三話 黒豚王子は解決する



    1


 ──〝悪役キャラ〟。

 それは物語で主人公と敵対し、憎まれ役となるキャラクター。

 そのバリエーションは多岐にわたるが、某戦闘力五三万の宇宙人のようにけたはずれの戦闘力を誇ったり、『あれ、きみが主人公だっけ?』という主人公顔負けの超美形だったり、あるいはなみだちようだいの裏事情を抱えていたり──さまざまな要素があいまって、主人公以上に人気が出ることもある重要な存在だ。

『ファイナルクエスト』においても悪役キャラは非常に大事に扱われており、作中でかなり意識してその内面まで掘りさげられている。

よんしよう〟のリオネッタも、そんな悪役キャラのひとりだ。

『ファイナルクエスト』作中において、リオネッタは強力な幻惑魔法を使い、ブラットをはじめとした各地の要人をあやつり、数々の悲劇を生みだした。

 その行動を考えると、確かに極悪人と言えよう。

 だが彼女が魔王軍に加担するのには、実は理由があったのだ。

 簡潔に言えば、妹のためである。

 リオネッタの妹は、それまでの複雑な経緯もあって強力なのろいをかけられ、永遠の眠りについている仮死状態にある。

 リオネッタはその呪いを解けるのが魔王だけだと知り、かくせい後に呪いを解いてもらうという契約のもとに魔王軍に協力しているのだ。

 実は妹をむしばむその呪いが、リオネッタを利用するためにベルゼブブが意図的に仕組んでいたものであることも知らずに。

 当然ブラットも、そういったリオネッタの背景は把握している。

 だからこそ──直接対決では分が悪いということを理解しつつも、ワーウルフロードの弟を追跡してリオネッタに接触することを選んだのだった。

 宿敵であるリオネッタと交渉を試みるために。


(……ここに、いるのか?)

 怒りに身をまかせて駆けだしたワーウルフロード──ウルを、気配を消す隠密魔法〝ステルス〟で尾行しながら、ブラットはまゆをひそめた。

 たどりついたのは、王宮だった。

 ふだんならば多くの宮廷貴族や使用人の姿があるブラットの住まいは、けんさい当日ということもあって閑散としている。

 ウルはそんな王宮の敷地を疾風のように駆け、大きく跳躍。翼が生えているかのような軽やかさで、王宮のおもに跳びのった。

 ブラットも気づかれぬ距離を維持しながら屋上にあがると、


(……いた)


 予想通り、そこに宿敵である女の姿を見つける。

 ただでさえ高い丘のうえにある王宮──そのもっとも高い母屋から、リオネッタは城下町にそびえる闘技場を見下ろしていた。

 ここから闘技場までは、かなりの距離がある。ふつうならば観戦などできるはずもないのだが、視力強化の呪文イーグルアイを使っているのだろう。

 呪文で強化できる視力は、術者の魔力量に比例する。

 たとえば〝大賢人ワイズマン〟マーリンほどの魔法使いになると、となり町の様子まで確認できるらしい。リオネッタもこの程度の距離は余裕で可視範囲のはず。

 そのままブラットが気配を消し、様子をうかがっていると──


「あら……生きていたの?」


 リオネッタはウルに気づき、大仰に驚いた表情をつくる。

「……お聞きしたいことがあります」

 ウルは険しい顔でその場にひざをつく。

「リオネッタさまが兄者に〝コンフュージョン〟を使っていた……というのは事実ですか? 兄者がこの町で無謀な暴走をしたのは、リオネッタさまがさせたことなのでしょうか?」

 ウルに直球の問いを投げられ、リオネッタはしばし黙りこむ。

 その後、「なんだそんなこと」と面倒くさそうに息をつき──

「……そうよ?」

 悪びれた様子もなく、むしろ愉しげにそう言った。

 ウルの肩がびくっと震える。

「なにか……作戦の一環だったのですか? ブラット・フォン・ピシュテルや〝ななえいゆう〟を消すための布石だったとか?」

 兄は犬死ではなかったのだ。兄の死には意味があったのだ。そう思いたがっているように、ウルは切実な表情でたずねる。

 だが──

「……別に。強いて言えば、貴方たちの強さがちょうどよかったの。貴方たちの相手をする力を持つものが、あの王子と〝魔神殺しデモンスレイヤー〟以外に王都にどれぐらいいるのか……戦力を知っておきたかったから。ほら、計画を邪魔されたら嫌でしょう?」

「つまり……兄者はまだ見ぬ敵をあぶりだすためのただのだったと? その程度のことのために命を落としたと……そう言うのですね?」

 ウルは静かに──静かに、訊ねる。

 みしめるように絞りだしたその声は、かすかに震えていた。

「……ご明察。獣のくせに案外と賢いじゃない? でも貴方の兄は無能だったわね。たったの一で頭を落とされてしまうんですもの。おかげであの王子の実力も測れなかったわ。まあ死にざまが無様だったから、道化師のショーとしては悪くはなかったわね」

 リオネッタが愉しげにくすりと笑った、その瞬間だった。


────き、貴様アアアアアッッッ!!


 響きわたる人狼の憤怒のほうこう

 ウルの体から膨大な魔力があふれ、その影響で大気が震えた。

「──」

 直後。ウルはその獣人のりよりよくを最大限にかし、予備動作ほぼゼロで弾丸のように跳びだしてリオネッタに襲いかかる。

 しかし鋭利なかぎづめがリオネッタをとらえたと思ったそのとき、リオネッタの姿は幻のように影となってかき消えた。

「あら、いきなり襲いかかってくるなんてひどいじゃない?」

 リオネッタのつやめく唇からそんな言葉がつむがれたときには、合計で一〇人に分身したリオネッタがウルを完全に包囲していた。

 ──〝多重影分身シヤドウアバター〟。

 影による多数の分身をつくりだす第七位階の幻惑魔法の一種だ。

『ファイナルクエスト』の作中戦闘において、リオネッタの攻撃にはいくつかパターンがある。そのなかにこの影分身から展開する攻撃パターンがあったはず。

 何度も攻略したので、ブラットもよく覚えていた。

「オオオオオォオォォッ!!

 ウルはふたたび咆哮をあげると同時にリオネッタの分身に襲いかかり、次から次へとその鋭い鉤爪でらしていく

 分身は一撃で影となってかき消え、その数は次第に減っていく。しかし半分ほどにまで数を減らしたそのときだった。

 残った分身たちがそれぞれ中空に短剣のような形の多数の影の刃を生みだし、その切っ先をウルへとまっすぐ向け──

「──〝シャドウダガー・レイン〟」

 直後。合計で一〇〇を超える影の刃が、一斉にウルへと放たれる。

 ウルはすぐに気づいて回避行動に移るものの、刃の数があまりに多く対処しきれない。いくつかの刃がウルの体をとらえた。

「ぐっ、ぁあぁあああっ……!!

 とどろく悲鳴。

 ウルは刃につらぬかれた全身から鮮血を流し、がくっと膝を折る。

 だがどうにかそこで踏みとどまり、顔をあげた。

「こ、この程度で終わり……か。魔将も大したことはないな。むかし兄者とケンカして殴られたときのほうがよっぽど効いたぞ」

 血まみれで強がるウルの言葉を聞き、ブラットは目を細めた。

(……いや、終わりじゃない)

 今回の攻撃パターンの場合、リオネッタの攻撃はまだ一手残っているはず。

 分身で対象を取りかこみ、全方位から第七位階魔法〝シャドウダガー・レイン〟を放ち、そしてそのあとに背後からの追撃の一手が。

 その追撃こそが、この攻撃パターンにおける決め技フイニツシユブローなのだ。

 次の瞬間、リオネッタの肩にのっていた少女の人形ドールがウルの後方に突如出現し、短剣を手に背後からウルに近づくのが見えた。

 そのせつ──

(……なるようになれ)

 ついにブラットは陰から跳びだした。

 そしてウルと人形のあいだに割ってはいり、突きだされた剣を間一髪のところでそらし、そのまま跳ねあげた。

 ウルとリオネッタはブラットの姿を見て、同時に目を見開く。

「……ブラット・フォン・ピシュテル!? なぜおまえがここに!?

「あら、驚いたわ。意外なお客さまね。ターゲットがみずからのこのこ現れるなんて、なかなかめずらしいことよ?」

 二人がそれぞれ言葉をこぼした瞬間にリオネッタは分身を消してひとりになり、人形はリオネッタの肩へと戻った。

 やはりリオネッタのねらいはブラットで間違いなさそうだ。

「ブラット殿下……初めましてと言ったほうがいいかしら? わたくしは遠くから見ていたからそういう気はしないのだけれど」

「俺も初めて会った気はしないな」

 ブラットはちらとリオネッタの肩の人形を見やり、肩をすくめた。

 リオネッタとは周回プレイするたびに戦ってきた。なにより容姿と背景をふくめて好きなキャラだったというのもある。

 前世では好きなキャラ。今世では宿敵。そんななんとも言えぬ関係のリオネッタと初対面し、ブラットはしばし彼女を見つめた。

「……にしても、魔王軍内で仲間割れとはいただけないな。いまの攻撃はあきらかに殺めようと放った一撃だったろう?」

 ブラットはひようひようと訊ねる。

 リオネッタはいぶかしげな表情で目を細めながらも、やれやれと肩をすくめる。

「勘違いしないでほしいのだけれど、きばいてきたのはこの獣。殺されても文句は言えないわ。そもそも仲間割れでも、敵である貴方には関係ない。むしろ得しかないはずだけれど?」

「そうだ、ブラット・フォン・ピシュテル……おまえには関係のないことだ。オラがこのクソ女を殺るまで引っこんでいろ。おまえはその次だ」

 傷だらけのウルが強がるように言うが、ブラットは首を振る。

「いまのおまえでは残念ながらリオネッタには敵わないよ」

 淡々と、事実を告げる。

 ウルとリオネッタは、文字通りレベルが違いすぎる。

 この『ファイナルクエスト』に酷似した世界ではレベル差はそのまま実力差となる。ブラットのように特別な知識があるならば別だが、基本、レベル通りの戦闘結果にしかなるまい。

 ウルは反論したげだったが、結局は苦々しげにうつむいた。

 ブラットがすけしてくれていなければ、自分があのまま殺されていたことも彼自身ちゃんと理解しているのだろう。

「あらあら? その獣ではわたくしには敵わないと言ったけれど……貴方ならわたくしを倒せる、ということかしら?」

「どうだろうな、きわどいところだ」

 ブラットが余裕の微笑でそう切りかえすと、リオネッタは不服そうに目を細める。

 しかし、すぐに不敵に笑った。

「なら……試してみましょうか?」

 リオネッタの声音は静かだったが、その全身からはそれだけで人を殺せそうなまがまがしい魔力が湯気のように立ちのぼっていた。

 そんな魔力を間近で受けながらも、しかしブラットは一切動じない。

「……いや、今回は遠慮しておこう。それよりも話があるんだ。きみがきみの妹について、ベルゼブブとかわしている契約のことでな」

 単刀直入にそう切りだす。

 リオネッタはハッとした顔で慌ててブラットを見やる。

「なんの……話かしら?」

 さぐるようにそう訊ねてくる。

「きみの妹はいまのろいにより、永遠の眠りについている。だから魔王かくせいに協力する代わりに、魔王覚醒の暁には魔王がきみの妹の呪いを解く。ベルゼブブとそう契約しているはずだ」

 ブラットがはっきりと核心にまで触れると、リオネッタは目をぎょっと見開く。

 だが、すぐに落ちついた声音でこたえる。

「……仮にそういう契約があったとして、それでなにを話すというのかしら? 貴方が妹を助けてくれるとでも言うのかしら?」

「ああ、そのとおりだ」

 ブラットは即座に断言した。

「俺がきみの妹を助ける。だからもう魔王軍への加担はやめろ」

 それは『フォイナルクエスト』をとことんまでやりこみ、サブクエストをふくめてコンプリートしたブラットだからこそ断言できた。

 だが、あまりに唐突な話だったためだろう。

 リオネッタはふたたびきようがくの表情を浮かべつつも、すぐに首を振る。それから、すべてをあきらめたようなもの寂しげな微笑を浮かべた。

 直後。リオネッタの体から、禍々しい魔力が一気にあふれた。

!?

 そしてリオネッタの足元から無数の影の手が猛烈な勢いで伸びてきて、ブラットの全身をみるみるうちにからめとって拘束する。

「……助ける、ですって? 適当を言わないでもらえるかしら? わたくしはそうやってできもしないことを無責任に言う偽善者が虫唾が走るほど嫌いなの。せっかく貴方のためにショーを用意したというのに、間違っていま殺してしまいそうだわ」

 リオネッタが殺気をにじませると、影の手による絞めつけが急激に強まる。

 その力はこれまでに感じたことがないくらい強く、おそらくブラットほどのステータスがなければ骨が粉々に砕け、内臓が破裂していただろう。

(そりゃ信じられるわけもないか)

 リオネッタは妹を救うために過去にあらゆる方法を試し、そのすべてに失敗している。結果、魔王の力にすがることになったのだ。

 いきなり口先だけで助けると言われても、信じられるはずがあるまい。

「疑うのは当然だ。俺でも疑う。だが王子として自分の言葉には責任を持っているつもりだ。まず話だけでも聞いてはくれないか?」

 リオネッタは口の端にくすりとようえんな微笑を刻んだかと思うと、そのままアハハハハ! と大きく声をあげて高笑いしはじめる。

 そしてふいにぴたりと笑うのをやめ、真顔でブラットを見やる。

「……無知って罪ね。お子さまの貴方にはわからないかもしれないけれど、世のなかにはできることとできないことがあるの」

 冷めた表情で肩をすくめ、

「そもそも他人のことよりも、貴方はこの国の民や自分の大切な人のことを心配したほうがいいと思うのだけれど?」

「……国民や大切な人の心配、だと?」

 まゆをひそめるブラットを見て、リオネッタは愉しげに笑う。

「ええそう。さっきも言ったけれど、今日は貴方のために楽しい楽しいショーを用意しておいたの。この国全体がきれいなきれいな紅にそまる……そんな素敵なショーをね。せっかくのお祭りですもの、このあとはぜひショーを楽しんでちょうだい?」

「紅にそまる、ショー……だと?」

 言い終えるや、リオネッタは影の手による拘束をゆるめた。

 そして自身の影にゆっくりと沈んでいく。

 王宮に残っていた数少ない人間が騒ぎに気づいたらしく、地上がなにやらばたついているようなので、援軍を警戒して逃走しようということだろう。

「そうね、貴方がもしもすべてを守りきれたのなら、そのときは貴方の戯言に耳を貸してあげてもいいわ。無理でしょうけどね」

「待て! まだ話は終わって──」

 最後まで言葉をつむぎきる前に、リオネッタは完全に影に沈んだ。


(やっぱりそう簡単にはいかないか)

 リオネッタが立ち去ったあと、ブラットは息をついた。

 勢いで対面したためにほとんど対策をしていなかったことを考えれば、生きていられただけ運がいいというべきかもしれない。

(しかし……なにをたくらんでいる?)

