1


 はてさて、時が過ぎるのも早いものである。

 期末テストも恙つつがなく終しゆう了りようし、返へん却きやくされた点数にこっそりガッツポーズを決めた翌日。

 俺は斜ななめ後うしろの席に座る胡桃くるみさんに、とあることを尋たずねた。

「お土産みやげは食べ物がいいか、それとも何かしら形に残る物がいいのか……胡桃くるみさんはどっちがいいと思う?」

「い、いきなり何の話?」

「実は霞かすみにお土産みやげは何がいいかって聞いたら、任せるって言われちゃってさ……何がいいのかと困ってるんだよね」

「霞かすみちゃんに、か……」

 うーん、と小首を傾かしげて悩なやみだす姿にときめきを感じつつ、俺は昨日のことを思い出す。

 テスト返へん却きやくも終わり、いよいよ修学旅行が近づいてきたこともあって、風ふ呂ろ上あがりのマイシスター霞かすみに『お土産みやげは何がいい?』と尋たずねたのである。

 これに対して霞かすみは『兄貴のセンスに任せる』と口にした。

『兄貴に任せる』でも『何でもいい』でもない。

『センス』に任されてしまった。

 ──んなもんねーよ、というのが本音であるが、彼女には胡桃くるみさんのことで色々とお世話になっている。できれば喜んでもらいたいのが兄心というものだ。

 しかしセンスなど、ないものはない。

 個人的には食べ物がいいだろうか? と考えているが、相手は妹とは言え女の子。

 というわけで同じ女性である胡桃くるみさんに尋たずねた次し第だいである。

「何だろ、ぱっとは思いつかないかも……調しらべちゃんならお土産みやげは何がいい?」

 しばし悩なやんだ末、胡桃くるみさんは前に座る金きん髪ぱつの少女に話しかけた。

 長い金きん髪ぱつと豊満な胸を持つ彼女──小お倉ぐらは、胡桃くるみさんの問いに驚おどろき半分喜び半分といった様相で振ふり返かえると、爛らん漫まんたる笑えみを浮うかべて答えた。

「な、何かなっ!? 胡桃くるみちゃんから貰もらえるものなら何でも嬉うれしいよ!」

 一いつ瞬しゆん、忠犬の如ごとくぶんぶんと振ふり回まわすしっぽを幻げん視ししてしまう。

「あ、いや、私じゃなくて──」

「俺の妹の話だ」

 胡桃くるみさんの言葉の続きを口にすると、小お倉ぐらは意外そうなものを見る目で見つめてきた。

「……へぇ、あんた妹居たんだ」

「なんだよ」

「別に? いくつ?」

「…………中三」

「なんで言いい渋しぶるのよ」

 それは仕方がない。

 前より落ち着いたとはいえ、それでも小お倉ぐらに対して素す直なおに接するのはいまだ強い抵てい抗こうを覚えてしまう。こればっかりはどうしようもない。

 そんなこちらを無視して、小お倉ぐらは顎あごに手を当て胡桃くるみさんに向き直る。

「中三かー。そうだね……。まぁ、私はその霞かすみって子に会ったことないから何とも言えないけど、でも修学旅行って言っても行き先は京都だし、そこまでこだわる必要はないんじゃないかな?」

「確かに……同じ日本だしね」

「そうそう、普ふ通つうな感じでいいと思うけど」

「そ、それで言うなら……お菓か子しとか、かな? 京都だったら抹まつ茶ちやとか有名じゃない?」

「確かに! あとは生なま八やツ橋はし? お菓か子し以外だと……あぶらとり紙とか」

「あー、それもいいかも! 他には──」

 やがて二人で話に花を咲さかせる胡桃くるみさんと小お倉ぐら。

 気付けば蚊か帳やの外である。

 ぽつねんとした状じよう況きように少なくない寂さびしさを覚えるも、二人のやり取りを見ているとだいぶ打ち解けてきたなと、ふとそんなことを思った。

 小お倉ぐら調しらべ──かつて胡桃くるみさんを虐いじめていた彼女であるが、約二週間前のある日、クラスメイトの何気ない言葉によって彼女はクラス中から悪意を向けられていたところを、胡桃くるみさんに助けられた。小お倉ぐらは謝罪し、胡桃くるみさんはそれを受け入れ──それ以降、二人の関係は日ごとに親密になっていた。

