~3敗目~ じやの道でしたらお任せを



 なし崩しであくに手を貸すことになってから、一夜があけた。

 昼休み、旧校舎の非常階段。

 俺は踊り場の手すりに背中を預けながら、牛乳のパックにストローをさす。

「悪い、急に集まってもらって」

 俺の正面、階段に座って弁当箱の包みを開けているのは、あやみつさくらひろ

ぬくみず。改まって話があるなんて、なにかあったのか?」

 綾野は不思議そうな顔をしながら、うずら卵のベーコン巻きを口に入れる。

 両親が料理好きらしく、こいつの弁当はいつも色とりどりだ。

「覚悟はしてるよ。なんでも言ってよ」

 桜井君はさつのような笑顔でそう言うと、フキの煮物を箸でつかむ。

 彼は最近弁当作りを始めて、会長の分も毎日作っているという。結婚してくれ。

「ありがと。実は文芸部で預かってる新入生の件で相談があって」

 ……さて、いまさら隠し事をしても仕方ない。

 俺は今回起こったことを順を追って、説明する。

 聞き終えたあやは箸を置いて首をかしげた。

「……そこまで話しても良かったのか?」

「言いふらすような話ではないけど、本人から許可はとってるよ」

 許可の範囲までは確認してないが、まあ問題ないだろう。多分。

「僕は少しは聞いてたけどね。そんな事情まであったんだ」

 さくら君はいつもの少し疲れたような笑みを浮かべながら、箸で持ち上げたゴボウの肉巻きを見つめている。

「彼女は気持ちに折り合いをつけるって言ってたけど、相手は義理の兄だ。告ってフラれてすっきり──ってわけにはいかないし、なにをしでかすか分からないからさ」

 綾野はうなずきながら、再び箸を手に取る。

「一度は警察になってるしな。次に同じようなことがあったら、停学じゃすまないだろ?」

 視線を送られた桜井君は、思案顔で空を見上げる。

「僕は先生じゃないから分からないけど……こんな短期間に二度も停学になるなんて、聞いたことないな」

 聞いたことがない──ということは、まあそう言うことだ。

 俺は牛乳を飲み切ると、二人に向き直る。

「そこで二人に相談なんだ。流れで協力することになったけど、法に触れるようなことはできるだけさけたい。俺は男だから女心とか分からないし、こう……彼女が納得してくれるような計画をアドバイスしてくれないかなって」

 沈黙。戸惑い顔を見合わせていた二人は、ためらいがちに口を開く。

「……ぬくみず、俺たちも男だぞ」

「そうだね、それこそ文芸部の女子に聞いたほうがいいんじゃないかな」

 当然、その反応は想定ずみだ。俺は二人の顔を見回す。

「実はこの一年で気付いたことがある。文芸部の女子は──いうほど女の子じゃないんだ」

 なにか言いたげな二人は、口を開きかけて再び閉じる。

「むしろ二人の方が女子力が高いというか、参考になるかなって」

 しばらく考えてから、綾野は複雑そうな表情で頷く。

「知り合いにそれとなく相談くらいはできるけど、あんまりあてにならないぞ」

「僕も周りに意見くらいは聞けるけど、女心は自信がないかな」

 充分だ。文芸部にいると『普通』の基準がブレブレになるのだ。

「さあ、温水君も早く食べないと。そろそろれいが鳴るよ」

 食べ終えた弁当箱を包み直しながら、桜井君。

 おっと、もうそんな時間か。次の休み時間までとっておくと、にとられるかもしれないからな……。

 すでに弁当を食べ終えた二人の話を聞きながら、俺はカレーパンの袋を開ける。

 そういえばこいつらの知り合いの女子って──。

 のうをよぎる見知った顔。

 俺はそれを強引に心の棚に押しこむと、カレーパンにかじりついた。


          


 ──放課後の部室は、張り詰めた空気で満ちていた。

 まりは無言のまま、しらたまリコがテーブルに並べた封筒を見つめている。

 封筒は3枚。ノートやA4紙が入る大型のものだ。

 そしてその封筒には、大きく『松』『竹』『梅』と書かれている。

「昨晩、3つの計画を考えてきました。どうぞ部長さん。好きなのを選んでください」

 テーブルの向かい側から、俺をうながす白玉リコ。

 好きなのもなにも、できれば選びたくないのだが……?

「部長さん、早く選びなよ」

「は、はやくしろ、部長」

 俺を左右からせかす八奈見と小鞠。こいつら、こんな時だけ部長扱いしやがって。

 俺は散々迷って『竹』と書かれた封筒を手に取る。ちゆうようとうとぶ、日本人的選択である。

「ええと……不動産のチラシ?」

 封筒の中に入っていたのは、市内の借家の物件案内だ。

 場所はふたがわ駅から北に向かった山中で、ポツンとした一軒家だ。

「二川のほうにいい物件を見つけたんです。周りに民家がなくて、地下室が──」

 俺は説明を最後まで聞く前に、資料を封筒に戻す。

「……他の封筒見ていい?」

「部長さん、計画の説明はしなくていいですか?」

 いいです。俺は半ばやけくそで『松』と書かれた封筒を手に取る。

 中に入っていたのは──海外旅行のパンフレットだ。

 表紙には、おしゃれな水上コテージの写真がデカデカと載っている。

「ええと、これは……?」

「お姉ちゃんたち、新婚旅行でタヒチに行くんです。いつもいそがしいから、新婚旅行くらいはゆっくりしたいって」

 白玉さんが言い終わるより早く、八奈見がパンフレットをうばいとる。

「うわ、めっちゃ素敵じゃん! 夜空を見上げながら、ロマンチックな夜を──」

 夢見る表情でパンフレットを見つめていた八奈見の瞳から、急速に光が消える。

「そうか……式を挙げたら次は新婚旅行だよね……そっか……」

 マズい、の変なスイッチが入ったぞ。

 俺が目配せをすると、まりの『ほしうめ』を八奈見の口に入れる。

 死んだ目でモチャモチャと梅をむ八奈見の手から、優しくパンフレットを回収する。

「それで、どんな計画なの?」

「お姉ちゃんと私って、後ろ姿が似ているんです。隣のコテージを借りて、夜中にこっそり入れ替われば──」

 スッ……。俺はパンフレットを封筒に戻す。

 残るは『梅』の封筒だけだ。俺は祈るような気持ちで開封する。

 中に入っていたのは、なにかの書類やカタログだ。

「これは……式場のチラシ?」

「はい、お姉ちゃんの結婚式の資料です。パンフレットや見積書、当日の座席表とかを一通りコピーしてきました」

 分厚い書類を手際よく分けていたしらたまさんの手が止まる。

 長いすそが特徴的な、純白のドレス。ウェディングドレスの写真だ。

「……これを着て、チャペルで写真を撮りたかったんです」

 白玉さんは小さく首を振り、その写真を裏返す。

「全部お姉ちゃんに先を越されちゃったから。一つだけ、私だけの初めてが欲しかったんです。そうすれば、きっとなか先生のことも『お義兄にいさん』って呼べるのかなって」

 かける言葉もなく黙っていると、白玉さんは結婚式の書類をまとめだす。

「こんなの無理な話ですよね。やっぱり『松』か『竹』のどちらかを──」

 バン! 俺は身を乗りだして、書類を上から押さえる。

「これにしよう!」

「ちょっ、ぬくみず君っ!?