 リオネッタの言葉が真実ならば、今日ブラットの大切な人が危険にさらされるということになる。とすれば、それはどうにかして避けねばならない。

(考えられるのは……)

『ファイナルクエスト』のリオネッタの行動パターンを思いかえす。

 すると彼女のたくらみとして、ありえそうなものがいくつか頭に浮かんできた。そのなかで現状で可能性の高いものに当たりをつける。

(……手札は豪華だが対策には少しピースが足りない、か?)

 思案していると、ふと血まみれで立ちあがるウルの姿が目に入る。よろよろとしながらも歩きだそうとしていた。おそろしい生命力だ。

 とりあえず生きてはいるようだが、かなりダメージを負っている様子だ。

 ブラットは慌てて声をあげた。

「……またリオネッタのところに行くつもりなら、悪いことは言わない。やめておけ。いまのおまえでは何度やってもリオネッタには勝てないよ」

「ならばどうしろと? オラは尻尾しつぽを巻いて逃げるつもりはない!」

 憎悪に満ちた視線を真正面から受け、ウルのリオネッタへの憎悪と覚悟をまざまざと感じとり、ブラットは黙りこんだ。

 だが、ふと思いつき──

「なら……俺に協力しないか?」

 一言、そう言った。

「協力……だと?」

 きょとんとウルは首をかしげる。

「ああ、そうだ。うまくいけば、リオネッタに一泡ふかせられる」

 ブラットはニヤリと笑った。


    2


 リオネッタ・ブルーネル。

 彼女は幼少期から暗殺者として育ち、暗殺者として生きてきた。

 代々ブルーネル家は神聖リーマ王国に仕える子爵位の貴族で、暗殺を家業としてきた王国の暗部の存在だったからだ。

 だが、ある日のこと。

 ブルーネル家はリーマ王国から、トカゲの尻尾切りにあった。

 年々ブルーネル家の正体を知るものが王宮に増え、暗殺一家とそれを抱えるリーマ王家を非難するものが現れはじめたのだ。

 結果、王国はその声に屈し、ブルーネル家を始末することにしたというわけだ。

 王国軍に不意の奇襲を受けて一家のほとんどは命を落とし、リオネッタは妹と二人きりで追っ手から逃げることとなった。

 追っ手をらす力自体はあったのだ。

 なにしろリオネッタの実力は当時から抜きんでており、『ファイナルクエスト』のレベルに換算すれば四五相当であった。

 だが、リオネッタも人間。

 常に気を張った生活を続けられるわけではない。いずれは消耗して討ちとられてしまう。だから安住の地をさがす必要があった。

 しかし気が遠くなるほどにさまよい歩いて、ようやくデルトラ半島の小村に安住の地を見つけたと思ったそんなとき──さらなる悲劇がリオネッタを襲った。


『おねえさま、村の人たちすっごくやさしいね!』

『そうね、ここなら追っ手も来ないし、しばらくはいられそうだわ』

『やった~!! おともだちできるかなあ~!?

『うふふ……きっとできるわよ、アリエッタはとってもかわいいもの』

 アリエッタをともない、森に薬草採集に行ったときのことだった。

 ながらく危険な旅を続けてきた姉妹は、たどりついた村でひさかたぶりに人の優しさに触れ、ここならば人間らしい生活を送れるのではと胸を躍らせていた。

『あ、これ! おねえさまがゆってたやくそう!』

『あら、ほんと! よく見つけたわね、アリエッタ、えらいわ!』

 アリエッタの頭をよしよしとなでるリオネッタ。

 するとアリエッタはうれしそうに目を細め、リオネッタにしがみつく。

『えへへへへ、えらいでしょえらいでしょ! それであのね……おねがいがあるの。きょうのごはん……ひさしぶりに、おねえさまのしちゅーがたべたあい!』

『そうね、しばらく食べてなかったものね。アリエッタの好きなお肉いっぱいのにしましょうね』

 やった~!! と両手をあげて無邪気によろこぶアリエッタ。

 リオネッタはそんな妹を子を見守る母のような穏やかな目で見つめる。

 だがそんな姉妹のささやかな幸せは、その直後に一瞬にして崩れさるのだった。

『まさか……シェイド!?

 邪悪な魔力とともに姉妹の前に出現したのは、やみの精霊であった。

 不吉な黒い犬のような姿をしたそれはリオネッタではなく、ねらいすましたかのように幼い妹のアリエッタへと襲いかかり、そのきやしやな右腕にみついた。

うそ……嘘でしょ、アリエッタ! アリエッタ!!

 そしていくら呼びかけようとも、倒れこんだアリエッタがふたたび目を覚ますことはなかった。

 闇の精霊シェイドに噛まれたものは、強力な眠りののろいにかかる。

 そしてその眠りの呪いは、通常のそれとはわけが違う。一度シェイドの深遠なる闇にとらわれてしまえば、基本的に永遠に目を覚ますことはないのだ。

『アリエッタ……お願いだから、目を覚まして。わたくしを……ひとりに、しないで』

 リオネッタは絶望に打ちひしがれた。

 家族も友人も失っていたリオネッタにとって、妹はもはやすべてだったのだ。それをこのような形で失うことになるなんて、納得できようはずもなかった。

 リオネッタはあきらめなかった。幸い、妹はまだ死んだわけではない。眠っているだけだ。

 妹を呪いから救いだすため、とにかくあらゆる手を試みた。

 しかし──ダメだった。

 最高級のポーションを使おうと、最高位の神官に依頼しようと、妹は頑として眠りつづけたまま、目を覚ますことはなかったのだ。

 そんなとき現れたのがベルゼブブだった。

『魔王さまならば……呪いを解くのもやすいだろう。魔王さまのかくせいに協力するんだナ』

 そしてリオネッタは後に魔王に妹の呪いを解いてもらうことと引きかえに、魔王の覚醒に協力することを決めたのだ。

 そして魔王軍に加担し、その実力で〝四魔将〟にまでのぼりつめ、いま魔王の覚醒までついにあと少しのところまで来ていた。

 魔王覚醒には、膨大な魔力が必要だ。

 魔力というのは、人間の感情の動きにより生みだされる。

 だから今回、リオネッタはターゲットのブラット殺害を念頭に置きつつも、実はそれ以上にピシュテルの王都を混乱におとしいれ、民の感情をゆさぶることを計画しているのだった。

 王都中の民から生みだされる魔力は膨大だ。

 それを回収できれば、魔王覚醒に大きく近づくことは間違いなかったから。

 さきほど王宮でブラットに遭遇したのは、闘技場の試合の進行具合をながめながら、そんな計画の準備をしていたときだったのだ。


(……妹を助ける、ですって?)

 あのブラット・フォン・ピシュテルという王子の憎らしいぐらいに整った面差しを思いだし、リオネッタはみする。

 そこは、中央広場にある時計台の頂上。

 リオネッタはブラットに遭遇したあと、場所を王宮からこの場へと移し、計画の最終確認をしながら闘技場を見下ろしていた。

 時刻はすでに昼過ぎ。

 午前中に予選のバトルロイヤルはすべてが終了し、まもなく本戦のバトルトーナメントが始まろうとしているところだった。

(……なにもわかっていないわ)

 あの王子の話ぶりからして妹がいまどのような状況にあるのか、情報の入手経路は不明だがある程度の情報はつかんでいるのだろう。

 だが妹の眠りの呪いがどれほどに強固なものなのかは、妹を救うためにずっと側にいたリオネッタがだれよりも知っている。

 いきなりあの王子が呪いを解き、おいそれと救いだせるような甘いものではないのだ。

(恵まれた貴方は知らないのね。助けたくても助けられない人もいるってことを。わたくしが教えてあげる。目の前で貴方の大切な人たちが傷つくのを見て、自身の無力さを痛感なさい)

 リオネッタが冷めた笑みをこぼしたそのときだ。

 事前に強化しておいた聴力が、闘技場の実況の声を聞きとった。


『なお……予選では〝七英雄〟の御三方に解説していただいたデスが、マーリンさまとグラッセさまが所用のために本戦からは離脱。解説はセリエさまおひとりにお願いするデス!』


 リオネッタは口元の笑みを深めた。

(確かに〝大賢人ワイズマン〟と〝魔神殺しデモンスレイヤー〟の気配がどこにも感じられないわ。フフフフフ……流れは完全にこちらに来ているようね)

 今回のショーの計画は、あくまでも三英雄がいる前提で進めていた。だから民の感情をゆさぶり、魔力を回収さえできれば、別に戦いに勝つつもりはなかったのだ。

 だがグラッセとマーリンの二英雄までもいないとすれば、魔力の回収だけでなく、このままこの国を落とすことすらも可能かもしれない。

 もしもそうなればさらに魔王の覚醒が近づくことになろう。

(……なんにしろ、そろそろ楽しいショーの時間ね。まずはもっとも邪魔なあの女……〝救世の聖母セインテス〟には消えてもらうとしましょうか)

 リオネッタは手を闘技場へと掲げ、

「……〝シャドウハント〟」

 ようえんな声でささやくようにそう唱えた。


 闘技場には関係者用の裏通路がある。

 選手やその関係者は裏通路を通り、アリーナや貴賓席へと向かうのだ。そんな裏通路をいままさに通る二つの人影があった。

 ブラットの婚約者であり、はかなげなぼうを持つ公爵令嬢〝ようせい姫〟マリー・エル・フォークタスと、その専属侍女のレミリアだ。

 ブラットの予選通過を見届けて一時退場し、本戦開始に合わせて戻ってきたのだ。

「マリーさま……このままブラットさまが優勝なさったらどうなさるのですか?」

 レミリアにふいにそうたずねられ、マリーはうつむいた。

 しばし間を置いてから、

「……まだ、殿下が優勝なさると決まったわけではないでしょう?」

「もちろん確定ではありません。そのうえで優勝なさった場合、どうなさるおつもりなのかとお訊ねしているのです。お約束したように婚約破棄を考えなおすのですか?」

 マリーはふたたび口ごもり、

「それは……できないわ」

 思案したあとそうこぼした。

「たとえ約束を違えても、婚約は破棄します。これはわたくしだけの問題でなく、殿下のお命に関わること。臣下として婚約者として、殿下をお守りするのがわたくしの務めですもの」

 マリーはその目に強固な意志の光を輝かせ、そう告げた。

 レミリアはやれやれといった様子で、

「そうおっしゃると思いましたよ。婚約を破棄すればマリーさまご自身は傷物の令嬢として扱われ、メリットなどないでしょうに。あきれるほどに殿下がお好きなのですね」

「べ、別にそのようなことは……!!

 マリーはその透きとおるようなほおをポッとそめて弁解しようとし、しかし途中でやめて「あるかもしれないけれど……」とひとりごちる。

「……あるのですね」

 レミリアにくつくつと笑われ、マリーは不服そうに唇をとがらせる。

 気位が高く近寄りがたい存在だと思われがちだが、気心知れた侍女の前では子供じみた素の顔が出てしまうマリーだった。

 そんなやりとりをしているうちに遠くに聞こえていた歓声がどんどんと近づき、気づけば二人は貴賓席へとたどりついていた。

 国王カストラルに一礼し、席につく。

(あら、グラッセさまとマーリンさまはいらっしゃらないのね)

 解説席を見て、首をかしげるマリー。

 予選時には解説席で楽しげに話していた二人の姿がなかった。

 貴賓席にも姿が見えないので、少なくともこの闘技場にはいなさそうだ。マーリンはともかく、グラッセはブラットのことを気にいっている様子だったので、本戦にいないのは意外だった。それとも、ブラットの試合のときには戻るのだろうか。

 マリーがそんなことを考えていたときだ。

 それは襲来する。


!?


 ふいに、肌を刺すようなまがまがしい魔力を感じる。

 直後。解説席のセリエの真下の影がうごめき、まるで大きなしきのように広がって、セリエの体を丸ごとつつみこんだ。

 そして影はみるみるうちに小さくなり、そのままなんとセリエとともに完全に消失してしまった。

「あれは……〝シャドウハント〟か!?

 カストラルがきようがくとともにそうつぶやくのが耳に届く。

 ──〝シャドウハント〟。

 対象を影によって捕縛し、真っくらやみの異空間に閉じこめる第五位階魔法だ。

 通常ならばほんの数分で異空間は消滅して対象は解放されるのだが、持続時間は術者の力量次第で大きく伸びる。術者によっては、数時間ものあいだ対象を完全に隔離することも可能だと聞いたことがある。

『え、え!? セリエさま!? いったいどこへ……!?

