……はあ、キスですか。
ラブコメだと最終巻で到達するイベントだ。だが最近は1話目ですませる背徳系も──。
へっ?! キス?! するの?! いま、ここでっ?!
俺は自分でも驚くほどの勢いで、後ろに飛びのく。
「
「……しないんですか?」
コクリ。
「あ、はい……しないです」
「なーんだ、しないのか」
白玉さんは拍子抜けした表情で、のばしかけた腕を下ろす。
……えっ、待って。本気でする気だったの? 最終巻?
「じゃあ私、着替えますね。いい子で式に出てきます」
「……はあ」
いやいや、本気になってどうする俺。あれはただの後輩ジョーク。
真に受けたら、セクハラとか言われて大変なことになるのだ。
一人でウンウンと
「部長さんって意外と……」
「えっ、なに?!」
思わず声が裏返る俺に向かって、白玉さんはクスリと笑う。
「──意気地なし、ですね」
そう言うと、カーテンの向こう側に姿を消した。
◇
ポーン……。
スマホから聞こえた何度目かの電子音で、俺は眠りの浅瀬から引き戻された。
白玉さんが制服に着替えて姉の結婚式に向かった直後、俺は疲れてソファに倒れこんだ。
記憶がそこで途切れているから、そのまま眠ってしまったらしい。
眼をこすりながら
そんなことを思いながらブレザーを拾いあげる。この安心感のあるサイズは
スマホを見ると、寝ていたのは1時間にも満たないようだ。画面にあふれる通知を順番に目を通すと、多少のイレギュラーはあったが、作戦は無事終了したようだ。
よくは分からんが、電波法とかそのへんの問題で、見つかるとヤバいらしい。
……えーと、このあとどうなるんだっけ。
そして彼女がこのまま入部してくれたら、文芸部も
立ち上がって
「
「あれ、八奈見さんいたんだ。服、かけてくれてありがと」
変な独りごととか言わなくてよかったな。
内心胸を
「……ねえ。ちょっとこっち来て」
へ? カーテンの中に?
「いや、着替え中に入っちゃダメだろ」
「ちゃんと着てるから大丈夫だってば。早くして」
……? じゃあなんで出てこないんだ。
分からないが逆らうのも面倒くさい。カーテンをめくった俺は、思わず言葉を失った。
そこにいたのは──白玉さんのウエディングドレスを身にまとった八奈見だ。
恥ずかしそうに少し顔を伏せ、白い肩が揺れている。
白玉さんより存在感のある胸元は、ドレスのラインの想定を超えて、こぼれんばかりに主張している。
「えっ、どうしたのその格好──」
「……脱がして」
っ?! なにこれ、俺は夢でも見てるのか?
夢といっても悪夢寄りの展開におびえていると、八奈見はゆっくりと顔を上げる。
その瞳にうっすらと浮かぶ涙。
「いあやの、他をあたって──」
「気になって着てみたら、脱げなくなったの! 温水君、どうにかして!」
…………はい?
「背中のファスナーがどうやっても下りないんだって! 多分、着たあとでサイズが縮んだんだよ! よくあるから間違いないって!」
そうか、よくあるのか。悪夢はまだ覚めない。
「分かった。
「待って、私にこんな生き恥さらせっての?! みんなには知られたくないんだけど!」
俺ならいいのか。
「早くファスナー下げて。はーやーく」
えぇ……マジか。
正直、気はすすまないが断れる雰囲気ではない。こう見えて俺は空気を読むのは得意なのだ。
左手の指をファスナーの横にそえると、右手でファスナーをゆっくりと下ろ──。
「うわ、パンパンじゃん。ピクリとも動かないって」
「そんなはずないんですけど。
……こいつ、見捨てて帰ろうか。
とはいえ武士の情けだ。力をこめて、ゆっくりとファスナーを下ろす。
少しずつ増えていく肌色に、俺は微妙に目をそらす。
と、ファスナーが途中で止まり、その位置からビクとも動かなくなった。
「どうしたの? もっとバーッと下げちゃってよ」
「ちょっと待って。なんか下に着てる青い服に、ファスナーかんじゃって……」
「……青い服?」
しばらく考えていた八奈見が悲鳴に似た叫びをあげる。
「ちょっ?! それブラ──」
へっ!? この青いやつ、下着なの? そういやホックみたいなのが見え隠れしてるぞ。
「マズいって。やっぱ誰か人を呼んでくるから」
「違っ──私、下着付けない派だから! ブラと違います!」
いや、そっちの方が恥ずかしいぞ。
とはいえ、本人が下着じゃないと言っているのだ。ここで逃げて、意識しすぎだと思われるのもシャクである。俺は覚悟を決めて、悪夢の続きに身を投じる。
「温水君、見ちゃダメだからね! 触るのもダメだよ」
「ああ、俺だって触りたくないし──」
「はっ? ちゃんと
やだよ。なんで他人の下着なんて触らなきゃいけないんだ。
だけどこのままじゃ、らちがあかないぞ。
「そうだ八奈見さん。バターかマーガリン、持ってないか」
「へっ、なに? 私を食べるつもり?」
食べません。俺を八奈見かなんかだと思ってるのか。
「ファスナーに塗って、すべりをよくするんだって。でもさすがにバターなんて──」
「あ、バターならカバンに入ってるよ」
なんでだ。しかしいまは突っこんでる場合じゃない。
◇
……疲れた。
グッタリとソファに身をうずめる俺の横に、制服に着替えた八奈見がボスンと腰を下ろす。
「…………
人聞きが悪い。どちらかというと、汚されたのは俺の方だ。
八奈見はしばらく胸元のリボンをいじっていたが、ため息交じりに口を開く。
「白玉さんをどうやって説得したの?」
「どうって──」
「あの子、なにかしでかす気だったでしょ? それがあんな素直に引き下がるなんて、なにがあったのよ」
別になにがあったわけではないが、人に言えるようなことじゃないしな……。
俺は言葉を選びながら口を開く。
「ええと、強いて言えば──今じゃないって、気付いてもらえたのかな」
「……? 先送りみたいなこと?」
「まあ、そんなとこ」
──先送り。結論をだすことだけが解決じゃない。
いまは出ない答えが出る瞬間。それは来年かもしれないし、明日かもしれない。
その時がきても気付かないかもしれなくて、そんなころには、いま抱えているものなんて、ただの思い出だったりするのだ。
俺は今の自分を信じない。
だから今から続く未来に絶望もしないし、期待をしすぎることもない。
白玉さんはいつか
なるようになるし、なるようにしかならない。
人が責任を持てるのなんて、目の前の自分だけだ──。
物思いにふける俺を、なぜか八奈見がジト目で見ている。
「え、なに?」
「……
「そんなこと──」
言いかけた俺は、白玉さんの深く引き込まれるような瞳を思いだす。
──キスしましょうか。
ほんの気まぐれ。本気にしたら痛い目にあう。それが
「やっぱりなんかあったんだ! 手を出したの? マジで?」
「いや出してないって。ちゃんと断わったし──」
「はい?! どういうことそれ?!」
しまった、口をすべらせた。
マズい、このままじゃ俺は後輩に手を出す悪い男だ。
なんと言い訳しようか迷っていた俺は、視線を感じて教室の扉に視線を送る。
そこには
「「ごちそうさまです」」
口をそろえて言う二人に向かって、俺と八奈見は慌てて言いかえす。
「「違うから!」」