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 ──ここが天国なのだろうか?


 俺は隣となりで肩かたに頭を乗せて寝ね息いきを立てる胡桃くるみさんを見て、そう思った。

 場所は京都へ向かう新幹線の中。昨夜あまり眠ねむれなかったのか、乗車して数分後には胡桃くるみさんは夢の世界へと旅立たれてしまった。

(眠ねむれなかったのは、今朝様子がおかしかったのと何か関係があるのか……)

 ぼんやりと考えてみるけれど分からない。

 胡桃くるみさんは大だい丈じよ夫うぶと言っていたけれど、やはり心配なものは心配だ。

 修学旅行中は注視しておこう。……いつものことだな。

 それにしてもすやすやと聞こえる寝ね息いきが非常にかわいらしい。というより愛らしい。

 ちらりと顔を覗のぞき込こめばみずみずしい唇くちびるが視界に入って──あー、キスしたい。何なら途と中ちゆう下車して近くのラブホテルに連れ込みたい。

 邪よこしまにもほどがある下心を抱いだきつつ、しかしさすがに自重。

 瞬しゆん間かん、胡桃くるみさんの身体からだが一いつ瞬しゆんビクッとはねた。

 うたた寝ね中になるあれだろうか。可か愛わいいな。

「んむ……もぅ、ヤバ宮みやくんの、へんたい……」

「夢の中で何が行われているというのだ」

「そ、そういうのは二人の時に……むにゃむにゃ」

 本当に何が行われてるんだ!?

 非常に気になるけれど、騒さわいで起こしてしまうのも忍しのびない。

 俺は京都までの数時間、動かざること山のごとしと言わんばかりに胡桃くるみさんの枕まくらに徹てつするのだった。一回だけ頰ほっぺたを突つっついたのは秘密である。

 柔やわらかかった。


☆


 そうして新幹線に揺ゆられること約二時間。

 京都駅に到とう着ちやくした我々は、クラス別に観光バスに乗り込んだ。

 この修学旅行──二泊三日の予定は次の通りとなっている。

 一日目にクラス単位で観光地を散策し、夕方ホテルへ移動。

 二日目・三日目が、先日決めた班別での自由行動。

 そして一日目である本日──俺たちのクラスが最初に向かったのは、

「──ここが清きよ水みず寺でら」

 京都でも一、二を争うレベルの名所、清きよ水みず寺でらだった。

 雲一つない快晴の下、正面には赤くてでっかい門があった。

 これが入口なのだろう。

 写真やテレビなんかでは何度も見たことがあるが、実際に来たのは初めて。

 正直あまり寺社仏閣には興味がなかったけれど、さすがに本物を目の前にすれば興奮してしまう。門前からでも目を惹ひかれるものがあった。

「まさに圧巻って感じだね、胡桃くるみさん!」

 なのでその感動を胡桃くるみさんと共有させていただく。

 バスを降りてから隣となりで目を見開いて微び動どうだにしていなかった彼女は、しかし俺の声こえ掛かけにピクリと身体からだを動かして、頰ほおを上気させつつ興奮した様子で口を開いた。

「ほ、ほんとに、ほんとにすごい綺き麗れい……! 死ななくてよかったぁ!」

「重い重い」

「み、見て見てっ! あの正面に見えるのが仁に王おう門もん! 高さは十四メートルもあって中には二体の仁に王おう像ぞうが両りよう脇わきに構えているのよ! そこを潜くぐり抜ぬけると右手には西にし門もんがあって、その先には随ずい求ぐ堂どうって呼ばれる──」

「……」

 めっちゃ早口だった。

 思わず俺が黙だまってしまうほどの速さで、胡桃くるみさんは清きよ水みず寺でらについて熱弁を始める。

 ちらりと先ほど手に入れた清きよ水みず寺でらの観光マップを見てみると、すごい全部あってるよ。

 まさか胡桃くるみさんの景色好きがここまでとは。

「そ、それでね! その先に今度は轟とどろき門もんって呼ばれる門があって、そこを抜ぬけると一番有名なあの清きよ水みずの舞ぶ台たいが──」

「おーい、お前らー。はぐれねーようにちゃんとついて来いよー」

 熱弁を続ける胡桃くるみさんに、中に入るため仁に王おう門もんへと向かっていく物もの部のべ先生が声をかけるが聞こえている様子はない。それほどまでに興奮しているのだろう。

 愛する彼女の意外な一面を知ってしまって役得。

「でね、でねっ──」

 結果、とり残されたのは興奮する胡桃くるみさんと俺──それと、

「く、胡桃くるみちゃん! とりあえず先に行こ! このままだと取り残されて入れなくなるよ!」

「──ハッ! あっ、ご、ごめんね! なんか、抑おさえらんなくて……っ」

 恥はずかしそうにしながら赤くなった頰ほおを手で扇あおぐ胡桃くるみさん。

 決して中に入れないということはないだろうが、入場券的なやつは学校がまとめて買っているだろうから、一いつ緒しよに行動しなければ自費になってしまう。

 胡桃くるみさんはこの場に残っていた俺と小お倉ぐら、そして苦く笑しようを浮うかべて傍ぼう観かんしていた桐きり島しまくんに頭を下げつつ、てててっ、と物もの部のべ先生やクラスメイト達の後を追い始めた。

 若じやつ干かん早足なところに入れなかったらどうしよう、という焦あせりを感じられてとても愛らしい。

「胡桃くるみちゃんって、あんなにはっちゃけることあるんだね」

「マジで可か愛わいいよな」

「分かる」

 小お倉ぐらと『分かり』を共有してしまった。

「お前らいろいろとすげーよ」

 そんな俺たちをどこか呆あきれた目で見てくる桐きり島しまくん。

 別段何もすごくはないと思うのだが。

 三人並んで仁に王おう門もんへと歩いていると、不意に胡桃くるみさんが小走りで戻もどってきて──。

「は、早く行くわよ!」

 俺の手を摑つかんで引っ張った。

「ふ、二人もっ! はっ、早くっ!」

 よほど楽しみにして来たのだろう。

 今度は俺たちも小走りで清きよ水みず寺でらに向かった。


☆


「大きいー! ひろーいっ!」

 轟とどろき門もんを抜ぬけて清きよ水みずの舞ぶ台たいに到とう着ちやくするなり、テンションが振ふり切きれて子供のようにはしゃぐ胡桃くるみさん。せり出した舞ぶ台たいの方へと小走りで駆かけて行くと、手すりにもたれかかるようにして景色を一望していた。