 実況をしているブラットの専属侍女ロジエが慌てはじめたときだった。

 闘技場の上空に、気づけば人影が出現していた。


「……ピシュテルの皆さまごきげんよう。魔王軍〝四魔将〟がひとり、リオネッタと申します。本日は楽しいショーをお届けにまいりましたわ」


 自身を〝四魔将〟のリオネッタと名乗ったその妖艶のドレス姿の女は、貴婦人のごとき優雅な所作でゆっくりと頭をさげた。

 あまりに突然の魔王軍幹部の襲来に闘技場は一時静まりかえり──だがしばしあって、波打つようにざわめきが広がった。

『よ、四魔将!? ひとりで国を滅ぼすバケモノっていうあの!?

『ほ、本物か!? なわけないよな!? ショーの一環だよな!?

『おいおい、本物だったらまずいなんてもんじゃないぞ……!? グラッセさまもいないんだろ!? 逃げないと……殺される!!

 恐慌状態で席を立ちはじめる観客たち。

『み、皆さま落ちついてほしいデス!』

 ロジエが声を張りあげるが、混乱は増す一方だった。

 無理もなかろう。

〝四魔将〟という存在は、戦力的には〝七英雄〟と同格。禁術であるやみの魔力を扱うぶん、〝七英雄〟より厄介と言ってもいい。

 リオネッタの襲来は、民からすれば突然SSランクの災厄級モンスター〝エンシェントドラゴン〟や〝ヤマタノオロチ〟が襲来したようなもの。

 いや──明確に民を害する意識があるぶん、それらよりもタチが悪いと言えるのだから。

「ま、まさか……なぜ我が国にこのタイミングで魔将が!?

 信じられぬという表情の国王カストラル。

 魔王軍の活動区域は、現状ここから離れている。ピシュテルに手がおよぶとしても、遠い未来だと思っていたのだろう。マリーもそうだ。

 ちなみに民が浮足だっているこのあいだにも、警備の魔法騎士たちによる猛烈な魔法攻撃がリオネッタに降りそそいでいた。

 だがリオネッタは表情ひとつ変えず、魔圧だけでそれを軽々と弾きかえしている。

 その圧倒的すぎる魔法防御力は、彼女がまぎれもなく魔王軍最高幹部〝四魔将〟のひとりであるという事実をまざまざと告げていた。

「お初にお目にかかります、陛下。国をあげてのお祭りですもの。魔王軍としても微力ながら盛りあげに貢献したいと思いましたの。それではさっそくですが──」

 リオネッタが言いながら邪悪な魔力をあふれさせた、そのときだった。


「──させぬぞ、〝人形遣いドールマスター〟」


 貴賓席から、リオネッタの行動をさえぎる声が響いた。

 見るとそこにいたのは、中性的な美貌の少女。〝灰色の帝国〟ダストリアの皇女であり、現在ピシュテルに留学中のキャロル・ドラ・トラフォードその人であった。

「おお……キャロル姫か!」

「陛下、ここはわたしにおまかせください」

 キャロルは魔王軍の最高幹部を前にしても動じた様子もなく、カストラルに淡々とそう言うと、抜剣してリオネッタへと向きなおった。

(キャロルさまなら……)

 何度かその剛剣は目にしたことがあるが、キャロルの実力は学院でもけたはずれだ。

 もしかしたら、あの〝四魔将〟すらも倒してくれるかもしれない。

「あら、ダストリアの皇女ね……? そう言えば、ここにいるという情報があったかしら。興味もなかったし、計画には支障ないから気にもしていなかったわ」

「このわたしが……取るに足らぬ存在だと?」

 キャロルは鋭く目を細め、全身から闘気のごとき魔力をほとばしらせる。

 リオネッタはそれを愉しげに見つめ、くすりと鼻で笑う。

「ええ、取るに足らないわ。いてもいなくても同じ」

「……わたしもなめられたものだな。確かに魔王の手先にしては、貴様は美しい。いい肉体をしている。だが英雄である父と日々互角に鍛錬を重ね、みがきあげたこのわたしの美しさの前には無力。我が剛剣をその身に受け、自身の浅慮を悔いるがいい! 一瞬で終わらせる!」

 最後まで言い終える前に、キャロルは動いていた。

 地面をって中空を流星のように駆け、リオネッタへと飛んでいく。

「そうね……一瞬で終わり」

 だがリオネッタは一切焦った様子もなく愉しげにそう言うと、手のひらで素早く魔力を収束させ、その魔力で黒い短剣を生成した。

 キャロルの持つ大きく精巧な魔剣に比べると、頼りなく見える小さな小さな短剣であった。

 それをキャロルのほうへとかかげ──

────

 直後。カキンッ!! という激しい衝突音。

 キャロルのすさまじい闘気とともに放たれた剣──はたから見ていても一撃必殺に見えたその斬撃を、しかしリオネッタは小さな短剣で軽々と受けとめる。

 そしてキャロルが驚愕に目を見開いたその瞬間──

「ま、まさか……!?

 ピキピキッ! とキャロルの魔剣にひびが入る。

 剣と剣が衝突したその部位からひびは広がっていき、最後にはバリンッ! とまるでガラス細工のように砕けちった。

 間髪をいれず、リオネッタは黒い短剣を魔力へと再変換。それをすさまじい速度で魔力の弾丸へと変えると、キャロルへと放った。

「これほどの差が……ぐあぁぁぁっ!

 キャロルはそれをもろに受け、吹っとんだ。

 そして地上へとまっすぐ落下し、アリーナの舞台にきささるように衝突する。

「あら……〝絶対皇帝バーサクエンペラー〟はけいで手加減していたようね」

 リオネッタは皮肉めいた微笑とともに肩をすくめてみせる。

(信じられない、キャロルさまを……こうもあっさりと)

 マリーは息をのむ。

 舞いあがった土煙が収まったあとも、もはやキャロルはぴくりとも動かない。魔力はわずかに感じられるので生きてはいるが、あきらかにひん。戦闘続行不可能だろう。

 本当に一瞬で、終わってしまった。

 結果はキャロルの宣言とは真逆だったが。

 キャロルは弱くないのだ。むしろこの国の現状の戦力のなかでは、〝七英雄〟をのぞけば最強クラスの戦士であるのは間違いない。

 それをこうもあっさりと倒してしまったリオネッタのほうが、規格外すぎるのである。

「さてさて、い小娘も片付いたことですし。あらためましてそれでは皆さま、わたくしのショーをごゆるりとお楽しみくださいませ?」

悪夢のナイトメア蜃気楼ミラージユ〟、とリオネッタが唱えた瞬間。

 闘技場の半分ほどの面積の地面が、淡い魔力の輝きを放つ。魔力はまるで霧のように変化し、民のまわりへとふわふわと拡散した。

(〝ナイトメアミラージュ〟……ですって!?

 マリーはその名に聞き覚えがあった。

 それが知識にあるそれと同じ魔法だとすると──非常に、まずい。

『なんだこれ……やばいんじゃねえの!?

『いや、でもなんともないぞ……?』

『確かに痛くもかゆくもない。失敗したのか?』

 観衆たちはなにも起こらないことをいぶかしく思っている様子で、あたりをきょろきょろと見回して首をかしげていた。

 しかし、その直後──

『お、おい……どうしたんだよ?』

『うるせえッ!!

 ドンッ! という乾いた打撃音。

 それが悪夢の始まりだった。

 見ると観客が近くの観客の胸ぐらをつかみ、殴りかかっていた。

『……ってえな! なにすんだよ!』

『だまれ! おまえが前々から気にくわなかったんだよ!』

 周囲の人間が慌ててとめに入るが、加害者の男はまるで興奮した闘牛のように暴れ、さらに二度三度とこぶしを振るう。

 男の怒りかたは尋常ではなかったが、しょせんは酒場に行けば一日一回はあるだろうただのケンカ。皆もそう思っていたはず。

 だが事態はそう簡単ではなかった。

(これはやはり……)

 気づけばその男だけでなく、闘技場のあちこちで民が興奮して暴れだし、近くの人へと襲いかかる光景が見られるようになっていたのだ。

『このまえ貸した金とっとと返せ!』

『いつもいつも偉そうにしてんじゃねえ!』

だんを寝取りやがって! こちとらぜんぶ知ってんだよ!』

 数人どころの話ではない。

 数十、数百もの人々が急に凶暴性を増し、まるで理性のタガが外れたかのように、近くの人間へと襲いかかっているのだ。

「まさか……闘技場全体に幻惑魔法を!? ありえん、ただでさえ制御が難しい魔法じゃぞ!? それをこの広範囲に!?

「あら……だれが闘技場にだけなんて言ったのかしら?」

 リオネッタが不敵な微笑を浮かべたそのとき、闘技場の外から兵士が慌てた様子でカストラルのもとにせさんじた。

「へ……陛下、大変でございます! 現在、王都中で暴動や乱闘騒ぎが起こっております! すでに収拾がつきません!」

「なんと……王都全体だと!? そのようなことが!?

 マリーはごくりとなまつばをのむ。

 そのようなことが、あるのである。

〝ナイトメアミラージュ〟は、神や上位の精霊といった超常の存在にしか扱えぬとも言われる、第八位階に分類される戦略級幻惑魔法。

 超広範囲の人間に〝コンフュージョン〟に似た幻惑魔法をかけ、怒りや不安といった負の感情をあおって混乱させるという魔法だ。

 超広範囲にかけるために個々への効果自体は微々たるもので、実際に幻惑されるのはよくて一、二割のものだけのはず。

 だが万を超える王都中の民の一、二割が暴れだしているとすれば、王都全体を恐慌状態におとしいれるには十分すぎるだろう。

 実際、鎮圧に当たる兵が多い闘技場でさえ収拾がつかなくなっている。そもそも兵のなかにも魔法にかかったものが大勢いる様子だ。

「マリーさま……すぐに避難を!」

「いえ、貴賓席には結界があるから大丈夫。外側からはたとえ竜の一撃を受けてもびくともしないでしょう。むしろ王都中が危険な現状ではここが一番安全なぐらいだわ。わたくしのことはいいから、貴女は民の鎮圧に協力してあげてちょうだい」

 かしこまりました、とレミリアは異論をはさむことなく席を立つ。そして警備の兵たちに協力すべく貴賓席を出ていった。

 闘技場で暴れる大勢の民を見て、マリーは整ったまゆをひそめた。

(……セリエさまがいらっしゃれば鎮圧していただけたのでしょうが、だからこそセリエさまを最初に封じたということでしょうね)

 リオネッタの幻惑魔法に対抗できるとすれば、〝七英雄〟のセリエぐらいだ。彼女がいないとなれば、混乱を鎮めるのは容易ではない。

「とはいえ、この魔法だけならばそれほど脅威ではないが……」

 カストラルがそうこぼすのが耳に入る。

 確かに〝ナイトメアミラージュ〟は戦略級魔法ではあるが、効果自体は下級の幻惑魔法程度。被害は実はそれほどではない。冷静に兵によって鎮圧し、効果が切れるのを待てばよいのだから。

 だがそんな考えをあざわらうかのように、リオネッタが口を開く。

「……もちろんこの魔法だけでは終わりませんわ。この魔法はほかの戦略と合わせて用いてこそ力を発揮するもの。せっかくのお祭りに、これだけではさすがに味気ないでしょう」

 カストラルは鋭く目を細め、

「……なにをするつもりじゃ?」

「大したことはありませんわ。魔王軍の大隊をこの王都の近く──ルーランの森に待機させておりましたの。まもなく彼らがこの王都になだれこんでくることでしょう」

「な……大隊が!?

 あきらかな焦りを見せるカストラル。

 平常時でも魔王軍の大隊を迎えうつのは容易ではない。それぞれの魔物への有効な対策を事前に講じてようやく戦える相手なのだ。

 民が混乱して仲間割れをしているこの状況でなだれこまれては、どうあがいても勝ち目はない。それを理解しているのだろう。

「……英雄不在、王都は大混乱。そんななかでわたくしリオネッタと魔物の大群を相手にする余力が、この国にはあるのかしら?」

「くっ、しやくな……」

 カストラルはもはや打つ手なしといった様子でみする。

(まずいですわね……)

 このままでは王国が魔王軍の手に落ちる。

 仮にグラッセやマーリンが王都に残っていて手を貸してくれたとしても、それまでに多くの民が犠牲になるのは間違いないだろう。なにか策を講じねば。

 マリーが必死に思考をめぐらせていた、そのときだった。

「へへへ、マリーさま見~つけた!!

「……!?

