寒さもいよいよ本格化を見せ始めた十一月の中ちゆう旬じゆん。

 放課後の教室で、俺は胡桃くるみさんに提案した。

「胡桃くるみさん! よかったら今日勉強して帰らない?」

「勉強?」

 キョトンとした表情で胡桃くるみさんは小首を傾かしげる。

 相も変わらず一挙手一投足が可か愛わいらしい人である。

 十月末に虐いじめを受けて自殺しようとしていた彼女、古こ賀が胡桃くるみさんに『セックスしよう!』と提案してからしばらく。彼女の家にお泊とまりして仲良く泥でい酔すいしたり、我が家にお招きして未来の妹を紹しよう介かいしたりと、紆う余よ曲きよく折せつの後に俺たちは交際を始めた。

 それから約二週間が経たつが、俺の中にある胡桃くるみさんへの愛は日に日に増すばかり。

「そそ、ほらもうすぐ期末テストだしさ。二人でいちゃいちゃと愛を語らい合いながら勉学に励はげもうと思ってさ。もちろん下心なんてないよ」

「そんなこと言ってる時点で下心しか感じられないんだけど!?」

 はぁ、と呆あきれたように嘆たん息そくする胡桃くるみさんは今日も今日とて美しい。

 流りゆう麗れいな長い黒くろ髪かみは毛先まで手入れが行き届き、絹のような肌はだはシミ一つ見受けられない。

 大人びた顔立ちは同級生とは思えないほど美しく、相も変わらぬ綺き麗れいなスタイルは、元モデルの貫かん録ろくを見せつけていた。

 そんな彼女は学校のブレザーに黒タイツ。

 加えて今日に至っては首にマフラーを巻いていた。

 寒さの影えい響きようか。赤いチェックの可か愛わいいやつである。

 本日も最低気温を更こう新しんしており、徐じよ々じよにオシャレになる胡桃くるみさんに俺の目はくぎ付けだ。

「それは仕方がない。俺は胡桃くるみさんを愛しているからね。頭のてっぺんから足の先まで、性格も仕草も、何もかもに俺は夢中なんだ!」

「ばっ──もう! 人前でそういうのはやめてって言ったでしょ!」

 ぷりぷりと怒おこりながら注意する胡桃くるみさん。

 教室にはまだ半数ほど生徒が残っていたので、恥はずかしがるのも無理はない。

 特に胡桃くるみさんはTPOを大事にするので、その思いも倍プッシュであろう。

「これは失礼。……それで、勉強はどうかな?」

「へ、変なことしないなら別にいいわよ。どこでするの?」

「俺の家?」

「変なことしかするつもりないでしょ!?」

 正解である。

「じゃあファミレスとか?」

「人が多いと集中できないのよね」

 それはなんとなくわかる気がする。気が散って仕方ないよね。

「それじゃあ──」

 俺は逡しゆん巡じゆんしたのち、とある場所を提案した。


☆


 静かな校舎を二人で並んで歩く。

 テスト期間前ということもあり、現在すべての部活動が禁止されていた。教室に残って勉強している者もいくらかいるが、大半の生徒は帰宅したり場所を移したりして勉強に励はげんでいるようだ。

