二話 黒豚王子は出場する



    1


 ──ある日の放課後。

 ウィンデスタール魔法学院、第三演習場。

 演習場のなかでもひときわ大きいことで知られるその場所では、けんさいが近いこともあって多くの生徒が剣術や魔法の鍛錬に励んでいた。

 そのなかにブラットの弟、アルベルト・フォン・ピシュテルの姿があった。

 大きく陣取って側近のディノと激しく剣を打ちあわせ、試合形式のけいで剣舞祭に向けた最終調整を行っているところだった。

「はあっ!」

 演習場に響くアルベルトの気合いの声。

 アルベルトが声とともにディノの剣を勢いよく押しかえすと、同時にディノは後ろによろめき、体勢をわずかながら崩した。

 その隙をアルベルトは見逃さない。

 次の瞬間には、アルベルトの剣の切っ先はディノの喉元に突きつけられていた。

 勝負あり、である。

「お……お見事ッス」

 突きつけられた剣を見つめ、ディノはごくりとつばをのみくだす。

 アルベルトが身をひるがえして剣から血を払うような仕草をすると、まわりの生徒たちから歓声とともに拍手が起こった。

 優勝候補であるアルベルトを敵情視察に来ている剣舞祭出場者たち、そして純粋なアルベルトファンの令嬢たちが観戦していたのだ。

「……今日は終わりだ」

 アルベルトは観戦者たちをちらと横目に見て、ディノにそう告げた。

「え……剣舞祭が近いっていうのに、もう終わりでいいんスか!?

「終わりだ、二度言わせるな」

 アルベルトが鋭く目を細めると、ディノはヒッとおびえたように一歩後ずさる。

 も、申し訳ないッス! と慌てて頭をさげるディノをいちべつしたのち、アルベルトはさっさと演習場の出口へと足を向けた。

 しかしその途中──

『アルベルトさま……今日もしいわ。剣術もえわたっているようですし、やはり剣舞祭もアルベルトさまが優勝かしら?』

『しかしさいきんはブラットさまも負けていませんことよ。この前はアルベルトさまが苦戦した魔物を見事討伐なさったそうですし!』

『確かにブラットさまもがんばってらっしゃるわね。かくいうわたくしもブラットさま派ですもの。陛下に似た褐色の肌がものすごく神秘的でいらしてお顔もとにかくお美しく、それでいて令嬢に紳士的なご対応をなされていたものだから推せますわ♥』

『わかりますわ。貧民や平民に向けた〝身を切る改革〟と言い、ブラットさまは万人にお優しいかたですわよね。以前とは人が変わったよう。そういえば、ブラットさまに広場で救っていただいたかたたちを中心に親衛隊も結成されたそうですわよ』

『まあ! わたくしもぜひ参加したいわ♥』

 生徒たちのそんな会話が耳に届く。

(くっ、なぜだ……)

 アルベルトは生徒たちに貴公子の微笑を向けつつ、内心でみする。

 今日は剣舞祭が近いこともあって、ディノの言うように長時間鍛錬に励む予定だったのだ。

 しかしそれでも鍛錬を中断したのは、ときおり聞こえてくる観戦者の会話に心を乱されてしまったからだった。

(なぜ……兄上が評価されているのだ!?

 アルベルトは内心で叫ぶ。

 ついこの前までは〝黒豚〟とバカにされ、自分の引きたて役でしかなかった兄ブラット。それがこそこそと人々の機嫌とりに動いていたせいか、いつのまにか人々に認められ、自分と比べられるほどになり、さらには自分よりも評価されつつあるではないか。

 それも一部の人間の話ではないのだ。

 この学院の生徒だけにとどまらず、宮廷の人間や民衆にいたるまで、ブラットを再評価しようという空気になりつつあるのだ。

 意味が、わからなかった。

 ブラットは散々これまで高慢な立ち居振るまいをしてきのだ。

 それがこの二ヶ月弱のあいだ少し改心したように振るまっているだけで、人々のこの見事なまでの手のひらがえしはどういうわけだと思う。

(……認めざるをえないのか、その手腕を)

 演習場を出たところで壁に手をつき、うなだれるアルベルト。

 ブラットは〝黒豚〟と呼ばれてバカにされていた最底辺の状況から、たった二ヶ月弱で劇的な変化を遂げて民心を掌握しつつあるのだ。

 私財をなげうって教育や医療事業に投資をすることで〝身を切る改革〟として民衆の注目を集めはじめた当初は、アルベルトもいまさらそんなふうに民衆にびを売っても遅いと小馬鹿にしていたのだ。もはやその悪評に取りかえしはつくまいと。

 しかし、民衆とは現金なもの。

 ブラットがどこからか集めてきた膨大な資金をふんだんに追加投資しつづけると、疑心暗鬼だった民の心はいつしかほぐれ、ブラットの支援を受けたものたちを中心についにブラット支持を表明するものが現れはじめた。そして民心は流れに乗るように一気に動き、結果この短期間でブラットは多くの民の心をつかむにいたっているのだった。

 民だけではない。

 貴族たちもだ。

 貴族というのは地位的には民よりも上なのだが、そのスタンスや立ち居振るまいというものは、民心に大きく左右される。

 つまりはブラットが民心をつかんだことで、貴族も行動方針を考えるうえでブラットを再評価せざるをえなくなったわけだ。

 そしてブラットの昨今の行いを見て、その人気が上辺だけのものでなく、中身のともなったものであると貴族の多くが判断した。

 結果、民だけでなく貴族の心までもブラット支持へと動きつつあるのだった。

 学院の生徒についても同じだ。

 親である貴族が評価しつつあることもあり、このブラットの変化を好意的に受けいれるものが大半だった。〝黒豚〟と呼んで小馬鹿にしたり、陰湿ないじめに加担していたものは心地ごこちが悪そうだが、その多くが手のひらをかえしつつある。

 悪評があったとは言っても、現実にブラットによる被害を受けた人間は、それこそ王宮や学院でブラットと関わりのあるものぐらいだったというのもあるのだろう。

(これもすべて……想定通りなのだろうな)

 あの王宮の中庭での試合を思いだす。

 実力では圧倒的にアルベルトが上回っていたというのに、それでも引きわけへと持ちこまれた。

 それだけではない。

 ワンチャンスをつくられ、危うくアルベルトは敗北を喫するところだったのだ。

 あの底知れない知略を見ると、今日までの流れはすべてブラットの計画通りなのだろう。

 アルベルトがコツコツと築きあげてきたものを、兄はその卓越した頭脳と才能で一瞬で手に入れつつあるのだ。すさまじい手腕としか言いようがない。

(そして、なによりあの力……)

 先日、広場に出現したワーウルフロード。

 あれはとてつもない強さだった。

 熟練の騎士たちをものともせずぎたおし、さらにはアルベルトも歯が立たないほどのバケモノだった。それをあのブラットはたったの一撃で討伐してしまったのだ。

 一撃だったのは騎士や自分が敵を弱らせていたからこそだろうが、二ヶ月ほど前までのブラットとは比較にならぬほどに強くなっているのは間違いない。

(……まるで、以前の兄上のようだ)

 アルベルトは幼少期の兄を思いだす。

 実は幼少期、ブラットはアルベルトよりも優秀だった。むしろアルベルトのほうが出来が悪いと言われていたぐらいだったのだ。

 そしてアルベルトは物心ついたころからそんな優秀な兄に強いあこがれを抱き、親鳥を追うヒナのようについてまわっていたものだ。

 憧れの兄に追いつくため、剣術にしろ魔法にしろ必死に努力していたのだ。

(兄上……なぜ変わってしまったのだ)

 兄弟ふたりでそのまませつたくして成長していければよかったのだが、現実はそううまくはいかなかった。

 ある日のことだ。

 ブラットが努力をやめてしまったのだ

 学院入学前ぐらいだったろうか。ブラットはいきなり剣術も魔法も学業もサボりがちになり、努力を拒むようになったのだ。

 なにが原因かはわからない。

 アルベルトや周囲の人々が何度も原因をいたものの、ブラットはただ「面倒になった」とこたえるだけだったからだ。

 結果、ブラットは学院に通う以外は部屋に引きこもるようになり、いつしかあの〝黒豚〟の姿になってしまったのだった。

 アルベルトはショックを受けた。

 憧れの兄が醜悪な姿になって落ちぶれていくのを見るのもだが、なによりアルベルトが憧れて求めていた地位や名誉を兄がゴミのように捨てたというその事実に。

 これまでの自分の努力を、自分のすべてを否定されたような感覚だった。

 アルベルトも最初はブラットを説得しようとしたのだ。

 だがブラットがふたたびやる気を取りもどすことはなく。

 無様に落ちぶれていく兄にアルベルトは次第に幻滅し、ついには顔を合わせるたびにケンカをふっかけるような関係になっていった。

 もはや以前の兄は戻らない。憧れだった兄は消えてしまったのだ。

 そう確信していたのだが──

(なぜいまさら……)

 なぜいまさらやる気を取りもどし、憧れの兄の面影を見せるのか。

 ブラットのことを考えるたびにいろいろな感情がアルベルトのなかでないまぜになって暴れまわり、心がひどくかき乱されていた。

(……いや、理由なんてもはやどうでもいい。兄上がおれの前に立ちふさがるというのなら、全力でたたきつぶすだけだ)

 アルベルトはそれを振りはらうように、ぶんぶんと首を振った。

(剣舞祭で教えてやる)

 いまさらやる気を出しても、もう遅いということを。兄がサボっているうちに自分は兄の何歩もさきにいっているのだということを。

 しかしそう決心したそのとき──


『──本当に勝てるのかしら?』


 声が、聞こえた。

 ようえんな女の声──どこか聞きいってしまう声だった。

「……?」

 アルベルトはあたりを見回す。

 しかし、女の姿は見当たらない。

 幻聴だったのかとまゆをひそめると、しかしその心を読んだかのようなタイミングで、女はつやのある声でさらに言葉をつむいだ。

『……貴方の兄の、広場でのワーウルフロードとの戦いぶりを見たでしょう? 貴方の兄は以前と比較にならぬぐらいに強くなっている。以前に戦ったときは引きわけたみたいだけれど、成長したいまの彼に貴方が勝てると思う?』

 まるで耳元でささやくように、アルベルトに語りかけてくる。

 ふたたび周囲に視線をめぐらせてみるが、やはり女の姿はない。

 アルベルトは目を細め、

「……黙れ、貴様は何者だ?」

『わたくしが何者かなんてことは取るにたらないさいなこと。それよりも……本当は兄に勝てないと思っているのでしょう?』

 アルベルトは忌々しげに舌打ちする。

 姿も見当たらず、何者かも判然としない。

 心に直接語りかける魔道具か魔法のようなものを用いているのだろうが、ブラットの信奉者の誰かが自分をからかっているのだろうか。

「……ほざけ、勝てるに決まっている。確かに兄上は強くなったようだが、しょせんその力は数ヶ月の鍛錬による付け焼き刃だ。おれはこれまでコツコツと力をつけてきた。戦の神はおれに味方するだろう。黙って兄上が地をめるところを見ておけ」

『あら……ならばなぜ、貴方の心はこうもかき乱されているのかしら? 本当はわかっているのでしょう? いまの自分ではあの兄には勝てないということが』

 ちようしようするような女の声に──


「──黙れと言っている!!


