一話 黒豚王子は帰還する



    1


 ──夢を、見ていた。

 ブラットが引きこもってしまい、周囲から〝黒豚〟と呼ばれはじめた一二のころの夢だった。


『殿下、マリーさまがいらっしゃいました』

 いつものようにブラットが部屋に引きこもり、だらだらと寝そべって高価な茶菓子を食べていると、当時の専属侍女が客人の来訪を告げた。

『まさか……またなのか? 出かけていると言っておいてくれ』

 ブラットはげんなりとした様子で侍女に告げる。

『いえ、殿下それはさすがに……』

『それは無理なご相談ですわ、殿下』

 言いよどむ侍女の後ろから、マリーがひょいと顔を出す。

ようせい姫〟と言われるようになるのはまださきのことではあったが、そうなるポテンシャルはいかんなく発揮されており、すでにけたはずれに整った容姿をしている。

 だがそのかわいらしい顔を見ても、ブラットの表情は晴れなかった。

『しつこいぞ、俺は外には出んと言っているだろう』

『殿下は本当に頑固ですわね。ずっと部屋にいても、やることがないのではありませんか? 遠乗りにでも行ったほうが楽しめますわよ』

 マリーはあきれた様子で言う。

 ブラットが引きこもりはじめてから、マリーは律儀にも週に一度はブラットのもとを訪れ、こうして外に連れだそうと説得してくるのだ。

 しかし当時のブラットからすれば、何度も来られるのは正直迷惑でしかなかった。

『……行かないと言っている。なぜそんなに俺に構うのだ?』

『婚約者ですもの。婚約者というのはそばによりそい、つらいときはそっと支えるものだとおかあさまがおっしゃっていましたわ。だから、ほら行きましょう?』

『いらんからいますぐ出ていけ! もう来なくていいぞ』

 手を差しのべるマリーに顔すら向けず、ブラットは冷たく言う。

 こんなふうにクズのブラットが冷たく突きはなし、せっかく来てくれた心優しいマリーを乱暴に部屋から追いだしてしまうところまでが、いつもの一連の流れなのだった。

 だが──

『そうですか……でしたらもう来ませんわ』

 いつもならば『また来ますわ』と言いのこして出ていくマリーが、なぜだか今回はそんなふうに言い、冷めた目でブラットを見てきた。

『え……?』

 ブラットは驚いて、慌ててマリーを見やる。

 何度きつく当たっても、マリーはそれでもブラットのもとを訪ねてくれた。にもかかわらず唐突に突きはなすようなことを言われ、当惑してしまったのだ。

 ブラットはマリーの来訪を迷惑とは思いつつも、嫌なわけでもなかった。

 王宮のだれからも相手にされなくなりつつあった〝黒豚〟のブラットにとって、マリーの来訪は彼女の言うとおり、大きな心の支えにもなっていたのだ。

 そもそも美しい少女に構われて、うれしくない男はいない。たまにマリーが用事で来られないときには、そわそわしてなぜ来ないのかと勘ぐっていたぐらいだ。

 ただ、かんぺきな公爵令嬢と言われるマリーへの劣等感から、それをうまく表現できなかったのだが。

『もうさすがに愛想がつきましたの。さようなら』

 ブラットを〝黒豚〟とさげすむものたちと似たような表情で、マリーはブラットに淡々と別れを告げると、身をひるがえしてさっさと部屋を出ていってしまう。

『ま……待ってくれ、マリー!』

 いまさらそんなふうに情けない声を張りあげて追いすがるものの、マリーは振りかえることなく、その背は視界のなかでみるみるうちに小さくなってしまう。

 ブラットは何度も呼びかけるが、マリーは最後まで振りかえることなく──


……ッ!?

 ブラットはハッと目を覚ました。

 慌ててマリーの姿をさがし──だがすぐにそこが王宮の自室ではなく、ピシュテル王国に向かって飛んでいるギルガルドの背の上だということに気づいた。

(夢……だったのか)

 自分が悪夢を見ていたことをようやく理解する。

(はあああぁぁ……よかった)

 冷や汗を手の甲でぬぐいながら、ブラットは胸をなでおろす。

 しかし、安心してばかりはいられないだろう。

 けんさいで優勝という結果を出せなければ──約束を果たせなければ、マリーとの婚約はこのまま破棄となり、さきほどの悪夢は現実になるかもしれないのだ。

 マリーはずっと、ブラットの心の支えになってくれた。

 家族のような──いや、それ以上に支えてくれた存在なのだ。

 くろかわはやとしての記憶を取りもどし、この世界が『ファイナルクエスト』というゲームに似た世界だとわかったいまでも、彼女へのおもいは変わらない。

『ファイナルクエスト』というゲームのキャラクターとしてではなく、マリーを心から大切に思っているのだ。だからこそ身勝手であるのは承知しつつも、婚約破棄という形で離れるのは断固阻止し、これからは自分が彼女の支えになりたいと思っていた。

 ブラットがあらためてそんな決意をしていると──

(お、着いたか)

 ギルガルドが甘えた鳴き声をあげ、あごをくいとやってブラットに下方を見るようにうながす。

 そこには、ピシュテルの王都フォールフラットが広がっていた。

(お、もうすっかり剣舞祭仕様だな~!)

 一月ぶりの王都を見下ろし、感嘆するブラット。

 スカイマウンテンへと旅立つ前は石造りの落ちついた色合いを見せていた王都フォールフラットだが、剣舞祭が近いこともあって街のいたるところに色鮮やかな装飾がほどこされ、テーマパークのようなにじいろの街へとへんぼうを遂げている。

 特に街中にぷかぷかと浮かぶ色とりどりの魔法の球体〝マジックボール〟は、近年の魔導力技術の進歩を如実に表わしているようで見ているだけでわくわくしてくる。

 魔法都市の最高指導者マーリンをはじめとする魔法学者の尽力により、魔導力技術は日々格段に進歩している。そして日常に必要なインフラとしてだけでなく、ついには娯楽としても利用されはじめているのだ。

 そういった細かな部分にしっかりとしたロジックがかいえるたび、この世界は『ファイナルクエスト』と酷似しているが、やはり現実なのだと再認識させられる。

 そんなことを考えながら、ブラットはいつもよりも人通りの多い王都をぼんやりと見下ろしつつ王城の竜舎へと向かう。

 しかし、ギルガルドに高度を下げるように命じたそのときだった。


 ──キャアアアアアッ!


 耳をつんざく悲鳴が聞こえた。

 竜の翼の風切り音のなかで耳に届いたのだから、そう遠くはないだろう。

(……貴族街のほうだな)

 声のした方角から即座にそう判断する。

 ブラットは進路をきゆうきよ変更し、愛竜に貴族街に向かうように命じた。


(なにが……あったんだ?)

 貴族街上空にたどりつき、ブラットは目を細める。

 貴族街はしようしやな建物が立ちならび、道路も他区域よりきれいに舗装されている。貧民街にまで石畳の敷かれた王都フォールフラットでも、特に美しいエリアだ。

 しかしそんな街並みの一角がいま、半壊状態となっていた。まるで戦があったかのように、十数軒もの建物の壁がえぐれ、屋根が崩れおち、れききちらしている。

 そして。

 ブラットは広場のあたりに、その状況の原因であろう巨大な魔物の姿を発見する。

「──〝イーグルアイ〟」

 視力強化のじゆもんを使用し、目を凝らす。

 すると、広場の様子が双眼鏡を使っているかのように拡大されて視界に広がる。


(あれは……ワーウルフロード!?


 そして広場の魔物の姿をあらためて確認し、ブラットは目を見開いた。

 ──ワーウルフロード。

 二足歩行でおおかみの頭部を持つ獣人型の魔物、ワーウルフの上位種である。

 ふだんの姿形は、狼男といった外見のワーウルフとほぼ同じ。身体からだが一回り大きいぐらいだ。

 しかし戦闘時にはドラゴンの成竜ほどの大きさにまで巨大化し、ワーウルフと比較にならない桁外れな力を発揮する。ワーウルフのボス格である。

 眼下のワーウルフは実際、立ちならぶ建物と同じぐらいの大きさにまで巨大化している。ロードでまず間違いないだろう。

 ちなみに『ファイナルクエスト』作中においてはメインストーリーにこそ関わらないものの、レアアイテム獲得のためのサブストーリーに中ボスとして登場する。

 物語中盤のサブストーリーということもあり、レベルは確か二五を超えていたはず。そのへんに出現する竜種の魔物よりもよっぽど危険で、サイクロプスに匹敵する存在だ。

(いったいなぜこんなところに……?)

 そんな強大な魔物が王都で暴れているなんて、通常では考えられないことだった。

 しかし、いまは考えている場合ではない。

 広場には多くの民や騎士がいて、いまも危険にさらされている。そしてワーウルフロードは広場のすみに皆を追いつめ、いつ彼らに襲いかかってもおかしくない状況だった。

(……え、あれってロジエじゃ!?

 追いつめられている民の顔がふと視界に入り、ブラットは目を見開く。

 民のなかに──というより先頭に、ブラットの専属侍女ロジエの姿があったのだ。

 ロジエはぜんとした表情で、ワーウルフロードの前に立ちはだかっていた。

 なぜ逃げないのかと思ったが、よく見ると彼女の背後にはごうしやな馬車が横倒しになっており、馬車に乗っていたであろう人々が身を寄せあっておびえていた。

 そこにはドレス姿の令嬢方やロジエの友人の侍女──確かリイナという名のハーフエルフ──の姿もある。ロジエは気丈にも彼女たちをかばっているようだ。

「……バカが」

 状況を理解してからのブラットの動きは、迅速だった。

 ギルガルドの背で立ちあがり、抜剣する。

 そして──跳んだ

 そこは王都のはるか上空。

 常人が落ちたらまず助からない高さだというのに、一切のちゆうちよなく愛竜ギルガルドの背から飛びおりたのだ。

 ギルガルドの体をるようにして飛びだしたこともあり、まるで夜空にきらめく流星のような勢いで広場へと急降下する。

「──〝レビテーション〟」

 そして広場が視界のなかで大きくなってきたところで浮遊呪文を発動。

 高度一〇〇メートル、九〇メートル、八〇メートル……地上が近づくにつれ、落下の勢いをじわじわとゆるめてコントロールする。

 そしてワーウルフロードがいよいよロジエたちへと襲いかかろうとしたそのとき、ブラットは間一髪のところで地上へと到達し──


────


 剣をいつせん

 ワーウルフロードの頭部が鮮血のしぶきとともに跳ねあがり、宙を舞う。

 それとほぼ同時に──ズンッ! とブラットは広場の石畳に着地。その勢いで地面がえぐれ、瓦礫と土煙がわずかに舞いあがる。だが落下してきたその勢いを考えれば、浮遊呪文を完璧に制御していたこともあり、驚くほど静かな着地と言えた。

 そしてブラットが剣に付着した血を払った瞬間、ワーウルフロードの頭部が地に転がり、それとともに残った胴体も音を立てて崩れおちた。

 広場が水を打ったように静まりかえる。

 あまりに一瞬のできごとだったので、みな状況をのみこめないのだろう。

『信じられない……あの魔物を一撃で!?