 そんな中、俺たちがやってきたのは静かな校舎の中でも特に静かな隅すみの隅すみにある一室。

 古めかしい引き戸に掛かけられたプレートには『図書室』の文字。

「何気にここに来たの初めてね」

「そうなの?」

「普ふ段だん本とか読まないし、それに初めての場所に一人で行くのは苦手なのよ」

 それはまぁ、なんとなくわかる。結構勇気いるよね。

 なんてことを話しつつ扉とびらを開けると、本特有の渋しぶい匂においが鼻び腔こうをくすぐった。

 あれだ、トイレに行きたくなる匂においである。本屋でも同じ匂においがする。

 室内に他の生徒の姿はなく、平素なら常じよう駐ちゆうしているはずの図書委員の姿もない。

 テスト期間前ということで委員会自体がお休みなのだろう。

 そんな図書室内は舞まい上あがった埃ほこりが夕焼けに照らされて、どこか幻げん想そう的てきに揺ゆらめいていた。

 つまるところ──。

「二人っきりだね」

「へ、変態っ」

「いやいや、恋こい仲なかの男女が二人きり。静かな空間で他に何をすると言うんだ!」

「勉強」

 ぐうの音も出ないんだなぁ、これが。

 肩かたを落とす俺を放置して胡桃くるみさんは窓まど際ぎわの席に腰こしを下ろし、勉強の準備を始めた。

 仕方がないので俺も彼女の隣となりに腰こしを落ち着け、椅い子すを持ち上げ、少し近付く。

「よいしょ、と」

「ちょっと? 近くない?」

「むしろ遠いぐらいだよ」

「いったいどれだけ近付きたいの!?」

「できる事なら膝ひざの上に座ってもらい、後ろから手取り足取りと……」

「馬鹿じゃないの!?」

「だからこれから勉強するんじゃないか」

「それ以前の問題でしょ」

 否定できない。

「あー、もうっ、馬鹿なことしてないで勉強するわよっ!」

 そうしてすっかり勉強モードになった胡桃くるみさん。

 どうやらこれ以上は相手にしてくれないらしい。

 個人的にはもう少し雑談していたかったが、仕方がない。

 もともと勉強するためにここに来たのだから。

 それじゃあ俺も始めますか、と意気込んで勉強の準備を終えたところで、ふと胡桃くるみさんがカバンから何かを取り出した。何だろうかと視線を向けて──

「胡桃くるみさんそれって──わひゃああああああっ!」

 素すっ頓とん狂きような声を上げてしまうのも無理はなかった。

 何しろ彼女が取り出したのは、メガネと呼ばれる素す敵てきアイテムだったのだから。

「な、なに!?」

「か、かわわわ、かわいい! すごく似合ってる! やばっ、いつもの雰ふん囲い気きも大好きだけどメガネを掛かけた理知的な胡桃くるみさんマジラブ! えっ、超ちようかわいいんだけど!? どうしたのそれ!」

 胡桃くるみさんのメガネ姿に思わずギャルみたいな反応をしてしまった。

 けれど仕方がない。それほどまでに似合っていたのだから。

 全体的に丸みを帯びた楕だ円えん形けいのデザインは、オシャレさんが掛かけていそうなイメージの物。

 色はおとなしい黒で、レンズの奥に若じやつ干かんゆがみがあることから伊だ達てメガネではなさそうだ。

「そ、その、実は最近ゲームのし過ぎで少し視力が落ちちゃったみたいで……それで昨日買ったんだけど……どうかな?」

「さっきも言ったけど、本当にかわいいよ!」

「ん。……ありがと」

 胡桃くるみさんはどこかくすぐったそうに、だけど確かに口元に笑えみを湛たたえて頷うなずいた。

「あと好きだよ!」

「し、知ってるわよ、ばか! ……そ、それもありがとっ」

 顔を僅わずかに上気させつつ、早口に感謝を述べる胡桃くるみさん。

 そんな彼女を見て思わず抱だきしめてしまうのは、これまた仕方のない事であった。


☆


「はぁ~、さむっ」

 手に息を吐はきかけ、身を縮こまらせる胡桃くるみさんはまるで小動物のよう。

 あれからは真面目に二時間ほど勉強して、現在時刻は午後六時を五分ほど過ぎた頃ころ。

 辺りはとっぷり夜の帳とばりに包まれており、同時に気温もググっと低下した。

 正直そろそろ学校に防寒具を纏まとって登校してもよい頃ころ合あい。

 一つのマフラーを二人で使う的なアレとか超ちよう絶ぜつしてみたい、なんて妄もう想そうしつつ、俺は昇しよう降こう口ぐちで靴くつを履はき替かえて胡桃くるみさんと並んで帰路に就つく。