 八奈見が慌てているが、よく考えろ。他の候補は『松』と『竹』だぞ。

 白玉さんは目をパチパチしながら上目遣いに俺を見る。

「ドレスが来るのは式の直前だから、写真は難しくありませんか?」

「確かにこのドレスを着て写真を撮るのは難しいかもしれないけど──その代わりのドレスを着て写真を撮ることはできるんじゃないか?」

「チャペルで、ですか?」

「ああ、チャペルで」

「……もう一声」

 へ? ええと、それだけじゃ足りないってことか。

 俺が迷っていると、白玉さんが身を乗りだしてくる。

「例えば……なか先生とツーショット写真を撮る、とかはどうですか?」

「チャペルで?」

「はい、チャペルで」

 コクリとうなずしらたまさん。

 いや、さすがにそれは無理だろ。

 相手にバレずにチャペルでツーショット写真とか、無理ゲーにもほどがある。

 白玉さんも言ったはいいが、それは分かっているのだろう。

 彼女の視線が、他の2通の封筒に──。

「……やろう」

 俺の言葉に、白玉さんが目を輝かせる。

「本当ですか?! それならさっそく──」

 白玉さんが言い終わるが早いか、まりは左右から俺の両腕をつかむと、部室の隅に無理矢理引きずりこむ。

「えっ、なにいきなり」

「本気で手伝うつもり?! 私、犯罪の片棒かつぐとかごめんだからね?」

「し、死ぬならお前だけで、死ね!」

 やれやれ、写真を撮るだけで大げさだな。

 ちょっとばかり結婚式当日に式場に忍びこみ、新郎をだまして写真を撮るだけで──。

「……あれ、ひょっとしてこれって犯罪か?」

 コクコクと頷く二人。

 八奈見は溜息をついて俺から離れると、白玉さんに向き直る。

「白玉ちゃん。気持ちは分かるけど、簡単にはいかないよ。ドレスのレンタルだって何万もかかるし、プロのカメラマンも必要でしょ? お金がいくらあっても足りないよ」

「はい、そう思ってこれを用意してきました」

 白玉さんはテーブルの上に一枚のカードを置く。

 通称『とよしん』こと、とよはし信用金庫のキャッシュカードだ。

「この15年間、いただいたお祝いやお年玉を貯めてきました。100万円はあります」

「「「っ?!」」」

 固まる俺たちに向かって、白玉さんがカードを押しだしてくる。

「お預けします。今回の計画に自由に使ってください」

 自由ったって、こんな大金を受け取るわけにはいかないぞ。

 俺は八奈見たちの視線に押されて、一歩前に出る。

「確かに計画にお金は必要だと思うけど。必要な物は白玉さんがその、直接お金を払ってくれればいいよ」

「うん、そうだよしらたまちゃん。交通費とか食費とか、暮らすって物入りだしね」

 確かにそうだが、、キャッシュカードに触るんじゃない。

「でも、こんなことに巻きこんで。私にはこれくらいしか……」

 うつむきながら、か細い声で言う白玉さん。

 そういうつもりなら、なおさら受け取るわけにはいかない。俺は首を横に振る。

「俺たちは白玉さんの先輩だ。手伝う理由はそれで十分だろ?」

 コクコクとうなずまり

「みなさん……有難うございます」

 浮かんだ涙をぬぐう白玉さん。

 俺は照れ隠しにほおをかく。

「とはいえ、お姉さんを出し抜いてツーショット写真を撮るなんて大変だぞ」

 まずは資料を読みこんでから、念入りに計画をたてなくては──。

 ……

 …………あれ? なんか俺たち、完全にやる流れになってないか?

 小鞠もなんとなくその気になっているし、八奈見はきっとお金に目がくらんでいる。

「前回は警備の人にすぐ見つかったから、建物の構造がよく分からないんです。一度、中の様子をあらためて探らないと──」

 目を輝かせて計画を語りだす白玉さん。

「ええと、白玉さん。ちょっといいかな」

「はい、なんですか部長さん?」

 キラキラキラ。白玉さんの瞳が俺を見返す。

 えーと、なんて言えばいいかな……。

 頭から否定するのではなく、相手の提案を受け入れつつもねんてんを遠回しに提示してソフトランディングを──。

 考える俺の耳に、廊下から響く声と足音が聞こえてきた。

 と、ズバンと大きな音を立てて部室の扉が開く。

「失礼する!」

 突然現れたのは、生徒会長のほうばるひばり。

 驚く俺たちに一礼すると、白玉さんにツカツカと歩み寄る。

「君が白玉リコくんだな?」

「あ、はい。ええと生徒会長さん……ですか?」

 の上で固まっている白玉さん。

 会長はいつもの表情で、パッと髪をかきあげる。

「おっと、自己紹介が遅れたな。私は生徒会長の放虎原だ。リコ君──話はすべて聞かせてもらった!」

「はい?! なにをですか?」

 驚きに包まれる部室に、さくら君が息を切らせながら入ってきた。

「ひばねえ……だから待ってって……」

 胸に手を当てて深呼吸をすると、会長に歩み寄る桜井君。

「いきなり大声だしてみんなも驚いてるよ。ほら、お邪魔だから帰ろうよ」

「まあ待てひろ。まだ話の途中だ」

 会長は桜井君の制止もきかずに、しらたまさんの両肩に手を置く。

「え、あの……」

「人の道ならぬ秘密の恋! それを隠したままいつむくいようとする女の意地! 一人の女として感じいった。ぜひ私も手を貸したい!」

 部室に響き渡る会長の声。天井をあおぐ桜井君。

 固まっていた白玉さんが、恐る恐る口を開く。

「ええと、会長さんはどこからその話を……?」

「ああ、そこの弘人から話はすべて聞いた。なあに、彼とは家族も同然だから心配ない」

 桜井君、両手を合わせて深く頭を下げている。

 ……なんか、こんなことになる気がしてた。

「ええとつまり。私が部長さんに伝えた話がそちらの方に伝わって、生徒会長さんにまで伝わったということですか……?」

「ごめいさつだ」

 それを聞いた白玉さんが、ギギ……、と俺に顔を向けてくる。

 へえ、白玉さんってあんな顔するんだ。へえ……そっか……。

 ハンカチで冷や汗をぬぐっていると、がほしうめを口に入れながら前に出る。

「会長先輩、手を貸すってどういうことですか?」

「爪痕を残すのなら、人手は多い方がいいだろう」

 会長は式場のパンフレットを手に取ると、パラパラとめくる。

「ふむ……リベンジということか」

「へ? リベンジ?」

 間の抜けたオウム返しをする俺に、会長は資料を読みながらうなずく。

「再び結婚式場に侵入して、花嫁衣裳を奪うのだろう?」

「あのですね、新婦のドレスを奪うのはあきらめたんです。代わりにこっそり、なか先生とウェディングフォトを撮ろうかと」

「……? それは難しくないだろうか」

「そうですが、ちょっと事情が──」

「会長、ここにいたんですか!」

 俺の言葉をかき消すように聞こえてきた声は、天愛星ていあらさんだ。

 一礼すると、部室にツカツカと入ってくる。

「先生がお待ちですよ。今日は生徒会選挙の打ち合わせじゃないですか」

「ああ、そうだったな。私も必要か?」

「当然です! 先輩がつないでくれてますから、早く来てください!」

「分かった。しらたま君、少しこの資料を貸しておいてくれ」

「あ、はい。データがあるので差しあげます」

 天愛星さんに引っ張られて、会長が部室を出ていく。

 ホッとしたのも束の間、天愛星さんが一人で戻ってくるなり、俺をジロリとにらみつける。

「え、なに?」

ぬくみずさん。会長に悪いこと、させようとしてませんよね」

「……シテマセン」

「なんで棒読みなんですか?」

 目を細めて俺の顔をジッと見る天愛星さん。

 ウソはついてないぞ。会長が勝手にやろうとしているだけだし。

「会長の経歴に傷をつけるようなことをしたら、いくら温水さんでもゆるしませんからね」

 言い残して、再びその場を去る天愛星さん。

 ……嵐は去った。

 取り残されてポツンと立っていたさくら君が、青ざめた顔で俺たちを振り返る。

「ええと、なんとおびを言ったらいいか……」

 は気にするなとばかりに首を横に振ると、ほしうめを差しだす。

「気にしないで桜井君。そもそも温水君の口が軽いのが原因だよね?」

「え、俺のせい?」

 うんうんとうなずく、八奈見とまり。そうか俺、やらかしたか。

 そして白玉さん、まだ見たことない顔してるな……。


          