 そんな彼女を眺ながめて思うことはただ一つ。

「胡桃くるみさんが可か愛わいすぎる」

「分かりみが深い」

「あれ俺の彼女なんだぜ?」

「羨うらやましすぎる。いや、マジで」

 小お倉ぐらとだべりつつ胡桃くるみさんへと近づくと、彼女もこちらに気付き、

「んっ、んん! ……すごい綺き麗れいね」

 咳せき払ばらいを一つして落ち着きを取とり戻もどしながら、そう告げた。

「胡桃くるみさんの方が綺き麗れいだよ」

「……っ、あ、あんたはほんと突とつ然ぜんなんだから……ば、ばか!」

 いきなりで驚おどろいたのか、髪かみをいじって視線を京都の景色へと向ける胡桃くるみさん。

 そんな反応が可か愛わいくって仕方がない。

「ほんとにそのセリフ言うやつ居るんだ」

「何か言ったか?」

「別に~? ねぇねぇ、胡桃くるみちゃん! 写真撮とろ!」

 俺の視線をかいくぐりスマホ片手に胡桃くるみさんに近付く小お倉ぐら。

 相変わらずの泥どろ棒ぼう猫ねこっぷりである。

 インカメで自じ撮どりを始める二人を眺ながめていると、隣となりに桐きり島しまくんが近付いてきた。

「何だかんだ、仲良くしてるんだな」

「あの二人はね」

「お前は?」

「……俺は、どうだろうな。わからん」

 きっとこの形が何よりもいいのだということはわかっている。胡桃くるみさんに新しい同性の友達が出来て、小お倉ぐらも以前のことを反省して自分を変えようとしている。

 あぁ、いいこと尽ずくめじゃないか。

 ……だけど、俺の心の中に完全に許しきってもいいのだろうか、と靄もやのようなものが未いまだに存在するのも確かだった。外に出すつもりはないけどね。

「そう言えば、桐きり島しまくんは友達と回らなくてよかったの?」

 話題を変えるために今度はこちらから話を振ふる。

「って言うと?」

「だって今日は班行動じゃないからさ、他のクラスメイトと回らないのかなって。あぁ、邪じや魔まとかそういうことを言っているわけじゃないから」

「分かってるよ」

 慌あわてて付け足す俺に苦く笑しようを浮うかべた桐きり島しまくんは、ポケットに手を入れながら視線を前へと向ける。つられて見れば、楽しそうに写真を撮とる胡桃くるみさんと小お倉ぐらの姿。

「まぁ、なんだろうな。修学旅行はお前らと回りたいって、本当にただそれだけだ」

「そう」

「あぁ……って、俺のことはどうでもいいんだよ! それよりお前は愛する彼女と写真撮とらなくていいのか?」

「──はっ! そうだった!」

 桐きり島しまくんの言葉に慌あわてて、二人に近付く。

「胡桃くるみさん! 俺とも撮とろう!」

「あっ、う、うん。もちろん」

「じゃあ私も……」

 あさましくも割って入ろうとしてくる小お倉ぐらであるが、大親友の桐きり島しまくんがサクッと回収してくれた。本当に気が利きく友人だ。

 小お倉ぐらは彼の爪つめの垢あかを煎せんじて飲めばいいと思われる。

「お前はこっち。……ったく。んじゃ俺が撮とってやるよ。並べ~」

 スマホを掲かかげる桐きり島しまくんの言葉に甘えて、胡桃くるみさんの横に立って手を握にぎった。

「……ち、近いんだけど」

「俺と胡桃くるみさんの心の距きよ離りだよ!」

「重なり合ってるんだけど!?」

「そう、胡桃くるみさんとは身も心も重なり合いたいんだっ!」

「ちょっ、ほ、他の人も居るのに何言ってんのよ!」

「本心を言っている! 絶対にこの手は離はなさない! 一いつ生しよう涯がい隣となりに居てもらうから!」

「~~っ! ば、バカバカ! こんな外でそんな……」

 恥はずかしさのあまり手を離はなそうとする胡桃くるみさんであるが、ぎゅっと握にぎって引き寄せると、借りてきた猫ねこのようにおとなしく身を寄せてきた。

「もぅ……ほんと、バカなんだから……」

「胡桃くるみさん……」

 自然と胡桃くるみさんと見つめ合う。

 綺き麗れいな澄すんだ目に俺の顔が写っていて──。

「お前ら早くしろよ!」

「「ご、ごめん」」

 桐きり島しまくんの悲鳴にも近い絶ぜつ叫きようで、現実に引ひき戻もどされた。

 そう言えば写真を撮とる云うん々ぬんって話だったっけ。

 胡桃くるみさんがあまりにも魅み力りよく的てき過ぎてすっかり二人だけの世界に入っていた。

 胡桃くるみさんは真っ赤な顔をぱたぱたと手で扇あおぎつつ、大きく深呼吸。

 それから顔の火ほ照てりが取れるまで数十秒ほど待ってから、ようやく撮さつ影えいが完かん了りようした。

 確かく認にんすると自分で言うのもなんだが、微ほほ笑えましいカップルの写真に仕上がっていた。

 これは是ぜ非ひとも印刷して額がく縁ぶちに入れて飾かざろう。

 まだ修学旅行は始まったばかりにもかかわらず、俺は帰ってからのことを考えながら最高の一枚を撮さつ影えいしてくれたカメラマンに感謝を述べる。

「ありがとう!」

「俺、二度とカップルの写真は撮とらねぇ、二度とだ!」

 大事なことだから二回言っていた。いや、ごめんて。


☆


 清きよ水みずの舞ぶ台たいを通り過ぎると左手に地じ主しゆ神じん社じやと書かれた鳥居が現れた。

 なんでも縁えん結むすびの神様が祀まつられている神社だそう。

 これが胡桃くるみさんと知り合う前の俺ならば、それはもう無む縁えんもいいところの存在であったのだが、今は違ちがう。

 何なら縁えんはすでに結ばれているし解くつもりも毛頭ないけれど、胡桃くるみさんと恋れん愛あい成じよう就じゆの神社に参拝とか絶対楽しいに決まってる。むしろ神様に見せつけてみようじゃないか。

「胡桃くるみさん!」

「──わ、わかった! わかったから変なことは言わないで!」

 こちらが何かを言うよりも早く、胡桃くるみさんは言葉を遮さえぎった。

 言葉を交かわすまでもなく以心伝心出来たことは非常に嬉うれしいけど、一体全体胡桃くるみさんの中で俺はどういう存在なのか。

 それほど変な言葉を投げかけているつもりはないのだが……。

 これは是ぜ非ひ一度、小一時間ほど密室で二人きりで問とい詰つめた方がいいかもしれない。

 もちろん他意しかない。

 胡桃くるみさんの許しが貰もらえたので一応同行者である小お倉ぐらと桐きり島しまくんにも尋たずねると「どうせ来たんだから行こう」と彼らからも許きよ諾だくを得られた。

 仮にも集団行動中だからね、こういうのは重要だ。

『地じ主しゆ神じん社じや』と書かれた大きな鳥居をくぐって石階段を上ると、朱しゆ色いろの本ほん殿でんが姿を現した。

 例によって胡桃くるみさんがキラキラと日朝ヒロインを応おう援えんする小学生のような目になっているが、可か愛わいいので写真を一枚。永久保存版だな。

 次に、手を清めてお賽さい銭せんを入れる。

 お参りは大切だ。

「胡桃くるみさんと一いつ生しよう涯がい寄より添そえますように。離はなれるつもりなんかないけど!」

「神様に何言ってるのよ」

「決意表明……的な?」

「それ合ってるの?」

「まぁ、間ま違ちがってはいないと思うよ。それに──」

「それに?」

「胡桃くるみさんとの縁えんは自分で結んでいきたいからね! だから神様にはお力ちから添ぞえをいただくのではなく、生温かい目で未来のおしどり夫ふう婦ふを見守っていてもらいたいんだよ!」