 何気なく見上げた夜空は晴れており、星を消し去るほどの光量で満月が輝かがやいていた。

「テストは大だい丈じよ夫うぶそう?」

「胡桃くるみさんに教えてもらったからね! 恥はずかしい結果は見せないよ! 胡桃くるみさんは?」

「まぁ、私も頑がん張ばりたい……かな?」

「がんばりたい?」

 少々ニュアンスが違ちがう気がして小首を傾かしげると、胡桃くるみさんは僅わずかに言いい淀よどむ。

「ま、まぁ、その……あんたって、大学とか、どうする?」

「一応行くつもりで考えてるけど……え? なんで大学の話?」

「……つ、つまりは、その……い、一いつ緒しよの大学、行けたらいいね、ってそういう話」

 月光が照らす帰り道は、恥はずかしそうに口元を手で隠かくす胡桃くるみさんを色いろ濃こく映し出していた。

 彼女はこちらの様子が気になるのか、ちらちらと時たま視線をよこしている。

 そんないじらしい姿に俺はと言うと──。

「……な、なるほど」

「照れてる?」

「むしろ照れないわけがないんだけど!? さて、市役所の窓口は何時までだったかな?」

「取りに行ってもまだ書けないから」

「ぐぬぬっ」

 逃にげ道みちをふさがれてしまった。

「ふふ、ほんとバカなんだからっ」

 俺の様子がよほど面おも白しろかったのか、胡桃くるみさんはそう言って笑えみをこぼした。……かわいい。

 それからしばらく二人で話しながら歩いていると、駅が見えてきたタイミングで胡桃くるみさんが切り出した。

「そう言えば、テストが終わればもうすぐね」

 漠ばく然ぜんとした内容であるが、胡桃くるみさんラバーの俺はすぐに察する。

「確か二泊三日の京都だっけ?」

「そう。……楽しみ」

「俺も楽しみだよ、新しん婚こん旅行」

「新しん婚こん旅行じゃないから」

「そうだね、婚こん前ぜん旅行だね!」

「修学旅行よっ!」

 はぁ、とあきれた風にため息をつく胡桃くるみさん。

 しかしその瞳ひとみはすぐに期待に満ちたものに染まる。

 ──修学旅行。

 それは花の高校生活においても五指には入るであろうビッグイベントだ。

 我らの高校においてもそれは同様で、期末テストの後に控ひかえている。

「それにしても京都かぁ。綺き麗れいな場所が多いってイメージがあるね」

 寺社仏閣・古都京都。伝統ある日本家屋の立ち並ぶ『和』が脳のう裏りに過よぎる。

 それは胡桃くるみさんも同じなようで、鼻息荒あらく口を開いた。

「そ、そう! 有名どころだと清きよ水みず寺でらに金きん閣かく寺じ、銀ぎん閣かく寺じ! 個人的にはわびさびが強く感じられる銀ぎん閣かく寺じの方が好きなんだけど、金きん閣かく寺じにもそれはそれで強い魅み力りよくがあって……あとは嵐あらし山やま! 渡と月げつ橋きよう! 竹ちく林りんの小こ径みち! ほ、他にも──はっ!? ……ん、んんっ! おほんっ」

 怒ど濤とうのマシンガントークに思わず目を丸くしていると、胡桃くるみさんは咳せき払ばらいを一つ。

 若じやつ干かん恥はずかしそうに深呼吸してから気を落ち着けていた。

 それにしてもこれほどテンションの上がった胡桃くるみさんは初めて見た。綺き麗れいな景色が好きだというのは知っていたけど、まさかこれほどとは。

 彼女の意外な一面に、俺の愛は燃え上がる一方である。

 もっといろんな胡桃くるみさんを見せて欲しいぜ。

「すごく楽しみだね!」

「……っあ、その」

「? どうかした?」

 ふと何かを言いたげに口をぱくぱくさせる胡桃くるみさん。

 焦あせらせないようにゆっくり待つと、彼女は意を決したように息を吸い込んで、告げた。

「そ、それからっ──あ、あんたが居るからっ! あ、あんたと……か、彼かれ氏しと一いつ緒しよだからっ! そ、それが何よりも、楽しみ……」

 最後は消え入りそうな声で、しかししっかりと伝える胡桃くるみさん。

 顔は耳まで真っ赤に染まっており、慌あわてて隠かくすように両手で覆おおう。

 そんな彼女の様子に、もうすぐ冬だというのに全身が熱くなる。

 胸中で彼女への想おもいがぐるぐる廻まわり、思わず昇しよう天てんしてしまいそうな錯さつ覚かくを覚え、俺はこの感かん極きわまった想おもいを真正面から胡桃くるみさんに伝えた。

「俺も楽しみだよ、新しん婚こん旅行!」

「だから修学旅行!」