 声をかけてきたのは、貴賓席にいた貴族の男のひとりだった。

 何事かと見ると男の目は血走っており、あきらかに〝ナイトメアミラージュ〟の幻惑効果を受けて理性が飛んでいるようだった。

(考えが……浅かったようですわね)

 マリーは男を警戒して立ちあがりながら、ごくりとつばをのむ。

 確かに貴賓席の結界は、外側からの攻撃にはめっぽう強い。だが内側に暴徒が出現してしまえば、無用の長物と化してしまうのだ。考え足らずだった。

「へへへへへ、近くで見ると……本当にお美しい。俺は夜会で一目あんたを見たときから、あんたをめちゃくちゃにしてやりてえと思ってたんだ。このようせい姫をめにできる日が来るなんて本当に夢のようだ。今日まで生きててよかったなあ」

 男は下卑た笑みを浮かべ、マリーにじりじりと近寄ってくる。

 見ると貴賓席にはほかにも暴れだしたものたちがいて、警備兵はカストラルの護衛にやっとで助けてくれそうなものはいない。

「それ以上……近づかないでくださいませ。わたくしはブラット・フォン・ピシュテル殿下の婚約者。貴方のものにはなりませんわ、決して」

 口でははっきりとそう言ったものの、マリーの声は震えていた。

 自分でなんとかせねばと思うのだが、足がすくんでしまう。

 マリーは学業についてはウィンデスタール魔法学院でも上位の成績を誇り、魔法についても並みの魔法騎士以上には使える才女だ。

 だから、たとえ暴漢に襲われても自衛ぐらいはできる──そう思っていた。

『実際にそういう立場に置かれたら恐怖で冷静には対処できないものよ』なんて近しいものに諭されても、自分ならばできるとたかをくくっていた。

 だがいざ眼前に暴漢がせまりくるという窮地に自分が立たされたいま、ようやくその言葉の正しさが痛いほどに理解できた。

 幻惑魔法の影響もあるのだろうか、この差しせまった状況にマリーの頭のなかは混乱し、真っ白になってしまっていたのだ。

「へへへへへ、信じられねえぐらいスベスベの肌だぜぇ……! この肌も、この美しい髪も……ぜんぶ俺のもんだぜぇ」

 マリーが震えて立ちつくすことしかできぬうちに、男はついにマリーの眼前へとたどりつき、マリーのほおに手を伸ばしてきた。

 マリーはあまりの恐怖に身動きができず、妖精のごときぼうの面差しを次第に引きつらせ、ついにはひとみにじんわりと涙をにじませた。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 ただただそんな感情だけが、ひたすら頭のなかではんすうされる。


「……たす、けて」


 ──ブラットさま、と。

 ついには消えいるような声で、婚約者に助けを求めてしまう。

 そもそも彼の試合はまだあとで、彼は闘技場にもいないだろう。

 そこにいないものの名を呼んでもしかたがない。そのような小さな声なんて届くわけもない。そんなことはわかっていたが、それでもついその名が口をついて出てしまった。

 幼少期、マリーは森で魔物に襲われたことがあった。そのとき一番に駆けつけてくれたのが、婚約者となったばかりの彼だったのだ。そのこともあったからかもしれない。

 だが男の手がマリーの首元から胸元へと伸びた──そのときだった。


「……アガッ!?


 男が吹っとんだ

 まるで竜神の怒りを買ってその身にてつついを受けたかのように、勢いよく貴賓席の端から端まで吹っとび、地面にたたきつけられた。

(いったい、なにが……?)

 涙のベールを視界から手の甲でぬぐいさり、マリーは目を見開く。

 気づけば眼前にはひとつの人影があった。

「……気安く触れてんじゃねえよ」

 人影はぼそっとそう吐き捨て、その後こちらへと歩みよってくる。

「殿、下……?」

 間違いない。

 輝くような銀髪に褐色の肌があまりに似合う美貌の第一王子、マリーの婚約者のブラット・フォン・ピシュテルその人であった。

 ブラットはおだやかで優しげな微笑をたたえ、

「……遅れて申し訳ございません。ご無事ですか、我が姫君」

 まるでマリーに仕える騎士のように、腰をぬかしてしまったマリーのそばにしゃがみこみ、そっと手を差しのべた。

 そしてそのぬくもりに触れた瞬間、

「──」

 マリーの瞳から、宝石のような涙がゆっくりとこぼれおちた。


    3


(あっぶねえ……)

 自身の胸でぶるぶると身を震わせる婚約者を愛おしげに見下ろしながら、ブラットは内心ではこれ以上ないぐらいにホッと胸をなでおろしていた。

 間一髪のところであった。

 もしも自分が助けに入るのがわずかにでも遅れていれば、マリーがあの男にいったいなにをされていたか。そう思うと準備に手間どった自分が腹立たしくてしかたがない。貴賓席は安全だろうとたかをくくっていたのも愚かだった。

(……すまない、マリー)

 涙まで流させ、恥をかかせてしまった。

 マリーは公衆の場ではマナーや礼節をかんぺきに守りつつも、他者に基本的に一線を引いた──悪く言えば、冷ややかな対応をすることが多く、たかはなという雰囲気を醸しだしている。

 だがそれは、〝妖精姫〟とも形容される触れたら壊れてしまうガラス細工のような美貌を持つがゆえ、浮ついた男どもを寄せつけぬための自衛策なのだ。

 本当は心優しく繊細で、年相応の少女なのだとおさなじみのブラットは知っている。

 男にこのような目に遭わされ、恐ろしくないわけがない。涙まで流しているのだ。本当の本当に恐ろしかったのだろう。

 にもかかわらず──

「あ、あの……殿下、助けていただいてありがとうございました。わたくしはもう問題ございませんので、皆をお願いいたします」

 マリーは深呼吸して落ちつきを取りもどすなり手の甲で涙をぬぐい、いつもの気丈な表情をとりつくろってそう言った。

 まだ声も体も震えていて恐怖を感じているだろうに、自分のことは後回しにして、民や周囲の人間のことを最優先に考えられる。

 まったく──よくできた少女である。

(俺の婚約者がこんなに天使すぎるわけがない……ってラノベが書けそうだ)

 抱きしめられていたことが気恥ずかしいのか、ほんのりと頬をそめているところがまたかわいらしい。できることならこの少女を一日中なでまわし、抱きしめ、そして甘やかしてみたい。そんなふうにブラットが思ってしまうのも無理はないだろう。

 だがブラットはそんな願望をどうにか自制し、

「……承知した。もっときみのそばにいたいところだが、残念ながら状況はそれを許さないようだ。マリー、どうか気をつけて」

 マリーの頭をなでながらうなずきかける。

「殿下も……どうかご無事で。無理だけは決してなさらぬように」

 こちらが心配していた側のはずなのに、まるで子を送りだす親のように、マリーは不安げな表情でブラットを見つめてくる。

 ブラットはマリーを安心させるように悪戯いたずらな微笑を浮かべ、

「……きみが頬にキスでもしてくれたら、がんばれる気がするんだけどね?」

 ねだるように自身の頬を指さす。

 キ、キス!? とマリーは頬を赤らめて戸惑うような表情を浮かべる。

 ヨーロッパ的な思考が適用されているらしく、この世界ではキスがあいさつわりにしばしば使われる。だが身内でもない適齢期の男女がそうするとなると、互いに意識してしまうのはやはり避けられないことなのであった。

「……冗談だよ。婚約破棄を申しいれられてる身だからね。でももしも今回の騒ぎを俺がうまくおさめられたら、ぜひそのときは一考してくれ」

「あ、え……殿下!?

 もっとからかっていたい気持ちは山々だったものの、ブラットは肩をすくめながらそう言いのこし、かわいらしくあたふたするマリーをしりに自身の仕事へと移った。

 手始めとばかりに貴賓席でいまだ暴れていた観客数人をこぶしで気絶させ、父である国王カストラルや貴族たちを救出する。

「ブラット……すまぬな、助かった」

「いえ、当然のことでございます。あとはおまかせください」

 気まずそうに礼を言うカストラルと積もる話をしたい気持ちもあったが、いまはそのような状況ではない。いつもどおりの微笑で短くこたえると、ひとまず貴賓席の安全──なによりマリーの安全──を確保できたことを確認する。

 それから闘技場上空に浮遊する女──〝四魔将〟リオネッタに目を向けた。


「あらあら……ブラット・フォン・ピシュテル、遅かったわね。あまりにも遅いから、おさきにショーは開演してしまいましたわよ」


 待っていたとばかりに、薄暗い微笑をこちらに向けてくるリオネッタ。

「わずかでも待っていてくれたのなら光栄だよ、リオネッタ嬢」

 ブラットが微笑みかえすと、リオネッタは不快げに鼻を鳴らす。

「軽口を叩く余裕があるみたいだけれど、貴方がもたもたしているあいだに王都は大混乱よ。人助けが大好きらしいけれど……貴方ならばどうにかできる、というのかしら?」

 この状況を見ろ、とでも言うように両手を広げるリオネッタ。

〝ナイトメアミラージュ〟で混乱し暴れる民と、そんな暴徒からきようかんで逃げまどう民により、闘技場はいまだ大混乱におちいっていた。そしてこの騒ぎが闘技場だけでなく、王都全体に広がっているのはブラット自身も承知している。

「俺には……どうにもできそうもないな」

 そして状況を理解したうえで、ブラットはそう判断する。

 自分の力だけでは、これほどの騒ぎは収められそうもないと冷静に。

「フフフフフ……そうね、そうでしょうね。そもそも聖母をわたくしが封じたいま、この暴動をとめる手立てがあるはずがないわ」

 これでわかったかしら? とリオネッタはとした声をあげる。

「この世には救えぬものもある……そんな当たり前の事実が。貴方にはこの国もこの国の民も……そしてもちろん、わたくしでさえ手をこまねく妹も救えるわけがない。貴方ごときにはなにも救えないの。国とともに滅び、自身の慢心を悔いなさい?」

 リオネッタは勝利の美酒に酔ったかのように高らかに笑う。

 ブラットは無言でそんな彼女を見あげ──

「そうだな、俺にはなにも救えないよ」

 うなだれるようにそうつぶやいた。

 それは客観的に見れば、あきらかに敗北宣言だっただろう。

『ブラット……』

『殿下……』

『ブラットさま……』

 実際──国王カストラルが、婚約者マリーが、侍女ロジエが、闘技場に居残る民が、その言葉に沈痛な面持ちを浮かべた。

 頼みの綱に思えたブラットでさえこの状況はどうにもできないのだ、と。この国はこのまま魔王軍の手に落ちてしまうのだ、と。

 だがすでにこうしようのために大きく開かれていたリオネッタの口の端が、さらに裂けるように不気味に広がったその瞬間──


「──救うのは、俺じゃない


 ブラットはふいに顔をあげ、ニヤリと不敵な微笑を浮かべた。

 直後──

「……!?

 突然、あたりが光に包まれる。

 まるでほうじようの女神が大地に祝福を与えているかのように、まばゆい純白の輝きを放つ魔力が、闘技場へと降りそそいだのだ。

 そしてさきほどまで騒々しく暴れていた人々が、なんとその魔力を浴びると次第におだやかな表情になってゆく。

『あれ……俺なにしてたんだっけ?』

『わたしなんであんなに怒ってたのかしら』

『すまねえ、やりすぎたよ……』

 気づけばみな正気を取りもどし、その多くが自身の行いを悔いている様子で、口々に謝罪と和解を始めたではないか。

「これは……まさか〝エリアクリフィケーション〟!?

 純白の魔力の正体に気づき、リオネッタはきようがくの声をあげる。

 ──〝エリアクリフィケーション〟。

 それは第六位階の広範囲治癒魔法だ。

 毒や、混乱といった状態異常効果を無効化する第三位階治癒魔法〝クリフィケーション〟。〝エリアクリフィケーション〟はそれと同等の効果を持つ純白の魔力を雨や雪のような粒子状にし、広範囲へ放つという〝クリフィケーション〟の上位魔法である。

「しかも闘技場全体に!?

 その効果範囲は術者の力量に依存しており、闘技場全体に効果をおよぼすほどの〝エリアクリフィケーション〟となると、教会の大司祭クラス──少なくともレベル三〇オーバーの実力者にしか不可能なこと。リオネッタが驚くのも無理はないだろう。

だれが闘技場だけなんて言った?」

 しかし現時点ですでに驚愕の事態だというのに、ブラットはリオネッタにそう笑いかけ、闘技場の外を見るようにうながした。

「……?」

 リオネッタは闘技場の外を見やり、信じられぬと首を振る。

 気づいたのだろう。

 闘技場だけでなく、闘技場の外──王都全体へと〝エリアクリフィケーション〟の純白の魔力が降りそそいでいることに。

「ありえないわ……現在の王都にこのようなことができる人間は〝救世の聖母セインテス〟ただひとりだったはず。誰がこのようなことを……!?

 リオネッタは当惑しながらも魔力の出どころ──王都の中央広場へとすぐに視線を向け、そしてすでに驚愕に見開いていたひとみをさらに大きく見開いた。

 それもそのはず。

 絶対にそこにいるはずのない人間が、確かにそこにいたのだから。

 けいけんな祈りをささげている〝七英雄〟──圧倒的な純白の魔力をまとう麗しき〝救世の聖母セインテス〟セリエ・シュトラスフィールその人が。

「まさか……なぜあそこにあの女が!? さきほど間違いなく異空間に幽閉したはず……いまだって確かにここに!!

 リオネッタは中空に指で円を描き、異空間への扉を開く。

 そしてその真っ暗な異空間のなかにはリオネッタの言葉通り、セリエとおぼしき女がいまもひざを抱えて座りこみ、幽閉されていた。

 ふいに顔をあげたその女の顔は、ブラットが見ても──いや、おそらくほかの誰が見てもやはり〝救世の聖母セインテス〟その人である。

 だが一方でその表情には、常に柔和な笑みを絶やさぬセリエと異なり、ふだん彼女が浮かべぬ意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 そして、そのことにリオネッタが気づいただろうその瞬間──

!?

 セリエらしき女のその顔は見る見るうちに形を変え、セリエとはまったくの別人──否、別の存在へとへんぼうをとげていく。

 全身からは焦げ茶の体毛、頭部からは獣耳、でんからは尾がそれぞれ生え、きばかぎづめが鋭くとがり、口が裂けるように広がった。

 気づけば、完全に人狼の姿へと変貌をとげていた。


「フハハハハ……バカがァ!! よく見ろオラだよ、おまえにボロぞうきんのように使い捨てられたワーウルフロードの弟だよ!!


 セリエに化けていたその魔物──魔王軍魔団長のワーウルフロード、ウル・ガルロフは勝ち誇ったようにそう言いはなった。

「……なぜおまえが!?

 状況をのみこめぬという様子で口をあんぐりと開けるリオネッタを見て、ウルは気をよくしたようにさらに哄笑をあげた。

「半信半疑の部分があったが……そこの王子の言葉を信じて正解だったぜ! リオネッタ……てめえのづらが見られたんだからなあ! どうだ、散々バカにして見下していた元配下にハメられた感想は!?