 最近は休み時間に話していることも多いし、何より胡桃くるみさんが笑え顔がおを見せることが多くなっていて大変喜ばしい事である。

 それもこれも胡桃くるみさんの海より広い心のおかげなのか、それとも小お倉ぐらのコミュ力がなせる業わざなのか。

 判断はつかないが、あの日──クラスに蔓まん延えんした悪意ある空気から胡桃くるみさんが小お倉ぐらを救ってからというもの、すべてが良好な方へ進んでいるのは間ま違ちがいなかった。

「胡桃くるみちゃんっ、修学旅行では一いつ緒しよにお風ふ呂ろに入ろうね! 背中流してあげるから!」

「えぇ~、そんないいよ~」

 ……が、それとこれとは別問題。

「ん、んんっ! おほん! 胡桃くるみさん? 最初に相談したのは俺なんだけど?」

 デレデレする小お倉ぐらとまんざらでもない胡桃くるみさんに俺は咳せき払ばらいして割り込ませていただく。

 百ゆ合りの間に挟はさまる男は死し滅めつして欲しいが、胡桃くるみさんは俺の彼女なのでセーフ。

「そ、そうだった!」

 本気で忘れていたのか慌あわてる胡桃くるみさんに、思わずしょげていると。

「……ふへ」

 小お倉ぐらがこちらを見て口こう端たんを上げた。

「なんだよ」

「別になんでもないけど? 彼かれ氏しくん。……あっ、胡桃くるみちゃん! ホテルでは布ふ団とん並べて寝ねようね♡」

 嫌いや味みのように彼かれ氏しの部分を強調した小お倉ぐらは、猫ねこなで声ごえで胡桃くるみさんに話しかける。

「……この泥どろ棒ぼう猫ねこめ。喧けん嘩か売ってるなら買うが?」

「きゃっ、助けて胡桃くるみちゃん!」

「あっ、ズルいぞ!」

 わざとらしく怯おびえてみせて胡桃くるみさんにすり寄る小お倉ぐらに、しかし当の本人は何ど処こか楽しそうにしつつも呆あきれた様子で、子供を𠮟しかるような優やさしい声こわ音ねで告げた。

「もう、調しらべちゃん。あんまり煽あおらないで! あとあんたもいい加減汚きたない言葉を使わない!」

 ……聖母かな?

 母性を醸かもし出だす胡桃くるみさんに、二人揃そろって元気に返事をするのであった。


☆


「おーい、そこのエスケープ三人組~」

 そんな感じで三人で修学旅行について話していると、ふと教きよう壇だんに立っていた担任教師である物もの部のべ先生から声がかけられた。

 因ちなみに、エスケープ三人組とは言わずもがな俺たちのことだ。

 彼は大きくため息をついて頭を搔かく。

「お前らなぁ……暇ひまなのはわかるが、一応お前らの班決めの最中なんだぞ?」

「いやぁ、だってすることないですし……」

「まぁ、そうなんだけどさぁ」

 困ったような表情を見せる物もの部のべ先生。

 というのも、実のところ現在は休み時間ではない。LHRロングホームルームの時間である。

 内容は修学旅行における自由行動時の班決め。

 四人一班、合計十班作ることになっている。

 ならどうしてこんなことになっているのか。答えは簡単である。

 大半の生徒が仲のいい者と班を形成していく中で、まず俺は胡桃くるみさんに求きゆう婚こんした。

 高校生活におけるビッグイベントを共に過ごさないなどありえないからな。

 こうして班の人数は二人。

 このまま二人きりの京都散策としゃれこみたいところだったが、そうは問屋が卸おろさない。

 ルールはルール。そこで胡桃くるみさんがハブられていた小お倉ぐらを誘さそった。

「修学旅行、一いつ緒しよに回らない?」

 と。

 これに対し小お倉ぐらは俺を一いち瞥べつ。渋しぶい顔を返すと、彼女は嬉き々きとして、

「行く行く~」

 と参加してきた。畜ちく生しようである。

 そうして形成されたのが元いじめられっ子に元いじめっ子、そして頭のおかしい変態で構成されたエスケープ三人組である。

 教室内ではこれ以上なく浮ういた存在であり、近ちか寄より難がたいというか触さわらぬ神に祟たたりなしを地で行く存在に、残りの一枠わくがエンプティ。結果としてクラス内で残りの一人を誰だれにするかという、俺たちを中心とした俺たち以外の話し合いが現在進行形で開かい催さい中ちゆうというわけだった。

