~2敗目~ 実は私とこの人は
放課後の保健室。テーブルの向かいに座った
「最近、リコさんはどうかしら」
「部室では元気にしてますよ。昨日は昔の部誌とか読んでましたね」
俺は自前の水筒から、ほうじ茶をチビリとすする。
……あれから一週間。
あたりさわりない会話をしては、キッカリ1時間で帰るのだが、
「学校に居場所があるのはいいことよ。しばらく様子を見てあげて」
「でも、文芸部でいいんですかね。クラスのみんなと仲良くしたほうがいいんじゃないかと」
「あら、君や小鞠さんも少し前までそんな感じじゃなかった?」
……うんまあ、いまも似たようなもんですけど。
小抜先生は何かを思いだすように遠い目をする。
「子供のうちって学校が全部と思いこみがちだけど、それだけ他の世界が遠いってことなの」
「他の世界、ですか」
オウム返しをする俺に、優しく
「だから反抗したり、反対にあきらめたり。私もこう見えて高校時代、色々あったのよ」
「いまのツッコミどころですか?」
返事の代わりに楽しそうに笑う
この人の中ではきっと、十代の記憶や感情がまだ
先生が
どちらにせよ白玉さんに対する気遣いに
探るようにしばらく言葉を交わしたあと、俺は何気ない口調を装ってたずねる。
「それはそうと、国語の
「あら、なにかしら。なんでも聞いてちょうだい」
「ええと、田中先生の人となりというか、人間性というか──」
「田中先生の人となり……?」
小抜先生がスッと目を細める。あれ、なんかヤバいこと聞いたか?
「いやその、このあいだ文芸部に関係するイベントとか紹介してくれて、気になっているというかなんというか……」
俺の説明が通じたか、小抜先生は納得したように頷く。
「あの人、文芸部の顧問だったこともあるから、気にしてくれてるのかもね。それと人間性については──」
小抜先生はしばらく記憶を探るように、天井を見上げる。
「そうね、とても誠実な人よ。具体的には、同僚につまみ食いされそうになってもパートナーに
「……ごめんなさい。聞かなかったことにできますか?」
「ええ、それが
田中先生の同僚はクスリと笑うと、ミントタブレットのケースを差しだしてくる。
反射的に手を出した俺は──慌ててそれを引っこめる。
「いえ、大丈夫です」
しばらくそのまま固まっていた小抜先生は、残念そうに肩をすくめる。
「賢明ね」
◇
足早に部室に向かいながら、さっきまでの会話を思い返す。
田中先生の名前を出したとき、小抜先生の様子がおかしかったように見えたのは、気にしすぎだろうか。
少なくとも同僚とワンナイトするような人ではないと分かったし、誠実なのは信じてもいいかもしれない。
まさかとは思うが、仮に
さあ、早く部室に行かないと。きっといまごろ、微妙な雰囲気になってるぞ。
西校舎に繫がる渡り廊下を足早に通りすぎ──ようとした俺の足が止まる。
……そういやさっき、
…………
………………まあ、俺が口をはさむ話じゃないよな。うん。
俺は増築済の心の棚にこの件を置くと、再び足を進めた。
◇
部室は決して微妙な雰囲気ではなかった。
むしろもっとひどかった。
直立不動の
「あ、部長さん!」
胸の前で手を握り、オロオロしていた白玉さんが俺に駆け寄ってくる。
「えーと、一体なにが」
「それが私にもよく分からなくて。さっきまで普通に会話してたんですけど……」
そうか、じゃあ誰にも分からないな。
俺は帰りたい心を押さえつけ、八奈見に声をかける。
「ええと、八奈見さん大丈夫? 砂糖水でも飲む?」
「大丈夫……少し心にダメージを受けただけだから」
八奈見は顔にかかった髪を払いながら、力無く首を振る。
打たれ慣れている八奈見に、これほどのダメージを与えるとは……。
白玉リコ、一体なにをしたんだ。
「ええと……とりあえずお茶でも
そう、困った時はお茶だ。
「すいません、気がきかなくて。後輩の私が先に淹れないとでしたね」
「ああ、うちではそういうのないから大丈夫だよ」
文芸部ではみんな平等なのだ。なのにいつも俺がお茶を
「……部長さんって大人なんですね」
「へ?」
「落ち着いていて、話しやすいと言いますか。2年生ってもっと怖いと思ってたから、部長さんが話しやすくてホッとしました」
え、そんなこと初めて言われたぞ。いまの発言、他の二人もちゃんと聞いてただろうな。