「……計画が、読まれていた?」

 いまだ状況を理解しきれぬ様子のリオネッタにいぶかしげな視線を向けられ、ブラットは肩をすくめながら淡々と説明する。

「リオネッタ……悪いがきみの情報を集めさせてもらった。きみがどんな魔法を使うのか、どんな策を講じるのかが俺には筒抜けだったんだよ。だからきみの幻惑魔法への唯一のカウンターになりうるセリエさんを守るため、こうして影武者を立てさせてもらった。これでじきにみな正気に戻り、王都中の騒ぎも落ちつくだろう」

 実際はリオネッタの情報は集めたわけではなく、前世のゲーム知識で最初から知っていただけだが、まあ似たようなものだろう。

『ファイナルクエスト』作中においても、リオネッタは〝ナイトメアミラージュ〟で国落としを計画したことがあった。そして現状この国でリオネッタの幻惑魔法に対抗できるとすればセリエだけ。だからセリエがねらわれることを見越し、対策を打ったのだ。

(……変身能力ってほんと便利だよな)

 ワーウルフロードがもしもこのままブラット軍団(仮)に入ってくれるようなら、これからいろいろとはかどりそうである。

『なんと……そういうことだったか!』

『すごい、殿下そこまで読んで!?

『さすがブラットさまデス♥♥♥』

 一転して嬉々とした声をあげる一同。

 リオネッタはみし、だがまもなく不敵な微笑を取りもどす。

「まさか……そこまで読まれているとは確かに想定外だわ。けれどそれはそれで問題ない。あくまでも〝ナイトメアミラージュ〟は一手にすぎないのだから。失敗したのなら次の一手を打つだけ」

 次の一手? とブラットはまゆをひそめる。

「貴方は聞いていなかったかもしれないけれど、王都の近くにあらかじめ大隊を待機させていたの。すでに魔物たちは王都へとなだれこみ、民をじゆうりんしているころでしょう。その証拠にこの魔石に王都中の民の魔力がどんどん集まって……」

 リオネッタは微笑とともにふところから拳大の魔石を取りだす。

 しかしその色を確認すると、けげんそうな表情をする。

「……ああ、そのことか」

 魔石をちらと見て、ブラットは思いあたる。

 非常に希少な鉱石なのでブラットも現世では見たことがないが、『ファイナルクエスト』作中では目にしたことがあった。

 その魔石──アダマンダイトは通常では漆黒なのだが、魔力を吸収するにつれて色が変わる性質を持っている。おおまかに黒、青、緑、黄、赤といった順に変化する。

 いまリオネッタの持つそれは青。

 民から魔力を吸収しているにしては不自然な色だった。王都中から魔力を吸収しているのなら、少なくとも緑──いや、黄に変わっていてもおかしくない。

「どういうこと……!? なぜこれだけしか魔力が集まっていないの!? まさか魔力の自動収束術式が間違っていた……?」

 自動収束術式──魔石がまわりにただよう魔力を自動的に吸収するようにと命令する魔法術式だ。これを魔石にほどこし、リオネッタは王都に発生した魔力を集めていたのだろう。そして魔石の色に変化が起こっている以上、その術式自体はしっかりと発動しているはず。

 つまりは思うように魔力が集まっていないのには、別の理由がある。

「……魔力が集まっていないのは、術式が間違っているからじゃないよ。そもそもこの王都に魔力がさほど発生していないんだ。なにしろ市壁内には魔物は一切入ってきていないはずだからな」

 まさか、とリオネッタは首を振る。

「……なにを言っているの? そんなはずがないわ。あの混乱状態だったのよ? 魔物たちの侵入を食いとめられるわけがない!」

 リオネッタはありえぬと視線を市門へと向ける。

 ふだんは大門のわきにある小門だけが開き、そこから内外の人々が出入りしているのだが、現在は大門が完全に開いている状態だった。

 これは剣舞祭当日だから開いているわけではなく、おそらくリオネッタが得意の幻惑魔法によって門衛たちをあやつって仕組んだことだろう。

 あの門には特殊な保護魔法がかけられており、ちょっとやそっとのことでは壊れないようになっている。たとえ魔王軍であっても、あの門を突破するのは容易ではない。リオネッタもそれを知っていたため、進軍に合わせて門を開けはなったのだろう。

 あの門がなければ、王都の守りは意外にもろい。

 さきほどまで王都中が混乱状態にあったことを考えれば、魔王軍の大隊が数少ない門衛を突破し、王都内に侵入するのは確かに容易なことだろう。

 だが王都内に魔物が侵入している様子も、そしてそれによって民が慌てふためいている様子も、門付近では一切見受けられなかった。

「ふだんのピシュテルであれば、無理だったろうな。だけどいまは、ふだんとは違うものが──世界最高戦力が集まっているだろう?」

 ブラットの言葉に思いあたったのか、リオネッタは〝レビテーション〟で自身の浮遊高度をあげ、市壁の外側へと目を凝らす。

 そして──


「……あれは!?


 魔物の大群と向かいあっているふたつの人影を見つける。

 ひとりは巨大な剣とともに悠然と立ちつくしており、もうひとりは長大なつえとともにあぐらをかき、ふわふわと宙に浮かんでいる。

「〝大賢人ワイズマン〟に、〝魔神殺しデモンスレイヤー!?

 それはまぎれもなく、闘技場から姿をくらましていたふたりの英雄、マーリンとグラッセその人に違いなかった。


    4


 ──王都フォールフラットの市壁の外。

 そのぼうばくとした草原地帯には現在、一〇〇〇にもおよぶ魔物たちの群れ──リオネッタが招集した魔王軍の大隊の姿があった。

 リザードマンやグールといった下級の亜人型モンスターだけでなく、有翼の魔獣パズズや巨大毒蛇バジリスクといった厄介なモンスターの姿も多数見られ、一見しただけで本気で王都攻略にきたのだとわかる大戦力だ。

 しかしリオネッタの指示を受け、王都へと進軍を始めたはずの魔物たちの脚は、いまぴたりととまっていた。


(いったい、何者なのネ……?)

 大隊を率いる魔王軍の魔団長ヴィエラ──美女の上半身に蛇の下半身を持つ半人半蛇のAランクモンスター〝ラミア〟──はいま困惑していた。

 突如ヴィエラたちの進軍を阻むように、奇妙な二人組が現れたからだ。

「まさか……本当に大隊がやってくるとはのう。ブラット・フォン・ピシュテル……わしでさえ見抜けなかった潜伏を看破するとは、どこまで見えておるのか底が知れん」

 ひとりは──呼吸をするかのような自然な魔力操作技術で宙にぷかぷかと浮かび、ぶつぶつと何事かつぶやいている魔術師らしきエルフの少年。

「ふわああ……ねむいなあ☆」

 そしてもうひとりは──身の丈ほどもある大剣を片手で軽々と持ちあげ、眠そうにあくびをする気だるげな長身の剣士であった。

「……、」

 相手はたったの二人だ。

 一〇〇〇もの魔物を擁するこちらの軍からすれば、取るに足らない存在。ふつうならば間違いなく無視して進軍していただろう相手。

 にもかかわらず彼らが眼前に姿を現した瞬間、魔物たちは驚くほど一斉に進軍をやめ、ぴたりと立ちどまってしまっていた。

 ヴィエラがそう命じたわけではない。

(なぜ……なぜ脚が動かないのネ)

 それは、本能だった。

 ヴィエラふくめ、魔物たちは自身の意思で──否、本能で立ちどまってしまったのだ。

 感じとったのだろう。

 眼前の二人組の異様なまでの存在感を。魔王軍最高幹部〝四魔将〟にも匹敵するのではと思わせるバケモノじみた魔圧を。

(バカらしい……そんなわけがないのネ)

 ありえない、とヴィエラは首を振る。

 魔王軍において〝四魔将〟というのは、次元の違う圧倒的な存在だ。そんな存在と同等の人間が、おいそれといるわけがない。

 しかも──

「グラッセよ、あの王子は本当に何者なのじゃ? 真に人の子か?」

「……」

「巨人討伐時や闘技場で見せたあの圧倒的な戦闘センス、そしてすべてを見透かすかのようなあの洞察力……やはり人の子とは思えぬのだがな。あのとしであの風格というのも、どうしても信じられん。天賦の才では片づけられぬと思わんか?」

…………

「これでもそれなりの時を生きたが、あのような規格外の人間は見たことがない。なあグラッセよ、おぬしはあの王子のことをどう見とるのじゃ?」

………………ふわぁぁぁ」

「ナチュラルに無視すなっ!!

 二人組は目の前にヴィエラたちがいることを忘れてしまったかのように、のんきにも漫才じみた掛けあいをしているではないか。

 緊張感の欠片かけらもない。

 ごちゃごちゃとつぶやくエルフの少年はともかく、剣士に至っては大あくびをする始末。これほどの魔物の大群を前にし、まるで昼下がりのティータイムのような様子である。

 このようなふざけたものたちが〝四魔将〟に匹敵する存在であるわけがない。

(だがいま、グラッセ……と言ったのネ?)

 エルフの少年は確かに剣士をそう呼んだ。

 かの〝魔神殺しデモンスレイヤー〟と同じ名である。

 そしてピシュテルにその男がよく滞在しているといううわさも耳にはしていた。

(……そんなわけがないネ。リオネッタさまも言っていたのだから)

 しかし、ヴィエラはぶんぶんと首を振る。

〝──わたくしが王都を魔法で混乱におとしいれるから、貴女たちはそのあいだに民を蹂躙してちょうだい。〝魔神殺しデモンスレイヤー〟がいたとしても、それはこちらで抑えこむわ。楽な仕事よ〟

 自分に声をかけてきたとき、リオネッタはそんなふうに言っていた。

 あの女は得体のしれないところはあるが、実力は疑いようがない。抑えこむと言ったからにはそれを有言実行しているはず。

「……ごめんごめん、小さすぎて気づかなかったよ☆」

「だ、だれがちびじゃ! そもそもわしの体が小さかろうとそうでなかろうと、声に気づく気づかないはまったく別問題であろう!」

「……ん? いやだから、小さいというのは声のことだよ? もちろん、きみが指でつまめるぐらいに小さいのも変えようのない事実だけど☆」

「あ、え……声のことじゃったのか?」

「そうだよ、被害妄想で勝手に勘違いして八つ当たりするのはやめてくれないかな~。きみは体だけでなく、器も小さいんだね☆」

「ぐぬぬぬぬっ、確かにおぬしの言うとおりじゃ……って、どさくさにまぎれて結局めちゃくちゃちびとバカにしとらんか!?

 二人組は相変わらず、間の抜けた漫才じみたやりとりを続けていた。

(……こんなアホどもが、泣く子も黙るあの〝七英雄〟のわけがないのネ)

 知恵ある魔物の子らは、幼少期から〝早く寝ないと七英雄にわれる〟だとか〝悪い子は七英雄にさらわれる〟だとか親に脅され、その恐ろしさを植えつけられて育つ。

 そんな神話のごときバケモノが、こんな間抜けなものたちのはずがない。

 おそらくあの二人組は酒に酔っているか、あるいはリオネッタの魔法で理性がふっとび、正常な判断ができぬまま戦場に出てきてしまった哀れなものたちといったところだろう。

 そうだ、そうに違いない。

「どうでもいいけど、眠いからぼくは寝ていてもいいかな☆」

「ドアホ、少しはやる気を出さんかい! あの王子に頼まれたときは自信満々に〝一匹も王都には入れないからまかせといて☆〟とかなんとか言っておったじゃろう! 有言実行せんか!」

「そうは言ったけど……正直、これぐらいならきみひとりで十分でしょう。そもそも冷静に考えると、ぼくって雑魚には興味ないから☆」

 ぴくり、と。

 聞こえてきた二人組のやりとりに、ヴィエラはまゆをひそめる。

(わちらのことを……と言ったのネ?)

 聞き捨て、ならなかった。

 自分はこれでも、魔王軍の魔団長なのだ。

 魔団長とは魔王軍のなかでも魔将の次点に位置する地位であり、一〇〇〇もの魔物たちが属する大隊をまかされている長である。弱肉強食の魔王軍において、無能では絶対にたどりつけない地位だと言える。

 そして連れてきた魔物たちも、血の気の多い精鋭ぞろい。どこの馬の骨ともしれぬ二人組にバカにされるいわれはない。

(ふんっ……あまりに行動がアホすぎたから、つい深読みをしてしまったのネ。雑魚がいったいどちらかをその身に教えてやるのネ)

 あのようなちんけな二人組ごときをなぜ恐れてしまっていたのか。

 ヴィエラは自分にいらちながら二人組を無鉄砲な間抜けと結論づけ、いまもなお歩をとめてしまっている魔物たちへと声を張りあげた。


「──動じるな、単なる間抜けな二人組ネ! 全軍……進撃!!


 ヴィエラがそう指示した途端。

 魔物たちは自身の仕事を思いだしたかのように武器を構え、ときこえとともに王都へと勢いよく進撃を再開した。

 一方、エルフの少年はそれに気づくと──

「おっと、仕事をこなさねばな──〝サモン・サーヴァント〟」

 短くそう唱えた。

 まるで第一位階の生活魔法を唱えるかのように気軽に唱えられたそれは、だがヴィエラがこれまで見たことがないほどの大気への魔力干渉力を見せる。

 びりびり、と。つい身震いしてしまいそうな張りつめた魔振動の直後。

 エルフの真下の地面に、巨大な魔法陣が浮かびあがった。

 そして一〇〇人単位の魔術師で行う儀式魔法のような規模のその大魔法陣から、まもなく一体の魔物が顕現する。

 空間を引きさくようにして現れたのは、一柱の神々しい巨人であった。

 雑多な血がまざって巨人としての血が薄まっていると言われるトロールやオーガとはまた違う。魔団長でも上位に位置した〝単眼の巨人〟に匹敵するきよを誇り、さらにその体には〝単眼の巨人〟を上回る圧倒的なあおく神々しい魔力をまとっていた。

「〝霜のフロストジ巨人ヤイアント〟……!?