「んなっ! ばっ……な、なに言ってるのよ!」

「だから胡桃くるみさんを幸せにする決意表明だよ! 胡桃くるみさんは嫌いやだった?」

「……っ! そ、その言い方ズルいのよ……!」

 そう言って胡桃くるみさんは再度お財さい布ふを取り出すと五円玉を投げ入れもう一度お参り。

「こいつと……き、貴き一いちと一いつ緒しよに居れます、ように……っ! これでいいっ!?」

「胡桃くるみさん……っ! 大好きだ!」

「わっ、だ、だから人前でやめてってばぁ!」

 思いのままに抱だきしめると、胡桃くるみさんは顔を真っ赤にして叫さけぶのだった。

 ひとしきり愛を伝え、参拝を終えると──ふと、ある物が目に付いた。

「……『恋こい占うらないの石いし』?」

 それは本ほん殿でんの前に十メートルほどの間かん隔かくをあけておかれた二つの石である。

 近くの立て札に書かれた説明を読むと、一方の石から目を閉じてもう一方の石まで辿たどり着つければ恋こいの願いが叶かなう、というものらしい。

 一度で出来たら早く叶かなう、出来なければ遅おそくなる。

 友人の手を借りれば、恋こいの方でも友人の助けがいる、とつまりはそんな内容だった。

 なるほど。

「胡桃くるみさん!」

「──わかった! わかったから変なことは言わないでっ!」

 だからどうしてそんなに警けい戒かいするのか。変なことなど言っていないのに。

 やはりここは一度問とい詰つめた方がいいかもしれない。

 もちろん二人きりで。


☆


 というわけで早さつ速そく『恋こい占うらないの石いし』に挑ちよう戦せんする。

 俺は一方の石の前に立ち、もう一方の石を見み据すえた。

 次いで、ぶつからないよう少し横にずれてこちらを見る三人──主に胡桃くるみさんを見つめて、

「絶対一回で成功させるから!」

「わ、わかったから大きな声で言わないで! は、恥はずかしいっ」

 消え入りそうな声で真っ赤な顔をうつむける胡桃くるみさん。

 彼女の隣となりで小お倉ぐらがめちゃくちゃデレデレしていた。雌めす猫ねこめ。

 さて、さくっと終わらせるとしよう。

 観光地ということもあり他の観光客の視線を感じるが、緊きん張ちようなどはない。

 俺は目を瞑つぶると躊ちゆう躇ちよなくまっすぐ歩きだした。

 暗い視界の中を自らの心に従ってまっすぐ進み──、

「な、なんでっ!?」

 俺は胡桃くるみさんを抱だきしめた。……おや?

「俺の縁えんはすべて胡桃くるみさんに結ばれているということだね!」

「そういうのじゃないと思うんだけどっ!?」

「でも、現にこうして胡桃くるみさんにたどり着いたわけだし」

「め、目を開けてたんでしょ!?」

「そんなわけない」

「じゃ、じゃあもう一回やってみなさいよ!」

 というわけで再さい挑ちよう戦せん。

 俺はもう一度目を瞑つぶり、まっすぐ一歩を踏ふみ出だした。

 そして──。

「──っ、ど、どうしてっ!? 場所は移動したのに!」

 目を開いて確かめると、確かに先ほどまで立っていた場所から胡桃くるみさんは移動していた。

「やっぱり俺たちは運命の赤い糸で結ばれているということだね!」

「だからそういうのじゃ……っ、ほんとに目は開けてないの!?」

「そんなに言うなら……っと」

 俺はカバンからアイマスクを取り出す。

 旅行ということで一応持ってきていたものだ。

 装着していざ三み度たび挑ちよう戦せん。

 結果は──。

「ぜ、絶対におかしいわよ!」

 俺の腕うでの中で抗こう議ぎする胡桃くるみさん。可か愛わいいなぁ。

「そんなこと言われても……」

「じゃ、じゃあどうしてわかるのよ」

 どうしてかと問われれば、そりゃあ。

「俺のラブラブセンサーがビンビンに反応していたからかな!」

「ら、らぶ……こ、こんな人の目があるとこで──」

「言いい換かえるなら、俺の中の羅ら針しん盤ばんは胡桃くるみさんを指し続けているってことだよ! 永遠にね!」

 いつものように心の赴おもむくまま、愛の言葉を告げる。

 すると胡桃くるみさんはわなわなと震ふるえ出だし、口をぱくぱくと数度動かした後、顔を真っ赤にして吠ほえた。

「ば、ばかぁぁぁああああっ!!」

 因ちなみにこの間抱だきしめたままだったりする。


☆


 私、古こ賀が胡桃くるみは恥はずかしさを誤ご魔ま化かすように火ほ照てった顔を手で扇あおぎながら、ため息をつく。

「どうして私まで……」

 先ほどの彼の奇き行こうで周囲からの注目が集まる中、私は石の隣となりに立つ。

 恥はずかしいけれど仕方がない。

 あいつにだけやらせて、私は逃にげるというのは……まぁ、なんと言うか不公平だと思うから。

 それに──

「胡桃くるみさんがんばれー!」

 ちらりと、横にずれてこちらを応おう援えんするあいつを見る。

 仮にもし私が一度でたどり着けたなら……まぁ、喜んでくれるかな、なんて。

 ただ、それだけ。

「……」

 私は一度頰ほおをはたくとぎゅっと目を瞑つぶり、歩き始めた。

 なんだかんだと言ってきたけど、結局はまっすぐ歩くだけの占うらない。

 運うん否ぷ天てん賦ぷより、当人の方向感覚が如によ実じつに表れるのが、この恋こい占うらないだ。

 その辺り、運動神経に自信がある私からすれば、そこまで難しいものではないはず……。

(で、でも、さすがに少し不安ね……)

 ズレてたらどうしよう、なんて思いつつ、歩みを進める。

 やがて、そろそろ反対側の石に辿たどり着ついたかな? と足元に意識を集中し始めた瞬しゆん間かん──

「わぷっ」

 誰だれかにぶつかった。

 と同時に強い安心感を覚える。

 この感かん触しよくと言うか、この匂においは間ま違ちがえることもない。

「おめでとう、胡桃くるみさん!」

 目を開けると、見慣れたあいつの顔がすぐそばにあった。

「う、うそっ! もしかして私もあんたみたいに──」

 奇き怪かいな軌き道どうを描えがいて想おもい人びとの胸に飛び込んでしまったというのっ!?

 焦しよう燥そうと同時に周囲を見み渡わたすも、しかし彼のすぐ後ろに本来の目的地であった『恋こい占うらないの石いし』がぽつねんと鎮ちん座ざしていた。

 つまりそれは彼が私を受け止めにわざわざ待ち構えていたということで……。

「なんでっ!?」

「愛ゆえに、かな?」

「だからそういうのじゃないんだけど!?」

 先ほどと同じことを叫さけびながら、私は急いで彼の腕うでから飛とび退のいた。

 ショックを受けた表情を見せる彼。

 もう、やめてって言ってるのにしつこくするからよ。

 少しは反省してほしいものね。

 私はふいっ、と顔を逸そらして調しらべちゃんと桐きり島しまくんの下に合流する。

 ちらりと彼に視線を向けると、まだショックを受けていた。

 ……もう、もうっ!