 しばしあってようやく騎士のひとりが、きようがくのうめきをもらした。

 その騎士の言葉を皮切りに、ざわめきが広場にさざなみのように広がる。

『我らではまったく歯が立たなかったというのに……何者だ!?

『バカもの、仕える殿下の顔を忘れたか! ブラットさまだろう!』

『え、あれがブラットさまだと!?

 姿が変わりすぎて、ブラットとわからぬものが多数のようだ。

 しかし王宮でせつつあったブラットを目にしていたものも多く、特徴的な銀髪に褐色の肌のおかげもあって皆すぐに納得してくれる。

『変わったという話は聞いていたが……』

『短期間でまさかここまで……信じられん』

 ブラットの変貌ぶりとその強さに場がどよめくなか、騎士隊長は冷静にワーウルフロードの死を確認し、ケガ人たちを運ぶように騎士に指示を飛ばす。

 騎士たちはその指示で冷静さを取りもどし、ケガを負った仲間やリイナ、令嬢たちを広場から運びだしていく。迅速な対応である。


「ブラット……さま、デス?」


 声をかけられ、振りかえるとロジエの姿があった。

 魔物と対面していた緊張感がまだ残っているのか、どこか怯えた様子だ。

「ああ、もう大丈夫だ。よくがんばったな」

 ブラットは安心させようと微笑ほほえみかけ、ポンとロジエの頭に手をおく。

 途端。その行為がたまりにたまっていた感情の起爆装置になってしまったらしく、ロジエはその愛らしい顔をくしゃっとゆがめた。

 そして激情をこらえるように首を振り──

「うわあああああん、ブラットさまあああああああああああ! 怖かったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!

 号泣しながら、胸に飛びこんでくる。

 よっぽど怖かったのだろう。

 体中の水分をすべて出してしまうのではないかというほどに涙をぽろぽろとこぼし、ブラットに強く強くしがみついてくる。

 ブラットはしかたないやつだなと思いながらも、よしよしと頭をなでてやる。

 そんな感動的なシーンではあったのだが、

(……うわ、鼻水やばい)

 ロジエは涙と同じぐらいに鼻水もだらだらと流しており、その顔でブラットの胸に顔をうずめてきたものだから、鼻水で服が悲惨なほどにぐちょぐちょになっていた。

 糸まで引いていたので正直すぐにでもこの鼻垂れ娘を引きはがしたかったが、事情が事情だ。今回だけ──今回だけは特別に見逃してやることにした。

「?」

 ふと、背後から視線を感じる。

 目を向けると離れた脇道の陰から、こちらをのぞく妙な人影を見つけた。

(あれは……?)

 すでに視力強化のじゆもんの効果は切れていたため、顔は確認できなかった。

 そしてブラットの視線に気づいたのか、人影はすぐに陰に引っこんでしまう。同時にその人物のまとうマントが大きく風にたなびいた。

(灰色の……マント)

 そのマントが見えたきり、人影がふたたび顔をのぞかせることはなかった。

 人影のあったその場所をしばし注意深く見つめながら、ブラットは目を細めた。


    2


「……それで、なにがあったんだ?」

 ロジエが落ちついたのを見計らい、ブラットは事の経緯をたずねた。

 ところ変わり、王宮のブラットの私室。

 ブラットとロジエの二人は、ソファーに向かいあって腰かけていた。

 広場はいまだ混乱していたうえ、残っても面倒なことになりそうだったので、ロジエを連れてさっさと王宮へと戻ってきたのだ。

「わたしも……正直よくわからないデス。リイナと買いだしを頼まれ、広場を歩いていたら急にあの魔物が現れて、建物を手当たり次第に壊しはじめたデス。街は大混乱になってわたしも逃げようと思ったデスけど、通りがかった馬車が魔物に転倒させられて手をお貸ししていたら……」

「一緒に逃げ遅れたわけか」

 ブラットがため息まじりに言うと、ロジエはバツが悪そうにうなずいた。

「……おまえの命はおまえのものであると同時に、主人である俺のものでもあるんだ。できるかぎり危険な真似まねはしてほしくないな」

「申し訳……ございませんデス」

 ブラットが厳しい口調で言うと、ロジエはしゅんとうつむいてしまう。

 だがブラットは「だれが謝れと言ったんだ?」とくすりと微笑まじりに言い、犬でもなでるようにロジエの頭をわしゃわしゃとなでまわす。

「え、だって危険な真似をしたから……」

「できるかぎり……と言ったはずだ。窮地の人に手を貸すのは、淑女として当然の行い。自身を危険に晒してまでも、おまえは人を救おうとした。それはとても勇敢で、称賛されるべきことだ。誰にでもできることじゃない。俺はおまえの主人であることが誇らしいよ。ロジエ、よくやった」

 ブラットがそう微笑みかけると、ロジエは驚いたようにきょとんと目を見開き、やがて感情をこらえるように唇をみしめた。

 結局最後には涙ぐんでしまったロジエを見て、ブラットはくつくつと笑う。

「おいおい、さっき散々泣いたろう?」

「申し訳……ないデス。でもブラットさまが悪いデスよ……すぐ泣かせるようなことをおっしゃるから。わたしめもブラットさまの侍女であることが心から誇らしいデス……このロジエ、これからも全身全霊をかけて貴方さまにお仕えするデス!」

 ロジエはごしごしと目元をぬぐい、決意するようにぐっとにぎこぶしをつくった。

 大げさだな、とブラットは肩をすくめる。

「にしても……ワーウルフロードがなぜ王都に? あんなものそううろついている魔物ではないのだが。もしもあれほどの魔物が度々出現していたら、人間なんてまたたくまに絶滅だぞ」

「確かにそうデスね……騎士だけじゃなくて、アルベルトさまですら歯が立たなかったデスから。とんでもない強さだったデス」

 ロジエは当時の恐怖を思いだしたかのように、ぶるっと身を震わせた。

「え、アルベルトがあの場にいたのか?」

「はい、騎士さまと一緒に駆けつけてくださったデス。ブラットさまが来る前に倒されてしまったのデスが、治療されていたので命に別状はないと思うデス。ただ、ブラットさまがあの魔物を倒したと知ったら、悔しがるかもしれないデスね」

 ロジエは悪戯いたずらめいた笑みを浮かべる。

 一方でブラットのほうは、弟が無事とわかってホッと胸をなでおろしていた。

『ファイナルクエスト』作中でアルベルトは勇者パーティーの一員だ。万一があってはこまる。

 それに仲こそよくはなかったが、なんだかんだと血をわけた弟。情はある。これから仲を深めようと思っていたので、何事もなくて本当によかった。

「……」

 しかしアルベルトが倒されたとなると、やはりあの魔物はワーウルフロードに間違いないだろう。そうなると、やつが王都に侵入した方法自体は見当がつく。

 ワーウルフは人間に姿を変え、社会に溶けこんでこうかつに人間をねらう魔物だ。人間に姿を変えて侵入したということだろう。低位のワーウルフならば検問で見破られるだろうが、ロードともなると高度な変身能力を有していて看破するのは至難だからだ。

(だが……妙だな)

 ワーウルフは知能が高く、街なかで派手に暴れるような真似はしない。精々ひそかに街に忍びこみ、人間をだましてらう程度のものだろう。

 上位種のロードとなると、なおさらありえない行動だ。

 どうもきな臭いにおいがぷんぷんしてきた。

「……ワーウルフロードはどんな様子だった? なにか話しかけてきたか?」

「いえ……なにも。完全に血に飢えた獣って様子だったデス。ものすごく血走った目で手当たりしだいに人に襲いかかって暴れていたデス」

 ブラットは目を細める。

 ライカンスロープという近似種の魔物ならば、満月を見ると理性を失うという習性がある。しかしワーウルフは別だ。そういった偶発的な事故が理由で理性を失うことは、まずありえないと言っていい。まあそもそも昼前なので月すら出ていないが。

「ほかになにかワーウルフロードや街の様子について気になることはなかったか?」

「う~ん……必死だったので特には」

 お役に立てず申し訳ございません、とロジエはすまなそうに頭をさげてくる。

 何者かにワーウルフロードが操られていたのではないかと推察するブラットだが、そう結論づけるには情報が少なすぎるのが現状だった。

 怪しいものと言えば、さきほどの灰色のマントの人影が思いつくが、顔もまったく見えなかったのでやはり手がかりはないも同然である。

(灰色のマント……)

 この世界では、マントで人間の出身国を見分ける慣習がある。特に決まりがあるわけではないが、人々は自身の国の模様や色のマントを身につけることが多いからだ。

 あの灰色のマントは、おそらく〝灰色の帝国〟ダストリアのもの。

 そして『ファイナルクエスト』の主要登場人物のなかで、ダストリアの人間と言われて浮かぶのはひとりだけだった。

 なぜならダストリアという国は本編開始時にはすでに存在しておらず、魔王軍による謀略で国ごと滅ぼされていたからだ。

(いやしかし……この世界ではまだダストリアは滅びていないはず)

 ダストリアの人間は、まだ大勢いるのだ。

 おそらく、あの人影はほかの人間だろう。そもそもあのキャラクターがこのような異国の街なかをかつしているわけがない。

 なんにしろ父や国の重鎮には、できるかぎり情報は伝えておくべきだろう。

 考えていると、ロジエが「それはともかく」と言葉をつぐ。

「あらためまして……ブラットさまおかえりなさいデス! 心配しておりましたが、無事に帰ってこられてよかったデス! 一月会わないあいだにまたしくなられて……! というか、アルベルトさまでさえ歯が立たなかった魔物を一瞬で倒してしまうなんて……! さすがブラットさまデス……! 専属侍女として鼻が高いデスよ……!」

「まあ……血のにじむような修行をしたからな」

 目を輝かせるロジエに罪悪感を覚えつつ、ブラットは頭をかいてごまかす。

 実際はオリハルコンスネークを求めてひたすらダンジョンをさまよい、見つけ次第討伐するという単純作業をくりかえしただけだが、リスクをおかしてのレベリングだったのは間違いない。血も、かすり傷ぐらいは負ったはずだ。うそではないだろう。

「すごいデス、すごいデス……これで剣舞祭も大活躍で優勝間違いなしデスね!」

 言われ、ブラットはハッとする。

「そうだ、選手登録はどうなっている!?