「話してみると、みんな意外と優しいもんだって。クラスの人とも、もっと話してみたら?」
「んー、女子のみなさんには嫌われちゃうから、男子とばっかり話しちゃって。私、男っぽい性格かもですね」
そう言ってテヘ、と舌を出す白玉さん。
なるほど、女子のみなさんに嫌われるのも
「みなさん、お茶がはいりましたよ」
白玉さんが湯呑を配り始めるが、灰化した八奈見と、壁小鞠はノーリアクションだ。
自分の分のお茶を持って
「部長さん、今日は遅かったですね。どこか行ってたんですか?」
「ええと、ちょっと
「
それはやめたほうがいい。悪いことは言わないから。
「そういえば白玉さんって、先生と前から知り合いなんだっけ」
「はい。小夜さんは姉のお友達で、昔から仲がいいんです。私も勉強見てもらったり、遊びに連れていってもらったり」
へえ、小抜先生に遊びに……どんな遊びなんだろ。
話を広げていいか迷っていると、白玉さんはニコニコと笑いかけてくる。この人、全体的にホワホワしていて可愛いよな……。
つられて笑顔になっていると、なぜか
見れば八奈見が上目づかいで俺にジト目を向けている。
「……
うん。からまれるまでは、わりと楽しかったぞ。
「ええと、八奈見さんも復活したならちょっといい? 俺から提案があるんだけど」
「……提案?」
頭をボリボリかきながら顔を上げる八奈見。
なにがとは言わないが、白玉さんと開いていくポイント差。
「ああ、今度の週末──」
俺は言いかけて、壁に貼りついている
イヤホンつけてるから、話しかけてもムダだよな……。
俺は小鞠に電話をかける。
「うなっ!?」
アタフタとスマホをいじる小鞠が電話に出たのを確認すると、自分のスマホをスピーカーモードにしてテーブルの真ん中に置く。これでこっちの会話はあいつに聞こえるはずだ。
「じゃあ改めて。今度の日曜、みんなで出かけないか?」
一瞬、戸惑ったように部室が静まりかえる。
しばらくたって、
「出かけるって、合宿でもするの?」
「そこまでは無理だけど、ゆるい取材くらいに考えてもらえれば。それを元に、部会でネタだし会をしてもいいし」
去年の夏。合宿を通じて部員の仲が近づいた──気がする。予想外のイベントもあったが、一人振られて二人に恋人ができたので、収支はプラスといってもいい。
それにならい、みんなで出かけることによって部内の
「素敵ですね! 私、行きたいです!」
乗り気の白玉さんをチラリと見て、八奈見は不機嫌そうにスマホに視線を落とす。
「急に言われたって、私にも用事とかあるし。うん、なんかあるから」
小鞠も壁に向かったままコクコクと
えぇ……こいつら非協力的だな。だけど確かに急だったかな。
「じゃあまた次の機会に──」
言いかけた俺をさえぎるように、白玉さんが口をはさんでくる。
「じゃあ部長さんと二人きり、ですね」
……へ? なぜかビクリと震える八奈見と小鞠。
「なんか照れちゃいますね。なに着ていこうかな。あ、まずはどこに行くか決めなくちゃ」
「えーと、俺と白玉さんの二人で出かけるの?」
白玉さんはハッとしたように驚くと、さみしそうに目を伏せる。
「……私と二人なんて、ご迷惑ですよね。すみません、部長さんとお出かけできると思って、ちょっとはしゃいじゃいました」
「いや、俺は全然かまわないけど……」
無限買い食いする女や、人を待たせて2時間立ち読みする女に比べれば、犯罪さえ起こさなければそれでいい。
「いいんですか? じゃあ私、行きたいところが──」
「……私も行く」
不機嫌そうに、ボソリとつぶやく
「え、八奈見さん予定があるって」
「言ってないけど?」
あれ、俺の聞き間違いか。
最近、八奈見の言うことを自動的にスルーするクセがついてるし、気をつけないとな……。
「じゃあ日曜は三人で」
「え、えと、ヒマだから、私も行く」
いつの間にかテーブルを囲んでいた
「小鞠は用事あるんじゃ」
「お、終わらせたから」
いつの間に。小鞠の有能ぶりに感心していると、八奈見が腕組みをしながら思案顔をする。
「どこか行くんだよね。お昼ご飯なに食べよっか?」
もう少し先に決めることがあると思う。例えば行き先とか。
「そういえば白玉さん、さっき行きたいとこがあるって言ってなかったっけ」
話をふると、白玉さんは俺たちを見回してから口を開く。
「私、
「あそこか……」
隣の市にある大型ショッピングモールだ。比較的新しく、俺もまだ行ったことはない。