「い、行くわよ!」

「胡桃くるみさん……!」

 そうして向けられる愛情百パーセントの瞳ひとみ。

(……っ、これに弱いのよね)

 恥はずかしいけど、悪くない。

 そんなふわふわとした心持ちで、私たちは地じ主しゆ神じん社じやを後にした。


☆


 その後、音おと羽わの滝たきをぐるりと回り、清きよ水みず寺でらを後にしたところで昼食の時間となった。

 決められた時間内に決められた範はん囲いで好きに食事をして来いとのこと。

 メンツは変わらずの四人である。

 結局、修学旅行中はずっとこの班のメンバーで行動することになりそうだ。

 昼食に関しては、せっかく京都に来たのだから有名なラーメンでもと思ったが、女子が二人いる都合、遠えん慮りよした方がいいだろう。だからと言ってファミレスやファストフードでは味気ない。

 うーむ、と迷った結果。

「やっぱり寒いときは鍋なべね。……はい、胡桃くるみちゃん♡」

 目の前で小お倉ぐらが小皿に材料を取り分けながら言った。

 なんでも京野菜を使ったいい感じのところなのだとか。

 店で迷っていたら口コミで評判の良かった店を小お倉ぐらがサクッとチョイスしてくれた次し第だいである。俺は思いつきもしなかった。

 だって誰だれかと知らない店に入った経験などなかったから。

 さすがは元陽キャ。

 今ではクラスのふわふわポジションを共にする仲だが、経歴の差に嫉しつ妬とを覚える。

 ちなみに胡桃くるみさんも終始どうしようと頭を悩なやませていたので、俺と同じなのだろう。

 夫ふう婦ふになっても価値観に違ちがいが生まれにくくていいかもしれない。

 違ちがいが生まれてもそれはそれでいいのだけど。

 結局胡桃くるみさんと一いつ緒しよになれるのならそれ以上の幸せなんてないのだ。

「ありがと、調しらべちゃん」

「ううん、……と、はい桐きり島しまくん」

「うい」

 胡桃くるみさん、桐きり島しまくんと具材を取り分ける鍋なべ奉ぶ行ぎよう小お倉ぐら。

 胡桃くるみさんのところにお肉が多いのは気のせいではないだろう。

 きっと俺もそうするからよく分かる。

「……」

「……」

 小お倉ぐらは自らの皿に具材をよそって、俺を見た。

 俺も無言を返す。

 すると彼女は俺の皿を取り、他二人と同じように取り分けた。

「…………はい」

「おう。ありがと」

「別に」

 そうして四人揃そろっていただきます。

 湯気が昇のぼる具材を見て、旨うまそうだと思う一方で、俺の皿に野菜が多いのは気のせいではないのだろう。きっと俺もそうするからよく分かる。

 とりあえず目についた野菜をパクり。

 ふむ……おいしいじゃないか。


☆


 食後も京都散策は続き、俺たちのクラスが乗った観光バスが最後に向かったのは本日宿しゆく泊はくするホテルである。各おの々おの荷物を持って、物もの部のべ先生がホテルの人とチェックインやらなにやらの諸作業を行っている間、ロビーで待機となる。

 それにしても本日は様々なところを散策した。

 個人的に驚おどろいたのは金きん閣かく寺じと銀ぎん閣かく寺じって結構距きよ離りが開いてたんだってこと。

 教養の欠かけ片らもない自身に涙なみだが出るね。

 と言っても、本日でかなり詳くわしくなったが。

 理由はもちろん、

「どこも綺き麗れいだったわね!」

 恍こう惚こつとした表情でそう告げる胡桃くるみさんのおかげである。

 行く先々で観光ガイドさん並みのご案内を披ひ露ろうしていた胡桃くるみさんの言葉を、彼かれ氏しとして聞かないわけにはいかない。その結果だった。

「うん、いい思い出にもなったよ!」

「写真もたくさん撮とれたし……今夜送っとくね」

「了りよう解かい、それじゃあ俺も……」

 そう言ってスマホのアルバムを開くと、ずらりと並んだ胡桃くるみさんの写真がざっと百枚以上。

 まるで観光地の宣材写真のような仕上がりだ。

 もちろん中には俺と二人で映っているものや、小お倉ぐらあるいは桐きり島しまくんと映っているものもあるが、基本胡桃くるみさんが笑え顔がおで景色を見ている姿の写真だった。

「い、いつの間に撮とってたの!?」

「いつの間にというか、常に撮とってたよ。胡桃くるみさんはいついかなる時でも可か愛わいいから、気付けば無意識レベルでシャッターを押しているんだ」

「さ、さすがに恥はずかしいんだけど……」

「ほら、これとか胡桃くるみさんの魅み力りよくがぎゅっと詰つまった一枚だと思うよ!」

「もう! わざわざ顔をアップにしなくていいから!」

「そんな。可か愛わいいのに……いや、ほんと可か愛わいいな。これ待ち受けにしてもいい?」

「だ、だめ!」

「えぇー」

 あまりにもかわいい笑え顔がおだったので是ぜ非ひともホーム画面にセットしたかったのだが。

 仕方がない。この写真は家に帰ったら写真立てを購こう入にゆうして枕まくら元もとに飾かざるとしよう。

 因ちなみに今のホーム画面も胡桃くるみさん(昼食の姿)だったりする。

 正直、選びたい写真が多すぎて困っちゃうね。

「せ、せめて、その……二人で映ってる写真にしてよ。わ、私単体はさすがに……」

 口元を手で隠かくして告げる胡桃くるみさん。

 指の隙すき間まから見える口こう端たんは僅わずかに上がっていた。

「それじゃあ同じ写真をホーム画面にしよう! それでどうかな?」

「そ、それなら……ん。いいよ?」

 上うわ目め遣づかいにこちらを見ながら了りよう承しようしてくれる胡桃くるみさん。

「よし、それじゃあ早さつ速そくどれにするか──」

 二人で写真選びに取とり掛かかろうとしたところで、

「おーい、バカップル。ホテルの部屋に案内するからさっさとこ~い」

 物もの部のべ先生からの呼び声かかかった。

「そうだった……。それじゃあいいのがあったらまたLINEするね!」

「うん。私も探しとく」

 そうして部屋は男女別のため、一時胡桃くるみさんとお別れとなった。


2


 この修学旅行中、俺がお世話になる部屋は六人部屋の和室だった。

 桐きり島しまくん以外は話したことのないクラスメイトというだけの男子たち。

 彼らと共に部屋に行き、畳たたみの隅すみっこに荷物を広げる。

「ホテルの和室についてるこの空間って何なんだろうな」

 そう言って、桐きり島しまくんは畳たたみとは障子で仕切られた窓まど際ぎわのフローリング空間を覗のぞいた。

 確かに、何の用よう途とで作られたのだろう。

 ソファーチェアとローテーブルが置かれ、窓の外には夕焼けの京都が一望できる。

 寺社仏閣もいいけれど、何気ない夕焼けの街並みを眺ながめるのも、やはり悪くない。

 そんなことを思いつつ、夕食までの自由時間を桐きり島しまくんとだべって潰つぶしていると、不意に同室の男子が声を上げた。

「おーい、浴衣ゆかたあるけど着る?」

「晩飯に着て行っていいんだっけ?」

「部屋着か浴衣ゆかたでいいって言ってたし、いいんじゃね?」

 浴衣ゆかたを漁あさる男子たちを遠巻きに見ていると、

「せっかくだし俺たちも着るか」

 そう桐きり島しまくんに誘さそわれた。

 断る理由もないので俺たちも着き替がえる。

 正直、浴衣ゆかたって足元がスースーして落ち着かないんだよなぁ。

 なんて思いながら着き替がえていると、着き替がえ終わった一人が話しかけてきた。

「なぁ、笠かさ宮みや!」

 おちゃらけた雰ふん囲い気きの彼は確か──

「えーっと……なに? 阿あ坂さかくん」

 危ない危ない。いくら胡桃くるみさん以外は基本アウトオブ眼中とは言え、同室のクラスメイトの名前を忘れかけていた。

 彼の名前は阿あ坂さか健けん次じくん、だったはず。

 桐きり島しまくんほどではないが顔は整っていて、バレー部だかバスケ部だかに所属していたはず。個人的な印象は、良く言えばクラスのムードメーカーで、悪く言えば剽ひよう軽きん者もの。

 ……いや別に、悪く言う必要はないのだが。

 阿あ坂さかくんとはほとんど話したことないというのに、気さくな様子で尋たずねてきた。

「笠かさ宮みやって古こ賀がさんと付き合ってんだよな? どっちから告ったの?」

 突とつ拍ぴよ子うしもない質問に一いつ瞬しゆん面くらう。

 ……ふむ、しかしこれは。

「いわゆる恋こいバナ的なやつ?」

「そそ、男だけのむさ苦しい恋こいバナ」

「参加したくないなぁ」

「まぁまぁそう言わずにさ。この部屋の中でお前は唯ゆい一いつの彼女持ちなんだ。作り方をご教授してくれよ~」

 わざとらしくへりくだってみせる阿あ坂さかは、しかし一度同部屋の男子をぐるりと見み渡わたしてから、俺と、それから桐きり島しまくんにどこか羨せん望ぼうにも似た視線を向けた。……なんだ?