「もう締めきってるデスよ? あと一週間で予選だから当たり前デス」

 な……!? とブラットは絶句する。

 剣舞祭に参加できないとなるとこれまでのがんばりはなんだったのか、とレベリングの日々が走馬灯のように頭のなかを駆けめぐる。

 しかしブラットが間抜け顔であんぐりと口を開けていると、ロジエが鼻を鳴らす。

「ふっふ~ん……ご安心くださいデス! こんなこともあろうかと、このわたしめが手を回してブラットさまの選手登録を完了させておきましたから」

「ほ……本当か!?

 ブラットが慌ててきかえすと、ロジエはこくりとうなずいた。

 えっへん、と誇らしげである。

「でかした……でかしたぞ、ロジエ! 出場できないのでは、なにも意味がないからな……! さすがだ……できる侍女はやはり違うな!」

「え、そんな褒めてもなにも出ないデスよ~♥」

 ロジエはな顔でくねくねと身をよじり、まんざらでもない様子だった。

 この侍女のこういうちょろいところは、やはりかわいらしいものだ。仕事もできるのだからさすが俺が選んだ侍女だ、とブラットは自画自賛して満足気にうなずく。

 まあ実際に選んだ基準は、顔がかわいらしくて好みだったというのと、従順そうなところが気にいったというしょうもない理由だったのが。

「でもでも……もっと褒めてくれてもいいデスよ~♥ あと、ご褒美に頭なでなでしたり……なんならまたぎゅっと抱きしめても! あわよくば壁ドンして……〝ロジエ、実は俺はおまえのことが……〟なんて口説いちゃっても! あ、でもそれはやっぱりダメデス! わたしは下級貴族出身の侍女で、ブラットさまは一国の王子さま……マリーさまという婚約者さまもいらっしゃいますし……それは許されざる恋なのデス♥ キャッ、わたしったらなに言ってるんだろ♥」

「……」

 なにかロジエがひとりで勝手に盛りあがって暴走を始めたが、ブラットはいつものことだと気にもとめずにぐぐっと背筋を伸ばした。

「よし、選手登録ができてるなら安心して明日からも修行できるな!」

 ロジエはハッと我にかえった様子で、

「な、なに言ってるデスか!? 明日からはちゃんと学院に行くデスよ!? これ以上休んだら、ほかの学院生に示しがつかないデス! 今日まで散々修行してきたデスから……剣舞祭までの期間は休むデス。身体からだを休めておかないと、当日に力が発揮できないデスからね!」

「わかってるわかってるって」

 言われずとも、授業には出るつもりだった。

 なにしろ出ておかないと、後々さらにめんどうなことになるかもしれないのだ。人付き合いが苦手なうえにこれまでの振るまいもあって学院に行くのはゆううつだが、これも身から出たさび。自分が前世の記憶を取りもどす前のこととはいえ、しりぬぐいは自分でせねばなるまい。

「でもいまのブラットさまをごらんになったら、きっと皆さまびっくりデスよ! あんな魔物を一撃で倒しちゃうぐらい強くなってて、おまけにこんな絶世の美少年になっていらっしゃるんデスから……令嬢方がきっと放っておかないデスね!」

 ちょっとせたぐらいで大げさだな、とブラットはやれやれと肩をすくめる。

 確かにこの一ヶ月半の修行ですっかり痩せ、理想体型にはなった。

 しかしこれまでのブラットの学院での振るまい、そして自分が生徒たちにどう扱われてきたかを考えると、それぐらいのことでなにか変わるとは思えない。

 ロジエは主人補正でよく見えているのかもしれないが、もっと客観的に見るべきだろう。


 そう思っていたのだが──

 ブラットは翌日実際に学院へと行き、そして自分を客観的に見ていなかったのはロジエでなく自分のほうだったことをまざまざと思い知らされるのだった。


    3


 ブラット・フォン・ピシュテル。

『ファイナルクエスト』作中では魔王軍最高幹部〝よんしよう〟のひとりの手によってやみちし、父であるピシュテル国王を殺害。その後に王位に就いて暴政のかぎりを尽くし、最後には国民を魔王のいけにえささげようとする悪役キャラクターである。

 そしてこれは本人に転生してみてわかったことなのだが、そんな悪役としての兆候──性格のゆがみは本編開始のはるか前から見られた。

 おもな原因は、幼少期のとある事件と周囲からのいじめだ。

 ブラットは事件をきっかけに、人が変わったように暗くなって部屋に引きこもりがちになってしまった。

 結果、日々の努力を怠るようになり、能力も容姿も急速に劣化。次第に弟のアルベルトと比較されて陰口を言われたり、陰湿ないじめを受けるようになった。そんな周囲からの心ない仕打ちがブラットの幼心を傷つけ、さらにブラットの性格を醜くゆがませてしまったのだ。

 貴族の大多数がアルベルトに肩入れし、ブラットを軽んじていたのも大きいだろう。

 ブラットが虐げられているのを知りながらも、それを助けようとするものが王宮にも学院にもほとんどいなかったのだ。

 おかげで最初のうちは〝腐っても王子だから〟とブレーキのかかっていたいじめ行為は次第に歯止めが効かなくなり、れつさを増していったのだ。

 結果──

 ブラットは自己防衛のため、性格のゆがんだ人間へと変わらざるをえなかった。

 そして生まれたのが、前世の記憶を取りもどす前の高慢ちきなブラット。

 他人にはいつも高圧的に振るまい、自身にきばいたものには裏で手をまわし、陰湿にふくしゆうをしてのける〝黒豚王子〟なのだった。

 とはいえ、あくまでも復讐は復讐だ。害したのはブラットを虐げて危害をくわえてきたものだけで、それ以外のものには基本的には手を出さなかった。

 ブラットの直接的な被害を受けたものは、総じて因果応報だったのだ。

 そう考えると、『ファイナルクエスト』本編開始前のブラットは悪役キャラクターと言えるほどの悪人ではなかったとも言える。

 しかし、一部の人間に対してブラットがやりすぎていたのは否めない。

 特にわいを贈って宮廷仕えの貴族を左遷させたり、学院生の評価を改ざんして落第させたりしたのは、さすがにやりすぎだったと思う。

 それについては、ブラットは前世の記憶を取りもどしてからロジエや信頼できる使用人の協力を得て、自身がやりすぎたと判断したものに順にしようを行っている。

 最低限の清算は済ませたのだ。

 とはいえ、それで周囲に根づいた悪いイメージがふつしよくしきれるわけでもない。

 ブラットの変化を見ている王宮の身近なものはともかく、それ以外の使用人や学院の生徒のあいだではブラットはいまだに面倒くさい陰湿デブス王子との評価だろう。

 だからこそ、今日までブラットはその悪すぎるイメージの払拭にてんやわんやするのが嫌で、学院へと足を運ぶのを全力で避けてきたわけなのだが──


(めちゃくちゃ……視線を感じる)

 ワーウルフロードを撃退した翌朝。

 満を持して学院へとやってきたブラットを待ちうけていたのは、想像していたのとはまったく異なる生徒たちからの反応であった。

 王立ウィンデスタール魔法学院の中庭。

 そこにはいつものように送迎馬車が多数とまり、侍従や侍女によって、学院に通う貴族子女たちのお見送りが行われていた。

 馬車は貴族同士のマウントに使われるステータスアイテム──前世で言うと腕時計や車のようなもの──のため、ぜいを凝らしたものが多い。

 貴族の子女たちはそんな豪勢な馬車から次々と降り、談笑しながら美しい並木道を通って校舎へと入っていく。ざわめきはそんな中庭の一角で起こっていた。

『あの麗しい殿方はどなた……!?

『なんとお美しいかたかしら……あのようなかたを見たのはアルベルトさま以来ですわ』

『乗ってらっしゃる馬車の造形もお見事ですし、高貴な御方かしら……?』

 そんなざわめきの中心にいるのは、もちろんブラットその人だった。

 馬車を降りたとたんのことだ。

 ひそひそとこちらを見てささやく声が聞こえたかと思うと、そのざわめきが一気に広がって気づけば注目されてしまっていたのだ。

 理由はなんとなくわかる。

 貴族社会では貴族同士のつながりが王宮での地位に直結する。そしてそのつながりの構築のために、だれがどれほどの地位や権力を持つかを把握することはひつ事項。

 だから貴族たちは王国中の貴族の顔と名を可能なかぎり把握しているし、その子女も同様に学院内の生徒の顔と名ぐらいは把握しているのがふつうだった。

 そういう貴族社会特有の背景があるなか、見覚えのないブラットがひときわ目立つごうしやな馬車から出てきたのだ。小さな騒ぎになってしまうのもうなずける。

(というか……いくら変わったと言っても、さすがに俺だとわかると思ったんだがな)

 そもそも自分ということがバレていないのが驚きだ。

 確かに、ブラットの外見は変わった。

 だが昨日きのうの騎士たちと比較しても、生徒たちとは頻繁に顔を合わせていたのだ。さすがに誰か気づくと思ったのだが、誰ひとり気づいたものはいないようで──


『あれって……黒豚じゃないか?』


 だがようやく、そんな声が耳に届く。

 少数ではあるが、勘づくものもいたようだ。

『え、あれが黒豚だって……!?

『ほら、うわさがあったろう? 黒豚が学院を休んでいるあいだに王宮でグラッセ殿に弟子入りし、体を鍛えて別人のように変わったとかなんとか』

『わたくしも宮廷仕えの知人に聞きましたわ。ブラットさまは改心して貧民や平民のための事業に私財を投じ、〝身を切る改革〟を始められたと。物腰もやわらかくなり、見違えるほどにお痩せになったとも……まさかこれほどお変わりに!?