 アルベルトはついに声を荒らげた。

 声とともにアルベルトの体から魔力があふれ、それが波動のように広がる。強烈な魔力の波動がびりびりと空気を震わせた。

 常人ならば震えあがるその威圧を受けてなお、女は微笑をやめない。

『フフフ……まるで強がって威嚇する子犬パピーちゃんみたい。そんなに怒らないでくださらない? わたくしは別に争いたいわけではないの。ただ、貴方が兄に勝ちたいのなら、力を貸してあげようかと思っただけ』

 力を貸す、だと? と眉をひそめるアルベルト。

『そう……力。貴方には兄に負けないぐらいの才能があるわ。ただ、貴方は使いかたがわかっていない。だから教えてあげる』

「……せろ。何者かもわからぬものの力など借りられるか。そもそもおれは兄上などに負けん。兄上の信奉者なのだろうが、これ以上のろうぜきを働けばこの第二王子アルベルトをおちょくったことをその身をもって後悔させてくれるぞ」

 アルベルトがどうかつするようにえると、女は愉しげに笑った。

『あらあら……それは恐ろしいこと。貴方は意固地みたいだから、今日のところは引きさがろうかしら。ショーを盛りあげるために、準備をしなくちゃいけないことがあるの。あ、でも助けがほしかったらいつでも言ってちょうだいね? わたくしはいつでも貴方を見ているから』

 そう告げるなり、女の気配は幻のように消えた。

 しばし待ってみたが、ふたたび女の声が聞こえることはなかった。

 本当に立ちさったようだ。

「……ふう」

 アルベルトは一仕事終えたあとのように一息つき、うなだれる。

 短時間のことだったが、やけに精神力をがれてしまっていた。しかもまったく気づかなかったが、全身から冷や汗のようなものがあふれだしていた。

(いったい、なんだったのだ……)

 それなりに修羅場を乗りこえてきたアルベルトが、これほどに気疲れするほどの存在感を持つものはそうそういないはずだが。

 ブラットの信奉者が自分に悪質な悪戯いたずらをしかけてきただけだろうとは思いつつも、本当にその程度の存在だっただろうかと引っかかる感覚があった。

(……まあいい。おれは他人の助けなんてなくても、兄上に勝つ。さすれば、この胸のわだかまりもおのずと消えるだろう)

 アルベルトはこぶしを握りしめ、あらためてそう決意するのだった。


 一方、アルベルトが去ったあとの第三演習場には──

 いまだアルベルトの側近、ディノ・シュヴァルツァーの姿があった。

 しかし鍛錬に励んでいるわけではなく、だらだらと鍛錬用の衣服から着替えを終え、ようやく演習場を出ていくところであった。

あるじのアルベルトさまがやらねえってんだ。おれだけやるってのも正直かったりいし、別に帰っちまっても問題ねえッスよねえ)

 ディノは鍛錬に励んでいる生徒たちを鼻で笑い、演習場を出た。

 まったくよくやるよ、と思う。

 一日や二日で自分の実力が変わるわけでもないし、たとえ多少変わったとしても才能のある人間には結局勝てるわけがないというのに。

(おっと……帰る前に日課日課)

 ディノはふと思いだし、校舎の階段を弾む足取りで駆けあがる。

 やってきたのは、屋上だった。

最も夜なる夜アルヤル〟のときには舞踏会場にもなる広々としたその場所から、ディノは屋外の第一演習場を見下ろした。

 そこは大勢の生徒でにぎわっている。

 ほかの演習場が基本的に許可と予約が必要な一方で、第一演習場は常に全生徒に開放されているので、敷居が低いというのがあるのだろう。

(……ウヒョ~! ジェシカちゃん相変わらず、えっちい体してるッスね~! いや、ミラちゃんのおしりもたまんねえな~!?

 ディノの視線の先にいるのは剣舞祭でライバルになりそうな屈強な男子生徒──ではなく、学院の華であるれんな女子生徒たちだった。

 ディノは放課後、この屋上から演習場で汗水たらして鍛錬に励む可憐な女子生徒たちを見ることを日課にしているのだった。

 しかもふつうに見るだけでは飽きたらずに視力強化のじゆもんまで使い、女子生徒たちに鼻の下を伸ばして下卑た視線を向けているものだから救えない。

「あ~……剣舞祭優勝したら、モテてああいういい女を侍らせられるんだろうなあ! 間違って優勝できねえッスかねえ!」

 そんな馬鹿げたことをつぶやき、舌打ちした──そのときだった。


「──おまえ、剣舞祭に出場するのか?」


 突然、横合いから声をかけられる。

 ディノはびくっと身を震わせ、慌てて声のほうに視線を向けた。

 そこには、ひとりの男子生徒がいた。

 中肉中背の特徴のない男子生徒だ。

 強いて言えば、すべてにおいて平凡すぎることが特徴だろうか。そう言ってしまうぐらいにこれといった特徴がない。

 ディノも貴族の端くれ。生徒の顔と名前はおおむね覚えているはずなのだが、その平凡すぎる男子生徒には見覚えがなかった。

「……ん、そうッスけど? ていうか、このディノ・シュヴァルツァーさまをおまえ呼ばわりとは舐めてるのか? 見たことない顔だから新入りの木っ端貴族なのかは知らねえけど、口のききかたには気をつけたほうがいいッスよ?」

「剣舞祭に出るのならちょうどいい」

 ディノが脅しをかけるものの、男子生徒はそれを聞こえていないかのように無視し、不気味な微笑とともに近づいてきた。

「な……なんだよ、おまえ?」

 ディノはその男子生徒の妙な雰囲気にのまれ、一歩後ずさる。

 そしてその場面になってようやく、すべてにおいて平凡に見えた男子生徒の体に、平凡とは程遠い特徴をいくつか発見する。

 まずは、耳だ。

 頭部にあきらかに通常の人族のものではない獣耳がひょこと生えている。

 次に歯、そして目だ。

 口元にのぞく犬歯は異常なほどにとがり、はくいろのなかに黒点のどうこうが浮かぶそのひとみは人族のものよりも鋭い輝きを放っていた。

 それらの特徴を見て、ディノはその男子生徒の正体を推測する。

「おまえ……獣人だったッスか? いやしかし、さっきまでは──」

 ディノがいぶかしげな声をあげた瞬間。

 男子生徒の口の端が裂けるように不気味に広がり、直後に鳩尾みぞおちにすさまじい衝撃がきて、ディノの意識は一瞬で吹きとばされた。


    2


 ──剣舞祭。

 それはピシュテルを建国した〝剣聖〟ネルファをたたえる祭である。

 祭のメインとなる三日間、王都フォールフラットには国中の民や他国からの観光客が集まってきて、街は盛大なお祭り騒ぎになる。

 そしてそんな剣舞祭の名物イベントとなっているのが、王立ウィンデスタール魔法学院の生徒たちによるバトルトーナメントだ。

 ウィンデスタール魔法学院は、このピシュテル王国のなかでも最高峰の学び舎であり、ハイレベルな生徒が集うと評判の学校だ。

 その生徒たちによるバトルトーナメントとなると、おのずとその世代における国内最強の戦士を決める戦いとなることもあり、一般の人々にとってはふだん縁のないハイレベルな剣術と魔法の応酬が見られるため、国の内外問わずに人気があるのだ。

 そのバトルトーナメントの開会式がいま中央闘技場で行われていた。


 中央闘技場はとにかく広大だ。

 まったく誇張なく前世における巨大スポーツスタジアムと同等のサイズ感で、万単位の人間が収容できるほどの広さを誇っていた。

 見た目は古代ローマのコロッセオを想起させるような階層分けされた荘厳な石造りになっていて、最下層の中央にアリーナがあり、そしてそれを五階層にもわたる観客席がぐるりと取りかこんでいるという構造である。

 そして現在、数多あまたある観客席は人人人で埋めつくされていた。この国のどこにこれほどの人がいたのかというくらいの数だ。

 そして観客たちからすさまじい熱気とともに見下ろされる闘技場最下層のアリーナには、今回のバトルトーナメントの出場者である総勢二〇〇余名もの学院生たちがずらりと整列し、貴賓席を見あげていた。そのなかにブラットの姿もあった。

(開会式はどこの世界でも退屈なものだな)

 司会の貴族の話を聞きながしながら、あくびをするブラット。

 拡声魔法の付与されたアイテムによって、司会の声が大音声で闘技場に響きわたっている状況なのだが、それでも耳に入らぬほどに話がつまらなかった。まあ開会式におもしろい話が求められているわけでもない。いたしかたあるまい。

 不幸中の幸いだったのは、貴賓席に婚約者のマリーの姿があったことだろう。

(マリー……優勝してみせるからな)

 婚約者の姿をその目におさめ、あらためて気合を入れなおすブラット。

 彼女がちゃんと観戦にきてくれた事実もうれしいし、彼女の〝ようせい姫〟と呼ばれるほどのかわいらしい姿を見て、あまりに退屈な話から気をそらすことができた。

(でも……こっちはさすがに近すぎて、気のそらしようがないな)

 それはともかくとブラットがちらと視線を周囲にめぐらせると、左右からものすごい殺気とともに刺々しい視線を感じた。

 この開会式が始まってから──なんなら始まる前から、右からはアルベルト、左からはキャロルにずっとにらまれているのだ。

 キャロルには先日の件で完全に嫌われてしまったようだし、アルベルトとも王位争いのような話になりつつあるため、この様子なのもわからなくないが、さすがにこうもあからさまだと心地ごこちが悪い。王位などブラットは興味がないのだが。

(昔は仲良かったんだけどな……)

 しかめ面の弟に視線を送り、息をつく。

 もともとアルベルトはものすごく素直で、かわいいやつだったのだ。

 いつもちょこちょこと自分についてきて、それこそ親鳥を追うひなのようだった。なぜこうもツンツンとしてしまったのか。いや、ドクズと化した自分が言うのもなんだが。

(……ん?)