 疑問に思うこちらに対し、しかし彼は再度人好きのする笑えみを浮うかべる。

「まぁ、なんだ。彼かの女じよ云うん々ぬんは置いておくにしても、せっかくの修学旅行なんだしさ、ほとんど話したことないけど仲良くしようぜって、つまりはそんな感じ」

 それが本音であることは、間ま違ちがいないだろう。

 それだけが本音とは限らないだろうが。

 まぁ、そこを追及する必要はないだろう。

 俺は口こう端たんを持ち上げて、ひとまずは彼らの期待に応えるとする。

「あぁ、構わないよ。こっちも楽しい思い出にしたいしね。……それじゃあまずは手始めに胡桃くるみさんがいかに可か愛わいいかということを──!」

「まずいっ、逃にげろ! 二時間は聞かされるぞ!」

 口を開きかけたら桐きり島しまくんにものすごい勢いで阻そ止しされてしまった。

 そんな……頑がん張ばって一時間にするからダメ? ……あ、ダメ。はい。

 落ち込んでいると部屋に物もの部のべ先生がやってきて、夕食の時間になったことが伝えられる。

 俺は若じやつ干かん落ち込みつつも部屋を後にするのだった。


☆


 夕食も終えて、部屋に戻もどってくると布ふ団とんが敷しかれていた。

 同部屋の男子連中がさっそく場所争そう奪だつ戦せんを繰くり広ひろげている。

 俺はバレないようにそっと窓まど際ぎわの端はしっこを確保した。

 隣となりに桐きり島しまくんが腰こし掛かける。

「時間が早かったから腹に入るか不安だったが……まぁ、余よ裕ゆうだったな」

「観光で歩き回って疲つかれたからね。にしても早く風ふ呂ろに入りたい」

 夕食が開始されたのは六時半。

 観光途と中ちゆうでつまみ食いなんかをしていたら危なかった腹具合である。

 そんなわけで現在時刻は八時前。そろそろお風ふ呂ろの時間だ。

「汗あせもかいたしな」

 いくら寒い季節とは言え、厚着して歩けば汗あせもかく。

 早く流してさっぱりしたいものだ。

 そう考えていると、部屋の扉とびらがノックされた。

 なんだ? と同部屋の阿あ坂さかくんがドアを開けると、そこには物もの部のべ先生の姿。

「あれ、もう風ふ呂ろの時間っすか~?」

 阿あ坂さかくんが尋たずねると物もの部のべ先生は申し訳なさそうな表情で答えた。

「あー、そのことなんだが……すまん。学年全体で大浴場を使うと混雑して間に合わないことが分かった。そこで奇き数すうのクラスは部屋風ぶ呂ろで済ましてくれということになってだな……」

「え、えぇっ!?」

 驚きよう嘆たんの声を上げる阿あ坂さかくん。俺だって同じ思いである。

 だって我らのクラスは二年三組──バリバリ奇き数すうのクラスだったから。

 俺は立ち上がって物もの部のべ先生に食って掛かかる。

「へ、部屋風ぶ呂ろって本当ですか!?」

「あ、あぁ。すまん……俺が、俺がじゃんけん弱いばかりにっ……!」

 おそらく先生たちはじゃんけんで勝敗を決めたのだろう。

「そ、そんな……じゃあ先生はこの大学生の一人暮らしみたいな狭せまいバストイレ一体の部屋風ぶ呂ろに代わる代わる六人も入れと、そうおっしゃるんですか!?」

「ぐぅっ……! も、もう決まったことなんだっ!」

 そう言い残し去っていく物もの部のべ先生。

 俺はショックのあまり膝ひざから崩くずれ落おちる。

「……噓うそだ」

「まぁ仕方ねぇよ。背中流してやろうか?」

「狭せまいバスタブに二人は無理だよ、桐きり島しまくん」

 彼の不器用なフォローに何とか気を取り直す。

 部屋を見ると同部屋の男子がしぶしぶといった様子で風ふ呂ろの順番を決めていた。

 ふと、ドアの外から声が聞こえて顔を出してみると、そこには偶ぐう数すうクラスの連中が大浴場へと向かって行く姿。羨うらやましすぎる。

 そんな彼らを俺は指を咥くわえて見ているしかないのか? あまりにも理り不ふ尽じんじゃないか。

 視線を部屋の中に戻もどすと、今度は風ふ呂ろの順番が決まっていた。

 参加しなかった俺はもちろん最後。

 自分の番が回ってくるまで早くても一時間といったところか。

「…………よし」

「どうしたんだ?」

「大浴場行ってくるわ」

「いや、でも部屋で済ませろって──」

「桐きり島しまくん!」

 怖おじ気けづく彼の肩かたを摑つかみ、その澄すんだ瞳ひとみをまっすぐ見つめて、俺は真しん剣けんな声こわ色いろで告げた。

「人多いし、多分バレないって」

 最低な甘かん言げんを。

 桐きり島しまくんは口元に手を当てて暫しばし熟考すると、ぼそりと呟つぶやいた。

「……まぁ、他の生徒に交じって入るだけだし……バレてもそこまで怒おこられねぇか」

「ああ」

 ニヤリと笑えみを浮うかべた彼にニヒルな感じに頷うなずいてみせる。

 気分はさながら映画に出てくる密売人。

 桐きり島しまくんとの密談を終え、着き替がえと部屋に備え付けられていたバスタオル、フェイスタオルをカバンに入れて、いざ出しゆつ陣じんっ──と。

「おいおい、待ちな」

「「……っ!」」

 部屋の入口の柱に背を預け、ダンディズム溢あふれる声こわ色いろで呼び止めたのは阿あ坂さかくん。

 まさか、先生に告げ口するつもりじゃ……っ!