『昨日街に出現した恐ろしい魔物を倒したのも、ブラットさまだという話がありますわね。騎士やアルベルトさまが歯が立たずにひんになったところにさっそうと現れ、なんと一撃で斬りふせてしまったとか……! 信じられない太刀筋だったと』

 貴族社会は情報が命。

 うわさという形ではあるが、すでに昨日のことをふくめてこれまでのブラットの動向についての情報はかなり出回っているようだ。

 貴族の情報収集能力もバカにできないな、と感心するブラットだが──


「いやいや……ありえねえッスよ」


 続いて、そんなちようしようまじりの声が耳に届いた。

「ぜんぶ根も葉もないうわさッス。あの黒豚がこんなイケメンになり、ましてや強大な魔物を一撃で討伐なんてありえねえにもほどがある。あの黒豚のことだ。どうせこのディノ・シュヴァルツァーさまに焼き豚にされたのが恐ろしくて引きこもってるだけッスよ。人違い人違い」

 その粗暴な口調と名に思いあたって目をやると、巨漢の男子生徒がそこにいた。

 ──ディノ・シュヴァルツァー。

 この王立ウィンデスタール魔法学院の実習授業のさなか、ブラットを火球で吹きとばし、前世の記憶を取りもどすきっかけとなったブラットの同級生だった。

 ディノは伯爵家次男かつアルベルトの側近であり、その陰に隠れて過激ないじめをブラットに行っていた男だ。そもそもあの授業のとき、ペアを組もうと言ってきたのもディノだったので、火球を当ててきたのもおそらくわざとだろう。意地の悪い男である。

(いまさら復讐しようなんてつもりはないが……さすがに仲良くなるのは厳しい気がする。でもまあ、一応できるかぎり話ぐらいはしてみるか)

 ブラットが近づいていくと、ディノはいぶかしげにこちらを見る。


「ディノ、あの授業以来になるか。あのときは世話になったな」


 ブラットが微笑とともに声をかけると、ディノは考えるように目を細める。それからブラットを上から下まで、めるように見てきた。

 そして、ようやく理解したように目を見開く。

「ま、まさか……本当に黒豚ッスか!?

「そんなに驚くことでもないだろう? ただ少し体を鍛えて痩せただけだぞ?」

 ブラットは愉しげに肩をすくめた。

「いやいやいや……少し痩せただけなんてレベルじゃねえッスよ!? どうがんばってもあの愚鈍でどうしようもなく醜い黒豚と同一人物とは思えねえだろ!?

 ひどい言われようである。

 まあこれぐらいは言われ慣れているし、実際それぐらいにブラットの姿は客観的に変わっているようなので別になんてことはないが──


「むっきいいいいいいいッ! ブラットさまに失礼な!!


 しかしブラット本人がよしとしたとしても、となりのブラット信奉者と化している侍女ロジエは、どうにも我慢ならなかったようだ。

 ふんまんやるかたないといった様子で興奮し、ディノに詰めよっていく。

「な……なにを!?

 ロジエの剣幕におののくディノ。

 だがロジエは勢いをゆるめることなく、びしっとブラットを指さすと──

「この御方は正真正銘……ピシュテル王国第一王子ブラット・フォン・ピシュテルさまであらせられます! この馬車と肩に輝く王家の紋章が目に入らないデスか!!

 控えおろう!! と声高に叫んだ。

 本人は主がバカにされて真剣に怒ってくれているのだろうが、時代劇にありそうな言いまわしで、聞いているこちらが恥ずかしい。

 しかも無駄に大声だったこともあり、さらに注目を集めてしまっているのが最悪だ。ありがた迷惑とはまさにこのことである。

「ロジエ……落ちつけ」

 ブラットは慌ててロジエの腕を引き、彼女を抱えこむように口をふさぐ。

「キャッ……♥ ブラットさま、このような衆目の場で大胆デスッ♥」

「……いいから、おまえは黙っておけ」

 ブラットが「面倒なことになったら仕置きだぞ」と耳元でどうかつするつもりでささやくと、だがロジエはあふんっ♥ と妙な声を出し、こうこつとした表情でうなずいた。

 さすがのブラットも引く反応だったものの、静かになったのならまあいいかと思いなおす。

「申し訳ない、我が侍女が失礼した」

 それからディノに向きなおり、謝罪の言葉を口にする。

 ディノはうらめしげにこちらをねめつけながらも、ふむとうなる。

「確かにこの侍女は黒豚……いや、ブラット殿下の専属侍女ッスね。あまりに姿が変わりすぎていて、本当に殿下だとは思いませんでしたよ」

「わかってもらえてなによりだ」

 あきらかにわざとらしく〝黒豚〟の部分を強調してあおってきていたが、ブラットは特に気にすることなく余裕の微笑で返してみせる。

 その態度が気に食わなかったらしく、ディノは激しく舌打ちした。

「だが……主人が主人なら、侍女も侍女ッスね。まさかこのおれに声を荒らげてつかみかかろうとするとは……ろくでもない主人にはろくでもない侍女がつくということッスかねえ」

 嘲笑するように言われ、ブラットはその瞬間に厳しく目を細める。

「……なんスかその目は、事実でしょう?」

「俺をとうするのは構わない。しかし侍女への暴言は許さない。ロジエは詰めよりはしたが、一切手は出していない。無礼を働いたのは事実だが、それはそちらがさきに俺をおとしめたから異をとなえてくれただけだ。脚色して彼女を貶めるのはやめていただこう」

 淡々と言葉をつぐが、ディノは不敵な笑みを崩さない。

「ほう……嫌だと言ったら?」

 すぐに挑発するようにたずねてくる。

 だがその瞬間──


────


 ブラットは全身からけたはずれな魔力をあふれさせた。

 魔力は信じられない速度で急激にふくれあがり、やがてその圧倒的な殺気と魔圧に押されたように、ディノはヒイッ! と間抜けな声をあげてしりもちをついた。

「嫌とは、言わせない」

 ブラットはディノを氷のように冷めた目で見下ろし、淡々と言った。

 まわりの生徒たちはブラットの桁外れの魔力にどうもくし、ロジエは「キャ~しびれる~♥ ブラットさまかっこいい~♥」と黄色い声をあげた。

(……ふふふ。気合いだけで相手をびびらせるこれ、やってみたかったんだよな)

 ──もっとも当のブラットはというと、内心で目当てだった中二病じみたシーンを再現できたことに、ただただご満悦の状態だったのだが。

 ディノはしばし口をあんぐりと開けてブラットを見あげ、だが無様に尻もちをつかされた自分をクスクスと笑う野次馬の声に気づいて我にかえる。

「き、貴様……黒豚ごときが恥をかかせやがって! ゆ、ゆるせねえッス!」

 ディノは頭に血がのぼりきってしまったらしく、ちゆうちよなく抜剣する。

 しかしその刀身が完全にあらわになる前に、ブラットは一瞬でディノのふところに入りこみ、その手から剣をりあげた。

!?

 剣はさやごとくるくると空高く舞いあがる。

「……学院内での抜剣はご法度だろう?」

 ブラットがそう言いはなったせつ、舞いあがった剣が野次馬のほうに飛んでいったらしく、そこにいた令嬢が悲鳴をあげた。

 だがその剣が令嬢へと届く前に、ブラットはそのびんしようステータスをかして一瞬で令嬢の眼前へと移動し、空中で旋回する剣を華麗にキャッチした。

 そして腰を抜かす令嬢を安心させるように微笑ほほえみかけ、手を差しのべる。

「万一このような美しいご令嬢がケガをしたら一大事、規則は守ってほしいものだ」

「あ……ありがとうございます♥」

 令嬢はブラットの手をとって立ちあがると、まるで魔法で魅入られてしまったかのようにブラットを見つめ、やがて熟れたりんごのようにポッとほおをそめた。

 その瞬間──うおおおおおお!! と生徒たちから歓声があがる。

『速すぎる!? いまの誰か見えたか!?

『ほう……おそろしく速い動き、こりゃ俺でなきゃ見逃してたな……』

『いやいや……おまえさっきまで明後日あさつてのほう見てたろ』

『え、いまのイケメンすぎない……♥』

 ブラットの信じられぬ身のこなしに生徒たちがきようがくするなか、

(あ……危なかった)

 当の本人は内心で冷や汗をかいていた。

 ものすごく格好をつけたにもかかわらず、自分が蹴りあげた剣で令嬢にケガをさせてしまっていたら、正直ダサいにもほどがある。

「な、舐めおって……!」

 しばしあってディノに剣を放りかえすと、ディノは額に青筋を浮かべた。

 ふたたび恥をかかされて爆発寸前──どころか、もはや絶賛爆発中といった様子だ。

 ブラットになにかやりかえしたくてたまらないようで、周囲になにかないかと小賢しく視線をめぐらせている。まったくもって困った男だ。

 しかしディノがさらに次の行動を起こすかと思った、そのときだった。


「──ディノ、そこまでだ」


 横合いから声がかけられる。

 振りむくとそこには、見覚えるのあるぼうの少年。

 ブラットの褐色の肌とは対照的なはくせきの肌を持った彼は、ブラットの弟でありこの国の第二王子、アルベルト・フォン・ピシュテルその人に違いなかった。

 キャッキャッ! という女子生徒の黄色い声と、男子生徒のひそやかなざわめきをかきわけながら、こちらへと歩いてくる。

「しかしアルベルトさま……この黒豚が!」

「やめろと言っている。側近の恥はおれの恥だ。これ以上おれに恥をかかせるな」

 不服そうなディノだったが、アルベルトに有無を言わさぬ調子で言われると、悔しげにみしながらも「……はい」とうなだれた。

「兄上、うちの側近が迷惑をかけた」

 アルベルトがすぐに頭をさげてくるが、ブラットは慌てて顔をあげさせる。

「いや、うちの侍女も無礼を働いたのは事実だからな。それよりも、おまえも無事でよかった。昨日きのうは広場でケガを負ったと人づてに聞いたぞ」

「それは……兄上が討ちとった魔物に敗北したおれへの当てつけか?」

 目つきを鋭くするアルベルトに、ブラットは首を振ってくすりと笑う。

「いーや……単純におまえが心配だっただけだ。ワーウルフロードは危険な魔物だからな。それで本当にケガはないんだな? ほれほれ、この兄に見せてみろ?」

 ブラットは言いながらアルベルトに歩みより、その全身を上から下まで、まるで身体検査でもしているかのように両手でくまなくチェックする。

「な……ないからいちいち触らないでくれ、べたべたうっとうしい!」

「別にいいだろ、幼少期は裸でともに水遊びしてはしゃいだ仲じゃないか」

 いつの話だ! とアルベルトは取りみだした様子で声を荒らげる。

「いまさらなんだというんだ……ずっとおれを無視してきたくせに。そうやって近づいて油断させて寝首をかくつもりなのだろう。その手には乗らない。油断はしないし、剣舞祭では今度こそおれが完膚なきまでに叩きつぶす。文句をつけようもないほどにな。そして王位をねらいはじめたようだが、そちらも譲るつもりはない。肝に銘じておいてくれ」

「……ん、王位?」

 なにか勘違いされている気がする。

 ブラットは慌てて訂正しようと呼びとめるが、アルベルトは「ディノ、行くぞ!」とディノに声をかけると、さっさと背を向けて歩きだしていた。

 そして立ちどまることなく、そのまま去ってしまう。

(ま……顔を合わす機会も多いだろうし、誤解を解くのはそのときでいいか)

 ブラットはやれやれと肩をすくめる。


 そんなこんなで──

 朝からこれ以上なく濃い時間を過ごすブラットだが、まだ授業が始まってすらいないことに気づき、へきえきしながら校舎へと向かうのだった。

 ──ブラットは知らない。

『……兄弟で王位継承争いぼつぱつか』

『数年前にもありましたわね。そのときはブラットさまが急に落ちぶれて、アルベルトさま当確とのことで落ちついたようですが……こうなるとわかりませんわね』

『だな。さきほど見せた圧倒的な強さ、そして以前から流れている〝身を切る改革〟などのうわさが真実だとすると……これはもしかするともしかするだろうな』

『剣舞祭の結果も関わってきそうだし、目が放せないぞ……!』

 ブラットとアルベルトとのやりとりを見ていた大勢の貴族の子女により、完全にブラットが王位をねらっているという話になっていることを。

『──こ、こりゃ大ニュースだ! 今年の剣舞祭で次の王が決まるぞ!!