 ふいにまた、視線を感じる

 しかもそれは左右からでなく、背後の別の誰かからのものだった。

(俺そんなにたくさんの人に嫌われることしたっけ? いや……したか。したな。ていうか、デブスで存在自体がきつかったし)

 自問自答で勝手に納得しながらも、視線の当人に気づかれぬように右を見るふりをして首を九〇度回転、背後にちらと視線を送る。

 視線の主を確認し、納得する。

 それはアルベルトの側近であり、伯爵家の次男であり、ブラットをいじめていた巨漢の男子生徒、ディノ・シュヴァルツァーだった。

 先日ひさしぶりに登校したときにひどく怒らせてしまったこともあるし、ディノならばこの刺すような視線も納得である。

(あ……)

 ふと、当人と目が合ってしまう。

 しかしブラットが慌てて視線をそらそうとすると、その前にディノのほうからごまかすように視線をそらされてしまった。

(あれ……なにも言ってこないのか? 思ったより大人おとなしいな)

 すぐにケンカを売ってくると思っていたので意外であった。ディノは以前から粗暴でケンカっ早く、自分よりも弱いものには高圧的に振るまう。彼には失礼な話ではあるが、ここでケンカを売ってこないことにむしろ違和感を覚えてしまった。

 ディノも式中にけんを売るほど非常識ではなかったということか。

 だが式中とは言っても、観衆は完全にお祭りムードでいまも騒々しい。司会の声をかき消すような勢いでざわざわと話し声が聞こえてきている状況であるため、ディノならば関係なくケンカを売ってきそうなものだが、今日は腹の調子でも悪いのだろうか。

 そのとき、それまでの司会とは異なる渋みのある重厚な声が闘技場に響きわたった。

 貴賓席を見ると、そこには堂々たるたたずまいの男が立っていた。

 ブラットに似た銀髪を刈りこんだせいかんな壮年の男はブラットの父で現国王のカストラル・フォン・ピシュテルその人であった。

(ひさしぶりに見たな……)

 最後に父とまともに会話したのはいつだっただろうか。

 ブラットが〝黒豚〟となって以来、父との会話はなくなっていた。

 そもそも顔を合わせることもほぼなく、なんらかの行事で顔を合わせたとしても、基本的には無視されるか、必要最低限の会話しかしないという状況だった。その最低限の会話ですらもひどく面倒くさそうだったので、厄介者扱いされていたのだろう。

(いまの俺はどう思われてるんだか……)

 急変した自分をどう思っているのか気になるところだが、まあどうせいずれは腹を割って話さなければならない日が来る。いま無理に話さずともよいだろう。


『──このような場で面倒な前置きは野暮であろう。それではこれより……剣舞祭バトルトーナメントを開会する!!


 カストラルがそう宣言すると、観衆が波打つように沸きたつ。

 ふだんならば国王が言葉を発しているときにこのような歓声をあげるのは不敬にあたるが、今日は一年に一度の祭。無礼講とまではいかないまでも、そういったことが特別に許される日であり、むしろ歓声をあげないほうが無礼に当たるのだった。

(……祭は盛りあがらなきゃな)

 ブラットは観衆の様子に満足げにうなずいた。

 前世では社会において日陰者だったため、祭と名のつく行事への参加には消極的だった。現世においても得意というわけではないのだが、なにしろ慣れ親しんだ自国の祭だ。浮き足立つこともなく、純粋にその盛りあがりを楽しむことができた。

『さっそくトーナメントを予選から開始するわけだが……その前にこちらにいらっしゃる客人たちの紹介だけはせねばなるまい』

 カストラルはそう言い、自身の横に居並ぶ三人に視線を送る。

 国王その人がとなりに並ばせているということは、つまりは国王と格的に近い立場の人間ということにほかならなかった。

(いったい誰だ……?)

 ブラットの疑問にこたえるように、カストラルが言葉をつぐ。

『我が国に名誉騎士として籍を置くこちらのグラッセ殿のことは皆も知ってのとおりだが……本日はそのご友人であらせられる〝ななえいゆう〟のお二人がはるばるこの王都を訪れてくださった! 説明は不要じゃろう、〝大賢人ワイズマン〟マーリン殿と〝救世の聖母セインテス〟セリエ殿だ!!

「……!?

 ブラットはまさかと目を見開いた。

 グラッセは性格もあって気安く接してくれているものの、〝七英雄〟というのはこの世界で伝説的な存在であり、ほとんどが特定の国や都市の指導者や中核的な立場にある重要人物なのだ。

 そのうちの三人がいまこのピシュテル王国に集まっているというのは、ふつうに考えればありえないことだった。

(……本物、ぽいな)

 だが貴賓席に目を凝らすと、そこにいる初めて見るはずの二人には覚えがあった。

 まず目に入ったのはエルフの美少年。

 人間離れした透明感のある肌、尖った耳、そしてなにより深遠なる海のような魔力は、エルフの上位種エンシェントエルフのあかしだ。

 そして少しかたむいたとんがり帽子とサイズの合っていないぶかぶかのローブ、小柄なたいに似合わぬ長大なつえ、その偏屈な性格をあらわす小生意気そうな麗しい面差しは、〝大賢人ワイズマン〟マーリンその人でしかありえない。

 よく見るとあぐらをかいて、ふわふわと魔力で宙に浮いている。あのように魔力を自在に使いこなせるものは、最高の魔法使いと名高い彼ぐらいだろう。

「……」

 次に目に入ったのは絶世の美女。

 腰まで伸びる波打つような美しい髪、すらりとしながらも女性的な丸みを帯びた黄金比としか言いようがない体、マーリンとはまた違う生命力にあふれた白肌、そして包みこむようなやわらかな朝陽を思わせる魔力は、光の女神アステラスを想起させる。

 こちらは『ファイナルクエスト』作中ではすでに亡くなっていたため、絵画でしか見たことがないのだが、その優しげで垂れ目がちのひとみと色気を醸しだす特徴的な泣きぼくろは、〝救世の聖母セインテス〟セリエその人に違いなかった。

『おおお、〝七英雄〟がお三方も!?

『絶世の美女だとうわさに聞いてはいたが……セリエさまはまさに女神アステラスの生き写しのごとき美しさだ。信じられん』

『だがマーリンさまは……想像以上に小柄であらせられるのだな』

 ブラットのそばにいた出場者がぼそっとそんなことを口にすると、


『──そこ、だれがちびじゃ!! ぜんぶ聞こえとるぞ!!


 直後。大音声が闘技場に響きわたる。

 声の主は、貴賓席に鎮座するマーリンその人だった。

 あまりに地獄耳である。

 そしてその声は彼の小柄な体格に似合わず、司会やカストラルの声の数倍の音量があったため、ブラットは慌てて耳をふさぐ。

 マーリンには〝永遠の少年〟という二つ名もあり、『ファイナルクエスト』同様に背の低さがコンプレックスなようだ。

『こら~! マリンちゃんダメよ、ちゃんとごあいさつしないと。マリンちゃんがそんなだと魔法都市の人まで嫌われちゃうわよ?』

『うっさい、子供扱いすな! あとわしはマリンでなくマーリン!』

〝七英雄〟の威厳はどこへやら。

 マーリンは完全にすねてしまったようで、唇をとがらせてそっぽを向く。

 セリエはやれやれと肩をすくめ、

『マリンちゃんはごらんのとおり変わりものではあるけれど……わたくしふくめ、本日のお祭りを楽しみにしていたのはここにいらっしゃる皆さまと同じです。特にブラちゃん……ブラット殿下の試合を生で観られるのがとっても楽しみですわ~♥』

「え……!?

 いきなり自身の名を呼ばれ、間の抜けた声をあげてしまうブラット。

 まさかあの〝七英雄〟のひとりの口から、自分の名が飛びだそうとは。いや、グラッセの口からは何度も出ていたのだが、あの人は例外として。

 ブラット同様に観衆も驚いたらしく、ざわめきが広がっていた。

『どういうことだ!? セリエさまと殿下はお知りあいなのか!?

『ブラットさまのさいきんのご活躍は、いっそう目まぐるしいものがあると思っていたが……まさか〝七英雄〟の方々まで注目なさってるとは!?

『さすがはブラットさまだ……!!

 まわりの人々から、きようがくせんぼうと尊敬の視線が向けられる。

(いや、なんで俺……?)

 ブラットはまゆをひそめる。

 国内ですらも、改心したブラットの評判は浸透しきっているというわけではない。他国ではなおさらのことだろう。

 優秀なのは弟のアルベルトで、ブラットはできそこないだというのが定説のはず。なのになぜセリエは、弟でなく自分の名を出したのだろうか。

(しかも生で観るのが楽しみって……その言いかただと、生じゃなければ俺の戦いを観たことあるような口ぶりだよな?)

 疑問に思いながら見やると、セリエはこちらに気づいて満面の笑みで手を振ってくる。知りあいというよりは、なんだか有名人に遭遇したファンのようなはしゃぎようである。超絶美人なので悪い気はしないが意味がわからない。

(というか……ブラちゃんというのはいったい)

 自分のことを確かにそう呼んでいた。

 あだ名で呼ばれることに抵抗はないが、それだと完全に胸に装着するあの下着の略称である。いや、超絶美人が下着の名を口にしていると考えれば悪くはないのかと思いなおし、その後に自分はなにを考えているのかと自分で自分にツッコむ。

 まもなくセリエが席につくと、カストラルがゴホンとせきばらいする。そしてそのまま鋭いそうぼうをブラットへと向けてくる。

『……そういうことらしい。〝七英雄〟の方々のご期待にそえるように、恥じない試合をするのだぞ。ブラット……よいな』

 カストラルにどこかさぐりさぐりといった様子で名を呼ばれ、ブラットはこそばゆい感覚になりながらも、すぐに微笑でこたえる。

 そして貴賓席のほうへと一歩進みでて、優雅に貴族の礼をとる。

「承知いたしました。必ずや本大会に優勝し、栄誉ある〝剣聖〟の称号をいただくその姿を、偉大なる伝説の〝七英雄〟の御三方に……そして我がいとしの婚約者マリー・エル・フォークタス嬢へとお見せすることを誓いましょう」

 ブラットはそう宣言し、貴賓席のマリーに貴公子の微笑を向ける。

 瞬間。闘技場のそこかしこからきゃあという黄色い悲鳴があがり、ブラットとマリーを茶化すような口笛の音が吹きならされる。

 マリー当人は目をぱちくりとさせ、しばしあってようやく状況を理解したようで、いたたまれない様子でほんのりとほおを紅潮させている。

 それから気恥ずかしさをごまかすように、ふんっとそっぽを向いた。

(俺の婚約者がかわいすぎるのだが……?)