さて、二人の旧部員の判断は──八奈見は
「いいね、白玉ちゃん。あそこならお昼ご飯に不自由しないよ」
昼食への強いこだわり。八奈見は乗り気のようだ。
「あ、あそこの書店、行きたかった」
小鞠は興奮気味に財布の中身を数えている。数え終わると、ガクリと肩を落とす。
「ええと、じゃあみんな予定をあけておいてくれ。詳しい話はグループLINEで……」
あれ、白玉さんの電話番号は知ってるけど、グループには入ってないよな。
どうしたものかと思っていると、白玉さんがスマホを差しだしてくる。
「じゃあ部長さん、ご迷惑でなければLINEの交換してくれませんか?」
「え、ああ、俺でよければ──」
──殺気。なぜか八奈見と小鞠が俺をジトリと
これは……立場を利用して手を出そうとする男子から、新入生を守ろうとする女の目だ。
実に具体的だが間違いない。
「そうだね、文芸部のグループに入ってもらおうかな! はい、招待したから入ってね! 文芸部のグループに!」
必要以上の潔白アピール。しかしこの時代、身を守るために必要なスキルなのだ。
登録が終わると、
「入学して初めてLINEを交換しました。私の初めての人は、部長さんでしたね」
そのセリフに
怖くて旧部員たちから目をそらすと、そこには白玉さんの犬のような丸い瞳。
「ふつつかものですが、よろしくお願いしますね。部長さん」
「あ、はい。こちらこそ」
俺は
……この人、わざと言ってるんじゃなかろうな。
◇
快晴の日曜日。新旧含めた四人の部員の姿が、イオンモール
俺は中央通路の真ん中で、巨大な空間を見上げていた。
ここは長くて広い通路全体が全3階の吹き抜けになっていて、通路沿いにテナントがズラリと並んでいる。いわば3階建ての商店街といったところだ。
この手の店に来たのは初めてだが、なんかデカいな……。
隣では
「うぇ……で、でかい」
うん、デカい。人間、圧倒されるとそんな感想しか出てこないものだ。
小鞠と並んでポカンと口を開けていると、ドヤ顔八奈見がフフンと胸を張る。
「仕方ないな。モール経験済みの私が、ここでの楽しみかたを教えてあげましょう」
「八奈見さんが?」
反射的に口にすると、八奈見がジロリと
「ご不満ですか? 名鉄と間違えて
だって改札一緒だし。俺が言い返そうとすると、
「私、八奈見先輩の楽しみかたを知りたいです!」
花柄のツートーンワンピに身を包んだ白玉さんが、すかさずフォローに入ってくる。
八奈見は満足したようにコクリと
「白玉ちゃんは見どころがあるね。モールを100%楽しむには──」
「はい! 楽しむには?」
注目する俺たち三人に、
「まず──お茶でも飲んで一服するの」
「早くない?」
思わずツッコむと、八奈見がヤレヤレと肩をすくめる。
「いい? この手のモールは一通り歩くだけでかなりの時間がかかるの。しかも1周するころにはいい感じに序盤を忘れてるから、気付かないうちに2周目に突入するってトラップ付きなのよ」
「ええと、新鮮な気持ちで2周できるのならいいのでは」
「いやいや、序盤になにか食べて、後半でもっと
小遣いはともかく、八奈見のお腹は心配いらない。俺が保証する。
「それは分かったけど、どこか喫茶店でも入るのか」
「あっちでドリンクやスイーツとか売ってるコーナーがあるの。さ、みんな行こうか」
八奈見に連行されたのはテイクアウトのスイーツやカフェが集まったコーナーだ。
レモネードやアイスの他、シュークリームやチョコショップもある。
八奈見の瞳がギラリと光る。さあ、戦争の始まりだ──。
◇
コーナー横のテーブル席を確保すると、俺は
「……なんで飲み物を選ぶだけでこんなに疲れるんだ」
詳細は
アイスほうじ茶をすすっていると、テーブルの向かいに八奈見が座ってくる。
「席、いいとこ空いてたじゃん」
「空くまで頑張って待ったんだが?」
「じゃあ、ほめてあげるよ。よくできました」
八奈見は緑色のドリンクをテーブルに置く。
カップの底には小さく切ったわらび餅が敷きつめられ、その上には甘そうな
「……なんかすごいの買ったな」
「うん、抹茶わらび餅クリームスムージーってやつ。ダイエット中だから飲み物だけにしたの」
言いながら太いストローで、カップの底のわらび餅を吸う八奈見。
「いやそれ、かなりカロリーあるぞ?」
「
「はあ」
ズルズルズル。わらび餅を吸う
……?
