披露宴会場にがる廊下沿いに、扉が四つ並んでいる。

 一番奥が新婦の控室で、その次が新郎の控室だ。

 俺は少し考えて、新郎の控室から一つ手前のドアノブを回す。

 ……鍵はかかっていない。俺はそっと扉を開ける。

 窓からそそぐ柔らかな光の中──白玉リコの姿があった。

 すっとすじを伸ばし、両手にブーケを持って、誰かを待つように静かに立っている。

 俺に気付いた彼女の表情は、湖面に立つさざ波のようにわずかにゆらぐ。

「部長さん、着替えたんですね。その格好もお似合いですよ」

 俺は部屋に入ると、後ろ手に扉を閉める。

「そんなことより早く着替えないと。式に間にあわないよ」

「……ですね、このままだと間に合わなくなっちゃいますね」

 その声色に、俺は踏みだしかけた足をとめた。

 白玉さんは鏡のように透明な瞳を俺に向け、つぶやくように話しだす。

「私、自分がこんなにあきらめが悪いなんて思っていませんでした」

 視線をらすように顔を伏せ、ドレスのすそがわずかに揺れる。

「ひとつ叶えれば、もうひとつ叶えたくなって。多分それも叶ったら、もうひとつ欲しくなるんです」

 白玉さんは顔を上げる。

 そこにはちようとも違う、自らを削りとるような、ヒリヒリと乾いた笑み。

「白玉さん……」

「私、こんな女なんです。全部壊して逃げだしたいのに、がなくて。ここで時間切れになるのを待っているようなきよう者なんです。だから」

 意志の力で、唇の端を上げる。

「──部長さんは早く逃げてください」

 俺はその場に立ちつくしたまま、胸をおおう感情に揺られていた。

 さすがの俺も少しだけ怒っている。しらたまさんと──俺自身に。

 こんな女を俺は知っていたはずだ。

 自分勝手で、あきらめが悪くて。

 とんでもなく不器用で。やることなすこと無茶苦茶で。

 だけど最後は──自分より相手の幸せを考える。そんな女たちを。

 そんな女たちにキレイゴトなんて、響かない。

 俺はにらみつけるように、そんな女の瞳を見すえる。


「──なか先生のこと、本当にあきらめていいのか?」


 その言葉に返そうとした白玉さんは、なにかに気付いたように動きをとめる。

「……私にお兄ちゃんを奪えって、そう言ってるんですか?」

「ああ、そう言ってる」

 俺はいらちを隠さずに答えると、白玉さんに歩み寄る。

「わざわざ田中先生の隣の部屋に、カギもかけずに隠れるってことは──見つけてほしかったんだろ? 偶然でもなんでもいい。人の手を、好きな人の手を借りて全部ぶち壊したい。そう思ってたんじゃないのか?」

「──っ!」

 白玉さんが口を開くより早く、俺は言葉を重ねる。

「そんなことしたって、どうせあきらめきれないだろ。これまでずっと隠れて思い続けてきたんだ。それが姉と結婚したくらいで、全部ぶち壊したくらいであきらめるような、君はそんな人じゃない」