 ライトノベルやマンガのラブコメタイトルにありそうなことをついつい思い浮かべてしまうほどの圧倒的かわいらしさであった。

 これは意地でも負けられない。

 マリーにはこれまで散々ダメな自分を見せてきた。幻滅させてきた。

 さらに彼女に格好悪いところを見せるわけにはいかないし、なによりこのトーナメントに優勝して立派な王子となった自分を見せ、婚約破棄を考えなおしてもらわねばならないのだ。

(全試合手抜きはなしだ、即終わらせる)

 あらためて決意するブラットだった。


 そんなこんなで──

 戦いのぶたは切って落とされ、ブラットは初戦からアルベルトの側近ディノ・シュヴァルツァーと剣をまじえることになるのだった。


    3


 剣舞祭バトルトーナメントには、午後から行われるトーナメント形式の本戦の前段階として、本戦出場のための予選が存在する。

 会場が闘技場一ヶ所ということもあり、二〇〇名の出場者全員でトーナメントをすると、到底一日では終わらないからである。

 予選のルールは単純。

 試合形式は一度に十数名が参加するバトルロイヤルで、まずアリーナの正方形の舞台に出場者十数名が一挙に放りこまれる。

 そして各々自由に闘い、舞台から落ちるか戦闘不能と見なされれば失格。最後まで舞台に立っていたひとりが本戦のトーナメントへと進むことができる。

 つまり本戦はこの各試合で勝ちのこった最強の一六名による頂上決戦になるわけである。

 そんなこんなで予選が始まったわけだが、ブラットは抽選で第二試合。

 なので、第一試合を控え室の中継映像で観戦しながら待つことにしたのだが──


『しょ、勝者……キャロル選手!!


 決着は、あっというまだった。

 試合が始まったと思ったら、気づけば舞台に立っているのはキャロルだけになっていたのだ。

『なななんと……今回の第一試合は、剣舞祭始まって以来のスピード決着! 歴代最速とのことデス! ダストリアの〝剣姫〟の名声に偽りなしデスね!』

 実況の驚愕の声が、拡声魔法で会場全体に響きわたる。

『まさか、キャロルさまがこれほどのものとは……!』

『優勝はアルベルトさまかブラットさまと思っていたが……!』

『こうなると優勝はキャロルさまってこともありうるぞ!?

 すると観客たちから、感嘆ともどよめきともとれる歓声があがった。

(いや……想像以上だな)

 キャロルの実力をあらためて見て、不安を覚えるブラット。

 第一試合はけっこうな激戦区で、学院でも実力上位の生徒が何人も出場していた。だからいかにキャロルであっても多少は苦戦すると思ったのだ。

 だがキャロルはそんなブラットの予想を裏切り、魔剣フィエルボワを自身の腕のように巧みにあやつって、一瞬でほかの選手たちを薙ぎたおしてしまったのだ。

 単純に──強い。

 レベルスカウターで確認するとレベルは三八。『ファイナルクエスト』に酷似したこの世界では、英雄と呼ばれてもおかしくないほどの実力者なのだから当然だろう。

(気を引きしめていかないとな)

 そんなことを考えながら、しばし控え室で待機するブラット。


『──さあ、続いて第二試合! 選手たちの入場デス!!


 そしていよいよ、実況の声とともにアリーナに歩を向ける。

(というか、この実況の声って……)

 中継で姿は見えなかったが、実況の声に聞き覚えがあった。

 いやいやさすがにそのようなことがあるはずはないだろうと自分に言い聞かせながら、出場者である一一名の生徒とともにアリーナへと入場する。

 だが観声に迎えられながら解説者用ブースをおそるおそる確認すると、そこにいたのが案の定の人物でブラットは頭を抱えさせられる。

(……なぜおまえが実況をしている!!

 実況をしていたのは、なんとブラットの専属侍女ロジエだった。

 基本的にブラットにくっついていたがる彼女が「剣舞祭の日は忙しいので、シフトから外してほしいデス」などと事前に言うから、なにか変なものでも食べたのかと心配していたのだが、どうやらこのトーナメントでの実況のためだったらしい。

 ロジエは黒豚時代のブラットが選んだだけあってあいきようがあるし、なんだかんだ侍女としても優秀だ。さいきんブラットの手足となって働いていることもあり、この国のあちこちに太いパイプをつくりつつあるので、実況はそのあたりのツテだろうか。

(……そしてなんだその服装は)

 しかも実況をしているだけならまだしも、いつもの侍女服姿でなく、バニーガール風の衣装を身にまとっているのはどういうわけか。

 小柄だが出るとこは出ているという理想体型なのでばっちり似合ってはいるのだが、露出が多くて非常にけしからん格好である。

 そのような姿を若い娘が人様に見せてはいかんという親心が先んじるが、その愛らしさにさすがは我が侍女だと誇らしくもあった。

『実況の子だれだよ、かわいくね?』

『わかる……おれも超タイプ』

 観衆からもそんな声が聞こえてきて若干鼻が高くなるブラットだが、そんなふうに褒められている当の侍女はというと──

(……無駄にウインクしてくるのはやめい)

 ブラットがアリーナに入場するやいなや、こちらにものすごい勢いでウインクを飛ばしてきていた。引き受けた仕事に集中しろと思う。

 彼女が何事もなく実況をこなせるのか不安であった。

 今回は平民だけでなく、多くの貴族も観戦する大きな催しだ。問題を起こされると主人のブラットにも飛び火しかねない。そんなブラットの不安を知りもせず、ロジエは相変わらず能天気な顔でウインクをしてくるものだからやれやれである。

『本日は多くの試合が控える時間の都合上、全選手の紹介はできないデスが……解説の御三方は注目選手はいるデスか?』

 第二試合に出場する一二名の選手全員がアリーナに入場して舞台に出そろったところで、ロジエがとなりにならぶ解説陣に話題を振る。

『う~ん、やっぱりブラちゃんかしら♥』

『ブラットくんしか興味ない☆』

『というか、それ以外知らんしのう』

 順に答えたその声は、またも聞き覚えのある声ばかり。

(いや、貴方たちまでなぜそこに……)

 よく見ると解説席に腰かけているのはグラッセ、マーリン、セリエの〝七英雄〟の三人に違いなかった。

 いや、国をあげての祭の一環とは言えど、たかが学生のトーナメントごときに英雄たちを無駄づかいしすぎだろうと思う。大丈夫か、この国は。

『なるほどなるほど! さいきん大きなイメージチェンジをして話題沸騰のブラットさま……いえ、ブラット選手にはやはり〝七英雄〟の御三方も注目なさってるようデスね! その気持ちめちゃくちゃわかるデス! ブラット選手ってば強いし賢いし優しいしかっこいいし~……非の打ちどころがないとはこのことデスもん♥  その注目度を表すように会場にもブラット選手の応援団がつめかけているデスね! わたしめも実況の立場でなければあそこにまざって応援したい!!

 見ると観客席のすさまじい面積を占拠し、でかでかとした〝ブラット命♥〟の垂れ幕を掲げている一〇〇人規模の集団がいた。

 その集団はブラットの視線に気づくと、きゃああああああああ♥♥♥ と会場が割れんばかりの大音声で黄色い悲鳴をあげる。

(いや、うれしいのだけどな……)

 前世では当然ながらこんなふうにモテた記憶はないし、うれしいはうれしいのだが、さすがに度が過ぎていて苦笑がこぼれてしまう。

(みんなこれぐらいに好意的ならいいのだが、そうはいかないか)

 ちらちらとほかの観客の様子を見ると、すさまじい応援団がひんしゆくを買ったのか、あるいは元々の人望のなさか、ブラットを応援する人々がいる一方で、険しい顔でこちらをにらむ人々もかなりの数が存在しているのがわかる。

 いくらブラットの好感度がうなぎのぼりでも、以前からアルベルトを推してきたものも大勢いるわけで、彼らからすればブラットは気にいらない存在以外の何者でもない。

 公の場でこれほどブラット推しがすさまじければ、さすがに険しい顔にもなるだろう。あまり彼らの神経をさかなでするようなことはしないでほしいものだ。

 そしてそんなブラット推しの会場全体の空気は、観客だけでなくまわりの出場者たちの闘志にも完全に火をつけてしまったようだ。

 さきほどから「こいつ絶対ぶっつぶす」とでも言うかのような闘争心きだしの視線をブラットはひしひしと感じていた。

(……ん?)

 だが選手の多くが闘志を燃えあがらせてブラットに鋭い視線を向けてくるなか、ただひとり一切表情を変えていない男がいた。

 意外なことに──それはアルベルトの側近で、かつ以前までブラットを率先していじめていた巨漢、ディノ・シュヴァルツァーその人だった。

 いつものディノならば我先にとブラットに憎まれ口をたたきにくるような状況なのだが、まったく彼が動く素振りはない。

(……開会式からなんかおかしいよな)

 姿形は間違いなくディノなのだが、その表情や立ち居振るまいに違和感がある。どこか別人を見ているような感覚になるのだ。

『それでは……皆さま準備はよろしいデスか? 試合を始めるデスよ? 再確認となりますが、本大会では三つのマジックアイテムの持ちこみが許可されているデス。ただし、直接効果をおよぼすものは禁止、間接効果のものにかぎられているデス。あらためて確認してほしいデス。基本は戦闘不能になるか舞台から落ちれば失格というルールデスが、そちらの大会規則をやぶった場合も問答無用で失格となるデスからね! しっかりとルールを守り、すべてのライバルを舞台からとし、本戦への挑戦権をぜひ手に入れてください……!!