 まぁ、好き好んで入りたいと思う者はいないだろう。

 居たらきっとマゾヒストに違ちがいない。

 なんて失礼なことを考えていると、ふとクラスメイト達の中から手が挙がった。

「んじゃ、俺行くわ」

 飄ひよう々ひようとした態度で、しかしはっきりと宣言した彼は俺の唯ゆい一いつの友人にしてサッカー部のイケメン、桐きり島しまくんだった。

 俺や胡桃くるみさんが困っていた時には何かと裏で相談に乗ってくれる最高の友人であるのだけど、この行動はいささか彼らしくない。何しろ普ふ段だんの彼は、あくまでも裏で気にかけてくれるだけで、表で絡からんでくれることはほとんどないのだから。

 しかしそれが悪いとは思わない。

 彼には彼の青春があり、それを放ほう棄きする必要などないのだから。

「えぇー、桐きり島しま抜ぬけんのかよー」

「マジかー」

 元々同じ班員だったのだろう生徒たちから非難を受ける桐きり島しまくん。

 だけど彼は「わりーな」とだけ告げて、物もの部のべ先生に班移動を願い出て、俺たちの方へとやって来た。

「うっす。よろしくな、ヤバ宮みやくん」

 そんな非常に不ふ名めい誉よなあだ名を考えた彼は、特に気にした様子もなくニッと笑う。

「……いいの?」

「……何が? 俺はお前らと組んで修学旅行回りたいって思ったから入るだけだぜ?」

 爽さわやかに答える彼と一いつ瞬しゆん見つめ合う。相手の真意を探さぐるように。

 すると彼は再度苦く笑しよう。あまり探さぐってほしくないのだろう。

 普ふ段だん隠かくし事ごとをするタイプではないので、やはり彼らしくない行動に違い和わ感かんを覚える。

 が、しかし。それはそれとして個人的にはこれ以上ない人選には違ちがいない。

 探さぐってほしくないのなら探さぐらないのも親友というもの。

「ありがとう、桐きり島しまくんは最高の親友だよ!」

 感謝の言葉を告げると、彼は苦く笑しようを浮うかべたまま、

「あぁ、そうなりたいよ。俺は」

 と誰だれにも聞かせるつもりのないほどの声量で呟つぶやいた。

 まぁ、俺の耳は最強なので一字一句聞き届けてしまうのだが。

「それでは、当日はこの班で回ってもらうことになるから! 残りの時間は各おの々おの行きたい場所を話し合って決めるようにー」

 間延びした物もの部のべ先生の声に、クラスメイト達がそれぞれ話し合いを再開する。

 桐きり島しまくんのことは気になるが、今は置いておくとしよう。

 俺は気を取り直し、桐きり島しまくんに人見知りを発動させていた愛くるしい胡桃くるみさんに尋たずねた。

「さて、京都のどこで式を挙げるかって話だっけ?」

「観光の計画を練るのよっ!」


2


 私、古こ賀が胡桃くるみはベッドの上で横になる。

 時間はあっという間に過ぎるもので、もう修学旅行の前日。

 明日からは待ち望んでいた二泊三日の旅行が始まる。

 そんな中、思い起こすのは先日の出来事だった。

 一いつ瞬しゆんどうなるかと思ったけど、無事にあいつと──き、貴き一いちと同じ班になることが出来た。

「……ふふっ」

 自然と笑えみがこぼれてしまう。

 あいつが現れてからだけど、特に最近は多い気がする。

 理由の大半はあの頭のおかしい彼かれ氏しだけれど、それだけじゃない。

 小お倉ぐら調しらべちゃん……私にとってはいろいろと因いん縁ねんと言うか、確かく執しつのようなものがあった彼女だけど、最近は一いつ緒しよに居て本当に楽しいと感じる。

 やっぱり、同性の友達と遊ぶのはあいつとは別の楽しさがあったりするのね。

 同性の友達と言えば霞かすみちゃんもそうだけど、彼女の場合はどちらかと言うと妹のような感覚で接してしまう。

「まぁ、結けつ婚こんしたら本当に妹なんだけど……。…………っ!?」

 ぼそりと呟つぶやいて、瞬しゆん間かん顔に熱が昇のぼるのを感じた。

(な、なに恥はずかしいことを独り呟つぶやいているのっ!?)