「え、待って。それ説明になってる?」
俺の当然の疑問に、八奈見が得意げな表情をする。
「温水君、ダイエットの本来の意味、知ってる?」
「え? やせることだろ」
「違うんだなー、本来は『日常の食事』って意味なの。だから私、一時的な数字の大小に一喜一憂するのはやめたんだよ」
「つまり──あきらめたのか」
「あきらめてませんけど?!」
そうか。あきらめが悪いな。
「日常の食事ってことは、日頃から気をつけろってことだろ」
「あのね、ダイエットって、もっとこう
「はあ」
また変なこと言いだした。俺は脳をスルーモードに切り替える。
「ダイエットは最後はイメージなんだよ。最新のダイエット理論によれば、やせようという気持ちがカロリーを裏返すの。抹茶──スムージー──ほら、やせそうな要素がそろってるでしょ? だからこれを飲んでやせない道理はないの」
最近のダイエット、そんな能力バトルみたいなことになってるのか。
「じゃあサラダせんべいでもつければ完璧だな」
「お、温水君も分かってきたじゃない」
したり顔でトッピングの抹茶ソフトを吸う八奈見。ちなみにサラダせんべいの名前の
ダイエットの真実も知ったことだし、そろそろ誰か八奈見の相手を代わってくれないかな。
あたりに視線をめぐらすが、
増えてきた買い物客の流れに飲みこまれ、同じところをグルグルと
小鞠も東京には住めないな。知ってた。
「すみません、お待たせしました!」
八奈見に救出された白玉さんと小鞠が戻ってきた。
二人が手にしているのは抹茶ソフト。白玉さんのが白玉トッピングつきなのは、
「結局お二人と同じ店にしたんですけど。迷ってたら行列になっちゃって、買ったあとも迷っちゃって」
いつもの
「──さて、どこから攻めようか」
「さっきフルーツサンド売ってたよね。フードコートでラーメンの食べくらべもいいし、チャオの鉄板スパも捨てがたいな。でも昼ご飯の前だしなー」
「いまの全部、昼食とは別に食べるつもりなの?」
すでに脳をスルーモードに切り替えた小鞠は、定期的に
そして白玉さんは、八奈見が冗談か本気か分からないのか、どっちつかずな笑みを浮かべている。すまない、この女は本気なんだ。
この状況を
「えーと、まずは目的を決めずにウィンドウショッピングとかどうだろう。ほら、せっかくだから小説のネタ探しというか、みんなで歩いて話をしたりさ」
そもそも今回の目的は、部員同士の交流である。さらに言えば、新入部員と旧入部員に仲良くなってほしいのだ。
俺の提案に、八奈見が得たりとばかりに頷く。
「それならお勧めの精肉店があるよ。ショーケースに肉がズラリと並んでるのは
ウィンドウショッピングとはそういうのではない。多分。
白玉さんがポンと胸の前で
「じゃあまず、お洋服でも見にいきませんか? 八奈見先輩のブラウスすごく素敵だから、私の服も見立ててほしいなって」
「え、そうかな? まあちょっと
なぜか俺をジト目で見てくる八奈見。ちなみにその攻撃は小鞠にも効くぞ。
だがこの流れ、乗らない手はない。俺は勢いよく立ち上がる。
「よし、じゃあさっそく行こうか!」
小鞠がジロリと見上げてくる。
「た、食べ終わるまで待て」
「すみません、私歩きながら食べるの苦手なんです」
……あ、はい。そうだよね。
俺は静かに頷くと、再び腰を下ろした。
◇
ウィンドウショッピング。買うでもなく店頭の商品を眺めて楽しむことだ。
買わないのに買い物と名乗るのはどうかと思うが、三人のツワブキ娘はそんなことはお構いなしだ。華やかな洋服を前にテンションが上がっている。
「
「先輩、きっと
「うぇ?! え、えと……」
訂正。小鞠は実に
試着室に連れこまれそうになった小鞠が、あわてて逃げだす。
「ふ、服、着てるから! か、買わなくても大丈夫!」
その理屈だと全裸じゃないと服買えないぞ。
……なんか安全な距離から、女子がワイキャイしてるのを眺めるのは楽しいな。