 気づけば選手たちは舞台に等間隔に並んで向かいあっており、ブラットもそれにならって各出場者たちと距離をとった。

(なんにしろ……やることは変わらない。俺はただ目の前に立ちふさがる敵をすべて倒し、本戦へと進むだけだ)

 ブラットがあらためてそう決意して身構えたところで、『試合開始デス!!』というロジエの声が高らかに会場に響いた。

 瞬間。解説席のマーリンの指先から光が放たれ、それはまっすぐに空高く打ちあがり、花火のようにパンと音をたてて弾ける。

 それが試合開始の合図となり、選手たちが一斉に動きだした。

(……やっぱりこうなるか)

 選手たちの動きを確認し、ブラットはやれやれと息をつく。

 試合開始直後。せいと歓声が入りみだれるように飛びかうなか、出場選手のおよそ半数が、脇目も振らずにブラットへと襲いかかってきたのだ。

 ……まあ、正しい判断だろう。

 好き嫌いはあれど、その前評判から今回ブラットが優勝候補なのは間違いない。早めにつぶしておきたいと考えるのは自然だ。

『……キャッ、ブラットさま危ない!』

 ロジエの悲鳴が闘技場に響きわたる。

(おい、素が出てるぞ……)

 ちゃんと実況しろよ、と頭をかきながら侍女にあきれるブラット。

 それから「こっちもちゃんと戦わないとな」と我にかえって、いままさにせまりくる選手たちへとゆっくりと向きなおり──

「……はあっ!!

 瞬間。気合いの声とともに全身から魔力を勢いよくあふれさせる。

 たったそれだけのことでブラットのけたはずれの魔力は圧倒的な魔圧を生みだし、それはブラット自身を中心に波動となって拡散した。

『……ぐあああっ!?

 すると襲いかかってきた選手たちはドラゴンの突風にでもあおられたように吹きとび、悲鳴とともに場外に叩きつけられた。

(……場外に出すだけだから楽だな)

 初動で襲いかかってきた選手六名を一瞬で場外へと叩きだすことに成功し、ブラットが安心してホッと一息ついていると──

『──〝エナジーボム〟』

 そんなじゆもんが耳に届く。

 気づけば人の頭部サイズの光りかがやく球体が、すさまじい魔力をほとばしらせながら、まっすぐにこちらに向かってきていた。

(〝エナジーボム〟か……さすが学院生だな)

 それは第四位階の単体攻撃魔法。

『ファイナルクエスト』作中ではレベル一五で修得できる魔法だが、威力はあれどMP消費が激しいために普段使いには実用的でなく、高レベルとなってMPに余裕ができるまではボス戦ぐらいでしか使用しない必殺技めいた位置づけの魔法であった。

 この魔法を初手で放ってくるあたり、皆がいかにこの大会に懸けているかが伝わってくる。

 そもそも第四位階の魔法となるとこの世界では才能ある一握りのものしか習得できぬ高位に分類される魔法だ。持ちこみしているマジックアイテムの付与効果によって強化されているのもあるだろうが、さすがウィンデスタール魔法学院の生徒と言わざるをえない。

 しかし、常人にとっては一撃必殺の魔法のはずのそれを──

「……」

 ブラットはなんら表情を変えることなく片手で受けとめ、さらにそれを放ってきた選手へとそっくりそのまま投げかえした。

『まさか!? なんで起爆しない!?

 魔法を放った当人が、きようがくの声をあげる。

 それもそのはず。

〝エナジーボム〟は物体に当たったその瞬間に起爆する爆裂魔法だ。このように手で受けとめれば、まず間違いなく爆発するはずなのだから。

 ではなぜ今回は起爆しなかったのか。

 答えは単純。

 ブラットは光の球体と自身の手とのあいだに魔力で膜を張っており、そもそも球体そのものには手で触れていないのだ。

 桁外れの魔力とそれを操作する実力があってこその芸当だった。

『……うわあああっ!?

 直後。ブラットからお返しされた光の球体が、それを放った選手に衝突。今度は派手に起爆し、選手は場外へとふっとばされる。

(残るは……)

 いまだ舞台に立っている選手は、ブラットをのぞいて三名。

 さきほどの選手と同じく、その全員が魔法を詠唱している最中だった。

 ブラットがほかの選手たちを片づけたこのタイミングで、ちょうど詠唱を終えたらしい。この日のために練習してきたであろう必殺の攻撃魔法を一斉に放ってくる。

 火球が、氷のつぶてが、稲妻が──猛烈な勢いでブラットに向かってきた。

(多少はそんたくしてやりたいところだが、あいにく今回はせっかくマリーが見てくれているんでね。手抜きしないと決めたんだ)

 貴賓席のマリーにちらと視線を送り、にやりと笑うブラット。

 ブラットの強さは、すでにこの世界の住人にとってイレギュラーなもの。選手たちが決死の覚悟で今日の大会に臨んでいることを考えると、負けてやれないまでもこの舞台でそれなりに活躍させてやりたいところだが、今回だけは手を抜くわけにはいかない。

「……」

 次の瞬間。ブラットは三方から襲いかかってきた魔法には一切取りあわず、人間離れしたびんしようステータスによって紙一重でそれを避けていく。

 そしてそれを放った選手たちのふところに疾風のごとく飛びこむ。

『な……!?

『ありえん……速すぎる!?

 ひとりを一本背負いで投げとばし、ひとりを背後にまわりこんでしりりとばし、あっけなく場外へと叩きだしてしまった。

 そして舞台に残っていた最後の選手──女子生徒へとゆっくりと歩みを進めると、女子生徒はおびえたようにヒッと一歩後退する。

「貴女のようなかわいらしいかたに争いごとは似合いませんよ」

『キャッ……

 ブラットは貴公子の笑みでそう言葉をかけながら、のけぞって体勢を崩した女子生徒の体を支え、そのまま軽々と抱きあげる。

 そして俗に言うお姫さま抱っこをしたまま、悠然と舞台の端まで歩いていくと、舞台の外側へと女子生徒をそっとおろした。

 ぼーっとブラットの顔を見つめていた女子生徒は場外になったところでようやく我にかえったらしく、両手でポッと赤らんだほおをおさえた。

(さて……片付いたか?)

 穏便に最後のひとりを場外へと運び、ブラットはあたりを見回す。

 気づけば攻撃をしかけてきたもの全員が場外で失格状態となっており、ブラット以外に舞台に立っているものは見当たらなかった。

『ななな、なんと……信じられない光景が目の前に広がっているデス!? 試合開始早々、全選手からの総攻撃を受けて万事休すと思われたブラット選手でしたが……あっという間にその全員を返りうちにし、場外へと叩きだしてしまったデス!?

 ブラットの桁外れな動きにあっけにとられていた観客たちだが、ロジエのその実況でようやく言葉を取りもどしたらしい。

 うおおおおお!! と会場が割れんばかりの歓声があがった。

『そして最後の女子選手への紳士すぎる振るまい……さすがブラットさま♥ わたしめも切実にお姫さま抱っこされたいデス~♥♥♥』

 顔をにし、身をくねくねとよじって興奮をあらわにするロジエ。

(……いやだから、ちゃんと実況してくれよ)

 ブラットがじっとりとした視線を送ると、ロジエもさすがにそれに気づいたらしく、仕切りなおすようにコホンコホンとせきばらいする。

『とにもかくにも……場外に出た選手は失格デスね。となると、これで第二試合の予選通過者はブラット選手ということに──』

 ロジエがそこまで言いかけたところで、ブラットはまゆをひそめる。

(いや……ひとり、足りない)

 場外に弾きだしたものたちをあらためてひとりひとり確認すると、合計で一〇人。開始時と比較してひとり足りないことに気づいたのだ。

 そしてその直後──


「……?」


 上空から、刺すような殺気を感じた。

 ブラットは慌てて大きく後方に飛びのく。

 瞬間──ブンッ!! という大きな風切り音とともに、ブラットの元いた場所にすさまじい速さで剣が振りおろされる。

 剣はそのままの勢いで舞台の石畳へと到達すると、その表面を激しくえぐり、あたりにれきと土煙をきちらした。

「……」

 奇襲をしかけてきた人物を見やり、ブラットは目を細めた。

『おーっと……なんと上空から奇襲をしかけてきたのは、ディノ・シュヴァルツァー選手! なんと彼がまだ残っておりました! 主人であるアルベルトさまの前にこのおれを倒してゆけとばかりに、ブラット選手の前に立ちはだかるデス!!

 ロジエが鼻息荒く実況する声を聞きながしながら、どこか不気味な微笑を浮かべるディノのほうへとブラットは向きなおる。

 そしてあらためてディノの仕草や表情、さらには以前までのディノとはあきらかに異質な魔力を見て、から彼に感じていた違和感が気のせいではなかったこと、そしてそこから導きだされた自身の推測が間違いではないことをブラットは確信した。

 あらためて臨戦態勢に入り──


「おまえ……ディノじゃないな」


 ディノの姿をしたなにかにそうたずねた。

「……おれがディノじゃない、だと?」

 核心をついたブラットの問いに対し、ディノの姿をしたそれ──ディノもどきは自身に視線を移し、不敵な微笑を浮かべた。

「いったいなにを言っている? おまえの目は節穴か? どこをどう見ても、おれはディノ・シュヴァルツァーそのものだろう?」

 確かに姿形はディノに違いない。

 だが──ブラットの目も節穴ではない。節穴でないからこそ、目の前の存在がディノ本人ではないことが明確にわかった。

「確かに姿は……ディノだな。だがいまの動きで見せた敏捷ステータス、そして剣で石畳をえぐるほどの物理攻撃力……あきらかに俺の知るディノじゃない。やつもなんだかんだそこそこ優秀だが、これほどの力はなかった。それに口調もいつもと違うしな」

「……」

 ブラットが指摘して肩をすくめると、ディノもどきはもはや肯定も否定もせず、ただヒュ~と愉しげに口笛を吹きならした。

 その態度こそが、ブラットの指摘が図星だと物語っている。

「……答えろ、おまえは何者だ? 本物のディノはどこにいる?」

「答える必要は……ない」

 ディノもどきはゆっくりと微笑を深め、

「──貴様はここで死ぬのだからな!!