 そんなこちらの表情を読んだのか、阿あ坂さかくんは不敵に口こう端たんを吊つり上あげて──。

「俺もお供しようじゃねぇか」

「……あぁ」

「歓かん迎げいするぜ」

 どう考えても修学旅行で変なテンションになっていた。


☆


 大浴場には思いのほかすんなりと入ることが出来た。

 一いち概がいに偶ぐう数すうクラスの生徒と言っても、早はや風ぶ呂ろの者もいれば長なが風ぶ呂ろの者もいる。

 脱だつ衣い所じよ周りはかなり人が多くて紛まぎれやすかった。

「みんなもう出たのか結構空いてるな~」

 などとぼやきながら桐きり島しまくんが浴衣ゆかたを脱ぬぐ。

 腹筋バキバキだった。さすがサッカー部。

「にしても、笠かさ宮みやって大だい胆たんなんだな。こういうことしないやつだと思ってた」

 そう言って阿あ坂さかくんも服を脱ぬぐ。

 こちらもバキバキだ。さすが運動部。

「それを言うなら、阿あ坂さかくんが俺に話しかけてきたことの方が意外だと思ったよ」

 俺も浴衣ゆかたを脱ぬいで籠かごの中に放り込む。

 俺の腹筋は、まぁ可もなく不可もなく。

 胡桃くるみさんに見合う男になるために一いつ般ぱん的てきな筋トレをしていた成果だった。

 タオルを腰こしに当ていざ大浴場へ。

 引き戸を開けるとそれなりの大きさの内うち風ぶ呂ろが広がっていた。

 入口すぐ横にはサウナがあり、奥おく手てには露ろ天てん風ぶ呂ろへと続く扉とびらまである。

「これに入らせないとか、学校を訴うつたえても勝てるんじゃないだろうか?」

 真しん剣けんにそんなことを思いつつ、しっかり身体からだを洗ってから湯船に入る。

「「「あぁ~」」」

 風ふ呂ろに入ると声が出るのは何な故ぜなのだろう。

「でかい風ふ呂ろはいいなぁ」

「それな」

 足を伸ばしてぼやく桐きり島しまくんと、同調する阿あ坂さかくん。

 まったくもって同意しかない。

 俺たち以外の生徒はもう出ているのか、人ひと影かげはまばら。

 今風ふ呂ろに入っているのはかなり後半組ということなのだろう。

 しばらく三人並んで浸つかっていると、気付けば俺たちだけになっていた。

 偶ぐう数すうクラスの生徒は俺たちより先に入っているので必然であるが……しかし、ほぼ貸し切りというのはなかなかに気持ちがいい。

「なぁ、ちょっとサウナ行かね?」

 と、言い出したのは阿あ坂さかくん。

 彼とはこの修学旅行で話したのが初めてだというのに、何だろうかこの親近感は。

 普ふ段だん喋しやべらない生徒ともなんとなく話ができる。

 これが修学旅行というやつか。

「いいよ」

「んじゃ、俺も」

 俺が首しゆ肯こうすると、桐きり島しまくんも後を付いてきた。

 三人でサウナに入って座る。

 暫しばらくするとじわじわと汗あせが噴ふき出だしてきて、息苦しいのにどこか心ここ地ちいい。

 サウナは不思議な施し設せつだ。

 パチパチと焼石が弾はじける音に耳を傾かたむけていると、不意に阿あ坂さかくんが口を開いた。

「……あのさ、二人に相談があるんだけど」

「どうしたんだ? 阿あ坂さか」

「……」

 小首を傾かしげる桐きり島しまくんに対し、俺はおおよそ彼の相談内容が分かっていた。

 阿あ坂さかくんもそれを察知したのだろう。

 彼は俺を一いち瞥べつしたのち、僅わずかに唇くちびるをかみしめるととつとつと語り始めた。

「笠かさ宮みやは気付いてるよな? さっきも言ってたぐらいだし」

「さっき?」

 桐きり島しまくんが不思議そうにこちらを見てきた。

 俺が無言で阿あ坂さかくんに視線をやると、彼は自じ嘲ちようするように口元を歪ゆがめた。

「『俺に話しかけてきたことの方が意外だと思った』……か。まったくだな」

 阿あ坂さかくんはため息を一つついて、続けた。

「笠かさ宮みやはさ、俺のこと嫌きらいだろ?」

「……」

 無言を返すも、彼はつづけた。

「何せ──俺のせいで、小お倉ぐらはあんなことになったんだから」

 それは約三週間前。

 クラス内の悪意ある空気が、小お倉ぐらという女子生徒ただ一人に向かったあの日のこと。

 席せき替がえというなんてことはない日常の中で、

 彼は──阿あ坂さかくんは──剽ひよう軽きん者ものは──最初の一言を口にした。


『俺、小お倉ぐらの隣となりの席になったら虐いじめられちゃうよ~』


 と。

 あの状じよう況きようで、あのセリフ。

 ウケ狙ねらいにしても、たとえ相手が虐いじめを行っていた小お倉ぐらだとしても──完全にアウトだ。

「俺は小お倉ぐらのことを嫌きらっている」

「そうなのか? ……いや、それでも、お前は俺を許せないだろ?」

「そうだね。あれは俺の嫌きらいな行動だったし、阿あ坂さかくんのことは軽けい蔑べつしたよ」

 なにせあれは、俺が何よりも嫌きらっていること。

 ──虐いじめの、始まりを告げる言葉だったのだから。

「……だよな」

 阿あ坂さかくんは膝ひざに肘ひじを置いて顔を伏ふせる。

 彼の髪かみの先せん端たんから汗あせの粒つぶがぽつぽつとサウナの床ゆかを濡ぬらした。

「で、相談っていうのはなに?」

「……っ」

「俺に嫌きらわれてることを確かめたかったわけじゃないでしょ?」

「そりゃあ、まぁ……」

 阿あ坂さかくんはしばらく口をまごつかせてから、伏ふせていた顔を上げてこちらを見やった。

「お、俺は……小お倉ぐらに謝罪するべき、なんだろうか?」

「……はぁ?」

 意味の分からない言葉に思わず素すっ頓とん狂きような声が出た。

「俺は、俺は本当に最低なことをした。謝罪したい。だけど、謝罪してもいいのだろうかと、そう思ってしまう。傷つけたことには変わらない。どう償つぐなうこともできない。だからこれはただ、自分の罪悪感を減らすための利己的なものなのかもって思えて──だからっ」