 ヴィエラは一目でそうだとわかった。

 それはアイシクルマウンテンの巨人族が守り神とあがめる氷の上位精霊である。

「ひさかたぶりになるかのう。いきなりこのような騒がしいところに呼びだしてすまぬが、ちょいとこやつらを無力化してほしくてな。頼めるか?」

『……主の仰せのままに』

 エルフが巨人の肩に乗って命ずると、巨人はニヤリと口の端に微笑をきざみ、進撃してくる魔物の大群へと向きなおる。

 そして──

『──ぬんっ!』

 手始めとばかりに巨人は腰を落とすと、その巨体からは考えられぬ速度で腕をぶんっと振った。すると数十もの魔物たちの群れがたったの一振りでぎはらわれ、おもしろいようにふっとんで激しく地面にたたきつけられる。

 続けて巨人が二度三度と腕を振りまわし、最前線の魔物たちを一通り薙ぎはらってしまうと、それを見た後方の魔物たちがしりみしはじめる。

 そこで巨人は大きく息を吸いこみ──

『──〝アイシクルブレス〟』

 凍えるような氷の吐息を吐きだす。

 その吐息を浴びるやいなや魔物たちは氷漬けになり、そうまではならなくとも体の自由を奪われ、その場に次々と倒れてゆく。

(信じられぬ……フロストジャイアントをああも簡単に召喚し、使役するなんて!? やはりただの間抜けではなかったのネ!?

 動揺するヴィエラだったが、事態は待ってくれない。自分が隊の長なのだ。


ひるむな……! 巨人を無視して王都へと突きすすむのネ!!


 巨人を恐れて右往左往する魔物たちを奮起させんとそうげきをとばす。

 冷気耐性防具ふくめて専用の装備で対策をしてきているのならともかく、あの巨人をいま相手にするのは分が悪すぎる。

 王都はいま、大混乱におちいっているはずなのだ。

 一度王都にさえ入ってしまえば大勢の民がいるため、巨人もかつに手を出せなくなるはず。となれば、巨人を無視して突入するほかない。

 しかしヴィエラが一部の魔物たちとともにフロストジャイアントによる猛攻をくぐりぬけて王都の門前にたどりつくと──

「ふわぁぁぁ……抜けてきてるのか、まったく面倒くさいなあ☆」

 さきほどの気だるげな剣士があくびをし、棒立ちで待ちうけていた。

(ふっ……飛んで火に入る夏の虫ネ!)

 ヴィエラはニヤリと不敵に笑い、そのまま魔物たちと門へと駆ける。

 あの巨人相手ならばともかく、いまだ緊張感のないこの剣士相手に足をとめる理由はない。

 前方を駆ける魔物たちにもおびえた様子は一切なく、新たな獲物を見つけたというように威勢のいい声をあげながら、剣士へと襲いかかっていく。

 だがその直後──


「──〝絶対領域テリトリー〟」


 剣士は一言、そうつぶやいた。

 瞬間──ぐるり、と剣士のまわりに血の色に似た円形の魔力線が描かれる。

「魔物たちよ、引きかえしたほうが身のためじゃぞ。そこからさきは紛うことなき死地──やつのテリトリーじゃからのう……って遅かったか」

 エルフが巨人の肩でやれやれといった調子で肩をすくめるが、すでに最前線の魔物たちは剣士へと殺到してしまっていた。

 魔物たちの一団はそのまま剣士の〝テリトリー〟へと侵入し──

!?

 魔力線を踏み越えた瞬間、斬撃らしき無数のひらめきが視界を走ったかと思うと、目にもとまらぬ速さで細切れになった。

 同時に噴きあがる大量の飛沫しぶき

 さきほどまで威勢よく声をあげていた精鋭の魔物たちが、跡形もなくなるほどに斬りきざまれて肉塊となってしまった。

 たった一体で小さな村ぐらいであれば滅ぼせるとされるパズズやバジリスクといった上位の魔物たちもすべて、である。

…………っ!?

 ヴィエラはその惨劇を目の当たりにし、ギリギリでどうにか線を越える前に踏みとどまり、のけぞるように倒れこんだ。


「きみは……ギリギリだったね☆」


 剣士は返り血を舌でぺろりとめながら、ちらとこちらに微笑を向ける。

 さきほどまでと同じ微笑のはずなのだが、この男の起こした惨劇を目の当たりにしたいま、それは死神の微笑にしか見えなかった。

 あと少しでも前に出てしまっていたら、あの線を越えてしまっていたら、自分も眼前の魔物たちと同じように細切れの肉塊になっていたことだろう。

 そう考えるだけで、全身がしんから震えあがった。

(か、勘違いでは……なかったのネ)

 さきほど二人組を見たときの全身の震え。それは勘違いではなかったようだ。

 この二人組はやはり──

「貴様は……〝魔神殺しデモンスレイヤー〟、なのネ?」

「ん? そだけど☆」

「それでは、あっちのエルフは……もしや〝大賢人ワイズマン〟なのか?」

 そのたいの剣士──〝魔神殺しデモンスレイヤー〟グラッセ・シュトレーゼマンは、いまさらなにを言っているのかという顔でこくりとうなずく。

「それよりも、なんだかいらいらしてきちゃったなあ。だってきみたちのせいでブラットくんとの楽しい時間を邪魔されたわけだよね。そう考えるとやっぱり……きみたちは皆殺しでいいかな☆」

 変わらず軽薄な微笑でのたまうグラッセだったが、目は一切笑っていなかった。

 本気だ。

 あれは圧倒的高みから獲物を見下ろす捕食者の目。本気で一〇〇〇もの魔物を擁する大隊を皆殺しにしようと思っているものの目だ。

「こ……降伏するネ!」

 ヴィエラは慌てて立ちあがると、本能的にすぐにそう申しでるが、グラッセは「……降伏だって?」と眉をひそめる。

「おもしろいことを言うね☆ 考えてもみてよ。たとえばきみが道端で不快な害虫に遭遇したとしよう。それを始末しようとしたら、害虫がいのちいをしてきた。さあ、きみは耳を貸すのかい?」

 ヴィエラはごくりとつばをのむ。

 ぴりぴりとするほどのけたはずれの殺気が、グラッセの全身から発せられ、ヴィエラふくめた大隊全体に一瞬ででんする。

 死。

 死。

 死。

 おそらくヴィエラと同じく、大隊の魔物たちもみな本能的に察したことだろう。

 自分たちと眼前の男との生物としての圧倒的な格の差と、自分たちはこれからここでこの男に殺されるのだというゆるぎのない事実を。

 しかし──予期した惨劇は起こらなかった。


『──待ってください、グラッセさん』


 そんな声が剣士の行動を制したからだ。

 グラッセは動きをぴたりととめ、ふところから魔石を取りだした。

 声はその魔石から聞こえているようだ。

「ブラットくん……なぜとめるんだい? 人と魔物はどこまでいっても殺すか殺されるか、うか喰われるかだろう?」

『利用価値があります。できるかぎり生かしておいてもらえませんか?』

 魔石の声の主──ブラットにそう言われ、グラッセは悩むようにしばし動きをとめたあと、気を鎮めるように大きく息をつく。

 それから不満げながらも、

「……わかったよ。狩りに興味はないし、ブラットくんの頼みとあらばね。でも魔物なんて生かしておいてどうするつもりだい?」

『ありがとうございます! それは今回の件が片づいてから説明しますので』

 グラッセはやれやれといった調子で肩をすくめる。

 それから「……らしいよ☆」とヴィエラのほうに視線を送ってきた。

「おぬしたち命拾いしたのう」

 マーリンに愉しげにそう笑いかけられたところで、ようやくヴィエラは張りつめていた緊張から解放され、その場に崩れおちた。

 いまだ気力を残している数百もの魔物たちも、ほぼ同時にへたりこんだ。

(たす、かった……のネ?)

 これからどのような扱いを受けるのかは不明だが、眼前の男の気が変わらぬかぎりはこの場で殺されることはなさそうだ。

 あんするとともに、魔石の声の主への疑問が次第にいてくる。

「ブラット・フォン・ピシュテル……あのサイクロプスを討伐したというピシュテルの第一王子なのネ? いったい何者なのネ?」

 会議のときに最低限の情報は得ていたが、正直わざわざ魔将が出向くほどの敵だろうかと疑問だった。どうせ大したことがなく、すぐにリオネッタが仕留めるだろうと思っていた。

 だが眼前の正真正銘の〝七英雄バケモノ〟を味方につけ、彼らに言い聞かせられるほどの存在となると、それは過小評価だったと言わざるをえない。

「それはぼくも知りたいところだね☆」

「あやつは……人にしてはあまりに底が知れん。神か精霊かそれに近しいなにか、と言われたほうが個人的には納得ができるのう」

魔神殺しデモンスレイヤー〟と〝大賢人ワイズマン〟は、冗談とも本気ともつかぬ調子でそんなことをのたまう。

 ブラットという男は、魔将と同等の威圧感を放つこのバケモノたちにそうまで言わせる存在らしい。〝七英雄〟を超える存在だとすれば、つまりそれは眠りにつく〝魔王〟にも匹敵する存在ということになる。まだ少年というよわいのはずなのに、である。

(……会ってみたい。もしや……ブラット・フォン・ピシュテルこそが、わちがすべてをささげるべき真の御方なのかもしれないネ)

 魔物たちに全面降伏を指示しながら、一度も会ったことのないブラットに心からのけいの念を抱いてしまうヴィエラなのだった。


    5


「……さあリオネッタ、魔物たちは全面降伏したようだぞ。俺がすべてを守りきれたなら、きみは話を聞くと言っていたな?」

 ──ところ変わって、闘技場。

 グラッセとの通信を終え、ブラットはリオネッタにそう声をかける。

『ファイナルクエスト』作中でも、リオネッタは〝ナイトメアミラージュ〟と魔物の群れにより国落としを試みる。そのときを思いだすと、おおむね彼女の策はここらで打ちどめのはず。

(作中の流れだとここで戦闘になるが……さて、どうなるか)

 ブラットと作中主人公がリオネッタの陰謀を阻止した方法は、時期も過程も大きく違う。そういった違いが眼前のリオネッタにどのように作用するのかは、正直まったく未知数だった。

 本人も言っていたように素直にブラットの話を聞くのか、あるいはさらなる一手をひねりだしてくるのか、ブラットは目を細めてその動向を見守る。

!?

 そして次の瞬間、リオネッタが眼前から姿をくらました。

 逃亡を図ったのかと思いかけ、だがすぐに背後からの殺気に気づく。

(……なるほど、やるつもりか)

 振りむきざま短剣を突きだされ、ブラットはそれをギリギリで避ける。

 だがリオネッタの圧倒的なびんしようステータスによる刺突はあまりに鋭く、剣先がブラットのほおをかすめて鮮血が散る。

 それを見たリオネッタは口端をニヤリとりあげ、続けざまに剣を振るってくる。そのまま押しきれると踏んだのだろう。

 並の戦士ならば、実際リオネッタのこの猛攻には耐えきれまいし、それ以前にそもそも初撃で勝負は決まっていたはず。

 だがそんな猛攻を受けながらも──

(リオネッタの近接攻撃のコンボパターンはおおまかに五パターン……ぜんぶ頭に入っている。そしてスカイマウンテンでのレベリングのおかげで、能力的にもそれほど差はない。アルベルトのときよりもはるかに楽な仕事イージーゲームだ)

 ブラットは冷静だった。

 最初にかすめた一撃以降、リオネッタの剣は一度としてブラットには届かない。

 現状ブラットよりもリオネッタのほうがレベルは高く、やみの魔力の付与効果バフも乗っているため、ステータスは全体的に一段階上である。

 だがその程度の差であれば、ブラットには前世の『ファイナルクエスト』での豊富な経験と知識がある。次の攻撃がどのようなものなのか、そしてどのように来るのかわかっていれば、防御も回避も容易。力量差は十二分に埋められる。

うそ、すごい……あの魔将とほぼ互角だというんですの!?

『剣舞祭の試合を見て力をつけたのは知っておったが、これほどとは……!? 信じられん、短期間でどうやってここまで!?