 直後。ブラットへと襲いかかってきた。

 本物のディノではありえぬ人間離れしたりよりよくでバネのように跳躍し、はるか上方からブラットへと剣を振りおろしてくる。

 この大会はあくまでも祭の余興。

 殺しはご法度だ。

 にもかかわらず、ディノもどきの放ったその斬撃はあきらかにブラットの体をまっぷたつに両断するだけの殺傷力を持っており、そこに込められた殺意を鑑みるに間違いなくブラットを殺める目的でくりだされていた。

 だが殺意を帯びた剣を前にしても、ブラットは動じなかった。

(レベル二〇そこそこってところか)

 優雅な所作で、静かに剣を抜きはなつ。

 そして振りおろされた斬撃を流れるような所作で受けながし、そのまま続けざまにディノもどきの背へと横殴りの蹴撃を放った。

 その一撃をもろに受けたディノもどきは、ブラットのけたはずれの脚力によって勢いよくふっとび、舞台に激しくたたきつけられる。

 だがその途中にまるで獣のような柔軟さで受け身をとると、ごろごろと転がったのちにその流れのままノータイムで立ちあがった。

 息は多少切れているものの、見たところダメージもないようだ。

 ブラットは目を細めながら、

「おまえが何者かはわからないが、おまえじゃ俺には勝てないよ」

「ふつうにやれば……そうかもしれんな」

 ディノもどきはわらう。

「ふつうにやれば……?」

 ブラットがその言葉に引っかかりを覚え、眉をひそめた瞬間だった。


「……?」


 突如として──グラリ、と視界が揺れるような感覚に襲われる。

 まるでのうしんとうを起こしたかのようだった。目眩めまいかと思ったときにはブラットはふらふらとよろめき、その場でひざを折っていた。

「これは……?」

 そしてその感覚は一時的なものではなく、膝を折ったあとも慢性的な頭痛と目眩をともなって持続した。

 まともに立っていられない。

「なにを……した?」

「……ようやく効いてきたか。ドラゴンの動きさえ封じる毒をしこんでおいたというのに、効くのが遅すぎて焦ったぞ」

 ブラットが声をしぼりだすと、ディノもどきは勝ち誇ったような笑みとともに、唇にぺろりと人間離れした長い舌をわせる。

「毒……だと?」

 思いあたらずに眉をひそめると、ふいにロジエの声が耳に届く。

『え、え……ブラットさまが!? あ、いや……ブラット選手がいきなり崩れおちたデス!? いったいなにが起こったのか!? 解説の御三方いかがデス!?

『あら、おなかでも壊したのかしら~?』

『西方の安い麦酒でもあおって二日ふつかいになったんじゃないかな☆』

 ロジエが話を振ると、セリエとグラッセは相変わらずふざけているのか天然なのかよくわからぬ調子でそんなことをのたまう。

『……ドアホ、ぬしらはまともに解説する気はないのか! おそらく、さきほど剣がかすめたときに毒でももらったのじゃろう』

 あきれた様子でマーリンが補足する。

『え、え!? 剣に毒デス……!? それってルール違反では!?

『どうじゃろうな。試合前に塗られておったならまずいが、戦闘中に魔法で付与された可能性もある。それならばセーフじゃろう』

 当惑した様子のロジエに、マーリンは肩をすくめてみせる。

『さすがマリンちゃん、よく見ってる~♥』

『……マリンでなく、マーリン!』

 そう言いつつ、マーリンは『というか……』とグラッセに視線を送る。

『グラッセよ、おぬしは弟子が窮地だというのにやけにのんきじゃのう? あれはおそらく毒じゃぞ? いかにぬしの弟子がつわものであろうと、麻痺毒で身動きがとれなくなってしまえばそれまで。負けは決まったようなもんじゃ』

『そう思うのならそうなんじゃないかな、きみのなかでは☆』

 マーリンはそう指摘するが、グラッセはふだんどおりの軽薄な微笑を崩すことなく、愉しげに舞台を見つめつづけていた。

 グラッセの返答にマーリンはやれやれといった調子で肩をすくめてから、ふたたび舞台のブラットへと視線を戻した。

 そんな英雄たちによる素人しろうと漫才じみた解説を聞きながら、ブラットはこれまでにないぐらい冷静に思考をめぐらせていた。

(なるほどな)

 本当に小さな傷なので気にもとめていなかったが、さきほどの攻撃のときにディノもどきの剣は、実はブラットのほおをわずかにかすめていた。

 そのときに剣に仕込まれていた毒がブラットの体内に入りこみ、いまようやく効いてきたということらしい。まったく気づかなかった。

(これほど強力な麻痺毒となると、やはり正体は……)

 そして、確信する。

 さきほどの獣のような身のこなし、即効性のある麻痺毒による攻撃を有すること、そしてなにより人間へと姿を変えられる特異な変身能力、それらのすべてを考えあわせると、ディノの姿をした眼前の存在の正体はもはやひとつしか考えられない。


「おまえの正体はワーウルフ……いや、ワーウルフロードだな」


 ブラットがそう告げると、ディノの姿をしたそれは憎々しげに鼻を鳴らす。

 それから見下すような視線を向けてきて、

「……憎らしいほどの洞察力だな。よくぞ見抜いた、オラは誇り高き人狼族の戦士ウル・ガルロフ。広場でおまえが斬りふせ、命を奪ったあのワーウルフロードの弟だ」

 ブラットは目を見開く。

ふくしゆう……ということか」

 ウル・ガルロフと名乗ったワーウルフロードは、懐古するように遠い目をする。

「兄者は、強かった。里でも頭ひとつ抜きんでた勇者であり、オラもガルロフ兄弟としてそうへきで語られてはいたが、そのオラが正直敵わぬと思うほどにな。将来は魔将となって魔王軍を率いるはずだったのだ。それをおまえは……殺した」

「……」

 憎悪に満ちた視線を送られ、ブラットは無言でただウルを見返すことしかできなかった。

 ウルのその目は感情が高まるにつれて広場でのワーウルフロードのように血走り、理性を失いかけているように見えた。


「おまえだけは……おまえだけは許さん、殺す殺す殺す!!


 直後にとどろくウルのほうこう

 たまりにたまっていた怒りと憎しみがついに爆発してしまったかのように、ウルは全身から魔力をあふれさせる。

 あまりに──まがまがしい魔力だった。

(この魔力は……まさか)

 それはふつうのワーウルフロードの魔力とはどこか異なるもの。

 広場でのときも実は脳裏によぎっていたのだが、この禍々しい魔力と現在のウルの様子には覚えがあった。

(操られていた俺に……似ている)

『ファイナルクエスト』作中で魔王軍のかいらいとなっていたときのブラットは、ちょうどこのような魔力をまとっていたはすだ。

あいつが……裏で糸を引いている?)

 自分の記憶違いでないとするならば、その可能性は十分にあるだろう。

 だがいまの理性を失いかけているウルから情報をきだすのは困難。一度大人しくなってもらわねばなるまい。

 そんなふうに思考をめぐらせてブラットが黙っていると、ウルはその意味を勘違いしたように不気味な微笑を浮かべる。

「ついに恐怖で声も出なくなったか。安心するがいい。存分にいたぶっていたぶって、いたぶりつくして殺してやろう!!

 直後。ウルは目にもとまらぬ速度でこぶしをくりだしてくる。

 ブラットはその拳を顔面にもろに受け、舞台に転がった。

 ブラットが無様に倒れふしながらもすぐさま顔をあげると、ウルはそれをへいげいしてちようしようの声をあげる。

「……恐ろしいか? 身動きできぬ状況で一方的にいたぶられ、命を奪われようとしていることが! だが兄者はそのような恐怖の感情すら抱くまもなく、おまえに命を奪われたのだ! その恐怖、その痛み……しかとみしめるようにして死んでゆくがいい!」

「言い訳はしないよ。俺がおまえの兄をこの手で殺めたのは事実だ。だから、兄弟であるおまえには……すまないことをしたと思う」

 その言葉は、紛うことなき本音だった。

 この世界では魔物の多くが人間と対立しており、生かしておけばこちらが害をこうむることになるという状況だ。だから魔物を殺すのはよくないと善人ぶるつもりはないし、民を襲っていたワーウルフロードを討伐したことに後悔はない。一切、ない。

 だがそれでも家族の死を悼み、復讐のためにブラットの前に現れたこのワーウルフロードの怒りと悲しみは、人間の持つそれとなんら変わりないものに思えた。ゲームに登場する魔物とは違う。本物なのだ。だから自然と謝罪の言葉が口をついて出た。

「ふ、ふざけるな……!!

 するとウルは一瞬だけほうけた表情をつくり、だがすぐに圧倒的な怒りと憎しみの感情をそこににじませた。

「すまなかっただと!? どの口が言っている!? 毒で身動きがとれずにどうしようもなくなったから、いのちいのつもりか!?

「命乞いじゃないさ、ただ素直にそう思っただけだ。家族を奪われる苦しみというのは、人も魔物も同じだろうからな」

 ウルはなにかをこらえるような表情をしたあと──

「そう思うのならば……死ね!!

 剣を構えて襲いかかってくる。

 麻痺毒におかされたブラット。せまりくるウル。万事休すといったその状況下で、しかしブラットは動じない。

 そしてウルの剣が振りおろされ、

「だが……死ぬわけにはいかない」

 しかしその瞬間だった。

 カキンッ!! と剣と剣の衝突音が響きわたる。ブラットが紙一重のところで抜剣し、向かってきた剣を弾きかえしたのだ。

 ブラットのけたはずれの筋力ステータスに負け、ウルの剣は勢いよく跳ねあがり、その手を離れてくるくると宙を舞った。

 ウルはきようがくに目を見開き、

「なぜ、動けるのだ……!?

「あいにく、状態異常への対策はだれよりもしていてね」

 ブラットはそう言いながら肩をすくめ、自身の体に視線を送る。

 視線のさき──首、腕、脚にはそれぞれしようしやな細工のほどこされた装飾品があり、それらのすべてに魔石が埋めこまれていた。

 実はブラットが身につけているこれら三つの装飾品のすべてが、状態異常効果を軽減させる効果を持つマジックアイテムなのだった。

「まさか……なぜあえてそんなものを!?

 ウルが驚くのも無理はない。

 ロジエが試合開始前に述べていたように、このバトルトーナメントにはマジックアイテムを三つまで身につけてもよいという決まりがある。

 出場選手は少しでもトーナメントでの戦闘を有利に進めるため、戦闘への干渉度が高い魔法攻撃への耐性を付与するマジックアイテムか、あるいは自身の魔法攻撃力をあげられるマジックアイテムを装備するのがセオリーとなっている。

 今回のブラットのように、あえて状態異常耐性を付与するマジックアイテムを選ぶものはいない。まして三つすべてをそうするなんて異例なのだ。

(俺からすれば妥当なんだがな)

 現状ブラットのレベルとステータスは、ほかの出場選手を大きく上回っている。

 通常の魔法攻撃程度ならば、わざわざ対策するまでもないのだ。

 一方で麻痺や毒といった状態異常は、レベルにかかわらず危険だ。だから三つすべてこれらの耐性を付与するマジックアイテムを選んだわけである。

 もちろんマジックアイテムがあれど、かんぺきにそういった効果を無効化できるわけではないが、三つものマジックアイテムを装備していれば、格下の麻痺毒ぐらいは身動きできる程度に軽減できる。おかげで現状も体が気だるい程度の感覚で済んでいた。

「く……だが、まったく効いていないわけではないのなら!」

 ウルはなにか次撃をくりだすことを決めたのか、苦々しげにそのように言いかけるものの、最後までその言葉をつむげなかった。


「悪いな、もう終わってる


 次の瞬間にはブラットがウルのふところに入りこみ、その拳をウルの腹に埋めていたからだ。

 ウルは力を失ってブラットの腕によりかかるようにゆっくりと崩れおち、そのまま舞台へと倒れふした。

 ウルはそれきり動かない。気絶してしまったようだ。

 闘技場がしんと静まりかえる。あまりに突然の戦いの幕引きだったため、観客もなにが起こったのか理解できなかったのだろう。

 しばしあって──


『しょ……勝者、ブラット選手!!