 堪たまらず枕まくらを抱だきしめてもだえ苦しむ。

 い、いけない!

 近頃本格的に貴き一いちのおかしさが伝でん染せんしてきた気がする。

 べ、別に悪い気分ではないけれど……あぁ、ぐぅ……。

 茹うだった頭で部屋の電灯を眺ながめ、茫ぼう然ぜんと思う。

(…………笠かさ宮みや胡桃くるみ、か……)

 ──はっ!

「ば、馬鹿じゃないのっ!? はっず! あぁぁあああああっ!」

 顔が熱い。

 自分でも辟へき易えきするほど浮うかれ過すぎだ。

 恥はずかしさのあまり顔を枕まくらにうずめて、気を落ち着かせる。

 そう言えばこのベッドであいつと寝ねたんだっけ。

「……」

 ま、また泊とまりに来ないかな。

 って、別にムラムラしてるわけではないけども。

 確かに、そういうことをしたいと思うこともあるけど、でもそれはそれとして一いつ緒しよに居たいと、純じゆん粋すいな気持ちでそう思っているだけで……いったい誰だれに言い訳しているというのか。

「……はぁ。お風ふ呂ろ行こ」

 ベッドの上で悶もだえたこともあり、服の下はじんわりと汗あせばんでいた。

 お風ふ呂ろを準備して、さくっと入浴を済ませる。

 出てきて時計を見ると一時間も経たっていた。

 季節的にもうすぐ冬である。

 末まつ端たん冷ひえ性しようの身としては、どうしても長湯してしまうのだ。

「ふぅ……」

 お風ふ呂ろ上あがりにココアをごくり。

 温まった後も温かい飲み物がいい、すっかりそんな季節。

 明日の朝は早い。湯冷めする前にさっさと寝ねてしまおう。

 そう考えて就しゆう寝しんの準備を行おうとして──不意に電話がかかってきた。

「もぅ、だれ?」

 少し前なら着信音が鳴るだけで初めて鏡を見た猫ねこのようになっていたけれど、最近では貴き一いちや調しらべちゃんからよく電話を貰もらうのですっかり慣れたものだ。

 まぁ、その二人以外、私の連れん絡らく先さきを知らないのだけど。

 私は発信元も碌ろくに確かく認にんせず、電話を取った。

「もしもし?」

「……もしもし、俺だ」

 常じよう套とう句くを口にすると、返ってきたのは貴き一いちでも調しらべちゃんの声でもなかった。

 それは、どこか懐なつかしさすら覚える男性の声。

 瞬しゆん間かん──全身が粟あわ立だつのがわかった。

 身体からだがこわばる。

(……なんで、どうして?)

 いや、別に不思議なんかじゃない。

 この人が電話をかけてくるのは、何も不思議な事なんかじゃない。

 むしろ今まで一本も電話がなかった方が不思議なくらいだった。

 そう、それは──


「……お父さん」


 約一年ぶりになる父からの電話だった。


☆


 父はこちらのことなど特に気にした様子もなく、あの日と──家を出て行く前と何ら変わらない態度で話し始めた。

「久しぶりだな胡桃くるみ。元気にしていたか? あぁ、こちらは順調だ。学校の調子はどうだ? 何か困ったことは──いや、野や暮ぼな話だったな。お前のことだ。大たい抵ていのことは一人でこなしてしまうのだろう」

「──あっ、う、うん」

 口を挟はさむ間もなく、父は矢や継つぎ早ばやに言葉を口にする。

 相変わらず、である。

「だろうな。ところで、仕事はまだ休止中のままなのか? 続けるのもやめるのもお前の自由だが、どっちつかずの煮にえ切きらない状じよう態たいというのは先方に対して迷めい惑わくがかかる。出来るだけ早く身の振ふり方かたを決めろよ。……って、これも野や暮ぼな話か」

