時間にしたらほんの数秒。カメラで切り取ったのはさらにその数十分の一秒だ。
会長がカメラを持つ手の人差し指を一本立てる。撮影完了の合図だ。
俺はすばやく近付くと、レフ板を床に立てる。
白玉さんがその裏に隠れるのと、田中先生が振り返ったのはほぼ同時。
至近距離で田中先生と目が合う。
「す、すいません、ちょっと近付きすぎちゃいました。えへ、えへへへへ……」
「あなたでしたか。……さっき隣に誰かいたような気がしたもので」
俺に近付こうとする
「すいません、アシスタントが近すぎましたね。カメラテストは完了です」
「え、ああ……お役に立てたならよかった」
どことなく
「本番では、お二人の最高の瞬間を切り取ってみせます。新婦様のドレス姿はもう見ましたか?」
「ええ、ドレス選びのときに」
「素敵ですね。本番ではメイクもするので見違えますよ」
話しながらチャペルを出ていく二人。
閉じた扉を見つめていた俺の隣に、いつの間にか
「大丈夫?
「あ、はい……」
白玉さんはボウっとした表情で、その場に立ちつくしている。
どことなく不安を感じつつ、もう一度声をかける。
「
コクリと
さあ、ミッションコンプリートまであと少し。俺たちがここから脱出すれば完了だ。
俺は
一週間かけた準備も、終わってしまえば一瞬だ。
ようやく肩の荷が下りた。念のための用意がムダになってよかったな……。
すっかり気が抜けた俺をもう一度現実に引き戻したのは──八奈見からの返事だった。
『白玉ちゃん、どこにもいないんだけど?』
◇
白玉さんが姿を消した。
俺と会長、八奈見の三人は彼女を最後に見た場所、チャペルに集まっていた。
「合図しても全然出てこないからさ、様子を見にきたら誰もいなくて」
身振り手振りで話し続ける八奈見。
会長はスマホから顔を上げると、顔を横に振った。
「
つまり──白玉リコはまだこの建物の中にいる。
黙って姿を消したということは、なにかをしようとしているに違いない。
俺は気を取りなおしてウィッグの前髪を直す。
「ここにいても仕方ないし、手わけして彼女を探そうか」
「そうだな。幸いにもゲストの到着前だ」
「ねえ、あとで白玉ちゃんのブーケもらっていいかな。持ってると次に結婚できるんでしょ?」
最初の持ち主は結婚どころかなす術もなく振られてるが、それでもよければ。
俺たちはチャペルを出ると、式場の建物に入る。
白玉さんが隠れるとしたら、親族の更衣室だろうか。それともトイレか倉庫……。
考えながら玄関の方に向かっていると、受付で二人組の男性がなにかを話している。
肩から下げているのは──カメラバッグ。本物のカメラマンが到着したのだ。
「……
固まる俺の腕をつかむと、きた道を引き返す会長。
八奈見が戸惑いながら後をついてくる。
「えっ、どうするの? 私はどうすればいい?」
「八奈見さんは俺たちと一緒にいない方がいい。ここで解散だ」
俺と会長は八奈見を残して建物を抜け、再びチャペルの前に出る。
「会長、まずは身を隠しましょう」
「どこかいい場所はあるのか?」
「こっちです」
俺はチャペルと
チャペルの側面と正面には大きな窓があるが、奥の一角だけが死角になっている。
俺たちは周りの視線からさえぎられているのを確認すると、ホッと息をつく。
「まずいですね。本物と鉢合わせになったら、いいわけができませんよ」
「やむをえない。ここはいったん脱出しよう」
「玄関を通るのは危険ですよ。下手したら俺たちを探しているかも」
会長はハンチング帽の先をつまみながら、高い塀を見上げる。
「この塀を越えればいい。私が台になるので、先に上に登ってくれ」
目標は達成した。脱出の判断が
そう、後は
すべてを捨てる覚悟で、なにかを起こすのも──。
「……俺は残ります」
驚く会長に向かって、俺は言葉を続ける。
「白玉さんをこのままにはできません。もう少しだけ、やれることを探してみます」
「では私も一緒だ。君一人をここに残すわけにはいかない」
俺は首を横に振る。
「演劇部の部室に大きな黒いボストンバッグがあります。それを持ってきて、ここに投げ入れてくれませんか」
一瞬、固まっていた会長が驚いた顔をする。
「……君はこの事態を予想していたのか? 最初から?」
「予想というより覚悟していた、ですかね」
スマートウォッチの時刻は、ちょうど10時を指している。結婚式の開始は12時。
それまでに白玉さんを見つけて、説得して着替えさせて、式に参加させるだけだ。
……うん、それだけだ。俺は会長に向かって親指を立てる。
「任せてください。こういうことには慣れてますから」
こんなこと文芸部ではよくある話。こう見えても俺は部長なのだ。
◇
11時をすぎ、ゲストの受付が始まった。
待合スペースやガーデンにゲストの姿が見え始めたころ、俺は隠れ場所から脱出した。
カメラアシスタントの
会長に運んでもらった黒いボストンバック。
中身は演劇部に借りたキリノキ高校の男子制服だ。
学生は一般的に結婚式に制服で出席するから、目立たずに行動できる変装なのだ。
「やっぱりズボンは落ち着くな……」
あのスースーする感覚には慣れる気がしないが、夏には意外と涼しくていいのか……?