 俺は会長からのメッセを読みながら、学校の駐輪場へ向かっていた。

 現在の俺は自転車通学をしている。1年生の三学期、トレーニングのために自転車通学をしていたのが親にバレ、定期券を更新してもらえなかったのだ。

「明日も学校か……」

 メッセを読み終えた俺は、溜息をつきながらスマホをしまう。

 明日は祝日にもかかわらず、会長から文芸部の部室にしようしゆうがかかったのだ。

 ちなみに文芸部の部長は俺だ。このまま廃部になったら、生徒会の下請けとして生き残るのもいいかもしれないな……。

 そんなことを思いながら自転車置き場にたどり着くと、愛車のだいわいらしい生き物がちょこんと横座りしているのに気付く。

 ──しらたまさんだ。俺は彼女から離れた場所で足を止める。

「……まだ帰ってなかったんだ」

「はい、ちょっと忘れものをしたので」

 いつも通りの完璧な笑顔。

 ええと、生徒会に情報が筒抜けだったこと、怒ってるよな……?

「どうしたんですか? 帰るんですよね」

「あ、はい。帰ります」

 俺は顔をふせ、白玉さんの前を──。

「部長さんの自転車ここですよ?」

「あれ、そうだっけ。最近物忘れがひどくて」

 ……通りすぎようとして、捕まった。

 自転車の鍵を開けても、白玉さんは可愛らしく座ったまま動こうとしない。

「あの……白玉さん?」

「はい、なんですか部長さん」

 ニコニコニコ。白玉スマイルに、俺は愛想笑いを浮かべることしかできない。

 ……まずい、これでは先輩のげんがだいなしだぞ。

 俺はいいと言われたから協力者に事情を話しただけで、決して軽々しく秘密をもらしたわけではない。うん、謝るようなことはしていない。

「部長さん、私少し怒ってます」

「ごめんなさい」

 とはいえ、時には素直に謝るのは大切だ。

 深く頭を下げる俺の頭上から、白玉さんの声が降りかかる。

「部長さんだから信用して話したんですよ?」

「ええと、話してもいいと言われたので……」

「もちろん、迷惑をかけたみなさんに事情を伝えるのは構いません。ですが、生徒会にまで話が筒抜けになるとか、普通思いませんよね?」

 はい、その通りです。ぐうの音も出ない俺が頭を下げ続けていると、こらえきれないとばかりにクスクスと笑いだす白玉さん。

「頭を上げてください。本気で怒ってるわけじゃありませんよ」

「でも生徒会に話したのは確かだし……」

「二人だけの秘密だって思ってたから、ちょっとねただけです」

 しらたまさんは自転車の荷台から降りると、両手のこぶしを胸の前でギュッと握る。

「みなさんがここまでしてくれるんです。私、腹をくくりました」

「へっ?! だからって無茶をしたら──」

 思わず後ずさる俺に、白玉さんが一気に間合いを詰めてくる。

 ただよってくるミルクのような甘い香り。

「火をけたのは部長さんですよ?」

 長いまつにつつまれた潤んだ瞳。

 小さなピンク色の唇から、ささやき声がもれてくる。

「──責任、とってくださいね」


          


 翌日の朝。俺は眠い目をこすりながら、文芸部の部室でテーブルを囲んでいた。

 祝日にもかかわらず呼びだしに応じた部員はと俺、それに白玉さんをくわえた三人だ。

 テーブルの横で仁王立ちをした会長が、腕組みをしながら俺たちを見回す。

「これで全員か? 昨日はもう一人いたはずだが」

まりならさっき窓から部室をのぞいて、すぐ逃げました。始めてください」

 会長はうなずくと、持ちこんだホワイトボードに大きな紙を貼り付けた。

 そこには『白玉リコ・リベンジ大作戦本部』と毛筆で書かれている。

 白玉さんがおずおずと手を上げる。

「あの……そこに書いてあるリベンジ大作戦ってなんでしょうか」

「ああ、朝から祖母に頼んで書いてもらった。祖母ははんめんじようを持っているからな」

 はあ、それでこんなに上手なんだ。そして多分、白玉さんが欲しかった答えじゃない。

 会長はパイプを広げると、ドカリと腰を下ろす。

「さあ、計画を話しあおう。現在の計画は? 準備はどこまで進んでいる?」

「ええと……」

 勢いに押され気味の白玉さんを見て、俺が代わりに口を開く。

「まだ目標を設定したばかりで、中身はなにも決まってないです」

 会長は頷くと、1枚の紙をテーブルの上に置いた。

「ならば専門家の力を借りるのはどうだろう。昨日偶然、このようなものを見つけてな」

 それは『潜入調査のご相談ならこちらへ! ツワブキ調査アドバイザー』と書かれた手作り感あふれたチラシだ。

「うわ。会長先輩、なんですかこれ」

 が朝食(1時間ぶり2回目)のおにぎりを食べながら、身を乗りだす。

 チラシには秘密厳守、完全合法、基本料無料、特許出願検討中──などの文字がポップな書体で散りばめられている。

 あれだ。たまに電柱に貼られているインディーズ系のヤバいやつだ。

「あの、会長。ここの力を借りるのはヤバくないですか?」

「心配するな。ツワブキ生が自主研究でやっている活動だ。信頼に値する」

 この学校にそんなことをしている生徒が……?