今後の文芸部、俺はリモート参加でいいかもしれない。
そんなことを
「
「ああ、意外と。あの二人、放っておいて大丈夫なのか」
「あの子、わりと人当たりいいし心配いらないでしょ。いい子だよ」
あの二人、意外といいコンビかもな。小鞠が死んだ目をしているのは気になるが。
「八奈見さん、白玉さんのこと苦手なんだと思ってた」
「私、後輩をいじめるような女に見える?」
その件についてはコメントを差しひかえたい。
「ええと……彼女、八奈見さんの服をほめてたし。趣味があうとか」
さりげなく話題をそらすと、八奈見は軽く肩をすくめる。
「あれが会話の
「え、俺が八奈見さんのファッションをほめるの?」
八奈見は
なんか薄茶色っぽいヒラヒラした感じの……ブラウスを着ているな。
そして白系のダボッとした……ズボンだか……スカートだかを……はいている。
「なんか服に色がついてたり、ついてなかったり──」
「おう、そこからか」
そこからです。さらに俺は八奈見を観察する。
「──全体的にオシャレだと思いますが、ブラウスの
「これ、七分
……七分? なにその中途半端な数字。
「ああうん、そういうのもあるよね。ただちょっと寒そうだなって」
「あのね、暑いだ寒いだいうならオシャレをあきらめなさい──って、偉い人も言ってるの。これが正解だから覚えておいて」
「あ、はい。分かりました」
俺は素直に
「そういえば、
「記録会が近いから練習だってさ。気になるの?」
「まあ、友達だからな。そういえば今日の八奈見さん、あんまり食べてないよね」
俺が話題をそらすと、八奈見が
「こんなこと、
まさか、ドクターストップでもかかったのか。
緊張する俺に、八奈見が大人びた表情を向けてくる。
「さっきのリアクションで確信したの。私──最近少し食べすぎだったんじゃないかなって」
「え、ツッコミ待ち?」
「待ってません。ほら、うちら2年生になったでしょ? 私にあこがれる下級生のためにも、大人の女性の立ち振る舞いを心がけようかなって」
なるほど、それはいい心がけだ。あとは八奈見にあこがれる下級生を用意すれば完璧だ。
俺の内心を見抜いたか、八奈見が横目でにらんでくる。
「だから今日もお茶しか飲んでないでしょ。温水君って私の女子力、みくびってませんか?」
さっきのカロリースイーツ、こいつの中ではお茶なのか。ある意味みくびっていたぞ。
「お、お前らなにサボってる」
「最新モードと女子力について語っていたんだ。小鞠こそ洋服はもういいのか?」
フルフルと首を横に振る小鞠の背後から、白玉さんが顔をだす。
「小鞠先輩、お洋服はあまり興味ありませんか? なにか他に見たいものがあれば言ってください」
「うぇ、えと、その……」
スマホを探しながらワタつく小鞠。まずいぞ、こいつのゲージはもう0だ。
「ほら小鞠、どこか行きたいって言ってなかったか?」
俺の助け舟に小鞠が目を輝かす。
「う、うん! ほ、本買いに行き、たい!」
「ほう、大人買いの覚悟があるようだな」
小鞠は嬉しそうに
「ひ、秘蔵のカードの封印を解いた。二冊は、買う」
全部は使わないんだな。実に堅実で計画的だ。いい嫁になるぞ。
先導して歩きだそうとした小鞠が、正面からきた若者の集団におびえて俺の背後に隠れる。
……こいつは2年生になっても変わらないな。
俺はなんとなく安心しながら、エスカレーターに向かって歩きだした。
◇
本の
地域最大級の売り場面積を有する書店で、地元の食材を使ったカフェも
「ほら八奈見さん。お昼ご飯はまだだって」
「分かってるって。大人女子がよだれなんて
言いながらハンカチで口元をぬぐう八奈見。垂らしたのか。
とはいえ、よだれこそ垂らさないが俺のテンションも上がっている。
小鞠はとっとと姿を消したし、
さて、俺もどこからチェックしようか──。
「でも、わざわざここまで来て本を買わなくてもいいじゃん。どこで買っても一緒でしょ?」
そのセリフに俺は肩をすくめる。やれやれ、八奈見はまだその段階か。