 話はめぐりめぐってそんなふうに拡大解釈され、それがまたたくまに学院中へ──さらには王国中へと広まってしまったことを。


 そして、中庭の野次馬のなかに──

『……』

 例の灰色のマントのものがいたことを。


    4


「今回取りあげる〝等価エネルギーの原則〟を見つけたのは、かの〝創世のワールド錬金術師アルケミスト〟パラレルセスと〝大賢人ワイズマン〟マーリンじゃが、お二人の共同著書『上級錬金術のすゝめ』によると、〝賢者の石〟は粉末状にして特定の魔科学物質と調合することで、奇跡の魔法薬エリクサーに変じたと言われておる。エリクサーは伝説の妙薬とも言われる〝不死鳥の涙〟にも匹敵する効力を持ち、どんな傷や病さえも治すと言われており────

 王立ウィンデスタール魔法学院の教室。

 現在そこでは錬金術の授業が行われており、老年の男性教師の声が眠りのじゆもんのように壇上から響き、生徒たちを容赦なく夢の世界へとたたきおとしていた。

 そんな教室の最前列に、いまにも寝落ちしそうな顔のブラットがいた。

(……これからのことでも考えるかあ)

 この一ヶ月半は目の前のことにいっぱいいっぱいで、ゆっくりと考える時間がなかった。この眠くなる授業時間を思考時間として有効活用しない手はないだろう。

 ブラットは授業を一切聞かず、羊皮紙に羽根ペンを走らせ、あらためて自身の現状の把握とこれからの方針を考えはじめた。

(まずは目前の剣舞祭での優勝だな)

 それが最優先なのは間違いない。

 なにしろ婚約破棄の回避がかかっているのだ。

 一ヶ月前、なぜマリーが急にあのようなことを言いだしたのかはわからない。

 だが彼女に婚約破棄を告げられたとき、ブラットは単純にそれが嫌だと思った。彼女との関係が死亡エンドに無関係だとしても、それでも婚約破棄だけは絶対に阻止したい。

(……でも、優勝はわりといけそう)

 レベルスカウターでさきほどざっと確認したところ、剣舞祭のトーナメントに出場するだろうまわりの生徒のレベルは、おおむね一〇~一五のレンジにおさまっている。おそらくここらが平均値なのだろう。

 一方でブラットの現在のレベルは五六

 五六である。

 それは人類最強クラスの英雄やSSランクの冒険者と比較しても引けをとらないレベル。学院生にはさすがに遅れをとることはないだろう。

 たとえば、優勝候補のアルベルトでさえレベル三〇なのだ。

『ファイナルクエスト』の史実では今大会の優勝者はアルベルトではないようだが、決勝の相手も結局はそれに近いレベルだろうから、ブラットの優勝に死角はないだろう。

(この調子なら四魔将も問題なさそうだな)

 ブラットは満足げに笑う。

 このままレベリングをして準備を万全にしておけば、数年後に待っているだろう魔王軍最高幹部〝四魔将〟による襲撃にも十二分に対応できるはず。

(……でもひとりでは不安もあるか)

 うまくやれば、現在でも四魔将自体は攻略できるかもしれない。

 だがいくら自身が強くなっても、失敗の可能性はゼロではない。

 たとえばや眠りなどの状態異常効果で身動きを封じられてしまえば、それを独力で解くことは難しい。その時点でゲームオーバーとなるのだ。

 もちろん警戒も対策も怠るつもりはないが、ひとりではそれも限界がある。

(となると……必要なのは仲間だな)

 この世界のつわもの──魔将や英雄たち──の攻撃を受けても一撃で倒れない程度の耐久力がある仲間がいれば、作戦の幅が一気に広がるし、安心感も天と地の差である。

(でも信頼できる強力な仲間なんて……そう簡単に作れるもんでもないよなあ)

 ブラットの人生はごらんのありさまなので、友人なんてものは皆無である。

 そして前世も似たようなものだった。

 仕事が人間同士をつなぐディレクション業務だったこともあり、そとづらと愛想だけはよかったので友達がいなかったわけではない。だがしょせんは上辺だけの付きあいで、プライベートでわざわざ飲みや遊びに行く深い仲の友人なんてものはほとんどいなかった。

(強いていえば……ゲームが友達だな)

 考えれば考えるほど、なんだか悲しくなってくる。

 ボールが友達と言うと陽キャ感があふれているのに、ゲームが友達と言うと圧倒的に陰キャな印象を受けてしまうのはなぜなのか。

 とにもかくにも、こんな自分が仲間をつくるなんて無理かと思いかけ──


(……いや、仲間、いるじゃないか!!


 ふと自身の手が視界に入り、思いだす。

 その手には、レアアイテム〝魔物使いの指輪〟があやしい輝きを放っていた。

 この指輪の力で先日テイムした魔物たち。

 彼らならば人間のように関係を築く手間もなく、そして裏切られる心配もない。

 さらには魔物の種類だけ魔法やスキルのバリエーションもよりどりみどりで、鍛えればちゃんとそのぶん成長もしてくれる。まさにうってつけの仲間である。

(冷静に考えると、これを使えば最強の軍団をつくれるんじゃないか……?)

 テイムできる魔物の数に上限はない。

 つまりは魔物をどんどんテイムして数を増やし、軍団規模にまで拡大することも可能。

 そしてさらにそれら無数の魔物たちにレベリングの方法を教えて個々を強化していけば、いずれは魔王軍さえも超える最強の軍団にすることも夢ではないだろう。

 なにしろ、ゴブリンですらゴブリンキングにまで進化すれば一騎当千の力があるのだ。

 ドラゴンやアンデッドの魔物を最上位種まで進化させれば、それこそ一体一体を四魔将と比肩する存在にすることも理論上は可能なのだから。

 そんな魔物たちを集め、バケモノじみた最強の軍団をつくることができれば、もはや死亡フラグなど恐るるに足らずだ。ブラットが動くまでもなく、魔物たちがブラットの前に立ちはだかる死亡フラグを叩きおってくれるだろう。

(それ……すごいよくないか?)

 考えれば考えるほど、ブラットのなかの中二心がくすぐられていた。

 一体一体が国を落とせるほどの強大な力を持った災厄級モンスターの軍団。そしてそれを圧倒的な力とカリスマでしたがえる自分。なんと心躍る話だろう。

「決めた、俺はやるぞ!」

 ブラットはにぎこぶしをつくると、威勢のいい声とともに勢いよく立ちあがった。

 だがその瞬間、表情が強張る。

 教室中の注目が一挙に自分に集まってしまっていることに気づいたからだ。

(……しまった)

 授業中であることをすっかり忘れていた。

 見られている。

 とにかくめちゃくちゃ見られている。

 ひさびさに登校したうえに容姿も中身もすっかり変わっていたせいで、ブラットは元々とてつもなく注目されていた。それが急に授業中によくわからないことを口走りながら勢いよく立ちあがったのだから、そのような視線を向けられるのはいたしかたない。

 教室が気まずい空気で静まりかえるなか、

「お、おお……殿下、どうなさいました? もしや答えてくださるのですかな?」

 しばしあって教師がそうたずねてくる。

 雰囲気の変わったブラットにどう接すべきか、まだ迷っている様子だった。

「え、あ……ああ、そうだ。まかせろ」

「それでは……ゴホンッ、恐縮ですが今回は答えていただきましょうぞ。パラレルセスが最初期に賢者の石の元となる物質をつくったその簡単な作業工程と、後に判明したその方法の致命的な欠陥を簡潔に説明願います。なかなかの難問になりますが」

 ついまかせろと言ってしまったブラットだが、教師に純粋な難問をストレートに突きつけられ、頭のなかがまっしろになってしまう。

 そもそもこのような難問にすらすらと答えられるものが存在するのだろうかと思う。

 それこそ学院一の秀才とか主席生とか頭のできが違う一握りのものならば答えられるのかもしれないが、ブラットはそんな人間ではないので答えられるわけも──

(あれ……俺、知ってる?)

 ない、はずだった

 冷静に出題された問題をしやくすると、その問題に聞き覚えがあったのだ。

 気づけば、問題への解答が驚くほどするするとのどから出てきた。

「……賢者の石をつくるには、〝大いなる業〟と呼ばれる二つの作業工程が必要だ。ひとつが魔力濃度の高い鉱山でのみまれに生成される幻の魔法鉱物テクトシアルとユーゲンダイトの抽出、そしてもうひとつが抽出したそれらの融合だ。パラレルセスはどちらの工程でも、あらゆる物質を溶かす劇薬アルカヘストを使用した。そのために賢者の石と同質の物質生成にこそ成功したものの、固形……つまりは石という完成形にはどうしてもすることができなかった。それが致命的な欠陥だ」

 ブラットは一気に言い終え、息をついた。

 一部あいまいなところはあるものの、だいたいこんな具合だったはずだ。

 ブラットのそのよどみない解答を聞き、教師も生徒も皆そろってあんぐりと口を開けていた。

「おお……なんということじゃ! あっぱれ! すばらしい、まさにおっしゃるとおり! さすがは殿下……これぞピシュテルの王子ですぞ!」

 みな殿下に拍手を!! と教師はやがて感服しきった様子でそうのたまう。

 これまでブラットがあまりに情けない人間だったからだろうか。そのギャップで教師はいたく感動してしまったらしく、その落ちくぼんだ目に涙まで浮かべている。

『すげえ、こんなの一瞬で答えられるなんて専門家ぐらいだろ……』

『お姿はしくなられましたし、お力が強くなったとも聞いておりましたけれど、まさか頭までですの!? 信じられませんわ!?

『これがあの黒豚だって!? いったいなにがどうしたっていうんだ!?