 約1名心当たりはあるが、いやまさか。

 ハラハラしていると、会長がチラリと壁の時計に視線を送る。

「そろそろ約束の時間だな。実はすでに依頼をしているんだ」

「へ?」

 コンコンと、まるで話を聞いていたかのようなタイミングでノックの音。

 ゆっくりと扉が開くと、そこにはよく見知った一人の女生徒が立っていた。

 オデコを光らせながら、ぺこりと一礼。

「ご用命いただきました、ツワブキ調査アドバイザーのあさぐもはやです。そしてこちらが──」

 その後ろから、さらに見知った一人の娘が顔をだす。

「アシスタントのぬくみずじゆです。全力でがんばります」

 なぜか、俺の顔をジッと見つめる文芸部ガールズ。

 いや、これは俺悪くないよね……? うん、多分。


          


 ツワブキ調査アドバイザーこと朝雲さんが、ホワイトボードに大きく『情報』、『準備』という二つの単語を書くと、それを丸でかこむ。

「まず大切なのは情報収集と事前準備。そして──」

 さらに大きな文字で『ゴール』と書く。

「チーム内でゴールの共有をすることです。リコさん、挙式の日程はいつですか?」

「あ、はい。来週の土曜日です」

 ──挙式は9日後。GWの連休後、最初の週末だ。

 朝雲さんはうなずくと、今日から結婚式当日までの日付を順に書き始める。

「期限が決まってますので、今回はマイルストーンではなくタスクでしんちよくを管理しましょう。まずは情報を共有し、必要なタスクを洗いだします。明後日あさつてからGWの5連休が始まるので、この連休を利用して準備を終わらせましょう」

 今年のGWは犯罪の準備で終えるのか……そうか……。

 ホワイトボードにカレンダーを書き終えると、あさぐもさんは俺たちに向き直る。

「ゴールはハッキリしていますね。挙式当日、なか先生とリコさんのウェディングフォトを撮ること。同時に『絶対にバレない』という条件を満たす必要があります」

 ……問題はその条件だ。成功への道は細いのに、越えるべきハードルが多すぎる。

 黙りこむみんなの顔を見て、俺は小さく手を上げる。

「ええと、場合によっては、臨機応変にゴールを変える必要があるんじゃないかな」

「ただ、ゴールラインを変えるにしても情報の収集は必要です。まずはここまでの状況を整理しましょう」

 朝雲さんが合図をすると、じゆが用意していたプロジェクターを起動させる。

 白い壁に映しだされたのは、市内地図の航空写真だ。

 中心部にもほど近い一角に、会場となる結婚式場がちんしている。

 むかいやまおおいけや公園にも近く、隣には県立のキリノキ高校もある。

「式場は外からはしやだんされているので、中の様子はHPの写真からしか分かりません。リコさん、中の様子は分かりますか?」

 黙って首を横に振るしらたまさん。

「ではまず、内部構造のあくが最優先事項ですね。それについては──アシスタントに代わります」

 朝雲さんが横にずれると、変わって前に出たのは佳樹だ。

「佳樹は朝から現場の下見に行ってきました」

「え、いつ? お兄ちゃん、知らなかったけど」

 俺の朝食を作ってくれたのも、着替えを用意してくれたのも佳樹だぞ。

 佳樹はなぜか俺にウィンクをすると、そのまま話を続ける。

「玄関にちょうど支配人さんがいらしたので、お話をうかがってきました。この式場は1日2組限定、貸し切りのガーデンウェディングを行っています」

 佳樹はスマホを操作すると、プロジェクターで写真をとうしやする。

「プライベート空間を守るために壁で囲まれているので、出入り口は正面に限られています。正攻法だと当日は関係者のリコさんしか入れないでしょう」

 ……なるほど、これはひとすじなわではいかないぞ。貸し切りなら、他の組の参列者のフリをすることもできない。

「それより佳樹。式場の人と話をして、怪しまれたりしなかったのか?」

「いいえ、紳士的で素敵な方でしたよ。名刺もいただきました」

 ──紳士的で素敵。ってことは男だな。うん、別に性別は関係ないが。

「名刺よく見せて。佳樹は連絡先を教えてないだろうな?」

 立ち上がろうとした俺を、が引っ張ってに座らせる。

ぬくみず君、座ってなよ。それで妹ちゃん、調査抜きにして感想はどうだった?」

「はい、素敵な雰囲気でした! じゆもあんなところで式を挙げたいです! です!」

 両手を胸の前で合わせて、瞳を輝かせる佳樹。なぜ俺をメッチャ見る。

 それまで黙って聞いていた会長が、思案顔で足を組む。

「ふむ、ではまず会場の調査が必要だな。佳樹君のことだ。なにか案があるのだろう?」

 佳樹が笑顔でうなずく。

「はい、明後日あさつての土曜日に見学会があるそうです。キャンセルで一組空きがでたそうなので、すでに申し込みをすませました」

 へえ、準備がいいな。式場の見学会に申し込みを──。

「待って、結婚の予定もないのに参加していいのか? ていうか俺たち高校生だぞ?」

 なんでもないとばかりにニコリとほほあさぐもさん。

「あら、将来ここで式を挙げればいいだけです。さて、誰が説明会に参加するかですが──」

 言いながら、朝雲さんが俺たちをゆっくりと見回す。

「八奈見さん、なんで立ちあがるの?」

「え? だってこれって、大人っぽい人じゃないとダメでしょ」

「うん、そうだね。座ろうか」

 八奈見を座らせつつ、考えをめぐらせる。

 社会人でも通用する見た目と立ち振る舞いができる高校生なんて、そんな簡単に──。

「? どうしたみんな」

 部屋中の視線を集める会長に向かって、朝雲さんがトトッと歩み寄る。

「会長さん、いかがでしょう。見学会に出席していただけませんか?」

「協力したいのはやまやまだが、土曜日にはほうがあるんだ。高祖父の50回というレアイベントで、絶対に外すわけにはいかなくてな」

 キラリと目を光らす会長。この人、法事とか好きそうだな……。

「法事なら仕方ないですね。それはそうと八奈見さん、座ろうか?」

 さて困ったぞ。会長がダメなら誰に頼めばいいんだ。

 困った雰囲気に気付いたか、会長が口を開く。

「ではに頼むとするか。なに、彼女は口が堅いから大丈夫だ」

 志喜屋さんか……見た目は大人っぽいけど大丈夫か、色々と。

 俺の心配をよそに、佳樹がホワイトボードに志喜屋さんの名前を書く。

 朝雲さんが人差し指をアゴに当てながら、わいらしく首をかしげる。

「ではパートナーの役はどうしましょう。どなたか心当たりはありますか?」

 ええと、志喜屋さんの隣に並んで見劣りしない男子か……あ!

「それならあやはどうだ? あいつ見た目は大人っぽいし、スーツとか着れば」

「ダメです」

 食い気味に断言するあさぐもさん。

「え? でも、あいつなら」

「はい、ダメです」

 ニコリと俺に笑いかける朝雲さん。ちなみに目は笑っていない。

「その日は絶対に外せない用事が入る予定です。なんならぬくみずさんの法事でも──」

「よし、綾野はやめよう! 会長、どなたかいい人いませんか?」

 あわてて話を振ると、会長は困ったように肩をすくめる。

「むやみに関係者は増やしたくないな。できれば文芸部か生徒会の関係者が好ましいのだが」

 たま先輩は──彼女がうるさそうだし、問題になったときシャレにならないな。

 首をひねっていると、がふてくされた表情でボソリと言う。

「……じゃあ、温水君がやればいいじゃん」

「へ?」

「私に文句がある温水君なら、さぞ完璧にこなすんでしょうね?」

 八奈見は朝食(15分ぶり3回目)のサンドイッチをペリペリと開封しながら、俺をジロリと見る。

「待って俺じゃ無理だろ。さすがに社会人のフリなんて」

「──いや、悪くない提案だ」

「へ?」

 会長は立ちあがると、俺の肩を叩く。

「君はわりと上背があるし、衣装やメイクでどうにかなるだろう。みんなはどう思う?」

 真っ先に手を上げたのはじゆだ。

「お兄様のスーツ姿、見たいです! なんなら佳樹が相手役をして、その場で挙式を──」

 いやそれはおかしい。

 俺は立ち上がると、興奮した佳樹を部屋の隅に座らせる。

「佳樹はその日、友達と約束があるだろ? ほら、浜松の遊園地に遊びに行くって」

「…………ありません」

 ツイッと目をそらす佳樹。俺はスマホを取りだす。

「カレンダーを共有してるから隠しごとはできないぞ」

「うー、でもお兄様と結婚式挙げたいです……」

 そもそも式は挙げないぞ。

「では、異論がないので温水さんで決定ですね」

 反論の間もなく、朝雲さんが俺の名前をホワイトボードに書いて丸で囲む。

 あさぐもさんは文字で埋まったボードを見て、満足そうにうなずく。

「さて、まずは土曜日の見学会に向けて準備をしましょう。調査に必要な機材は私の手持ちを使いますが、当日の衣装は各自用意していただけますか?」

 衣装……って、スーツでいいのかな。

 父親のを借りるとして、中身は高校生の俺だぞ……?