 ロジエがそう宣言すると、割れんばかりの歓声があがった。

 ブラットは手をあげ、歓声にこたえる。

『毒で一時はどうなるかと思ったデスが……気づけば終わっててなにがなにやら。解説の御三方どうなってるデスかね?』

 釈然としない様子でロジエが問うと、グラッセはブラットが勝利したからかご満悦といった様子で誰よりも先んじて答える。

『ブラットくんが持ちこんだマジックアイテム、あれはすべて状態異常への耐性付与効果のあるものだね。真のつわものは決しておごらない。抜け目のないブラットくんのことだ。相手がなにをしてくるかを事前に把握していて、準備していたのだろうね☆』

『え、ブラちゃんすご~い♥』

 セリエの称賛に気をよくしたらしく、グラッセはさらにじようぜつになる。

『ブラットくんがすごいのはそれだけじゃないよ☆ さっき相手の拳を受けたのもわざとだろうね。戦いでもっとも隙ができるのは攻撃をしかけるときだ。だからわざと拳を受け、で自分の体の自由が効かないということを相手に印象づけ、敵からの隙だらけの攻撃を誘発した。結果は見てのとおりだよ。ふつうにやりあってもブラットくんの勝利は揺るがなかっただろうに……まったく恐ろしい子だ。ぼくもうかうかしてられないね☆』

 グラッセの解説を聞くと、マーリンはごくりとつばをのみくだす。

『なるほど、ただの脳筋ではないというわけか……そこまで考えていたとなると、グラッセが一目置くのもわかるのう』

 解説陣の補足が入ると、ロジエは『さすがブラットさま♥』と大盛りあがりで、観客席の親衛隊も大きな歓声をあげた。

(まあ……実際はただ怖いのが状態異常ぐらいだからこの装備だっただけで、別に何かを把握してたわけじゃないんだけどな。拳を受けたのだって、ただ……)

 ブラットはやれやれと思いながら、ウルのほうへと視線を移す。

 だがそこで、ウルの姿がへんぼうしかけていることに気づく。

(……ん、変身がとけてきてるのか!?

 ディノの顔の原型はいまだとどめてはいるものの、その顔が元のワーウルフロードの獣顔に戻りつつあったのだ。じわじわと獣耳が生え、あきらかに体毛が濃くなってきていた。ブラットが気絶させたことで変身が解けはじめているようだ。

(まずいな)

 このディノが魔物であることがこのままあかるみに出れば、面倒なことになる。

 本物のディノの行方ゆくえについてもだが、あいつの動きについても聞きたいことがいろいろとある。ゆっくりと話を聞くためにも、正体はまだ隠しておいたほうがいいだろう。

 顕現しはじめたワーウルフの特徴を隠すため、ブラットはウルの体を抱えるようにして運びだす。

『おっと……対戦相手の体を気遣っているのでしょうか!? さすがブラット選手デス! 戦神のごとき強さのブラット選手相手に勝ち目がないにもかかわらず戦いぬいた選手たち、そしてなにより心優しいブラット選手にもう一度拍手を!!

 相も変わらずあからさまにブラットを持ちあげるロジエの声がとどろき、同時に大きな拍手が闘技場に響きわたる。

 というか、拍手しながら感動して泣いている観客までいるのはなんなのか。

(……いやもう、好きなようにしてくれ)

 もはや勘違いされることに慣れきっていたブラットは、あきれながらも大歓声に見送られながらアリーナから退場するのだった。


    4


 魔王軍は、主に五つの階級にわかれている。

 休眠状態の〝魔王〟は例外として、最高幹部の〝よんしよう〟を頂点に、上から〝魔団長〟、〝魔隊長〟、〝戦闘兵〟、〝雑務兵〟の五階級だ。

 基本的には階級は戦闘力の高さで決まるため、上位階級のものには魔物たちから自然と尊敬と崇拝の目が向けられることとなる。

 だがそういった肯定的な目と同時に、上位者となったものがねたみやそねみといった否定的な目も向けられるのは人間社会と同様だ。

 それは人狼族の戦士ウル・ガルロフが、双子の兄のアル・ガルロフとともに若くして〝魔団長〟に昇格したときも同じだった。

 ウルはいまでも当時のことをよく思いだす。


 ──それは数年前。

 ウルは戦功をたたえられ、兄とともについに〝魔団長〟に昇格した。これまでの軍への貢献を考えれば、それは至極当然のことだった。

 だがまだ若いこともあり、まわりからの風当たりは強かった。

『また人狼の兄弟が手柄をあげたらしいぞ』

『どうせまたずるい手を使ったのじゃろ』

『だな。人狼どもはいつも狡い手ばかりじゃ。そうでもなきゃ結果を出せぬ非力な存在だからのう。本当に卑しいものたちよ』

 そんなそしりの声が、次々と耳に届いたのだ。

 いまのウルならば、あるいはそういった声が出るのもしかたがないと大人の考えで無視できただろう。だが、当時のウルは非常に血気盛ん。すぐにきばきだしにして、陰口をたたいていた魔物につかみかかってしまった。

『弟よ……気にすんな、ただの妬みだろ』

 それをすかさずとめたのは兄だった。

『兄者……だが好きに言わせておけばオラたちのけんにかかわるぞ!』

『口ではなんとでも言えるさ。それはオラたちも一緒だ。オラたちまでこいつらと同レベルに落ちるこたあねえよ。だっせえだろ』

 兄はあくまでもそう冷静にウルをいさめ、

『……真の英雄ってのはな、口先でなく行動で示すもんだ。背中で語るってやつよ。あいつらが黙るぐらいでけえ手柄を立て、オラたちの強さを見せつけてやりゃいい。そして、いずれは兄弟そろってワーウルフキングへと進化してやんだ』

『オラたちが……キングに!?

 ワーウルフの上位種ワーウルフロード。

 そのさらに上位種がワーウルフキングだ。

 ワーウルフロードですら人狼族のなかで一握りのものしか進化できない上位種。キングともなると、もはやワーウルフの歴史のなかでも片手で数えられるほどしか存在しない。兄はそんな存在に兄弟そろってなると言ったのだ。

『ああ、そうだ。そうすりゃ魔将になるのだって不可能じゃねえ。ごちゃごちゃ言ってるあいつらをあごでこきつかってやることだってできるんだぜ。夢みてえな話だが、ガルロフ兄弟に不可能の文字はねえだろ?』

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる兄は自信に満ち満ちていて、その言葉がその場しのぎの虚勢でないことが見てとれた。

 ウルはこのとき兄のその言葉を聞き、その澄んだ目を見て、兄を信じようと決めた。生涯、兄についていこうと決めたのだ。

『そうだな……なってやろう、キングに』

『弟よ。ともに目指そう、高みを』

 しかし兄弟が誓いを立てるように互いにこぶしをぶつけようと手を伸ばした──そのときだった。


『……グアッ!?


 突如、兄の胸からが突きだした。

『あ、兄者……!?

 兄はうめき声とともに血塊を吐き、徐々に虚ろなひとみになっていく。

 背後から、何者かにつらぬかれたようだ。

『おまえは……ブラット・フォン・ピシュテル!? いや……違う』

 兄を背後から刺したその人物。

 それは最初あのピシュテルの王子の顔だったが、すぐにその顔はぐにゃりとゆがみ、やがてようえんな女の顔に変化した。


『……リオ、ネッタ』


 それは魔王軍の最高幹部、〝四魔将〟のリオネッタに違いなかった。

 リオネッタは口の端が裂けるような不気味な微笑を浮かべたかと思うと、兄の胸から勢いよくスルリと剣を引きぬく。

 そして剣からしたたる鮮血をめとりながらゆっくりとウルに視線を移し、次の瞬間こちらへと剣を振りおろしてきた。

 ウルは蛇のような視線ににらまれ、金縛りにあったように動けず──


「……!?

 ハッとして、ウルはかくせいした。

 全身に気持ちの悪い汗が伝っているのを感じながら目を開ける。

(夢……だったようだな)

 すぐに青空が視界に入り、それが夢だったことを悟ってあんする。

 あの日、実際に行われたウルと兄との誓い。そこに兄が殺されたという記憶が混ざって、途中から悪夢に変わってしまったようだ。

(ここは……墓地、か?)

 まわりを見ると、そこは墓地だった。

 ピシュテルの王宮裏にある墓地のようだ。

 王族や名だたる貴族のみが埋葬される由緒ある墓地であるらしく、通常の墓地とは比較にならぬほどれいなつくりをしている。各墓標のつくりの精巧さもそうだが、生えそろっている芝もふくめ、定期的に庭師によって手入れされているのだろう。

 その墓地の一角に、ウルは横たわっていた。

(そうだ、オラは兄者のかたきを討つために剣舞祭の予選に参加し……)

 ブラット・フォン・ピシュテルを毒塗りの剣で麻痺させることに成功したものの、それをブラットが装備していた耐性付与アイテムによって無効化された。

 そして直後に一撃をもらい、ノックアウトされてしまったのだ。

(なぜオラはこんなところに……?)

 試合中、すでにあの王子に自分の正体はバレていた。

 そうでなくとも気絶後に変身が解け、この人狼の姿は衆目にさらされたはず。

 となれば捕縛され、拷問されたのちに処刑というのが人間の手におちた魔物の末路だ。ろうに捕縛されているというのならばともかく、なぜこんな墓地にいるのか。

 ウルはいぶかしげにあたりを見回し、


「……!?


 そして視界に、覚えのある顔を見つける。

 直後。ウルは思考するまもなく、本能のままにその男に襲いかかっていた。一瞬で間合いをつめると、自慢のかぎづめを容赦なく振りおろす。

 しかし男はすでにそこにはおらず、鉤爪はブンッ! と空を斬った。

(速、すぎる……!?