 教室中に拍手が響きわたり、生徒たちは次々とそんなきようがくの声をあげる。

 驚くのも無理はない。

 これまでのブラットは魔術や剣術だけでなく、学業も最底辺の成績だった。にもかかわらず今回、授業を受けているだれにも答えられないだろう問題にすらすら答えたのだから。

(答えられてよかった~……)

 一方でブラットは席に腰を落ちつけ、ただ胸をなでおろしていた。

 なぜブラットが難問に答えられたのか。

 理由は、実はなんてことはない。

『ファイナルクエスト』作中には、ゲームにまつわる雑学クイズを出してくる、通称〝知ってるかなおじさん〟というキャラクターが存在する。そのクイズに正解すればレアアイテムを入手できたため、ブラットは前世で必死にその問題と解答を暗記していた。その暗記していた雑学のなかに今回の質問の答えが偶然あっただけだ。

 信じられないことに合計で三〇〇問をノーミスで連続正解しなければ入手できないアイテムがあったため、クリアするころには問題文すらも覚えてしまっていたものだ。あのときは正直、自動車の運転免許証を取るときよりも勉強したかもしれない。

 ブラットは教師や生徒から向けられる尊敬のまなざしをむずがゆく感じながらも、その努力が認められたようで内心では悪い気はしなかった。

(またさらに勘違いに拍車がかかっている気もするが……まあ、いい印象を与えるぶんには別にいいか。それよりいまは、これからつくる軍団のことだ)

 授業が再開され、ブラットは思考を戻す。

(魔物たちによる最強の軍団をつくって、それを率いて魔王軍をせんめつ……死亡フラグから完全に解放されて自由になる。それがとりあえずの理想の筋書きだな……!)

 これからの方針をそう定める。

 そしてそうとなれば、ブラット軍(仮)の中核となるスカイマウンテンの魔物たちとは、密に連絡を取りあう必要があるだろう。

 一応は〝魔物使いの指輪〟を媒介にテレパシーでの通信は可能だが、それは魔力消費が激しい。別の通信手段もこれから準備していかねばなるまい。

(あそこはそのまま拠点に使えそうだしな……)

 スカイマウンテンの最深部には、サイクロプスが根城にしていた神殿のような建物があった。あそこならばそうそう人目にはつかないだろうし、オリハルコンスネークという育成に最適な魔物もいるので、軍団の拠点にするにはもってこいだろう。

 現状でははいきよのようになっているが、ロードたちに命じて改装すれば十二分に使えるはず。

 そんなふうに軍団の立ちあげに思考を巡らせていた、そのときだった。


「……!?


 ズドンッ!! という爆裂音が響いた。

 教室の生徒たちがにわかにざわめき、採光窓から一斉に外へと目を向ける。

 そこには魔法演習場があり、その中心では砂煙が舞いあがっていた。

 だが事件が起こったというわけではなさそうだ。演習場にいる生徒たちに慌てた様子はまるでない。教師か生徒が授業の一環で派手な魔法を使っただけだろう。

 教室の生徒たちもそれを理解したようだ。

 よくあることだと皆すぐに興味を失い、授業を淡々と続ける教師へと視線を戻した。

 しかしブラットだけは、演習場から目を離さなかった。

(え、あれって……)

 演習場に舞いあがる砂煙のなかに、昨日きのうワーウルフロードの襲撃後に広場で目撃した例の灰色のマントが見えた気がしたからだ。

 やがて砂煙が晴れると──

(……やっぱり)

 見間違いではない。

 そこにはやはり、灰色のマントをまとう人物の姿が確かにあった。

 視力強化のじゆもんを使うと、その人物の姿がはっきりと視界に映しだされる。

 それは中性的なぼうを持つ少女だった。

 後ろでひとつに結った長い髪を振りみだすその凛々しい姿に、ブラットは見覚えがあった。いや、それどころではなく何度となく見てきた顔だ。

「……キャロル、だよな?」

 間違いない。

 それは『ファイナルクエスト』作中で終盤仲間になる勇者パーティーのひとり、〝ななえいゆう〟カスケードの子、亡国の女騎士キャロル・ドラ・トラフォードだった。


    5


 RPGにおける〝仲間キャラクター〟。

 彼らが主人公の仲間になる経緯には、実にさまざまなパターンがある。

 最初から一緒のおさなじみ的なキャラクターもいれば、旅の途中で主人公が助けて仲間になるキャラクターもいるし、最初は主人公と敵対していたのにいつしか和解して仲間になるキャラクターなんてものもいる。

 亡国の女騎士キャロル・ドラ・トラフォードというキャラクターは、最初は主人公と敵対していたのに和解して仲間になるパターンのキャラクターだった。

 その経緯はこうだ。

『ファイナルクエスト』本編開始前、キャロルの祖国ダストリアは隣国エルネイドとの戦で滅びてしまう。キャロルはその戦で父である皇帝カスケードをふくめた一族郎党を皆殺しにされ、自身だけが他国に滞在していたおかげで生きのびることとなる。

 結果、キャロルはエルネイドとそれに味方した国々を憎んだ。

 そこでふくしゆうに協力すると言って彼女に近づいたのが、四魔将のベルゼブブだった。

 キャロルはベルゼブブの手をとって暗黒騎士として魔王軍の傘下に入り、勇者パーティーと物語の節目で度々衝突することになる。

 しかしその衝突のなかで、驚愕の事実が判明する。

 なんとダストリアとエルネイドが戦になるように仕向け、国が滅びる原因をつくったのは、実はベルゼブブだったのだ。

 恩人と思っていたベルゼブブがきゆうてきだったと知り、キャロルは勇者と共闘。勇者パーティーに参加するというのが『ファイナルクエスト』での筋書きだ。

(でもいまの時間軸だと……ダストリアはまだ滅びていないよな。なんのためにキャロルはピシュテルなんかにいるんだろう……?)

 あらためて思案してみると、考えられる理由はひとつだった。

 休み時間に生徒たちに軽く聞きこみを行うと、ブラットが休学していたこの一ヶ月半のあいだに、キャロルはピシュテル王国に突然留学してきたらしい。

 ダストリアとエルネイドの戦の折、キャロルは他国に滞在していた。この話の流れで行くと、その他国がこのピシュテルだったということだろう。

 もしかすると戦を予期した皇帝が、あえてキャロルを疎開させたのかもしれない。

 とにもかくにも、そうとなるといろいろな話がつながってくる。

 広場で目撃した灰色のマントは、やはりキャロルだったのだろう。

 まだ滅びていないと言っても、ダストリアの人間をピシュテルで見るのは稀だ。なぜあの場にいたのかまではわからないが、その可能性が高い。

 そして剣舞祭であのアルベルトを差しおいて優勝したのは誰かとずっと疑問だったが、それもこのキャロルということなのだろう。

 キャロルはアルベルトよりもあとに仲間になるキャラクターで、当然アルベルトよりも強かった。現在でもその力量差が健在と考えると納得がいく。

(話がつながったのはいいが……キャロルのピシュテル滞在中にエルネイドとの戦が起きるとすると、ダストリアの滅亡日は思ったよりもずっと近そうだな)

 となると、予定が崩れる。

 勇者が魔王を倒して世界を救うという物語の都合上、『ファイナルクエスト』では本編開始時に世界中の民が魔王に苦しめられているという状況だった。

 だからブラットは自身の死亡エンド回避の手はずを整えるのは最優先として、それとは別に苦しむ民を救うためにできるかぎり動こうとも考えていた。

 史実を変えればさまざまな問題が出てくるのは容易に想像できたので最初はしりごみしていたが、猫人族ケツトシーのことがあって気が変わったのだ。あのように苦しんでいる人々を実際に目の当たりにすると、放っておくわけにはいかないと思った。

 そしてダストリアについては国ごと滅亡させられるという事の大きさもあって、いち早く動かねばとも思っていた。もう少し猶予がある話かと思っていたのだが、こうなるとあまり時間はなさそうだ。もはや戦はいつ起きてもおかしくない。

(キャロルに信じてもらえるかはわからないが、話しておくべきだろうな)

 こうなると選択肢はない。

 ダストリアにせまる危機について、キャロルにすべて話すべきだろう。

 すでにダストリアとエルネイドのあいだには不穏な空気がただよっているとも聞いた。その状況で王子という立場のブラットがまじめに話せば、無視されることはあるまい。

 キャロルがそれでうまく動いてくれれば、ブラットが余計なことをせずともダストリア滅亡の危機を回避できる可能性もある。

 そのようなことを授業時間をフルに活用し、授業をまったく聴かずに考えるブラットだった。


(ここにいるって聞いたんだけど……)

 ──そして、放課後。

 ブラットは学院敷地内にある第五魔法演習場に来ていた。

 生徒にキャロルの居場所について聞きこみを行った結果、この場所でキャロルが放課後に毎日鍛錬に励んでいると耳にしたからだ。

 キャロルはまだ留学してきて一ヶ月半ではあるが、すでにその圧倒的な実力と中性的な美貌で生徒に人気を博しているらしい。

 特にそのしい顔立ちとサバサバとした立ち居振るまいのせいで、女子人気がすごいようだ。

 女子が女子に人気というのは珍しい気もするが、女騎士で男装の麗人といった雰囲気なので前世での宝○歌劇団のキャストみたいなものと考えれば納得はいく。

(男の俺から見てもかっこいいしな)

 そもそもキャロルは『ファイナルクエスト』作中で性別が終盤まで判明せず、発売当時は性別議論が盛んに行われたものだ。結局は女だったわけだが、いまだに公式設定にあらがって男だと主張する過激派も存在する。

 まあとにもかくにも生徒人気があるため、そのへんで適当に話を聞くだけですぐに場所がわかって非常に好都合だった。

(……来るのが早すぎたか)

 あらためて演習場を見回すブラットだが、キャロルの姿は見当たらなかった。

 授業が終わって最速で来たため、キャロルはまだ来ていないのだろう。

(ちょうどいいし、適当に待ちながらロードに近況でも聞いてみるか)

 演習場のすみのベンチに腰かけ、〝魔物使いの指輪〟に魔力を流しこむ。

 そしてテイムしたスカイマウンテンの魔物のなかでも、〝ロード〟の名前を与えて指揮官に任命したアンデッドロードに心のなかで呼びかけた。


『ブラットさマ……お呼びでしょうカ?』


 しばしあって、心のなかにロードの意識が入りこんでくる。

(ああ、こちらの声は聞こえるか?)

『はい、大丈夫でございまス』

 実際に使ったのは初めてだが、どうやら話すぶんには問題ないらしい。

(それでそちらの調子はどうだ?)