「ええと、やっぱ俺──」

 モソモソと口を開く俺の声が聞こえなかったのか、会長がパンと手を叩く。

「さて、忙しくなるぞ! リコ君もウェディングドレスの手配は大丈夫か?」

「あ、はい。中古でちょうどよいのを見つけたので……」

 しらたまさんは途中で言葉を切ると、不意に立ちあがる。

「あの、生徒会長さん!」

「どうしたリコ君」

「なんで……ここまでしてくれるんですか?」

 一瞬、言葉に詰まる会長に詰め寄る白玉さん。

「会長さんは受験も控えてるし、ツワブキの会長という立場もあります。こんなことしちゃいけませんよね? 私たちと違って、失うモノが多すぎます!」

 立場も失うモノもない俺たちの前で、会長がちよう気味な笑みを浮かべながら立ちあがる。

「言っただろう。一人の女として感じいったと。私だって、かなわぬ恋に身を焦がしたことくらいある」

「だけど、もしバレたら大変なことになりますよ?」

「成功させれば問題ない。君のドレス姿、楽しみにしているぞ」

 会長は指先で白玉さんの髪をすくいながら、力強い口調で言いきった。


          


 翌日の放課後。俺は保健室に向かっていた。ぬき先生に近況報告をしにいくのだ。

 気は進まないが、あまり放っておくと部室に出没しかねないしな……。

 保健室がある中央棟にさしかかると、図書室からまりが出てきた。

 そういやあいつ昨日、会長の姿を見るなり逃げだしたよな。

 文句の一つも言おうと足を向けると、図書室から出てきた男子生徒が小鞠を呼びとめた。

 あれは確か図書委員の3年生だ。手に持った本を小鞠に差しだしている。

 おびえたタヌキのように固まる小鞠を見て、俺は小さくため息をつく。

 女子生徒相手でもまともに意思疎通ができない小鞠が男子生徒、しかも先輩とまともに話ができるはずがない。

 ……仕方ない、俺が通訳をするか。

 足を速めた俺の目に映ったのは──男の先輩から本を受けとり、お礼を言うまりの姿だ。

 あれ、あいつ男子と会話なんてできるんだな……。

 これまでの小鞠ならフリーズしたまま誰かに解凍されるのを待つばかりだったのに。

 なんとなく物足りなさを感じてその場にたたずんでいると、顔を伏せたまま小鞠がこちらに歩いてくる。

 と、そのまま俺を避けようとしたところで、ようやく気付いたらしく足を止める。

「うぇ……? こ、こんなところでなにやってる」

「ああ、ちょっと保健室に行こうと思って」

 小鞠の頭越しに図書室の扉を見ると、先輩はすでに図書室に戻っている。

「さっき、図書委員の先輩となにを話してたんだ?」

「と、取り寄せた資料、届いたって」

 ふうん、そうなのか。小鞠が胸に抱いている分厚い本がそうらしい。

 ……おっと、早くしないとぬき先生が保健室からさまよい出るぞ。

 軽くあいさつしてから歩きだすと、小鞠も隣に並んでくる。

「あれ、お前もこっち行くのか?」

「ど、どっちからでも、一緒だし」

 逆方向は一緒じゃない気がするが、本人が言うなら仕方ない。

「そういや小鞠、昨日は──」

「お、お前、どうするつもりだ?」

 小鞠はかぶせるように言うと、ジロリと横目で見上げてくる。

「どうするってお前、それを決める話しあいから逃げたんだろ」

「だ、だからそもそも、こんなことして大丈夫、なのか?」

 大丈夫──ではないな。うん、バレたら非常にまずい。

 前髪の間から見え隠れする不安そうな小鞠の瞳。

「大丈夫だって、会長さんがいるんだし」

 俺は笑顔を作ると、小鞠の頭をポンポンと叩く。

「うなっ!?

 うなり声をあげて飛びのく小鞠。

 ! しまった、じゆと高さが同じくらいだからついクセでやってしまった。

「悪い! ちょうどいい高さだから思わず手が」

 小鞠は顔を赤くして震えながら、ジリジリと後ずさる。

「えーと、小鞠?」

「ば、馬鹿……」

 まりはボソリとつぶやくと、その場を走りさる。

 ……やっちまった。これでしばらく、生ゴミでも見るような目で見られるに違いない。

 俺はてのひらに残る感触を思いだしながら、心の中で思う。

 あいつ、もう少し髪の手入れした方がいいんじゃないかな……。


          