『ブラットさま、すごすぎるデス♥♥♥』

 マリー、カストラル、ロジエがそれぞれ声をあげる。

 民からもきようがくとともに応援の声が次々と漏れきこえてきていた。

「ちっ、それならば──〝シャドウアバター〟」

 リオネッタは苦々しげな表情をしつつも、次なる一手に移る。

 単純な近接攻撃でブラットを下すことをあきらめたらしく、ウルとの戦いで見せた影分身などの魔法をまじえたトリッキーなコンボ攻撃を次々と繰りだしてくる。

(……同じことだ)

 これまで無数の敵を薙ぎたおしてきただろうリオネッタのコンボ攻撃は、しかしブラットにはまったくと言っていいほどに通用しない。これまでと同様に冷静にそのすべてを読みきり、回避と防御で確実にさばいていくだけだった。

 するとブラットの実力が想像以上でリオネッタも焦ったのだろう。

『ファイナルクエスト』作中の戦闘でHPが半分まで減少したときにのみ繰りだしてくるコンボ攻撃まで放ち、ブラットに猛攻をしかけてくる。

 だがブラットは民に被害が及ばぬように〝レビテーション〟で空中戦に持ちこみつつ、リオネッタの猛攻を余裕を持ってしのぎつづけた。

 そして、バトルマンガのごとき激しい空中戦をしばし演じる。

 だがリオネッタはついに、ひととおりのコンボパターンを吐ききってしまったらしい。肩で息をしながら、中空でぴたりと動きをとめた。


「──」


 ブラットとリオネッタ──『ファイナルクエスト』作中で因縁のある二人は、地上数十メートルでふたたび向かいあう。

 しばし無言の時間が続いたあと、

「……信じられないわ。まさか策だけでなく攻撃さえも読むと言うの? ブラット・フォン・ピシュテル……貴方は何者? かの国の〝鉄血宰相コールドミニスター〟にさえ、ここまで読まれはしなかったのに」

「何者と言われても、この国の第一王子としか言いようがないな」

 ブラットはとぼけるように肩をすくめる。

 この世界にもりん転生の概念はあるが、事情を説明しても信じてもらえるとは思えない。適当に流すのがベストだろう。

 それより、と地上へと視線を送ると──

『ご無事ですか、陛下?』

『おお、おまえたちか。大丈夫だ、ありがとう』

 気づけば貴賓席には、大勢の魔法騎士が駆けつけていた。

 セリエが〝ナイトメアミラージュ〟の効果を抑えこみ、これまで暴徒に手間取っていたものたちが闘技場に集結しつつあるのだ。

「……戦力も集まってきた。リオネッタ、きみに勝ち目はない。観念して話を聞くんだ。俺ならきっと、きみの妹を助けられる」

 ブラットが手を差しだすと、リオネッタは口を開きかけ──だがなにか言いあぐねるように動かしたあと、口をつぐんでしまう。


「信じ……られるわけがないでしょう」


 ブラットの手をしばし見つめ、苦しげにうめいて首を振る。

「……これまで散々裏切られてきた。尽くした国にも、その後に出会ってきた人間たちにもね。もう間違えるわけにはいかないの」

 その顔には、なにか切実で悲痛な感情がにじみでていた。

(……根深い、な)

『ファイナルクエスト』では詳細に描かれなかったが、リオネッタはこれまでにあまりに多くの人間に裏切られすぎているのだ。だからこそ自分や妹以外の存在を信じず、利用するだけ利用して捨てるような扱いをするようになってしまったのだろう。

 そもそも敵対関係にある自分がこのようなことを言えば、わながあると考えるのが自然。

 言葉だけで信じてもらうのは容易ではなさそうだ。

(だが糸口は……ある)

 一方でリオネッタは不利な状況になりつつも、この場から離れる様子がない。

 こちらに増援が来れば来るほどに逃走が困難になることはあきらかなのに、そのリスクを負ってでもこの場にとどまりつづけているのだ。

 それは少なからず、ブラットを信じたい気持ちがあるから──本当に妹を救ってくれるのではないかと期待する気持ちがあるからだろう。

 ブラットは思考をめぐらせ、

「……そこまで疑心暗鬼になっているにもかかわらず、ベルゼブブのことを信じているのはなぜだ? やつは邪悪な存在だ。やつがきみの妹君ののろいを解くとなぜ信じられる? 自分で言うのもなんだが、俺のほうがまだ信用できると思うがな」

 リオネッタはなにか迷うような仕草で視線を泳がせたのち、

「それは……ベルゼブブが〝剣の誓いソードコントラクト〟を結んでくれたから」

 そんなことをつぶやいた。

(……そういえばそんな設定だったか)

 ──〝ソードコントラクト〟。

 それは魔法契約のなかでも、とりわけ高度で拘束力の強い契約。

 実体のない魔剣を胸に刺し、もしも契約をやぶればその魔剣が実体化し、胸を実際につらぬくことになる命がけの魔法契約だ。

 確かにそんな契約を交わしたのなら、いかに邪悪なベルゼブブでも信頼してしまうのも無理はない。実際はベルゼブブは特異体質で命をかけてはいないのだが、現状リオネッタがそれを知る由もあるまい。

 とにもかくにも、リオネッタの信用を勝ちとるには命をかけるぐらいのことをせねばならぬことがあきらかになったわけである。

(……なんだ、簡単なことじゃないか

 ブラットはそんな困難な事実に直面しながらも、不敵な微笑を浮かべる。

 そしておもむろに剣を収めると、


「ならば……俺にも誓いの剣を刺せ」


 短くそうのたまった。

 リオネッタはなにを言っているのかという顔で目をぎょっと見開く。

「命を……かけると言うの?」

 おそるおそるそうたずねてくるリオネッタに、ブラットは一瞬の迷いもなく「ああ、そういうことだ」とうなずいた。

 リオネッタはキッとまゆを吊りあげ、

「て……適当なことを言わないで!! 妹の呪いは……これまでにどれだけ試行錯誤しても解けなかったもの。そんな強固な……解ける確証のないものに、軽々しく命をかけるですって!? そんなこと……ありえるわけがないわ。なにをたくらんでいるのかしら?」

 短剣の切っ先をまっすぐこちらに向け、首をかしげてくる。

 平静をよそおっているが、声はわずかに震えていた。

「こちらが有利な状況なのに、なにかをたくらむ理由がない。ただ、きみの信頼を勝ちとるにはそれぐらいせねばと判断しただけだ」

 リオネッタはそんなブラットの言葉をしやくし、精査するように黙りこむ。

「確かに……有利な状況にある貴方が、わざわざなにかをたくらむ理由は思いつかない。一方で、リスクを冒して妹を救う理由も思いつかない。そこはどう説明するつもりかしら?」

「救えるものは救ったほうがいい。きみとこのまま本気でやりあえば間違いなく死者も出る。避けられる不幸は回避したい。それだけのことだ」

 ブラットはまっすぐにリオネッタを見据え、素直におもいを伝える。

 ブラットがこの場を〝七英雄〟にまかせなかった理由もそこにあった。

〝七英雄〟が二人もいれば、リオネッタは打倒できる。

 一方で〝英雄〟と〝魔将〟が死力を尽くして戦えば、民への被害は避けられない。事情を知っているブラットが説得できるのなら、そのほうが被害は抑えられると踏んだのだ。

 リオネッタはふたたび黙りこみ、まるでこの世の存亡がかかっているかのような気難しい顔で思案のうなり声をあげる。

 結局最後まで思考はまとまらない様子だったが、

「……ふんっ、いいわ。契約を結びましょう。こちらに不都合はないもの」

 しばしあって半ば投げやりにそう言った。

 こちらの思考は理解できないながらも、冷静に考えて契約を交わしたところで自身にデメリットはなにもないと判断したのだろう。

「……ありがとう!」

 ブラットがあんとともに満面の笑みを向けると、リオネッタはほんのわずかにほおを赤らめ、ばつが悪そうに視線をそらす。

「いいから……さっさと契約しましょう」

 さっそく契約の準備に入る。

 リオネッタは魔力を全身からあふれさせ、見事な魔力操作技術でそれを右手へと収束させると、一瞬で半透明の魔剣を生みだした。

 これほどの早さでかんぺきな魔力媒体を生みだすとはさすがの実力だ。

 ブラットが感心しているあいだに、リオネッタは自身の指を手慣れた様子でみきり、魔剣へとぽたりと血液を垂らした。

「……貴方の血も、いただけるかしら?」

 ブラットへと剣を差しだしてくる。

 その動作がブラットに剣を突きつけているように見えたのか、地上の民が悲鳴をあげた。

(さっさと済ませたほうがいいな)

 邪魔が入る前にと急ぎながら、ブラットはリオネッタがしたのと同じように自身の指を噛みきると、その手を前へと差しだした。

 ぽたり──と。

 ブラットの血が落ちた瞬間、魔剣は紅の光を放った。

 素直に契約準備を進めるブラットをいまだにどこか疑わしげにながめながら、リオネッタがごくりとつばをのみくだすのが見えた。

 契約のためのいくつかの問答のあと──

なんじ……ブラット・フォン・ピシュテルは我が妹アリエッタ・ブルーネルをむしばむ眠りの呪いを解くことをこの剣に誓うか?」

「誓おう」

 ブラットがそう答えた瞬間、剣がその誓いを聞き届けたとでも言うように、これまでよりさらにまばゆい光を放った。

 契約の準備が整い、リオネッタは剣をこちらに向けてゆっくりと構える。

「本当に……いいのね?」

「無論だ」

 一切迷いなく答えるブラットをやはりいぶかしんでいる様子だったが、考えてもしかたないというように首を振る。

 そして直後、剣を勢いよく突きだし──


「──ッ」


 ブラットの胸をまっすぐ刺しつらぬいた。

 痛みは──なかった。

 異物が胸に入りこみ、違和感と息苦しさがある程度だ。しばしあって剣はじわじわとその刀身を透過させ、跡形もなく消えさった。

「……契約、成立だな」

 ブラットは満面の笑みで言う。

 一方でリオネッタは、ありえないという表情でブラットを見ていた。

「まさか、本当に契約を結んでしまうなんて……!」

 そんなことを言いながら口をあんぐりと開けている。

 どうやら最後の最後まで信頼されていなかったらしい。

「……平和的に解決できるのならそれが一番。それだけのことだろう。俺は誓いを必ず果たすから、実質ノーリスクだしな」

 ブラットは微笑まじりに肩をすくめた。

 ノ、ノーリスクなわけがないでしょう!? と声を荒らげるリオネッタ。

「アリエッタには高位の治癒魔法も高級なポーションも効かなかった……不治ののろいにかかっているのよ!? それをたかがかた田舎いなかの王子ごときがどのように救うと言うのよ……!?

 リオネッタは、ブラットの行動にやはり疑問しかないらしい。

 ブラットからすれば、『ファイナルクエスト』作中でリオネッタの妹──アリエッタがどのように呪いを解いたかを知識としてすでに知っているため、かぎりなくノーリスクなのは間違いないのだが。もちろんゲームと違った場合は、そのかぎりではないが。

「えっと……まあ確かに、この世に絶対なんてないものな。でも万一無理だったら、そのときは俺が死ぬだけだ。問題ない」

 ブラットは冗談まじりに言い、貴公子の微笑でごまかそうとする。

 だがリオネッタはそんなブラットの返答をどう取ったか、まるで激痛を必死にこらえているかのような泣きそうな表情をする。

「い……意味がわからないわ、貴方おかしいわよ。大して知りもしない人間のために軽々しく命をかけるなんて……! わたくしたちのようにずっと暗部で生きてきた人間ですら死は怖いというのに、貴方はそれが怖くないというの!?

 ブラットはわずかに焦りながら、

「俺だって……死ぬのは怖いさ。だが死ぬよりも嫌なことというのもあるだろう。救える人間は救うというのが俺の流儀でね」

 偽善者じみた流儀をでっちあげて気取った調子でそう述べてみるが、それでもリオネッタは納得できぬと首を振っていた。

 このまま話を続けるとボロが出そうだ。

「……コホンッ、とにかくきみはいままでひとりでがんばった。若くして魔物たちの集団のなかに身を置くのは、つらいこともあったろう。あとはぜんぶ俺にまかせてくれればいい。俺を信じたことを絶対に後悔させはしない」

 ブラットはどうにかごまかそうと畳みかけ、リオネッタの肩に手をおく。

 するとそれがリオネッタの感情をあふれさせる引き金となってしまったらしく、彼女は感極まった様子でくしゃりと破顔する。

「そ……そういうことは実際に妹を救ってから言ってちょうだい」

 だがすぐにそれを隠すように顔を背けた。

 ようえんで大人びて見えたそのひとみのふちに、大きな水滴がにじむのが見えて、変に焦っていたブラットはハッと冷静にさせられる。

(……そうだよな、本当につらかったんだろうな。俺が考えているよりもずっと)

『ファイナルクエスト』においては残虐な部分ばかりがされていたが、彼女も弱いところを持ったひとりの人間にすぎないのだ。前世ではびんなヒロインを推しがちだったこともあり、彼女の生涯を考えるとつい同情してしまう。

「……そうだな、まずは救ってからだな」

 ブラットはいたわるような声音で言い、泣き虫だった前世の妹のことを思いだしながら、そっとリオネッタの頭をなでた。

 リオネッタはそれを受けいれるでも拒むでもなく、顔をぷいと背けていた。

 しばしあってブラットは手をたたき、

「よし……さっそく二人でフレイムマウンテンに出向くとしよう。俺は空間転移の心得がないんだが、俺を連れて転移できるか?」

「フレイムマウンテン? できるけれど、そこになにがあるというの?」

 首をかしげるリオネッタに、

「簡単に言えば……特効薬、だな。多少のリスクは負う必要があるが」

 ブラットは悪戯いたずらな笑みを浮かべた。


    6


 王都での説得後、リオネッタの妹アリエッタの解呪はとんとん拍子で進んだ。

 それもそのはずである。ブラットにとってこの世界は、既プレイのゲームのようなもの。むしろ詰まるほうがおかしいだろう。

 流れは単純だった。

 このレードス大陸には、東西南北に四つの巨大な山脈が走っている。

 それぞれ炎水風地の四大属性をつかさどっており、『ファイナルクエスト』作中ではメインイベントが発生するダンジョンだ。

 そのうちの一つが、今回ブラットがリオネッタとともに訪れた炎属性をつかさどる〝フレイムマウンテン〟なのだった。

 そしてそのダンジョンの深部──火口付近の隠し部屋に〝幻の霊鳥〟と呼ばれるSランクモンスター〝フェニックス〟が鎮座している。

 討伐時にそのフェニックスがドロップする〝不死鳥の涙〟こそが、『ファイナルクエスト』作中でアリエッタの呪いを解いた世界最高峰の万能薬なのだ。

 ブラットは『ファイナルクエスト』での記憶を頼りにサクサクとフレイムマウンテンを攻略し、フェニックスのもとに到着。

 そしてフェニックスに事情を説明し、〝不死鳥の涙〟を譲ってもらえるように頼んだものの、フェニックスはとかく人間嫌いで気位の高いモンスター。「このものが!」という原作通りの台詞せりふとともに襲いかかってきて、戦闘に入ったのだった。

 結果はもちろん、こちらの勝利。

 なにしろこちらは原作終盤のレベルとステータスのブラットと、それ以上の強さを誇るボスキャラクターのリオネッタだ。

 原作で中ボス的な立ち位置にすぎないフェニックスに負けるわけもない。

 その後、ブラットは冷静になったフェニックスにあらためて協力を願いでて、無事に〝不死鳥の涙〟の入手に成功するのだった。


「こっちよ」

 ──そして、現在。

 ブラットはリオネッタに導かれ、とある寂れた教会に来ていた。

 人里離れた岬に建つその教会には人影は一切なく、代わりに武装した魔導人形が何体も配置されていた。留守のあいだこの教会を守らせていたのだろう。

(……すごい厳重だな、トラップもあちこちに張りめぐらされてる)

 そんな教会の様子をながめながら、ブラットはリオネッタとともに礼拝堂の奥部にある地下の隠し部屋へと入っていく。

「……!?