『はい、ブラットさマに教えていただいた方法で、みな順調に鍛錬に励んでおりまス。自分自身もふくめ、おかげさまでめきめきと力がついているのを感じまス』

(お、本当か! それはよかった)

 レベルシステムはモンスターにもしっかりと適用されているらしい。

『なかでもゴブリンなどの成長が早い種族ハ、すでにホブゴブリンといった上位種へと進化を遂げ、特にやる気に満ちあふれておりまス。皆が一段階進化を遂げた時点で、ブラットさマに名をいただいた七体の魔物を長に据え、一帯の魔物たちの統率に入る予定でス』

 としてそう報告するロード。

 どうやら順調にいっているようでなによりだ。魔物ということでみくびっていた部分もあるのだが、予想以上に有能らしい。

(確かに一段階進化した状態ならば一帯の支配には問題ないと思うが……急ぎのことではないので無理だけはするな。犠牲者が出てはこまる。簡単に戦略的な戦闘方法を教えるので、それも利用して確実に勝てると踏んだときにのみ動け。いいな?)

『おお、なんと心優しい主さマ! 我らごときにお心遣い感謝いたしまス!』

 ロードは感動したような声音で言い、さらにそれと同時に、ほかの魔物たちのすさまじいほどのよろこびの感情が指輪を通して伝わってくる。

 忠誠心がすさまじくてありがたいことだ。

 大した人間ではないので、多少荷が重いというのはあるが。

 その後、ブラットは『ファイナルクエスト』のプレイヤーであれば当然のごとく知っている一般的な戦闘のコツをロードに伝授した。知識としてこのコツを知っているだけでも犠牲者が出るリスクはさがり、レベリングの効率もあがるはずだ。

(それとロードよ、我らごときなどと卑下するのはやめろ。おまえたちはこれから我が軍の中核となってゆくメンバーだ。威厳をもってもらわねば困る)

『我が軍……と申しまスと?』

 ロードはきょとんとした調子で言う。

(そうか、おまえらにはまだ言ってなかったな。俺はおまえらを中心に軍を組織することにした。そしていずれはそれを魔王軍さえもしのぐほどの最強の軍にしたいと思っている。いや、するつもりだ。何者にも縛られぬ……自由を手にするためにな)

『魔王軍を超える最強の……軍!?

 ブラットが芝居がかった口調で告げると、ロードはきようがくの声をあげる。そしてほかの魔物たちの心も一気にざわめくのを感じた。

 まあそれらしく格好はつけたものの、実際は死亡エンドにおびえて生きるのが嫌だから、自分を守ってくれる強い仲間を集めたいというだけだが。

『す……すばらしい考えでございまス! 確かに現在の魔王軍は抜けておりまスし、ブラットさマこそが魔王のなかの魔王……大魔王にふさわしい御方だとこのロードは常々思っておりましタ! 我らはまだまだ現状ではブラットさマの右腕どころか、指一本にさえなれぬ卑小な存在ではありまスが……全力で鍛錬に励んで、必ずやブラットさマの望む最強の軍団に成長してみせまス! 魔王軍を滅ぼし、この世界を支配いたしましょうゾ!!

 ロードは鼻息荒く──見た目ががいこつなので鼻息があるのかは不明だが──ひどく興奮した声音でまくしたてるように言った。

 なにか話がものすごく拡大解釈されている気がするが、大丈夫なのだろうか。

(あ、いや……別に俺はこの世界を支配したいというわけではないのだが)

『おお、なるほど……おっしゃるとおりでございまス! ブラットさマはいずれは魔界やようせい界といった次元世界をすべからく支配すべき御方! この世界だけに収まるような御方ではない。大変失礼なことを申しましタ! 申し訳ございませン!』

(え、あ……はい?)

『そのような崇高な考えがブラットさマのなかにあったとハ……こうしてはいられませン! 我らもさっそく教えていただいた方法を極め、力を入れて鍛錬に励もうと思いまス! それでは失礼いたしまス! 皆のもの、こうしてはおれんゾ!』

(ちょ……ロード! まだ話は……!)

 ブラットは慌てて呼びかけるが、そのときには交信は途絶えていた。それと同時に、テイムした魔物たちのすさまじいやる気のようなものが指輪から流れこんでくる。

(なにか変な方向に進んだような気もするが、やる気を出してくれたなら別にいいか。あいつらが裏切ることもないだろうし)

 静まりかえった演習場のなか、ひと仕事を終えた感覚で一息つくブラット。

 しかし、そのときだった。


「?」


 器具庫のほうから、人の気配を感じた。

 ブラットは正面口から入ってきたが、器具庫内にも出入り口があって演習場に出入りはできる。キャロルがそちらから入ってきたのかもしれない。

 ブラットはゆっくりと器具庫に歩みよる。

 そしてちゆうちよなく扉を開け──

!?

 そして、目にする。

 ずらりとならぶ訓練用の魔導人形やトレーニング器具と、その陰でいそいそと着替える半裸の女騎士キャロル・ドラ・トラフォードの姿を。


    6


 ──ラッキースケベ。

 それはおもにアニメやマンガといった二次元のエンタメ作品において、男性キャラに幸運にも訪れるエッチな状況のことである。

 男ならだれしもこのラッキースケベに人生で一度はあこがれるものだが、アラサーオタクだった前世の黒川勇人もそれは同様だった。

 だが出会い頭に美少女とキスしたり、転んだ拍子に美少女の胸にタッチなんて状況は、もちろん現実ではそうそう起こらない。いや、まったく起こらない。現実には起こらないからこその憧れのシチュエーションだとも言えるだろう。

 だが転生して二度目の人生を歩みはじめて一四年、前世から合わせると四〇年以上、ついにそんな状況がブラットに訪れていた。

 そして、着替え中の半裸の美少女に偶然出くわすというこれぞまさにラッキースケベという状況で、ブラットが最初にした行動は──


「……」


 土下座、だった。

 ブラットは両手りようひざを床につき、深々と頭をさげ、額を床にこすりつけていた。

 思いだしたのだ。

 こういったラッキースケベの折、男がだいたいどのような仕打ちにあうのかを。

 たとえば物語の終盤でヒロインの好感度がMAXの状況ならば話は別なのだろうが、そうでもなければたいていこういったラッキースケベのあとには、ヒロインが顔を真っ赤にしながら怒って男に暴力を振るうというのが一種の様式美となっている。

 いろいろな作品を思いかえすと、顔面をビンタされて鼻血をぶちまけながらまんじゆうのようにれあがった顔にされてしまうものもいれば、魔法でふっとばされて空のお星さまのひとつにされてしまうものもいる。そんな悲惨な結末を迎える自分を思いうかべるやいなや、ブラットの体は驚くほど自然に動いていたのだ。

 基本的には現実世界でそのような暴力を振るう人間がいるとは思えないのだが、この世界は『ファイナルクエスト』というゲームに類似した世界だ。そういった行為を平気で行う人間もいるかもしれないと思った。くわえて、前世のリーマン時代の『まずいことをしたらとにかく即謝罪しろ!』という社畜根性も出てしまったらしい。

 着替えをのぞいてしまったことへの謝罪の意をこめてかんぺきな土下座を披露するブラットを、キャロルはしばし目をまんまるにして驚いたように見つめ──

「……いや、どういうことなのだ?」

 ふと、冷静にそうツッコんできた。

 あまりに冷静にツッコまれたため、ブラットも突然のラッキースケベ展開に沸騰しきっていた頭が急速に冷えていくのを感じる。

(確かに……)

 出会い頭に土下座された彼女からすれば、確かに意味がわからないだろう。

 ブラットが冷静になって顔をあげると、

「ま、まさか……このわたしに、頭を踏みつけてほしいということか!?

 いまだ裸体を隠すことなくさらしたままのキャロルが、とんでもないことに気づいてしまったというような顔で口元を押さえていた。

「……いや、違う。それは断じて違う」

 ブラットは即座に否定する。

 自分にそういった性癖はない。

 美少女に踏まれるのも確かに悪くない気もするが、美少女にされればたいていのことはプラスにとらえられるというだけであって、別に踏まれたい願望はないのだ。

 しかしキャロルは聞く耳を持たず、

「くっ、確かに……女性に打たれたり踏みつけられたりすることに異常な性的興奮を覚える人種も存在すると風のうわさに聞いてはいたが……まさか直接踏んでほしいとせがんでくるものがいようとは。信じられん。だがわたしの容姿は確かにこの世のものとは思えぬほどに美しいし……こういったらちな男が現れるのもいたしかたないことなのかも……いやしかし、さすがにきつすぎる」

「いや……あの、だから違うと言っているんだが!? 勘違いで引くのはやめてくれ!」

 キャロルは勘違いしきっているようで、まるでうじむしを見るような目をこちらに向けてくる。さすがに勘弁してほしい。

「ならばなぜ頭をさげている?」

「もちろん、謝罪のためだ。故意ではないにしろ、俺はきみの着替えをいままさにのぞいてしまっているわけだからな」

 なるほど、とうなずくキャロル。

 納得してもらえたのならなによりなのだが、

「というか……きみこそなぜ隠さない?」

 ブラットは続けて、そうツッコミを入れる。いままさに裸体をブラットに見られている状況だというのに、キャロルは体を隠す素振りが一切なかったのだ。

 あまりに堂々としているから、もはやこの世界では異性に裸体を見られてもしゆうしんを感じないものなのかという気がしてくる。

「隠すようなものがどこにある? 我がダストリアは強いものこそが正義の弱肉強食の国だ。自身が鍛えあげた体を誇りこそすれ、恥じることなどなにひとつない。このわたしの美しい体を拝めたのだ。感謝してくれてもよいのだぞ?」

 自信満々に断言するキャロル。

 確かにそのような話は聞いたことがあるものの、にしても彼女は見せたがりすぎな気がする。『ファイナルクエスト』では感じなかったが、ナルシスト気質があるらしい。

「確かに美しい体だが、悪いが今日はそんな話をしにきたわけじゃないんだ」

 ブラットは仕切りなおすようにせきばらいし、

「お初にお目にかかる。名はご存じかと思うが、俺はこの国の王子ブラット・フォン・ピシュテル。ダストリアの皇女キャロル姫、あらためてお会いできて光栄だ」

 ブラットは優雅に礼をし、キャロルの手をとってその甲に口づけを落とす。

「もちろんおまえのことは知っているとも。留学する国の王族の顔と名前ぐらいは覚えていて当然だからな。だが以前はもっと肉付きのいい姿をしていたと思ったが?」

「いろいろあったんだ、聞かないでくれ」

 ブラットが苦笑まじりに肩をすくめると、キャロルはいぶかしげにこちらを見たあと、「まあいい」と同じく肩をすくめた。

「だが姫はやめろ。そういう柄ではないし、格式ばったことは苦手だ。立場的には一応同格に当たるし、キャロルと呼びすててくれ」

 ダストリアは新興国であり、かつ邪悪で粗暴なものの多い土地柄ゆえにそういった格式はあってないようなものなのだろう。

「なるほど、わかった。キャロルも俺のことは好きに呼んでくれ」

「そのつもりだ」

 キャロルはおうようにうなずき、

「それで王子がこのわたしになんの用だ?」

「その前に……ひとまず服を着てくれないか? 目のやり場に困る」

 ブラットが指摘すると、キャロルは自身の姿をちらと見て、まるで半裸であることにいまさら気づいたように目を見開く。

 そして「わたしは別にこのままでも構わないのだがな」とほおをそめることすらなく、淡々と衣服を身につけはじめた。


    7


「ダストリアが滅亡する……だと?」

 ブラットが簡単に話を聞かせると、キャロルは険しい顔で目を細めた。

 場所は変わらず、第五魔法演習場の器具庫内。あまり人に聞かれたくない話なので、そのまま人気のないここで話すことにしたのだ。

 ブラットがキャロルに伝えたのは二点。

 近く、ダストリアとエルネイドに全面戦争が起こること、そしてそれによってダストリアが滅びの道をたどる可能性が高いということだった。

「そんなわけがあるまい。エルネイドとは確かに不穏な空気があるが、それも民衆同士の小競りあいが偶然重なったことが原因だ。父上がいま話しあいで解決しようと動いている。その程度のことで戦になることなんてそもそもあるまいよ」