 ぬき先生から解放された俺は、日が暮れかけた中庭で大きく深呼吸をした。

 ……とても疲れた。詳細は省くが、とても疲れたのだ。

 あの人と友達を続けているあまなつ先生しらたま姉のすごさを、あらためてかみしめる。

 風に吹かれながらたたずんでいると、


 チャッチャッ、チャッ……。


 どこからか鳥の声が聞こえる。

 決してきれいな声ではないが、語りかけるような響き。

 姿は見えないが、声は中庭の茂みから聞こえてくるようだ。

 一瞬、鳥を探そうとしたがすぐに思いとどまる。

 声だけの方がむしろ落ち着くというか、距離感がちょうどいい。

 ひとのない放課後の中庭。

 目をつぶり、鳥の声や木の枝がサワサワとれる音に囲まれていると、保健室で汚れた心が洗われていくようだ。おや、いまの声はシジュウカラかな……。

 耳をすましていると、ふと秋の草原に立っているような感覚が俺を包む。

 そよ風にのり、し草のような心地ここちよい香りをかいだ気がして、俺はゆっくりと目を開く。

 視線をめぐらすと、2mほど離れた場所に静かに立っているスーツ姿の男性がいた。

 ──白玉姉の婚約者、なか先生だ。

 俺を観察していた……わけではなく、風に吹かれてたたずんでいるようだ。

 授業以外で会ったのは、週末のショッピングモール以来。

 その場を去るか迷っていると、俺に気付いたらしい。田中先生が少し驚いた顔をする。

「ああ、ぬくみず君か。こんなところでなにをやってるんだい」

「ちょっと考えごとを。先生こそどうしたんですか」

「鳥が鳴いてたから、つい足が止まってね。しげみにウグイスでもいるのかな」

 へえ、ウグイスって普段はあんな声で鳴くんだ。

 俺が興味を持ったのに気付いたか、田中先生は説明を付け加える。

「この季節は山の方にいるはずだから、のんびり屋さんのウグイスなのかな」

「なんだか親近感がわきますね」

「姿を見せないのも奥ゆかしくて素敵だよね」

「ですね、分かります」

 並んで鳥の声を聞いていたが、しばらくしてなか先生はためらいながら口を開く。

「このあいだのことだけど」

「あ、はい」

 緊張して待ち構えていると、田中先生はさんざん迷ったあげく、

「……邪魔をして悪かったね」

 と、実に普通なことを言うので、俺はなんだかひようけする。

「いえ、こっちのほうこそ。ええと、お姉さんあれから大丈夫でしたか?」

「みのりさんかい? さすがに少し驚いたみたいだね。……まあ、僕もだけど」

 冗談めかして笑おうとして、いきなりむせる田中先生。

「水でも持ってきましょうか」

「いや、もうおさまったよ……」

 グダグダの雰囲気に、俺たちはそろって苦笑いを浮かべる。

「来週結婚式ですよね。いそがしいんじゃないですか」

「どうも落ち着かなくて、ついフラフラとね」

 そう言って、しばらく俺の反応をうかがっていたが、あきらめたように口を開く。

ぬくみず君は、リコちゃんからどこまで聞いているかな」

「リコさんの停学のこととか、お姉さんのこととか──ひと通りは聞いてます」

 田中先生はうなずくと、俺のすぐ横に立つ。

「……リコちゃんに最近すっかり嫌われちゃってね。お姉さんと僕が結婚するのを、よく思っていないようなんだ」

 返事をするでもなく黙っていると、田中先生は独白めいた会話を続ける。

「いままで兄妹みたいに付きあってきた相手と、大好きな自分の姉が結婚するんだから。複雑な気持ちなんだろうね」

「まあ……そうでしょうね。思春期ですから」

 なんとなくで流そうとした会話は、なぜだか胸に引っかかって。俺はさらに言葉をげる。

「──多分彼女は、そっとしておいてほしい時期なんだと思います」

 言いながら、自分の気持ちが少しずつ形になっていくのが分かる。

「俺たちはまだ高校生ですから。親とか兄妹とか、ずっとそこにあった関係が変わるのって、世界がゆらぐくらい大きいことです」


 ──正直、しらたまさんのやることにはまったく共感できなくて、理解もできない。


「リコさんにとって、お姉さんは自分を一番に見てくれる存在で。先生は家族同然に付きあってきた近所の優しいお兄さん。その二人との関係が一緒に変わってしまうんです。不安定になるのは当然です」


 ──だけど、彼女を突き動かすなにかは、なんとなく分かる。


 俺は白玉さんのような、よそいきの笑顔でなか先生に笑いかける。

「だから先生は、兄としてドーンと構えていてください」

 俺の話を聞いていた田中先生は大きくうなずく。

「……ああ、僕がフラフラしてたらリコちゃんも不安になるよね」

 先生はもう一度頷くと、意外そうな視線を向けてくる。

「ありがとう。君はずいぶん大人だね」

「え、いや、生意気言ってすみません」

「そんなことないよ。君みたいな子がリコちゃんの彼氏でよかった」

 田中先生は言い聞かせるようにつぶやくと、中庭を見つめたまま動かなくなる。

 俺は鳥の声を聞きながら、白玉さんの内心を包みかくすような笑顔を思いだす。

 ……彼女には最初から勝ち目なんてなかった。

 当然だ。15も下の、幼いころから知っている女の子で、恋人の妹。

 恋愛対象になるわけない。

 勝つとか負けるとか、そんな段階ですらない。

 田中先生は誠実で善良で、白玉リコのことを本当の妹のように思いやっている。

 ただそれだけの事実に──なぜだか少し腹が立った。

 どこからどう見たってこの人は悪くない。

 ただ少しばかりどんかんで。

 ずっとそばにあった気持ちに気付いていない。それだけだ。

 だけどこの瞬間、俺は白玉さんの肩を持つと決めた。


 理由なんてない。

 強いて言うなら、俺も思春期なのだ。


          


 GW1日目。5連休は、雲一つない快晴で始まった。

 俺は式場の前で、緊張をほぐすようにネクタイをいじる。

 親のタンスから持ち出したスーツに身をつつみ、式場の見学会に来たのだ。

 ……本当に大丈夫か?

 いくらなんでも高2が結婚を控えた社会人役とか、無理があるにもほどがある。初めてつけたせいはつりようも、なんだかスースーして落ち着かないし。

 怖気づいて立ちつくしていると、伸びてきた白い手が俺のネクタイを締めなおす。

「ネクタイ……ちゃんとする……」

 俺の婚約者──役のさんだ。

 黒を基調としたドレスに身を包み、頭の片側で長い髪を花飾りで留めている。

「すいません、ちょっと緊張して」

 志喜屋さんの肩越しに、建物の様子をうかがう。

 式場はへいに囲まれた一軒家で、高級感のあるタイル張り。

 玄関は白と茶をベースにしたシックなデザインで、中の様子はよく分からない。

 さりげなく視線を送ると、広い駐車場の片隅の草むらに、ごそごそ動く二つの影がある。

 インカムを顔につけ、ノートパソコンを手にしたあさぐもさんと、コウモリ傘のようなアンテナを手にしただ。

 この駐車場は複数の店舗が共有しているので、式場に用がない人がいても不思議じゃないが、あれは目立ちすぎじゃないか……?

「志喜屋先輩、あれって大丈夫ですかね」

「大丈夫……自信持って……」

「あ。ちょっと──」

 志喜屋さんは俺の腕をとると、玄関のトビラをくぐった。

 玄関は天井が高くて、外から見るより開放感がある。

 その先にカウンターがあり、式場の従業員が感じのよい笑顔を向けてきた。

 俺は表情を引きしめると、意識して少し低い声を出す。

「ええと……予約したしんばしですが」

「はい、少々お待ちください」

 制服に身を包んだ式場の人は、手元のタブレットに視線を送る。

「新橋かずひこさんとよしゆめさんですね。どうぞ、そちらの階段をお上りください」

 ──そう、今日の俺は新橋和彦18歳。結婚を控えた新社会人である。

 そして隣でゆるゆる揺れているのは吉田夢子。生花店勤務で今年20歳になる俺のフィアンセだ。

 ボンヤリと辺りを見回していた夢子は、クタリと俺の肩に頭を乗せてくる。いい匂いがするので、このまま時間が止まってほしい。

「ごしゆう……どこに出すの……?」

「いや、今日は見学会だから式はないですよ」

 ……この人、俺たちの説明をろくに聞いてなかったな。

 ボロが出ないうちに受付をはなれて、奥の階段に向かう。

「先輩、会長からなんて話を聞いてたんですか?」

 階段を上りながら小声でたずねると、さんは人差し指を俺の唇に当ててくる。

「敬語……ダメ……」

 ああそうか、婚約する関係で敬語は変だよな。

ゆめ──は、ほうばるさんになんて聞いてきたんだ?」

「君の結婚式がある的な……ニュアンス感じた……」

 感じたニュアンス、間違っている。

 コミュニケーションの難しさについて考えていると、志喜屋さんが俺の横顔をジッと見つめてくる。

「どうし──たんだよ、俺をジッと見て」

「タメ口……新鮮……」

 志喜屋さんは楽しそうに俺の髪をいじってくる。

「ちょっ、やめてくだ──くれって」

「照れてる……の?」

 あれ、志喜屋さんってこんなキャラだっけ。

 あせっていると、イライラした声が耳に流れこんできた。


『もしもしー? こっちは全部聞こえてるんですけど?』


 右耳に装着したワイヤレスイヤホン越しに聞こえてきたのは、の声だ。

 駐車場の八奈見たちから指示を受けることになっているが、予想だとあまり役に立たない気がする。むしろ現段階ではじやでしかない。

「聞かれて文句言われるようなことは──あ、ちょっと夢子、やめてってば」


『っ?! ちょっと二人ともなにを──』


 俺はイヤホンのスイッチを切ると、説明会会場の大部屋に入る。

 ……ちなみにしらたまさんは置いてきた。前科があるので。


          