壁沿いにイスとテーブルが並び、ガーデン側が一面のガラス戸になっている。
いまはガラス戸は開け放たれて、さわやかな初夏の風が流れこんでくる。
談笑するゲストの中に
ちょうどバーカウンターに差しかかったので、ウーロン茶をもらって一服する。
見失ってからすでに1時間以上
1階は人目につくし、次に探すなら2階かな……。
ウーロン茶をすすっていると、隣に女性の二人組が並ぶ。
「いやあ、のり玉ちゃん
っ!? この声は──
慌てて顔をそむけると、二人目の女性の声が聞こえてくる。
「あら、あの子には年上の男性がぴったりよ。しっかり者な分、甘えさせてあげないと」
「私も甘えたい……やっぱマンション買っときゃよかった」
「
「飲んだらこんなもんじゃないぞ」
この人、プライベートでもこんな感じか。俺は先生がクダをまく隙にその場を離れる。
白玉さんは人ごみの中にはいないようだ。反対に人のいないところを探せばきっと……。
人目を避けながら、バックヤードに続く薄暗い廊下に足を踏みいれる。
少し進むと『倉庫』と書かれた扉があった。人目を気にしながらドアノブを回すと、カギはかかっていないようだ。俺はゆっくりと扉を開く。
「白玉さん、いる……?」
倉庫の中は真っ暗だ。明かりのスイッチを探る手を──誰かが乱暴につかんだ。
「ひゃっ!?」
「どこにいたのよ
この声は──
闇に閉ざされた倉庫の中、八奈見のスマホの灯りが俺たちの顔を照らす。
「八奈見さん、なんでこんなところに?」
「あのあと、
俺が口を開こうとすると、そのヒマもあたえずに詰め寄ってくる
「それで聞いてよ! ここに隠れる前、親戚のおじさんにつかまったんだけどさ。久しぶりとかいうけど私は初対面だし、『肥えた』って5回も言われたんだけど?! 5回よ?! これでも3㎏やせたんですが!」
「ええと、バレなくてよかったね。それより白玉さんを探さないと」
俺は八奈見をなだめつつ、スマホの画面の時計を確認する。
──時刻は11時15分を回っている。式は12時からだから、時間との勝負だ。
八奈見は言いたいことを言い終えると、満足したのだろう。青いマスクを顔につける。
「さて、
やはり残るはそこだけか。俺は無言で
◇
2階には新郎新婦の控室がある。ゲストは誰も立ち入らないように見えて、あいさつにおとずれる親戚や友人がいるので、人の
まずは新郎新婦の控室とは反対側、階段を上って左のエリアを探索する。
廊下の一番奥、教室を一回り小さくしたくらいの集会室の中を探す。
見学会で最初に説明を受けた場所で、今日は一時的な荷物置きに使われているようだ。
奥の大きな窓からベランダも確認したが、白玉さんの姿は見えない。
部屋を出ると、他の部屋を確認していた八奈見が首を横に振る。
「こっちにもいなかったよ」
そうなると──残るは新郎新婦の控室がある一角だ。
八奈見のノドがゴクリと鳴る。
「まさか
「人の出入りがあるから、それはないって。むしろその先の披露宴会場に隠れてるかも」
「披露宴会場……?」
腕組みをして考えこむ八奈見。
「どうしたの?」
「分かった、ケーキだよ……!」
「お
「空いてるけど違います。結婚式って背よりも高いケーキがあるでしょ? 白玉ちゃん、中身を食べて中に潜んでるんじゃないかな」
えっ。この人、本気で言ってるのかな。本気だな。
「あれって、ケーキ入刀するとこ以外はつくりものだぞ」
「えっ、あれって偽物……? ウソでしょ……?」
八奈見
ショックを受けたのは分かるが、いまはそれどころじゃなさすぎる。
「ほら、きっとオプションで全部をケーキにできるって。さあ早く行こう」
「バブルなら……? バブルの時代なら全部ケーキだったのかな……?」
「そうだね、バブルまたくるといいね」
八奈見を急かして、階段のところまで戻る。
と、ちょうど階段を上ってきた中年女性が、俺たちの前で立ちどまった。
「あらー、ひょっとしてリコちゃん? 私のこと覚えてる?
?! まさかここで
『リコです。お久しぶりですね』
ミツエおばちゃんは、笑顔で八奈見の手を握る。
「本当に久しぶりね! 小学生のころはあんなにほっそりしてたのに、すっかり肥え──立派になっちゃって」
『はい、私はご飯が好きです』
そう、
──私に任せて先に行け。
そう言いたいに違いない。きっとそうだ。そう決めた。
俺はソロソロと後ずさると、八奈見に親指を立ててからその場を離れた。
八奈見の