「……」

 能天気な声が電話越ごしに聞こえる。

 そう、これは別に緊きん張ちようするような電話ではない。

 血のつながった父との約一年ぶりの電話……ただ、それだけ。

 だというのに、私は言葉が喉のどにつっかえてうまく喋しやべれない。

 加えて、じくじくと胸中を暗いものが埋うめ尽つくしていくのを感じる。

 それはきっと、大変だった時期に一いつ切さい連れん絡らくをよこさなかったが故ゆえの不信。

(……切りたいな)

 そう思ってしまうのは、反はん抗こう期きだからではない。

 ただなんとなく……話していたくなかった。

「──るみ。胡桃くるみ! ……ちゃんと聞いているのか?」

「ご、ごめん。なんだっけ?」

「ったく、だから今度修学旅行でこっちに来るんだろ?」

(こっち……あぁ、そう言えばお父さんが今勤めているのは京都の方だっけ)

 ぼんやりと家族が離り散さんした時のことを思い出す。

 父は転勤のタイミングで家を出て行き、私もまた『出て行かないで』と私に依い存ぞんする母を置いて家を出た。それから父と会ったのは──否、連れん絡らくを取ったのはこの部屋を契けい約やくする時の一度だけ。

 できれば忘れたい記き憶おくだ。

 そんな私のことなど気にもせず、父は電話の向こうで言葉を続ける。

「それでさ、少し時間を作るから会って話をしないか?」

「……」

「あぁ、そうしよう。時間はまた追って伝えるから」

「…………」

 気が付くと電話は切れていた。

 会おう、との言葉に私は何と答えたのだろうか。

 ほとんど上の空で聞いていなかった。

 けれど、

「……っ」

 私は唇くちびるをかみしめ、そのままベッドにもそもそと潜もぐり込こむ。

 ぐちゃぐちゃの心を落ち着けるように枕まくらを抱だきしめると、瞼まぶたをぎゅっと閉じて久しぶりに現実逃とう避ひを行った。

 瞼まぶたの裏に映るのは、私の世界を華はなやかに染め上げてくれたあいつの姿。

(……貴き一いち)

