「……ほんと?」
「信じてくれないわけ?」
挑発的な笑みを浮かべ、俺の胸板を指で突っついてくる胡桃さん。
なにこれ、めちゃくちゃかわいいんですけど?
「俺は胡桃さんを信じてるよ! 結婚を誓い合ったあの屋上の日よりも、ずっと前からね!」
サムズアップと共に宣言すると、
「あの時はまだ誓い合ってなかったと思うんだけどっ!?」
顔を真っ赤にしてうがーっと反論してくる胡桃さん。
そんな彼女はすっかりいつもの胡桃さんに戻っていた。
学校に到着するとバスの出発までまだ余裕があった。
「ちょっとお手洗いに行ってくるから、荷物見てて」
そう言って胡桃さんは荷物を置いて校舎へと向かって行く。
すると、入れ替わるように一人の少女が近づいてきた。
「はよ」
「おう」
小倉だ。
いつにも増して眠そうな彼女を見るに、朝が弱いのだろう。
挨拶を交わして以降は互いに無言となるが、それも仕方がない。
俺にとって小倉は、所謂『彼女の友達』なのだから。
胡桃さんが戻ってくるまでスマホで時間を潰すかと考えていると、不意に小倉が口を開いた。
「ねぇ、話あるんだけど。二人きりで」
「話だあ?」
あまりいい雰囲気ではなさそう。
しかも小倉の大好きな胡桃さんを除いて二人きりと来た。
否が応でも訝しんでしまう。
しかしそんな俺の疑念をよそに、小倉はブレザーのポケットに手を突っ込みながら、目線を合わせることなく淡々と続ける。
「そう。だからさ、修学旅行中のどっかで時間作ってくれない?」
「修学旅行は常に胡桃さんとイチャイチャしたいんだけど?」
「それは私もだけど……っ! でも──」
彼女は一度言葉を区切ると、ポケットから手を出す。
そして今度は俺を真正面から見つめながら、告げた。
「お願い」
「あ、あぁ……わかったよ」
その真剣な声音に、俺は首肯を返すのだった。
「おまたせー」
そこに胡桃さんが戻ってくる。
「「全然待ってないよっ!!」」
瞬間、先ほどの空気などどこへやら。
腹が立つことに小倉と言葉がかぶってしまった。
「おーっす、お前らー、おはよー……って、いったい何があったんだ?」
次いで小走りでやって来た桐島くんは、メンチを切り合う俺と小倉、それを見てオロオロする胡桃さんに対して、そうこぼすのだった。
兎にも角にも修学旅行の始まりである。