「本当に偶然起こった小競りあいなら……そしてその偶然がここで終わってくれるのなら、おそらくは話しあいで解決できるんだろうがな」

 ブラットが肩をすくめると、キャロルはいぶかしげにまゆをひそめた。

「偶然では……ないと?」

 ブラットは神妙な面持ちでうなずき、

「ああ、すべては偶然でなく必然。魔王軍の参謀……四魔将ベルゼブブが裏で糸を引いていることだ。ダストリアとエルネイドのあいだに大きな戦を起こすためにな」

 そしてその事実を告げた。

 するとキャロルはまさかと目を見開き、だがすぐに首を振る。

「確かに偶然起こったにしては、事件が同時期に重なりすぎてはいるが……裏で魔王軍が糸を引いているという根拠はあるのか?」

 キャロルのその疑問は当然だった。

 だが素直にブラットが『ファイナルクエスト』というゲームから情報を得たことを伝えたところで、信じてもらえるわけもない。

 ブラットはしゆんじゆんし、ひとまず適当な理由をつけてごまかすことに決める。

「……根拠と言われても困るな。これは俺の斥候が手に入れてきた情報だ。こちらとしては信頼してもらうほかない」

「斥候が? どこからだ? 魔王軍の拠点はげんかいにあり、現在そこに干渉する術は存在しない。だとしたら、その斥候は魔王軍の情報をどこから手に入れた?」

 ひようひようと返してはみたものの、キャロルは淡々とブラットの論理の穴をついてくる。

 かなり疑われているようだ。

「そもそもブラットよ……おまえはさきほど、来るその戦でダストリアが滅亡すると言ったな? それはなぜだ? たとえ戦になったとしても、戦力的には現状ダストリアのほうが上だ。戦をして滅びるとすれば、エルネイドのほうであろう?」

 さらに詰められ、ブラットは口ごもる。

 それはダストリアが邪悪な存在と手を結んだとするベルゼブブの流した偽情報から、周辺諸国がエルネイドに加勢したからなのだが──『ファイナルクエスト』から得たその知識をいま告げたところで、なぜ知っているのかとさらに疑いが深まるだけだろう。

「……」

 こまった。

 とにかく早く伝えなければというおもいがさきだち、細かい言い訳について考えてこなかったのがあだとなったようだ。

「……とにかく俺が言いたいのは、このまま放っておけば戦が起こるということ。そしてそれは間違いなく、ダストリアに大きな災禍をもたらすということだ。だからそれを避けるために、きみには協力をしてほしい」

 ブラットはそう伝えるが、キャロルは整った面差しをさらに疑わしげにゆがめる。

「根拠も情報元も提示できぬようでは話にならんな。そして、さきも言ったように戦は起こらぬ。すでに父上が動いており、いまごろエルネイドの国王と会談にのぞみ、平和的解決に向けて話しあっているはずだ」

「会談が……いま? まさかペルレス会談がもう行われているのか!?

 キャロルがこぼしたさいに思えるその情報は、しかし聞きずてならない情報だった。

 ブラットが身を乗りだすようにたずねると、キャロルは驚いたように身を引く。

「……なぜ会談の開催地がペルレスだと知っている? それも機密情報のはずだが?」

「そんなこと、いまはどうでもいい……会談は本当にいま行われているのか?」

 ブラットのこれまでにない剣幕に負け、キャロルは渋々こたえる。

「もう日も暮れる……行われているどころか、終わっているだろう」

「なんてことだ……」

 ブラットは二の句がつげない。

 ダストリアとエルネイドのあいだに起こった全面戦争。その皮切りとなる事件が起こったのが、ペルレス会談なのだ。

 このペルレス会談での話しあいは当初順調に進んでいたらしい。

 しかし和平の成立寸前、ダストリアの皇妃が何者かに暗殺されたとの報が入る。皇帝は激怒し、それがエルネイドの仕業ではとの疑念から交渉はあっけなく決裂してしまうのだ。

(……いや、まだ希望を捨てるのは早い)

 首を振り、キャロルに向きなおる。

「きみの母は……皇妃さまはどこにいる?」

「母なら幼い弟を連れ、会談に同行して父とともにペルレスに滞在しているはずだが……?」

「いますぐにそちらの人間に連絡を取ることはできないか? 会談の結果についてもだが、彼らの身の安全を確認してほしい」

「なぜそのようなことを……」

「頼む、彼らのに関わることなんだ」

 ブラットはしんな表情で訴える。

 キャロルはなにか言いたげにしながらも、家族の命に関わるというところが響いたのだろう。すぐに交信用の魔石を取りだし、どこかと連絡を取りはじめる。

「ジャスパー……聞こえるか?」

『……キャロルさま、どうなさいました?』

 キャロルが呼びかけると、まもなく魔石を通じて若い男の声がこたえた。

「そちらの様子を聞きたい。今日行われたエルネイドとの会談の結果と……あと、母上とカールがいまどうしているのかを教えてくれないか?」

 訊ねるとジャスパーと呼ばれた男は、『ふむ……少々お待ちください』と言いながらいつたん声が遠くなったあと、しばしあって──

『……会談につきましては、滞りなく終了いたしました。いまだ両国間にわだかまりは残るものの、次第に和平に向かうかと思います。また、母君と弟君につきましてもお変わりなく、お元気にしておいでです。どうかご安心くださいませ』

 用向きはそれだけでしょうか? とジャスパーは息つくまもなく訊ねてくる。

「……ああ、それだけだ。そちらのことは頼んだ」

『はっ!』

 交信が途切れると、キャロルはキッとブラットを鋭くにらみつけてくる。

「会談は無事に終わり、母と弟にもなにもなかったようだが? まさかピシュテルの王子ともあろうものが、このわたしをかついだのか? どういった意図かはわからぬが、それに家族の命のことまで持ちだしたとすれば……冗談ではすまんぞ」

 言いながら、のどもとに剣を突きつけてくる。

 これまでにない本気の剣幕であった。

 ブラットは慌てて首を振る。

「いや……もちろんそういった意図はない。ダストリアの危機に関する情報が入ったので、伝えておかねばと思ったのだ。誤情報だったみたいだが……」

「入った情報を精査もろくにしないままこのわたしに伝えた、ということか?」

「そう……なるな、すまない」

 言い訳してもいい方向には進まないと思い、素直に謝罪するブラット。

「ふんっ……姿が変わったのでどうなのかと思っていたが、中身はやはり依然として愚鈍な黒豚とのうわさのままのようだな。わたしを落胆させるな」

 キャロルは忌々しげに舌打ちすると、くるりと身をひるがえした。

「不愉快だ。なんの根拠もない情報で我が心をかき乱してきたおまえも、そしてその程度でゆらいだ我が心の弱さもな」

「待てキャロル、まだ話は……!」

 歩きだしたキャロルを慌てて呼びとめるが、キャロルはとまらない。

「話などない。おまえのせいで鍛錬する気もせた。剣舞祭で次代の王が決まるらしいが、おまえのようなものが王になったら世も末。わたしがたたきのめしてやるから覚悟しておけ」

 すっかり怒らせてしまったらしく、そのまま器具庫を出ていってしまった。

(これは……どういうことだ?)

 その場に残され、ブラットはしばし考える。

『ファイナルクエスト』の史実では、ペルレス会談がダストリアとエルネイドの戦の皮切りになったのは間違いない。だがダストリアのジャスパーという男──おそらく文官のようなもの──によると、交渉はうまくいったということらしい。

(史実が変わったのならいいが……)

 ブラットの与えたなんらかの影響によって史実が変わり、うまいこと事前に戦が回避されたということならばよいのだ。

 だがブラットとダストリアにはこれといったつながりはないので、さすがにそうとも思えない。

 ブラットは、おもむろに〝魔物使いの指輪〟を起動させた。

(ロード……聞こえるか?)

『はい、またどうなさいましタ?』

 するとまるで待っていたかのような速度で、ロードから応答がある。

(さきはど連絡したばかりですまない。少しばかりダストリアの様子をさぐってほしいのだが、隠密行動の得意なものはいるか?)

『ほう……ダストリア、でございますカ。ブラットさマのお役に立てることこそが我々の至上のよろこビ。隠密行動ということならバ、シャドウがおりまスね。ちょうどシャドウナイトに進化したところでありまスし、隠密行動にはまさに最適かト』

(おお、もうシャドウナイトになったか!)

 シャドウというのはスカイマウンテンの一〇〇体の魔物のなかでも、ブラットが特別に名を与えた七体の魔物のうちの一体だ。

 名を与えた七体の魔物は、いずれも進化すれば『ファイナルクエスト』中で最強クラスの魔物となる厨モンスターであり、特別に取得経験値があがるレアアイテムも持たせていたので、これほど早期の進化はそのおかげかもしれない。

 シャドウナイトはサイクロプスやワーウルフロードよりも一回り劣る種族ではあるが、そこらの魔物をいつしゆうする程度の力はあるだろう。

(では今回の件はシャドウに一任しよう。詳細は本人に伝えることとするから、残りのものたちは引きつづき鍛錬に励むように)

『……すべては大魔王さマの御心のままに』

 ロードとの交信が途切れ、息をつく。

(完全にあいつらのなかでは大魔王志望者になっているようだが、まあいいか。それよりもいまはダストリアだ。本当に会談が無事に終わったのならいいのだがな)

 なんとなくだが、そうは思えなかった。

 キャロルが連絡をとったジャスパーという男の声は、どこかうそをついているもの特有の息づかいをふくんでいる気がしたのだ。

 たとえ戦が始まっていたとしても、即座に国がひとつ滅亡することはないだろうが、できるかぎり早く真実を知って対処したいところである。