「でも、小お倉ぐらは胡桃くるみさんに謝罪したよ」

「──っ」

 阿あ坂さかくんは面食らったように目を見開いた。

 何を驚おどろくことがあるのかと思わないでもないが、きっと彼は悩なやみ過すぎたのだろう。

 事が事だけに誰だれかに相談することも憚はばかられる。

 一人で悩なやみに悩なやみ続つづけて、そしてドツボにはまってしまった。

 俺は続ける。

「悪いと思ってるなら謝罪するべきじゃないかな? 許してもらえるかどうかは別として。だって──それしかないでしょ?」

「……」

 阿あ坂さかくんは無言で顎あごに手を当てて瞑めい目もく。

 逡しゆん巡じゆんの後に大きく息を吸い込むと──咽むせた。

 サウナの中で深呼吸などするからだ。

「──けほっ。すまん、その通りだ。っけほ。ありがとう笠かさ宮みや」

「別に、思ったことを言っただけだよ」

「そうか……そうだな。……なぁ、良ければ謝罪の場を──いや、なんでもない」

 誤ご魔ま化かすように首を振ふると、彼は立ち上がる。

「先に上がるよ」

 告げて、阿あ坂さかくんはサウナを後にした。

 どうなるかは分からないけれど、いい方に転ぶことを陰かげながら応おう援えんしておこう。

 少なくとも、悪い方に転がるよりはマシなのだから。


☆


「のけ者だったんだけど?」

「ご、ごめんって桐きり島しまくん」

「……まぁ、いいけどさ。それより露ろ天てん行かね?」

「そうだった! まだ露ろ天てん風ぶ呂ろがあるんだった!」

 俺たちはサウナを出て、一度シャワーで汗あせを流してから露ろ天てん風ぶ呂ろへと向かう。

 外に出ると十一月下げ旬じゆんの冷たい空気が身体からだの熱を一気に奪うばい去さっていった。

 俺たちは大急ぎで湯船に浸つかる。

「あったけぇ」

「だなぁ」

 気の抜ぬけた声で人ひと心ごこ地ち。

 ぼんやりと夜空を眺ながめる。

 都会のためか星はあまり見えないが、月は綺き麗れいに見えていた。

 昼間晴れてたしね。

「にしても、阿あ坂さかも色々考えてたんだな」

「だねぇ」

「俺、あいつと結構話すけど、あんな真しん剣けんなの初めてだ。よほど後こう悔かいしてたんだろな」

「だろうねぇ」

 桐きり島しまくんの言葉にまったり相あい槌づちを返しつつ、俺は今日ずっと──いや、あの班決めの時からずっと疑問に思っていたことを尋たずねてみることにした。

 阿あ坂さかくんが胸の内を吐と露ろした今なら答えてくれるかもしれないと思ったからだ。

「で、桐きり島しまくんはどうして同じ班になったり、今日みたいに一いつ緒しよに行動してくれたの?」

 一いつ瞬しゆんの間。

「……どうした、急に?」

「一いつ緒しよに回りたいと思ったって言ってたけど、それだけじゃないでしょ?」

「…………」

 桐きり島しまくん──彼は俺の良き友人である。

 しかし、こと胡桃くるみさん関連のことに関しては常に我関せずを貫つらぬいてきていた。

 浮ういている胡桃くるみさんに表立って話しかけることはないし、だからと言って他のクラスメイト同様奇き異いの視線を向けることもない。裏で俺たちをフォローしてくれることはあるが、俺や小お倉ぐらを助けた胡桃くるみさんのように、真正面から関わるようなことはなかった。

 彼はただ、人目があるところでは関係しない。

 それだけを貫つらぬいていたのだ。

 でも俺は気にしていなかった。彼には彼の生活があるのだから。

 変に手を出して、彼の人間関係を、高校生活を壊こわす必要はない。

 むしろ、裏で色々助けてくれているだけで十分以上だった。

 だからこそ、今回の修学旅行に付ふ随ずいする行動が解げせない。

 昼間ははぐらかされたが、もう逃にがさないと意思を固めて桐きり島しまくんを見る。

「そうだなぁ」

 桐きり島しまくんは大きく息を吐はくと、頭に載のせていたタオルを手にして立ち上がった。

「とりあえず、そろそろ出るか。さすがにのぼせそうだ」

 ハッとして備え付けの時計に目をやると入浴を始めてから一時間が経過していた。

 ……ふむ。

「まったくもってその通りだね」

 意志を固めて約五秒、早さつ速そく逃にげられちゃったぜ。

 急いで露ろ天てんから出て脱だつ衣い所じよで身体からだを拭ふいていると、腰こしにバスタオルを巻いた桐きり島しまくんがぽつぽつと語り始めた。

「別に大した理由じゃないんだ」

「え?」

「さっきの続き」

 桐きり島しまくんは自身の着き替がえを籠かごから取り出し、続ける。

「まぁなんだ。もう傍ぼう観かん者しやで居たくなかったんだよ。古こ賀がが苦しんでいるのを見て、お前が苦しんでいるのを見て、小お倉ぐらが苦しんでいるのを見て。見て、見て、見ているだけ」

「……」

「俺に助けられたかなんてのはわからない。助けられたなんて傲ごう慢まんなことも言わない。……でも、助けるべきだったんじゃないかって、そう思うんだ。そう、思ってしまうんだ。──特にお前を見ていると」

「……俺?」

 桐きり島しまくんは首しゆ肯こうする。

「あぁ……。どうなるかわからない。だけど助けたい。その一心で古こ賀がを助けたお前。それに古こ賀がも同じだ。元は自分を虐いじめていた女を、周りの目を気にせず助けた。助けてしまった」

 桐きり島しまくんは浴衣ゆかたに袖そでを通しながら続ける。

「できないかもしれないけど、何もかも放り出して助けてしまったお前や古こ賀がを見ていると、俺は俺が恥はずかしかった。ただ見ているだけの自分に嫌いや気けがさした。……だから、お前たちと行動している。そんな利己的な考えが理由だよ」

 どうなるか分からないから手を出せなかった桐きり島しまくんは、俺が『助けた』という結果を残したからこそ、きっとその後こう悔かいを強くしているのだろう。

 話し終えた彼は、大きく息を吐はくと備え付けのドライヤーで髪かみを乾かわかし始める。

 俺も浴衣ゆかたを身に纏まとって、隣となりで髪かみを乾かわかした。

 終わると、二人揃そろって脱だつ衣い所じよを後にする。

 暖簾のれんを潜くぐれば目の前には畳たたみの休きゆう憩けいスペースがあり、自じ販はん機きが併へい設せつされていた。

 俺は財さい布ふを出してコーヒー牛乳を二本購こう入にゆう。

 一本を桐きり島しまくんに渡わたし、畳たたみに腰こし掛かけた。

「桐きり島しまくんの行動は素す直なおに嬉うれしいと思うよ。たとえ利己的でも、結局のところ根底にあるのは俺たちへの心配だからね。……でも、それでキミの行動を制限する必要はない」

「……けど」

 それでも気が済まないのか、悔くやしそうに顔を歪ゆがめてコーヒー牛乳の瓶びんを握にぎりしめる桐きり島しまくん。

 俺は瓶びんの蓋ふたを開けて口を付けた。甘ったるい味わいが口の中に広がる。

 ごくりと嚥えん下げし喉のどを潤うるおしてから、桐きり島しまくんに向かって笑えみを向けた。

「それでも桐きり島しまくんの気が済まないなら……今度は空気を読まずにキミに助けを求めるよ」

「──っ」

 桐きり島しまくんは大きく目を見開いて、こちらを見た。

「だから俺たちに気を使わなくても大だい丈じよ夫うぶ。桐きり島しまくんにも好きなように楽しんで欲しい」

 言い終えると、彼は僅わずかに瓶びんを握にぎる手を強め──蓋ふたを開け一気にコーヒー牛乳を飲み干した。

「──ぷはっ。……あぁ、分かったよ」

「それは良かった」

「けど、お前は一つ勘かん違ちがいをしているぜ」

「勘かん違ちがい?」

 何のことかと小首を傾かしげると、彼は今までに見たことがないほどの気持ちのいい笑えみを浮うかべて、堂々と告げた。

「俺はもう、充じゆう分ぶん楽しんでるってことだよ」

「……っはは、それはもっとよかった!」

「だな。……くくくっ」

 二人で一通り笑い合ってから、俺たちは部屋に戻もどった。


3


 時刻は夜の九時過ぎ。

 就しゆう寝しん時間まで一時間を切った現在、俺はこの修学旅行のとある目的を達成するために、ホテルのロビーに下りてきていた。

 目的地はただ一つ。

(売店まだ開いててよかった~)