 そして背後から気配を感じて振りむくと、気づけば男は自分の背後に立ち、やれやれと呆れたような微笑を浮かべていた。

「……俺に襲いかかる元気があれば、もう大丈夫だな」

 その男──ピシュテルの第一王子ブラット・フォン・ピシュテルは敵意などこれっぽっちもない穏やかな目で笑いかけてくる。

 一瞬その無防備な笑顔に毒気を抜かれそうになる。

 だがウルはすぐに首を振り、牙を剥きだしにしてブラットを威嚇した。

「なぜオラはこんなところにいる……!?

「そりゃ俺が運んできたからだよ。観客にバレないようにこっそり運ぶの大変だったんだぞ? 試合直後に変身が解けたからさ」

 どうもうな威嚇をものともせず、微笑まじりに肩をすくめるブラット。

(バレないように、運ぶ……?)

 ウルはまゆをひそめる。

 それはつまり──

「オラのことを……かばった、ということか?」

「……まあそうなるかな。でも勘違いするなよ。きたいことがあったからだ。あと、ここに連れてきたかったというのもある」

 ここに、だと? とウルはいぶかしげにあたりを見まわした。

 こんな墓地に自分を連れてきてどうするというのか。情報を訊きだしたあと、すぐにここに埋めるというわけでもあるまいに。

 なにしろここは、ピシュテルの王侯貴族のための由緒ある墓地だ。間違っても自分のような魔物を埋葬する場所ではない。

 考えていると、ブラットはひとつの墓標をおもむろに指さし──


「あれが……おまえの兄の墓だ」


 一言、そう告げた。

!?

 ウルは目を見開き、その墓標を見やる。

 真新しい花が手向けられた墓標にはなんの名も彫られておらず、ただ兄が死んだのと同じ日付だけが刻まれていた。

 この男の話が本当ならば、兄の名をこの男が知るはずもないので、それは当然のことだろう。

(あり……えん)

 だが──本当のわけがない。

 敵であった魔物をわざわざこの由緒ある墓地に埋葬するなんて、そのようなことをする馬鹿げた人間がいるわけがないのだ。

 そう思いながらも墓標のまわりのにおいを確かめると、しかしそこには確かに兄の体臭が残り香としてわずかにただよっていた。

 間違いない。

 ここに兄が埋葬されている。

「とりあえず埋葬はしたが……人間の弔いかたが気にいらないなら、掘りかえすなりなんなりおまえの好きにすればいい」

 ウルが目を向けると、ブラットはため息まじりに肩をすくめた。

 ウルは兄の墓標に歩みより、その前で歯を食いしばった。それから墓標をしばし見つめたのち、ブラットを振りかえった。

「なぜ兄を……魔物をこのように弔った?」

 ブラットは考えるような仕草をして、

「おまえの兄は町で暴れ、民を傷つけた。結果、俺に討伐された。その事実を考えると、おまえの兄を憎らしくは思えど弔おうとは確かに思えない。だけど今回は例外だ。おまえの兄の一連の行動は、おまえの兄の本意ではなかった。そう思ったからだ」

「……本意では、なかった?」

 どういうことだ? と眉をひそめるウル。

 ブラットは不思議そうな顔で、

「……知らなかったのか。いやそうか。試合の様子を見るに、おまえ自身も同じ影響を受けているようだったからな」

「……影響? なんのことだ?」

 ひとり納得するブラットに説明をうながす。

「人狼族は賢い種族だ。冷静に考えて、その種族のなかでも上位種のおまえの兄が、王都であのような無謀な暴走をするのは不自然だろう。人目につかないようにこうかつに俺をしとめようとするはずだ。おまえの兄はおそらく、なんらかの魔法の影響で理性を失っていたんだ」

 ブラットはそう肩をすくめる。

 確かに考えてみるとそのとおりだ。

 兄は昔からいつも冷静で、血気盛んな自分をいさめる立場にあった。そんな兄があのような無謀な行動を起こすのは不自然だ。

「なぜ……オラは疑問に思わなかった?」

 あきらかに兄の行動は無謀すぎる。

 なぜ自分はとめなかったのか。

「言ったろ、おまえも兄と同じく正気ではなかったからだ。おそらく……〝幻惑魔法〟によって錯乱状態にあったんだろう」

「オラが……〝コンフュージョン〟に!?

 ──〝コンフュージョン〟。

 それは対象に幻覚を見せたり、対象の精神に干渉したりすることで、対象を惑わせて思考を混乱させる第四位階の幻惑魔法だ。

 幻惑魔法にかかっていたとすれば、あの兄の無謀な行動や、自分が兄の行動を疑問に思わなかったことも説明がつく。

 だが人狼族は元々、そういった精神操作系の魔法への耐性が高い。人狼族のなかでもワーウルフロードという上位種にまで進化した自分や兄はなおさらだ。影響を与えられるほどの幻惑魔法の使い手なんてそうそういない。

(いや……いる)

 自分や兄に影響を与えられるほどの幻惑魔法の使い手。その人物にたったひとりだけ心当たりがあることに気づく。

 ──〝人形遣いドールマスター〟リオネッタ。

 その分野を得意とする彼女の幻惑魔法ならば、自分や兄すらも手玉にとれよう。むしろ彼女にしかできないとすら思える。

「まさか……あの女が」

 今回この王都へと旅立つ前、ウルは兄とともにリオネッタと会っている。

 彼女も眼前のブラット・フォン・ピシュテルを始末するためにピシュテルを訪問するとのことだったので、作戦の擦りあわせをするためだ。

 そして結局は互いに互いのやりかたがあるだろうと干渉しあわず、それぞれのやりかたでターゲットをねらうことになったのだ。

 だが思えばあの女と会ったあとぐらいから、自分も兄もどこか思考がおかしかったように思う。

「やはり、リオネッタがからんでいるのか?」

 ブラットにふいにたずねられ、ウルはまさかと目を見開く。

 どういった思考を経れば、リオネッタにまでたどりつけるのか。さきの試合で見せた戦闘力といい、やはりただものではない。

 これほどに頭まで切れるとなると、状態異常への耐性付与アイテムを装備していたのも、自分の存在を見抜いたうえで準備されていたのではという気さえしてくる。

 それぐらいに、底知れぬ男だと思った。

 だがブラット・フォン・ピシュテルという人間に脅威を感じつつも、ウルの内心にはそれをかき消すほどの大きな激情がわきあがってきていた。

(リオネッタ……あの女が、兄にあんな無謀な行動をさせたのか)

 リオネッタは魔将のひとりで、ウルにとって敬うべき人間だ。

 しかし兄があの女の魔法で正気を失い、無謀にも敵地で暴れて命を落としたとすれば、それは到底許せることではない。

 兄がみずからの意志で堂々と戦ったうえで散っていったのなら、まだ納得できる。だがあれでは兄はただの犬死である。

「……」

 ウルはぎりとみし、身をひるがえす。

 全身が怒りに打ち震えていた。

 リオネッタがどういうつもりで兄や自分に魔法をかけ、あのような行動をとらせたのか。それを知らねばならない。

「……どこへ行く?」

 ブラットにそう声をかけられるが、ウルは振りかえらない。

「ブラット・フォン・ピシュテル……おまえは後回しだ。首を洗って待っておけ」

「ディノはどこだ? 殺したのか?」

 訊ねられ、ウルは立ちどまる。

 視線をちらと動かし、この男がつくった兄の墓標を見やる。

 兄を弔ってくれた。それについては恩がある。

「……学院の第二棟、倉庫を調べろ」

 一言そう言いのこし、ウルはそのりよりよくをいかんなく発揮して駆けだした。


    5


(……やはり、リオネッタか)

 ワーウルフロードのウルが去ったあと、ブラットはひとり思案する。

 これまでのワーウルフロードの一連の事件について、リオネッタが裏で糸を引いていたのはまず間違いないだろう。

 そしてそれはおそらく、『ファイナルクエスト』の史実にはなかったできごと。ブラットが史実と異なる行動をしたからこそのできごとだ。サイクロプスを討伐したブラットが危険視され、リオネッタが始末すべく動きだしたといったところか。

 リオネッタは『ファイナルクエスト』作中でブラットをやみちさせた元凶。

 それが本編開始にさきだって暗躍しはじめたとなると、死亡エンド回避を目指すブラットにとって看過できることではない。

(だが……いま戦うのは危険だな)

 ブラットのレベルは五六。

 これは『ファイナルクエスト』本編で魔王を攻略可能なレベルであり、中ボスのリオネッタならば当然攻略できるはずのレベルだ。

 しかしそれは、あくまでも同レベルのパーティーメンバーが四人そろっていればの話。単独で相手をするとなると、攻略難易度は跳ねあがる。

 リオネッタの手のうちを熟知しているブラットであっても、事前準備を周到にしたうえで勝てるかどうか自信がないというところだ。

(ディノ救出後にグラッセさんたちに協力を仰ぎ、それから一緒にあのワーウルフロード……ウルを追跡するのが無難なところだが)

 考えながら、ウルが去ったほうを見やる。

 リオネッタは基本、残虐な性格だ。自分と一握りの特別な存在は別として、それ以外の他者は利用するためのものとしか思っていない節がある。

 あの勢いのままにウルが食ってかかれば、まず間違いなくリオネッタに殺されることになろう。

(……みんなを呼びに行ってたら、間に合わないだろうな)

 たかが魔物が一体死ぬだけ。

 しかも自分の命をねらってきた敵だ。

 ざまあみろ、と思うのが通常である。

 だが兄を手にかけた罪悪感もある。リオネッタに命を脅かされるあの魔物のことが、他人ひとごととは思いきれない自分もいた。

 なによりワーウルフロードたちの不幸は、おそらくブラットが前世の記憶で史実を変えたから起こっていることなのだ。

(いやいや……自分の命をねらってきた敵にいちいち同情するなんて、いまどき熱血少年マンガにもいないレベルのバカだぞ)

 ブラットは頭をぶんぶんと振る。

 しばし思考したあと、小さく息をつく。

 おもむろに交信用の魔石を取りだすと、自身の魔力を流しこんだ。


『──はい、こちら王宮のエイバスでございます。殿下、御用ですか?』


 まもなく魔石は淡い光を放ち、信頼している王宮執事長につながる。

「いまから学院に人を向かわせてくれるか?」

『学院に……でございますか?』

 いぶかしげなエイバスに、ブラットは迷いなくうなずく。

「悪いが調べてほしい場所があるんだ。本当は自分で確認したいんだが、ちょっとほかに行かなきゃいけないところができたんでな」