 ──さて、少しばかり時をさかのぼろう。2時間前の文芸部の部室だ。

 俺のスーツ姿を前にしたあさぐもさんは、実に味のある表情をすると、二人で顔を見合わせてコクリとうなずいた。言いたいことがあるなら言ってほしい。

 しらたまさんは俺の全身をじっくりと見つめると、笑顔で胸の前で両手を合わせる。

「部長さんお似合いですよ。男性はスーツで3割増しって本当ですね」

 ありがとう。でもこの目はウソをついている目だ。最近白玉さんのことがだんだん分かってきた気がする。

 一つ大人になった俺の隣ではドレス姿のさんが、香水のいい匂いをさせている。

 額に冷えピタを貼った朝雲さんが、テーブルになにかを置いた。

 俺の前に置かれたのは、片方だけのワイヤレスイヤホンだ。

ぬくみずさんはこのイヤホンを耳につけてください。私が指示を出します」

「これに声が届くの?」

「はい。マイクも内蔵していますので、そちらの音声も届きます」

 そして志喜屋さんの前に置かれたのは、花をモチーフとした髪飾りだ。

 不思議そうに手に取る志喜屋さん。

「これ……なに……?」

「全天球カメラを仕掛けてあります。先輩はこちらの髪飾りをつけてください」

 俺が耳、志喜屋さんが目ということか。

 周りをキョロキョロしていた白玉さんが、小さく手を上げる。

「ええと、私は……?」

「リコさんは式の当日までは会場に姿を見せない方がいいでしょう。すみませんが待機をお願いします」

 説明会は午前10時開始。全体説明の後に個別の相談時間がある。

 ……そう、ここが鬼門なのだ。そもそも高校生の俺たちが大人のフリをするのは無理がある。

 無理をとおすには念入りな準備が必要なのだ。

 朝雲さんはホワイトボードに、じよう書きで設定を書き並べる。

 俺と志喜屋さんは、のっぴきならない理由で早急に式を挙げる必要ができた社会人という設定だ。

 住所や電話番号、勤務先や親のプロフィール、予算や挙式予定……。

 書き終えた朝雲さんがエヘンとせきばらいをする。

「平日はあまり時間がないので、この連休が勝負ですね」

「あれ、でも朝雲さんは予定があるだろ? あやとデートとか」

「……あの人、この連休は塾の勉強合宿に参加しました」

 あさぐもさんのおでこの光が消えていく。

「ワザとだまってて、次のテストは私に勝ってみせるとか言ってましたが、そういうサプライズはいらないです。本当にいらないです」

 あやのやつもあいかわらずズレてるな。

 ふと隣を見ると、さんが髪飾りをジッと見つめている。

「ええと、志喜屋先輩。今回の状況、どこまで聞いてますか?」

「全部……ほうばるに聞いた……気がする」

 不安は残るが、本人が大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。

 そう、このくらいのことで心配していては、文芸部の部長は務まらないのだ──。


          