 俺をにらみつけるようにして立っていた白玉さんは、根負けしたように肩を落とす。

「私は……二人の幸せを壊す気はないんです」

「二人が幸せじゃなくなったら?」

「それは──」

 白玉さんが大きく目を見開く。

 反論をしようとして、今度こそかんねんしたように首を横に振る。

「……部長さんって、こんなに意地悪だったんですね」

「みそこなっただろ」

「いいえ。ちょっとだけ──ゾクゾクしました」

 強気な言葉と裏腹に、ブーケが床にパサリと落ちる。

「……待ちますよ、私」

 上目遣いに、男の心を見透かすような瞳を向けてくる。

「物心ついてから10年以上、隠してきたんです。この先5年だって10年だって、隠し通してみせます」

「じゃあ、いま君がいるべきところはここじゃない。ちゃんと二人を祝福して、これからもそばにいないと」

「……はい、部長さん」

 いつもの口調に戻ると、しらたまさんはいつもの完璧な笑みを浮かべる。

「いまから急いで着替えに戻れば式に──」

「んっ……!」

 え、なに。急にエッチな声だして。

 驚く俺の前で、モジモジと顔を赤くしてうつむく白玉さん。

「いえあの、そういうのではなくて。あさぐもさんに渡された振動するボタン……付ける場所がなかったので……んっ、内モモにテープで貼ったんです」

 そういうのだった。

「ええと、なんでそれが震えてるの?」

「それが、さっきからさんがずっと押してきて……」

 ……ずっと? たしか1回押すのが進めで、2回が戻れ。

 そして4回以上は──全力で撤退。

 俺はとっさに扉に走り寄って鍵を閉める。

 次の瞬間、ガチャガチャとドアノブが回った。

『あれ、鍵かかってるけど。山下さん鍵持ってる?』

『ちょっと待って、確かここに──』

 扉の外から、若い男性の声が聞こえてくる。式場の人がこの部屋に入ろうとしているのだ。

 視線を交わすひまもない。部屋の扉は一つ。もう一か所の逃げ場所は──。

 俺たちはベランダにつながる窓を開けると、外の様子も見ずに飛びだす。

 逃げだすのとほぼ同時。音をたてて、さっきまでいた部屋の扉が開く。

 ……俺と白玉さんは、窓から見えない位置で、息もひそめて身をかがめる。

 部屋に入ってきた若い従業員の声が、窓の外まで聞こえてくる。

『このコートとブーケ、誰の?』

『前の組の忘れ物かな。とりあえず預かっといて』

 コート? そういえば白玉さんはドレスの上から長いコートを着ていたはずだ。

 息を潜めていると、従業員は開けっ放しの窓を閉め、カチャリと音をたてて鍵をかける。

 これで部屋に戻ることはできなくなった。

 まさかウェディングドレス姿で、ここから逃げなきゃいけないのか……?

「ここまできたら腹をくくりましょう、部長さん」

 俺の心を見透かしたように、耳元でささやしらたまさん。

 ……確かにここまできたら腹をくくるしかない。

 ベランダのガーデン側の壁は腰ほどの高さで、ところどころに柵状のすきがある。角度によってはガーデンから丸見えで、ここに長居はできない。

 そしてそれ以上に問題なのは時間だ。俺はスマートウォッチで時間を確認する。

 式の開始まで──あと30分。


          


 カララララ……。ベランダを通って建物の反対側、集会室まで移動して窓を開ける。

 さっき白玉さんを探しに入った広い部屋だ。

 室内に身をすべりこませると、そのまま部屋を横切り、扉に耳をあてる。

 ……外に人の気配はない。ゆっくり扉を開けると、白玉さんを先導して廊下にでる。

 廊下は突きあたりで左に曲がっている。

 そこからコッソリ顔をだすと、長い廊下が続いていて、数メートル先に下りの階段。

 その先には、さっき俺たちが窓から逃げだした控室の並びがある。

 階段を降りれば玄関はすぐそこだ。見られるのを覚悟で、一気に走り抜けられる。

 問題は階段の前で、中年女性の一団がを囲んでいることだ。ご婦人、増えてる。

「リコちゃん、ホントに大きくなったわねー」

「まるで別人みたいにたくましくなって。おばさん安心したわ」

 ……どうやら正体はバレてはいないようだ。と、八奈見と目があう。

 その途端、八奈見は視線で俺にメッチャ抗議してくる。こっち見るな。

 俺はゆっくりと首を振りながら、自分の背後をチョイチョイと指差す。

 ──俺の方に向かおうとしていた八奈見が、ピタリと止まる。

 状況を分かってくれたのだろう。八奈見は軽く首をかしげるジェスチャーをする。

 俺は階段を小さく指差す。しばし、固まる八奈見。

 そして八奈見は覚悟を決めるように目を閉じるとそれを開き、

「あの! せっかくなのでお姉ちゃんのドレス姿、見にいきません?!

 よく通る声でそう言った──自分自身の声で。

 一瞬、無言になるご婦人たち。

「あら、リコちゃんどうしたの? さっきまでのわいい声が急に……」

「そうね。せっかくツワブキに入ったんだから、もっとかしこそうにしないと」

「でも、みのりちゃんのドレス見たいわねー」

 再び盛り上がった一行は、を取り囲んだまま廊下の奥に進んでいく。

 階段までの逃走経路──クリア。

 俺はしらたまさんとうなずきあうと、急ぎ足で階段に向かう。八奈見、お前のせいは忘れない。

 幸運にも階段は無人だ。一気に駆けおりると、そのまま玄関に向か──おうとして、俺は足に急ブレーキをかけた。背中にトン、と白玉さんがぶつかる。

「どうしたんですか、見られても一気に突っきりましょう」

「いやでも──」

 俺は身を隠しながらチラリと顔を出す。続いて顔を出した白玉さんが、あわてて身を引く。

「お父さん……っ!」

 そう、玄関の前で立ち話をしているのは白玉父。事前に写真を見ていなければ危なかった。

 よほど驚いたのか、白玉さんは胸に手をあて深呼吸をしている。

「さすがにお父さんに見られるのはマズいって。いなくなるのを待たないと」

「あっ、はい。分かりました」

 ……待てよ。さっき白玉父が話していたのは式場の支配人だ。見学会で見た覚えがある。

 確か新婦って、式で父親と一緒にチャペルに入るんだよな。

 式の開始まであと25分。

 つまり白玉父が次に向かうのは──2階にある新婦の部屋だ。

 話し声が階段に近付いてくる。

 固まる俺たちの耳に、2階から別の話し声が聞こえてくる。

 聞き覚えのある若い男性たちの声。式場の従業員がこちらに近付いているのだ。

「部長さん!」

 白玉さんが顔を青くしながら、俺の服をつかむ。

 ……これはマズい。せめて逃げるなら2階だが、その後の逃げ場がない。

 白玉さんだけでも、どうにか逃がさないと──。

 次の瞬間、震える大声が響き渡った。


「す、すいません! ねっ、猫がこの中に逃げこみませんでした、かっ!」