 そして広がった部屋の光景に目を見開く。

 そこはまるで、一国の王女か大貴族の令嬢のために設えられたかのようなしようしやな一室だった。

 調度品はどれも白を基調とした上品でかわいらしいデザインでそろえられていて、すべて一流の職人に特注で作らせたものなのだろうことがうかがえる。

「……驚かせてしまったかしら? 妹は昔からお姫さまにあこがれていてね。せめて部屋だけでも願いをかなえてあげられたらって」

「妹君を本当に大切に思っているんだな」

「たったひとりの家族だもの」

 リオネッタはくすりと微笑でこたえ、「それはともかく」と部屋中央に鎮座するてんがいつきのベッドへと歩みよった。

 カーテンを開けると、そこに眠っていたのは美しい少女だった。

「……」

 まだあどけなさが残るその少女に、ブラットは現世で覚えがあった。

 よわい十かそこらのその少女は、リオネッタがふだんから肩に乗せている魔導人形と同じ容姿なのだ。

 実はリオネッタは妹が眠りについて以来、妹を模したその魔導人形を作りだし、常に自身のそばに置いていたのだった。

 リオネッタはアリエッタへと歩みよると、慈しむような表情で見下ろしながら、その小さな手をぎゅっと握りしめる。

 ブラットはそんな姉妹の様子をながめながらベッドへと歩みより、ふところから〝不死鳥の涙〟の入った小瓶を取りだした。

「……」

 リオネッタは不安げな表情ながらも、ブラットにアリエッタのそばを譲った。

〝ソードコントラクト〟を立てたことで少しは信用してもらえたようだが、それでものろいを解けるのかという不安がぬぐえないのだろう。

「……」

 ブラットは安心させるようにリオネッタに微笑ほほえみかけ、ベッドのわきに立った。

 そして小瓶のふたを開け──


「──〝メディケーション〟」


 そう唱えた。

 瞬間。小瓶のなかの〝不死鳥の涙〟がまばゆい生命の輝きを放ち、きらめく粒子となってアリエッタへと降りそそいだ。

 ──〝メディケーション〟。

 それはおもに人の治療のために使われる第四位階魔法。

 ポーションといった液状の薬品を気化させ、それを体に直接浸透させる魔法だ。ポーションを効率的に使ったり、今回のように意識のない患者に使ったりするときに重宝する。

「……」

〝不死鳥の涙〟の粒子に包まれると、アリエッタの顔がもんにゆがむ。

 まもなくジュワッ! と水分が蒸発するような音とともに小柄な体からにじみでてきたのは、黒い霧のような魔力だった。

 それこそが呪いの〝根〟だ。

 あふれだす邪悪な魔力とともに苦悶のうめきをあげるアリエッタを見て、リオネッタが慌ててブラットに視線を送ってくる。

「……大丈夫だ、すぐに終わる」

 ブラットは力強くうなずきかけた。

 その言葉通り、しばしあってアリエッタの体から呪いの〝根〟は出尽くしたらしく、その表情が安らかになっていく。

「アリエッタ……?」

 リオネッタはおそるおそるそう声をかけ、アリエッタの体をそっとゆする。

 そして──


「んんっ……」


 息が詰まるような静寂がしばし流れたあと、ついにその瞬間が訪れた。

 アリエッタののどから漏れるか細い声。

 それにリオネッタは信じられぬと首を振り、これまでまりに溜まった感情の奔流をぐっと抑えこむように歯を食いしばった。

「……、」

 まるで物語の新たな幕が上がるかのように、アリエッタはそのつぶらな瞳をゆっくりと開け、それをリオネッタに向けた。

 その眠りが呪いに起因するものだったからだろう。

 眠たげな様子はなく、はっきりとリオネッタのほうを見やり──

「……おねえ、さま?」

 絞りだすようにつぶやいた。

 たったそれだけの言葉で、リオネッタの感情のダムは決壊してしまったらしい。

 リオネッタは妖艶で人を寄せつけないそのぼうの面差しをくしゃりとゆがませ、こらえきれぬえつをもらしながらアリエッタを抱きしめた。

 言葉は、なかった。

 姉妹はただただ無言で抱きしめあい、決して離れようとはしなかった。

 それこそ永遠にも感じられるほどの時間、まるで引きさかれていたその時をいま埋めあわせているように、二人はひしと抱きしめあった。

(……自分のため、だったはずなんだけどな)

 あくまでも自分の死亡エンド回避のための行動だったはずなのだが、このような場面に立ち会うとさすがにじんと来てしまう。

 固いきずなに結ばれた姉妹愛を見せられ、胸が熱くなるブラットだった。


    7


「……」

 しばしあってリオネッタは落ちつきを取りもどし、あらためて妹の無事を確認すると、ブラットへと向きなおって深々と頭をさげてきた。

 プライドの高そうな彼女からは想像もできないぐらいに深いお辞儀だった。

「……契約を果たしただけだ」

 ブラットは気安い調子で言うが、リオネッタは顔をあげない。

「わたくしは貴方の国や民……そして貴方自身の命さえ脅かした。にもかかわらず、貴方はそんなわたくしに手を差しのべてくれた。メリットなんかなにもないのに命までもかけて、この子を救ってくれた。感謝してもしきれるものではないわ」

 いやメリットはあるんだがな、と内心でツッコむブラット。

 なにしろ『ファイナルクエスト』作中で、ブラットをやみちさせるのはリオネッタその人なのだから。つまりはここでリオネッタと和解することで、ブラットは死亡エンドから大きく遠ざかる。それをメリットと言わずになんと言うのか。

(いいように勘違いされるならいいが……まあ和解できてよかった)

 これでひとまず、直接的な死亡フラグは回避できただろう。

 だがブラットが胸をなでおろしたのもつかのま──

「なんにしろ貴方は今回で対外的にはわたくしを……魔将を退けたことになる。ベルゼブブが放っておくとは思えないし、各国も貴方を要注意人物としてマークしてくることでしょう。なかには刺客を差しむけてくるものもいるはず。貴方なら大丈夫とは思うけれど気をつけて」

「え……」

 全然大丈夫じゃないんですけど!? と内心で絶叫するブラット。

 確かにいまのブラットは、対外的に脅威だろう。死亡エンドを回避せんと行動していたつもりだったのに、魔王軍や各国にマークされて刺客まで差しむけられるとなると、むしろ『ファイナルクエスト』よりも死亡エンドに近づいてしまっているではないか。

(いや、でもまあ……)

 代わりにこうして美人姉妹の笑顔が見られたのだ。

 そう思えば悪くはな──いや悪いのだが、納得できなくもないだろう。

 なんだかんだブラットも順調に力をつけているし、ブラット軍団(仮)の戦力も現在進行系で整いつつある。たとえ危険な状況におちいったとしても、よほどのことがなければゲーム知識とあわせて乗りきれるはずだ。

 そして戦力と言えば──

「リオネッタ、きみはこれからどうする? 妹君の呪いが解けた以上、もう魔王軍に協力する必要もなかろう? 抜けるのか?」

 リオネッタは考えるようにあごに手を当て、

「……そうね、抜けさせてもらうわ。ただ、〝裏切り者には粛清を〟……が魔王軍のおきて。いずれはここにも追っ手が差しむけられるはずだから、一度どこか別の場所に身を隠すつもりよ」

 アリエッタの身の安全を考えると、確かにしばらく身を隠すのが得策だろう。

「なら……ほとぼりがさめるまでスカイマウンテンに行くのはどうだ?」

 思いたって、ブラットはそう提案する。

「スカイマウンテン?」

「ああ、実はそこに俺がテイムした魔物たちがちょっとした拠点を築いている。サイクロプスが根城にしていた神殿の跡地だな」

 スカイマウンテン一五階層には、神殿のごとき建造物があった。魔物たちにはレベリングでの自身の強化とともに、その改装も命じていたのだ。元々人間が住めるつくりだったので、身を隠すにはもってこいのはず。

 それらのことを掻いつまんで伝えると、リオネッタはしばし悩み──

「確かに……魔王軍はスカイマウンテンを現状で放置という方針。あまり人も来なさそうだから、そうさせてもらおうかしら……?」

「そうするといい、物資は手配するぞ!」

 ブラットはさわやかな微笑を浮かべながらも、内心でニヤリとほくそ笑む。

 ブラット軍団(仮)にリオネッタを引きいれられれば、大幅な戦力強化だ。

 そうでなくとも、リオネッタに魔物のレベリングの相手をしてもらうだけでもメリット大。つわものとの戦闘で取得できる経験値は膨大で、レベルもあがりやすいからだ。

「アリエッタ嬢、きみもそれでいいかな?」

 ブラットは念押しとばかりに、リオネッタの後ろでこちらをこっそりとのぞきこんでいるアリエッタに微笑ほほえみかける。

 するとアリエッタはほおにして、慌ててこくこくとうなずいたあと、リオネッタの後ろにまた隠れてしまう。

 リオネッタはあらあらと肩をすくめた。

「嫌われたかな?」

「逆、ですわね」

 逆? と首をかしげるブラット。

 リオネッタはアリエッタの頭をよしよしと優しくなでながら──

「さきほども言ったけれど……長いあいだ暗部で生きてきたこともあって、この子は昔から王子さまやお姫さまにあこがれていたの。こんなきらきらした王子さまが自分を救ってくれたとなれば、女の子として気になってもしかたがないわよね?」

「んんっ……! おねえさま、おっしゃらないでってゆったのにい!」

 唇をあひるのようにとがらせて頬を膨らませるアリエッタだったが、リオネッタはその頬をつんと指でつぶしてフフフと笑う。

「このようなかわいらしいお姫さまに憎からず思っていただけるとは光栄だな」

 ブラットはアリエッタをひょいとのぞきこみ、穏やかな微笑を向ける。

 するとアリエッタはこれ以上ないほどに顔を真っ赤にして、リオネッタの背に顔を埋めてしまった。対話拒否である。

 このぐらいの年頃の子どもというのは、反応がオーバーでかわいらしいなとニコニコとそんな様子をながめるブラット。

 リオネッタはそんな二人のやりとりを微笑ほほえましそうに見つめ、

「とにかく、お言葉に甘えてひとまずスカイマウンテンに身を隠させてもらうわ。貴方にはさらに借りをつくることになるけれど」

「気にするな、乗りかかった船だ」

 そんなふうに話がまとまったそのとき──

「……!?

 ブラットの手が、急に熱を帯びた。

 気づくと、〝魔物使いの指輪〟から光が漏れていた。テイムした魔物のだれかが連絡をしてきたのだろう。

 誰だろうと思いながら、交信に応じると──


『──ブラットさマ、聞こえまスでしょうカ』


 聞こえてきた声は人間にしてはたどたどしく、すぐに誰かわかった。

 アンデッドロードのロード。ブラットがテイムしたスカイマウンテンの一〇〇体の魔物のうちの一体で、暫定的に指導者をまかせた魔物だ。

(おお、そちらは順調か?)

『ブラットさまのご指導のおかげで、みな順調に実力をつけておりまス。進化した我が軍をお見せするのが楽しみでス! 魔王軍の大隊程度であればいつしゆうできる力はつけておりまスゆえ!」

 さすがにこの短期間でそれは言いすぎだろうとは思いつつも、(おお、それはよかった)とブラットはおうようにうなずき、

(あと拠点の改装は進んでいるか? しばらくのあいだになるが、二人ほどそこに客人を住まわせたいと思っているのだが)

『おお、お客人でございまスか! かんぺきとまではいきませぬが、猫人族ケツトシーの手を借りてれいになっておりまス。ブラットさマの客人とあらば精一杯もてなしまスので、いつでもお越しくださイ』

 ロードたちについては、ミーナを通して猫人族に最低限は説明しておいたのだが、どうやら友好関係を築けたようでよかった。

 デルトラ半島の一部で例があるとはいえ、魔物と人間がそういった関係を結ぶのは珍しいことだ。ミーナが長を務めているので、うまく取りはからってくれたのかもしれない。

(ありがたい。それでは後に二人が訪れたら、そのときは手厚く頼む)

『ハッ! おまかせください!』

 威勢よく返事をするロード。

 だがそこでハッとなにかを思いだした様子で、『それはともかク……!』と続ける。

『ダストリアとエルネイドの近況についてでございまスが……斥候として調査していたシャドウから、さきほど報告がありましテ……!』

 言われて、大事なことを忘れていたと思いだす。

『ファイナルクエスト』作中において、〝四魔将〟ベルゼブブはダストリアとエルネイドの両国に裏で手をまわし、なかたがいをさせることで戦を起こした。その戦がこの世界でも起こるのか否か、配下の魔物に様子を見に行かせていたのだ。

(両国はどんな様子だった……と?)

『それが実は……』

 ロードは少し言いづらそうに、シャドウの調査結果を報告しはじめたのだった。