 彼との幸せな出来事を脳のう裏りに描えがき、私は逃にげるように眠ねむりについた。


3


「着き替がえよーし、忘れ物なーし。ふむ、完かん璧ぺきだな!」

 修学旅行当日の朝。

 現在時刻は午前六時。

 これから一度学校に集合し、そこからバスで新幹線の乗車駅へ向かうことになっている。

 着き替がえを詰つめ込こんだボストンバッグの最終チェックを行っていると、上階からマイシスターが姿を現した。

 そんな早朝のためか、現れた霞かすみは当然寝ね巻まき姿すがただった。

 髪かみはところどころ跳はねていて、彼女は眠ねむたげにあくびを嚙かみ殺ころしながらぼやく。

「もー、そんな子供じゃないんだからさぁ。兄貴は馬鹿なの? ……あっ、馬鹿だったか」

「開口一番、兄に対してなんてことを言うんだ」

 鋭するどい言葉を放った霞かすみはいたずら小こ僧ぞうのようにニヤッと笑えみを浮うかべる。

「それで、お土産みやげは何にするつもりなの?」

「あー、それなぁ。とりあえず向こうで色々見ながら考える方向で」

「ふーん。期待してる」

「お兄ちゃん困っちゃうよぅ」

「キモいんだけど」

 なんで朝から二度も罵ば倒とうを受けなきゃいけないんだ。

「んじゃ、そろそろ時間だから行ってくるわ」

「はいはい、行ってらっしゃい。あっ、あんまり羽は目めを外し過ぎて胡桃くるみさんとハメたりしないでね」

「ドギツイ下ネタ飛ばしてきたなぁ、おい」

 俺が言えた義理でもないが。

「まっ、何はともあれ楽しんでくれば? お土産みやげだけじゃなくて土産みやげ話ばなしも期待してる」

「おう、任せとけ」

 靴くつを履はいて玄げん関かんから外に出る。

 空を見上げると本日は晴天なり。

 ふと振ふり返かえると、閉とじ掛かけの扉とびらの奥で霞かすみが壁かべに寄りかかって手を振ふっていた。

 その口元は僅わずかに動いて──。

『いってらっしゃい』

 兄に対して遠えん慮りよはないけれど、何だかんだで見送ってくれる妹。

 これはいい土産みやげを買って帰らねばならいな、なんて思いつつ、俺は学校へと向かった。


☆


 学校に向かう途と中ちゆう、いつものように駅で胡桃くるみさんと待ち合わせ。

 朝の通勤ラッシュの中で、しかしすぐに胡桃くるみさんの姿を発見した。

 今日も今日とて非常に愛らしい。

「おはよう胡桃くるみさん! 今日も可か愛わいい──って、どうかした?」

 声をかけた胡桃くるみさんは何ど処こか暗い表情を見せていた。

 つい昨日までは京都への修学旅行に、それはもうワクワクしていたというのに。

「べ、別になんでもないわよ」

「……それで俺の目を誤ご魔ま化かせるとでも? いつも胡桃くるみさんのことしか見ていないから、様子がおかしいことぐらいわかるよ」

「……このすとーかー」

「否定できないっ!」

「そこはしてよ……もう」

 唇くちびるを尖とがらせて、ジト目でこちらを見つめてきたかと思えば、胡桃くるみさんは大きく息を吸い込んで吐はき出だした。

 それから一度ぎゅっと目を瞑つぶって頰ほおを叩たたくと、いつもの世界で一番かわいい笑えみを見せる。

「心配してくれてありがと。……でも、今は大だい丈じよ夫うぶだから」

「……ほんと?」

「信じてくれないわけ?」

 挑ちよう発はつ的てきな笑えみを浮うかべ、俺の胸むな板いたを指で突つっついてくる胡桃くるみさん。

 なにこれ、めちゃくちゃかわいいんですけど?

「俺は胡桃くるみさんを信じてるよ! 結けつ婚こんを誓ちかい合あったあの屋上の日よりも、ずっと前からね!」

 サムズアップと共に宣言すると、

「あの時はまだ誓ちかい合あってなかったと思うんだけどっ!?」

 顔を真っ赤にしてうがーっと反論してくる胡桃くるみさん。

 そんな彼女はすっかりいつもの胡桃くるみさんに戻もどっていた。


☆


 学校に到とう着ちやくするとバスの出発までまだ余よ裕ゆうがあった。

「ちょっとお手洗いに行ってくるから、荷物見てて」

 そう言って胡桃くるみさんは荷物を置いて校舎へと向かって行く。

 すると、入いれ替かわるように一人の少女が近づいてきた。

「はよ」

「おう」

 小お倉ぐらだ。

 いつにも増して眠ねむそうな彼女を見るに、朝が弱いのだろう。

 挨あい拶さつを交かわして以降は互たがいに無言となるが、それも仕方がない。

 俺にとって小お倉ぐらは、所いわ謂ゆる『彼女の友達』なのだから。

 胡桃くるみさんが戻もどってくるまでスマホで時間を潰つぶすかと考えていると、不意に小お倉ぐらが口を開いた。

「ねぇ、話あるんだけど。二人きりで」

「話だあ?」

 あまりいい雰ふん囲い気きではなさそう。

 しかも小お倉ぐらの大好きな胡桃くるみさんを除いて二人きりと来た。

 否いやが応おうでも訝いぶかしんでしまう。

 しかしそんな俺の疑念をよそに、小お倉ぐらはブレザーのポケットに手を突つっ込こみながら、目線を合わせることなく淡たん々たんと続ける。

「そう。だからさ、修学旅行中のどっかで時間作ってくれない?」

「修学旅行は常に胡桃くるみさんとイチャイチャしたいんだけど?」

「それは私もだけど……っ! でも──」

 彼女は一度言葉を区切ると、ポケットから手を出す。

 そして今度は俺を真正面から見つめながら、告げた。

「お願い」

「あ、あぁ……わかったよ」

 その真しん剣けんな声こわ音ねに、俺は首しゆ肯こうを返すのだった。

「おまたせー」

 そこに胡桃くるみさんが戻もどってくる。

「「全然待ってないよっ!!」」

 瞬しゆん間かん、先ほどの空気などどこへやら。

 腹が立つことに小お倉ぐらと言葉がかぶってしまった。

「おーっす、お前らー、おはよー……って、いったい何があったんだ?」

 次いで小走りでやって来た桐きり島しまくんは、メンチを切り合う俺と小お倉ぐら、それを見てオロオロする胡桃くるみさんに対して、そうこぼすのだった。

 兎とにも角かくにも修学旅行の始まりである。