 そんな感じで始まった今日の見学会は、おおむね順調に進んでいた。

 個別の面談も無事乗り切り、俺たちは作成してもらった『おすすめプラン』を手に、他の参加者に混じって廊下を歩いていた。

「花火は最初と最後の両方ほしいけど、予算的にどうかな。ゆめは気になるオプションあった?」

「私……さかダル……割りたい」

「いいね、今度相談してみようか」

 担当さんのていねいな説明に、俺たちはすっかりその気になっていた。問題は結婚の予定も相手もいないことくらいだ。

 志喜屋さんと式の内容について話し合っていると──。


『さっきから、計画に関係のない話しか聞こえてきませんけどー? 任務はどうしましたー? 歌を忘れたカナリアですかー?』


 ……せっかくの楽しい気分を、誰かさんがこわしてきた。

 俺はさり気なく口元を隠しつつ、誰かさんに返事をする。

「これから会場見学だから。さんも映像見て、ちゃんと指示を出してよ」


『すみません、朝雲です。画像がずいぶんゆれていますが、もう少し調整できますか?』


 今度は朝雲さんだ。プロじゃないんだからそんな上手には──。

「なにか……トラブル……?」

 カクリ、と首をかしげるさん。

 ……カメラって、志喜屋さんの髪飾りに付けてるんだっけ。

「我慢してください。ようです」

 俺は通話を打ちきると、案内されるまま建物から外に出る。

 そこは広々としたガーデンウエディングの会場で、しばおおわれた庭園にはソファのセットも置かれている。

 庭園は背よりも高い塀に囲われ、外部からの視線は届かない。

 そしてその端に建っているのは──チャペルだ。

 白と茶のモダンな外見で、庭園からは小さな水路でへだてられている。

 式当日、あそこに周りの目を盗んでなか先生を連れこみ、しらたまさんと写真を撮るのだ──。

 建物をジッと見つめている俺に、さっき面談をした担当さんが話しかけてくる。

「よろしければご案内しましょうか?」

「え? いいんですか」

「もちろんです。こちらへどうぞ」

 案内されるまま、水路を横切る橋を渡る。

 芝生をじっと見つめていた志喜屋さんも、遅れて俺に追いついてくる。

「お嫁さんごっこ……するの……?」

 なにそれ。すごく楽しそうだけど、いまはしません。

「チャペルを見せてもらうんだよ。ゆめもカメ──じゃない。少しだけ真っすぐ立てる?」

「じゃあ君に……つかまる……」

「っ!」

 俺の腕に手を回してくる志喜屋さん。

 香水の良い香りと、なんともいえないグンニャリした柔らかさが腕に──。


『んんっ! んんんっ!』


 イヤホンからせきばらいが聞こえてくる。うるさいな……。

 担当さんに続いてチャペルに足を踏み入れた。

 入ると奥に向かって真っすぐにバージンロードが伸びていて、左右にベンチが並んでいる。

 大きな窓がある一番奥の壁の外には、水のカーテンのような小さな滝が流れていた。

 左右の壁にも大きな窓があり、やわらかく差しこむ光が、幻想的な雰囲気を作りだしている。

 間接照明でぼんやり輝く天井には、ゆっくりとシーリングファンが回っていて、おごそかな静の空間に混じるゆるやかな動きが、心を落ち着かせてくれる。

 俺はさんと腕を組んだまま、バージンロードを進む……って、これ新婦父の役だよな。

 奥には新郎がいて、生花店勤務20歳のよしゆめをお嫁さんにするのだ。許せない。

 ふんにかられつつチャペルの奥に着くころには、俺は一つの事実に気付いていた。


 ──隠れる場所がない。


 列席者のベンチは、背もたれにすきのある開放感があるデザインで、周りの壁にも視線をさえぎるような凹凸がないのだ。

 なか先生の呼び出しに成功したとしても、しらたまさんがどうやって近づくのか。


『──ぬくみずさん、身を隠せるような家具や隙間はありませんか?』


 この状況に気付いたか、あさぐもさんの真剣な声。

「そうは言っても……」

 チャペルには音響の設備や棚は見当たらない。おそらく空間の雰囲気をそこなわないよう、すいな機械類は見えないところに設置されているのだろう。

 この部屋には隠れる場所は──いや、一つだけある。

 チャペルの正面に一個だけ置かれた、教卓のような棚だ。確かせつきようだいとかいうんだよな……。

 俺は移動式カメラこと志喜屋さんを連れ、説教台に近寄る。

 説教台はシンプルな木製で、裏側は空洞だ。

 決して大きくはないが、正面から身を隠すぐらいはできるのではなかろうか。

 俺はてのひらを使ってさりげなく大きさをはかってから、怪しまれないように説教台を離れる。

 そして周辺の寸法を、歩幅を利用して確認する。

「じゃあ夢子、そろそろ行こうか」

 俺の言葉に、志喜屋さんがカクリと首をかしげる。

「お嫁さんごっこ……しないの?」

「いや、人前だし──」

 チラリと視線を送ると、入口に立っていた担当さんは無言でほほんで外に出ていく。

 え、なにこの気の利かせかた。

 志喜屋さんは、オロオロしている俺の手をつかむと、説教台の前で俺と向きあう。

「次は……どうするの?」

「ええと、神父さんがいて、指輪の交換をしたり、永遠の愛を誓ったり誓わなかったり──」

「その……次は……?」

 へ? 次? 指輪交換と誓いの言葉がすんだら残るは……。

 ゴクリ、とノドが鳴る。

「次は誓いのキス、とか──」


『二人ともなにやってんのっ?! 聞こえてるんだけど!』


 の大声が耳に響く。忘れてた。存在すら。

「いやほら、本番の雰囲気をつかまないと。シミュレーションは大切だって」


『キスなんて予定にないでしょ!?


 うん、ない。とはいえ八奈見のツッコミに半ばホッとする自分に気付く。

 いくらごっことはいえ、二人きりでさんと向かいあうのは心臓に悪いのだ。

 俺が身を引こうとすると、志喜屋さんの白い手が伸びてきて、耳のイヤホンを──外した。

「キスすると……お嫁さんに……なるの?」

「っ?!

 志喜屋さんはイヤホンをドレスの胸元に入れながら、俺に顔を寄せてくる。

 白い瞳に映る俺の顔が、段々と近付いて──。

「お、お嫁さんになるには、まず結婚する必要がある、ので!」

 俺の裏返った声に、近付いてくる志喜屋さんの動きがとまる。

「キスよりもこんいん届けの方が──よりお嫁さん的な存在では、ないでしょうか」

「婚姻……届け……」

 しばらく動きをとめていた志喜屋さんは、ゆっくりとうなずいた。

「行政には……勝てない……」

 志喜屋さんはナゾの納得をすると、フラフラとチャペルの扉に向かって歩きだす。

 追いかけるようにして隣に並ぶと、イヤホンを俺の手に握らせてくる。

 おっと、ちゃんと連絡をとらないと八奈見がうるさいぞ。俺はイヤホンを耳に押しこむ。

 そういえばこれ、さっきまで志喜屋さんの胸元に入ってたんだよな……。

 耳元の感触にドキドキしながらチャペルの重い扉を開けると、そこには担当さんが満面の笑みで待ち構えていた。

「あ、すいません。待っててもらって」

「それではろうえん会場にご案内いたしますね。今日はコース料理の試食がありますので──」

 と、担当者の説明をかき消すように、八奈見の声が俺の耳につき刺さった。


『それ聞いてないんだけどっ?!


 だって言わなかったし。そしてうるさい。

 俺は溜息をこらえると、の抗議を聞き流しながら披露宴会場に向かう。

 豪華料理を目の前にして、八奈見が理性を保てるとは思えない。

 最初から、あいつにフィアンセ役は無理だったのだ──。


『あー、君たち。そこでなにやってるんだい』


 と、イヤホンから唐突に年配の男性の声が聞こえてくる。

 ……警備員に見つかったな。

 駐車場の片隅で、アンテナを持って騒ぐ若者がいたら怪しいに決まっている。

 慌てて言いわけを始める八奈見とあさぐもさんの声をイヤホン越しに聞きながら、俺は今度こそ大きく溜息をつく。

かずひこ……どうかした……?」

「なんでもないよ。ゆめは気にしなくて大丈夫」

 俺はもう一度溜息をつくと、イヤホンを外してポケットに放りこんだ。


          


 その日の晩。俺は自室で勉強机に向かいながら、スマホで通話をしていた。

『本当にごめんね。ひばねえはやりすぎてない?』

 通話の相手はさくら君だ。会長がなかば強引に計画に加わったことを気にして、毎晩のように電話をかけてくれるのだ。俺は見えないのを承知で首を横に振る。

「いまのところは問題ないって。手を貸してくれるし、むしろありがたいというか」

『だけど今回のひば姉って暴走気味かなって。迷惑かけてないか心配でさ』

 暴走も迷惑も、歩くらいげん天愛星ていあらさんにくらべればわいいもんです。

 正直な気持ちをオブラートでグルグル巻きにして伝えると、ようやく桜井君も安心したようだ。お休みの言葉を交わして通話を終える。

 ……とはいえ面倒ごとが終わったわけではない。

 俺は横目で壁のカレンダーを見る。

 今日からGW本番の5連休が始まった。

 連休明けの週末、土曜日が結婚式──計画の実行日だ。

「お兄様、お風呂を先にいただきました」

 と、青いパジャマに身を包んだじゆが部屋に入ってきた。

 頭を包んだタオルをほどくと、湿った髪が背中に広がる。

じゆ、早く髪を乾かさないと風邪かぜひくぞ」

「じゃあ、お兄様が乾かしてくれませんか?」

 佳樹がベッドにポスンと腰かける。やれやれ、また佳樹の甘えん坊か。

 後ろに回ってドライヤーの準備をしながら、俺は気になっていた話題を出す。

「佳樹、あさぐもさんとそんなに仲良かったのか?」

「はい。最近、とてもよくしてもらってます」

 そうか、よくされちゃってるのか……心配だな……。

 朝雲さんは悪い人ではないが、妹にああなって欲しくないランキングでは、わりと上位に位置する。ちなみに1位はつき先輩だ。

 ドライヤーをつけようとすると、佳樹が俺に顔を向けてくる。

「お兄様のスーツ姿、佳樹も見たかったです。次回の見学会、佳樹と二人で──」

「はい、髪乾かすから前向いてー」

 話し続ける佳樹をさえぎるように、ドライヤーのスイッチを入れる。

 佳樹の長い髪を、指先で温風の中に散らしていく。

 熱は髪の敵である。手の甲でドライヤーの温度を確認しつつ、指先で髪に残る水分を探りながら、丁寧かつ素早く乾かすのが大切なのだ。

 約10分後、ドライヤーのスイッチを切った俺は小さくうなずく。

 ……完璧だ。髪の手触りもツヤも申し分ない。指先で最後のチェックをしていると、俺はあることに気付く。

「あれ、そういえば佳樹。このパジャマ、お兄ちゃんのじゃないか?」

「佳樹のですよ? お兄様とおそろいのパジャマを買ってもらったんです」

 へえ、おそろいのパジャマか。それなら色くらい変えればいいのに、なんでわざわざ同じ色にしたんだ……?

 そんなことを考えている俺の手に、佳樹がブラシを握らせる。

 このブラシは俺がプレゼントしたいのしし毛製のいつぴんで、佳樹の髪の手入れには欠かせないのだ。

 俺はゆっくりとブラシを通しながら、佳樹に話しかける。