 俺は目的地である売店に小走りで向かった。

 ここに来た理由は言わずもがな、マイシスターへのお土産みやげ探しである。

 日中も様々な土産みやげ物もの店てんを探したが、これといったものが見つからず、いまだにどれも保留状態だったのだ。

 売店ならメジャーな土産みやげ物ものがある程度揃そろっているだろう、との考えで出てきたのだが……。

 陳ちん列れつの棚たなを見る。

 地ビール、地酒、つまみ……このコーナーじゃないな。

 酒コーナーから離はなれて土産みやげ物ものをチェック。

 大半がお菓か子し類で、名産が少し。

 まぁこんなものか……って、お茶安いな。ホテル内の自じ販はん機きより良心的だ。

 ぼんやりと土産みやげ物ものを眺ながめていると、ふと聞き覚えのある声が耳じ朶だを叩たたいた。

「えっ……?」

「むむっ、その声は聞きき紛まがうことのない胡桃くるみさんの声──ちょっと写真を一枚」

「なんでよっ!」

 振ふり返かえったところに立っていたのはホテルの浴衣ゆかたに袖そでを通した胡桃くるみさんだった。

 上から茶ちや羽ば織おりを着ている。初めて見る和の様相に思わず見み惚とれてしまう。

 どこかさっぱりした表情からきっとお風ふ呂ろ上あがりなのだろう。

 非常に似合っていて、二人きりなら押し倒していたかもしれない。

「なんでって、似合ってるから?」

「……はぁ、一枚だけよ?」

 やったぜ。ため息を伴ともなっていたが、了りよう承しようをいただいたのでさっそく一枚。

 大変可か愛わいらしい写真が出来上がった。

 ほくほくと満足していると、胡桃くるみさんは口をへの字に曲げる。

「なんか、いつもあんたばっかりズルい……わ、私にも撮とらせなさいよ!」

「え、えぇっ。俺なんか撮とっても──」

「う、うるさいわね! ……か、彼かれ氏しの写真欲しいって思ったらダメなの?」

 頰ほおを染めながら見つめてくる胡桃くるみさん。

 そんな目で見つめられれば断れるはずもなく……。

「わかった、何枚でも取っていいよ! なんなら脱ぬごうか?」

「いらない!」

 鍛きたえてきた腹筋の見せ所と思ったが、拒きよ絶ぜつされてしまった。当たり前だね。

 突とつ発ぱつ開かい催さいの撮さつ影いえ会かいが終わったところで、俺は尋たずねる。

「ところで胡桃くるみさんはどうしてここに?」

「ん? ……んー、まぁ多分あんたと同じ理由、かな? 霞かすみちゃんへのお土産みやげに何かないかなぁって見に来たの」

「気配りが行き届きすぎて凄すごすぎる」

「べ、別に……霞かすみちゃんに喜んで欲しいだけだから」

「胡桃くるみさん……っ、好き!」

 感かん極きわまって抱だきしめるが、

「も、もう! 離はなして!」

 一いつ瞬しゆんで引ひき剝はがされてしまった。

 胡桃くるみさんは俺をジトっとした目で睨にらんだ後、頰ほおを膨ふくらませるてピッと俺の顔を指さした。

「人前でべたべたしちゃダメ!」

「で、でも溢あふれ出でる愛が──」

「抑おさえて」

「気持ちを伝えたくて──」

「伝わってるわよ! ……もう」

 彼女は大きくため息をこぼすと、突とつ然ぜん俺の手を取ってロビーの隅すみ──人気のない突つき当あたりに連れ込んだ。

 近くにあるのはたばこを販はん売ばいする自じ販はん機きのみ。

 驚おどろきのあまり喫きつ煙えん者しやは大変だねぇ、なんて場ば違ちがいなことが一いつ瞬しゆん脳のう裏りを過よぎる。

「──ねぇ」

 凜りんとした鋭するどい声と共に、壁かべ際ぎわに追いやられ──ドン。

 こ、これは……逆壁かべドン?

 真しん剣けんな表情の胡桃くるみさんのすぐ目の前に。その距きよ離りは鼻先が当たってしまいそうなほど近くで、彼女の呼吸を肌はだで感じられた。

 綺き麗れいな瞳ひとみに整った鼻び梁りよう、瑞みず々みずしい唇くちびるに絹のように美しい肌はだ。

 俺が何年も想おもい焦こがれ続けていた彼女に、まっすぐ見つめられている。

 そう思うと自然と顔に熱が昇のぼるのを感じた。

 ……生なま唾つばを飲み込む。

「ど、どうしたの胡桃くるみさ──っん!?」

 戸と惑まどっていると、唐とう突とつに唇くちびるを奪うばわれた。

 柔やわらかい感かん触しよくだとか、いい香りだとか、そういうことを考える前に驚おどろきが先行。

 そして驚おどろいている間に、胡桃くるみさんは唇くちびるを離はなす。

 その顔はリンゴのように真っ赤に染まっていた。

「く、胡桃くるみさん!?」

「……ひ、人前では、あんまりべたべたしないで。その……恥はずかしいの」

「う、うん。ごめん。そんなに嫌いやだったなんて──」

「い、いや、その……あんたの行動が嫌いやとかそういうのじゃなくて……あ、あんた以外に、あんまり見られたくない、って言うか、あんたにしか見せたくない……って言うか。……重い?」

 不安に揺ゆれる瞳ひとみで俺を見つめてくる胡桃くるみさん。

 なるほど、確かに重いかもしれない。

 でも愛する人からそれほどの想おもいを向けられて嬉うれしくないわけがない。

 俺は首を横に振ふって、胡桃くるみさんを抱だきしめた。

「そんなことないし、俺はすごく嬉うれしいよ!」

「……ん。その……二人きりの時だと、素す直なおになれるから。だから……ね?」

「わかった。出来るだけ自重するよ」

「ほんとにー?」

 今度は打って変わって訝いぶかし気げな目を向けてくる胡桃くるみさん。

「信用ないなぁ。こんなに胡桃くるみさんのことを愛しているというのに」

「これだけ私のことを好きでいてくれてるって信用してるから信じられないのよ」

「確かに」

「納なつ得とくするな」

 ジッと見つめてくる胡桃くるみさん。見つめ返すと、照れたように顔を逸そらした。

 なので彼女の頰ほおに手を当てて正面を向かせる。再度視線が合い、胡桃くるみさんは僅わずかに顎あごを上げた。

「好きだよ」

「知ってる」

 瞳ひとみを閉じて待つ彼女に、俺は僅わずかに緊きん張ちようを抱いだきつつ応えるのだった。


☆


 数分後、バレないように突つき当あたりから出て売店の物色を再開した。

 なるほどこれが生なま八やツ橋はしかーおいしそうだなぁ。

 こっちは抹まつ茶ちやのクッキー、おっ、これは抹まつ茶ちやのチョコレートか。

 霞かすみが喜びそうだなぁ。うん。

 …………。

「ごめん、霞かすみ。お兄ちゃん今真しん剣けんに考えられないや」

「へっ、変なことを霞かすみちゃんに謝らないでっ……、わかるけどっ!」

 思い出したのかお菓か子し片手に顔を真っ赤にした胡桃くるみさんは、

「~~っ! は、はずっ、はずっ! なんであんなこと……うぅ、あわぁぁぁああっ!」

 頭を抱かかえてしゃがみ込んでしまった。

 悶もん絶ぜつしている胡桃くるみさんも可か愛わいいな、なんて思いつつ、しかしさすがに弄いじるほどの余よ裕ゆうは俺も持ち合わせていなかった。むず痒がゆいのと罪悪感と言うか、背徳感と言うか、やってしまった感がマッハ。

 帰ったらもう一度霞かすみに謝っておこう。あ、あと──。

「ごめんなさい、ホテルの人」

「そこまでしてないでしょ!?」

 確かにキスしかしてないけども。

 後こう悔かいなのか興奮なのか、よく分からない胡桃くるみさんの小さな悲鳴が売店の一角に響ひびくのだった。