「八奈見さん。書店ってのは、どこでも同じように本が並んでいるわけじゃないんだ」
「つまり……カフェメニューが違うってこと?」
違う。本って言ってるじゃん。
「いいか、書店は本と俺たちの出会いの場でもある。書店のコンセプト、それにともなう棚の配置。そしてそこに並ぶ本を見ることは、棚を預かる書店員さんとの対話なんだ」
「分かった! 店の人と交換日記とかするんだね?」
八奈見、ちっとも分かってない。どう言えば分かってくれるのかな……。
「ええとだな、例えばクラシックのコンサートで同じ曲を聞いても、指揮者と楽団が違えば別物だろ? どんな読書体験を俺たちに提案してくれるか、書店によって全然違うんだ」
「でも
……うんまあそうだけど。店によって、けっこう品ぞろえが違うんだぞ。
興味深そうにグルメ雑誌を手に取る八奈見を確認すると、店内の探検を開始する。
マンガとラノベ売り場に直行するつもりだったが、八奈見にあんなこと言われたし、他の売り場を先に見るか……。
小説コーナーに行くと、
そっと歩み寄ると、彼女が熱心に見つめているのは時代小説。
俺の視線に気付いた白玉さんが、棚に伸ばしかけた手を戻す。
「部長さん? いつから見てたんですか」
「えーと、いま来たとこだよ」
俺は白玉さんと並んで棚を眺める。
「意外だね、時代小説とか読むんだ」
「おじいちゃんの影響で読み始めたんですけど、最近ちょっとハマってて」
白玉さんは『雨漏り長屋のご隠居さん』と書かれた本を手にとると、裏表紙のあらすじに目を通して棚に戻す。
「……部長さん、今日は私に気を遣って誘ってくれたんですよね」
「え、いやまあ……みんながもう少し仲良くなれたらなって」
俺の煮えきらない口調に、白玉さんも迷いながら口を開く。
「八奈見先輩は私のこと苦手みたいですね。それに
「ええと、そんなことはないと思うよ?」
八奈見は若さと
俺の言葉をなぐさめだとでも思ったのか、明るく笑ってみせる白玉さん。
「すみません、こんな話をしちゃって。今日は私、頑張ってお二人と仲良くなりますね」
「ああ、無理しないでね」
俺は白玉さんを残してその場を離れると、内心で頭を抱える。
さっきまではいい雰囲気に見えたのに、人間関係は大変だ。
さて、これは難しいぞ。やはり八奈見は食べ物で、小鞠は薄い本で釣るしか──。
………………あれ? 意外と簡単だぞ。青い鳥はそこにいたんだ。
八奈見にはお菓子でも渡せばいいか。
『
脳内八奈見のセリフも完璧、もう聞かなくてもいいほどだ。
さて小鞠はどうしよう。店内を順番に見て回ると、実用書のコーナーに小鞠の姿があった。
分厚いハードカバーの本を手に固まっている。
「その本がどうかしたのか」
本に顔を向けたまま、視線だけチラリと俺に向ける
「え、えと、昔の西洋のドレスとか服の本で、資料にほしい、けど」
小鞠は本の裏を見せてくる。図書カードの全力を軽く超えた金額だ。
溜息をついて棚に本を戻すと、俺を不審気に見上げてくる。
「な、なんか用か」
「お前最近、春アニメの『定時すぎたらオシゴトです』にハマってたよな」
「あ、ああ。あれはいいモノ、だ」
ニマリ、と邪悪な笑みを浮かべる小鞠。
「じゃあ、小鞠推しのカップリングを教えてくれ。お前の趣味だとタカヤさんが右──」
「うなっ?!」
ドス。小鞠のヒジが俺のミゾオチに決まる。
「わ、私の好みを当てる、な!」
なんで当てて怒られるんだ。
とりあえず小鞠の好みは分かったし、
◇
書店の次は、意外にも
プレイしたのはVRゴーグルをかぶって、ゾンビを撃ちまくるというやつだ。
存在は知ってたが、自分がプレイする日がくるとは思っていなかったな。四人用だし。
プレイを終えて、八奈見が伸びをしながら小鞠に話しかけている。
「小鞠ちゃん、銃撃ったりするゲーム得意なんだ。コツとかあるの?」
「さ、殺意を、こめろ」
前髪をかき上げながら、ドヤ顔をする小鞠。
「なるほど、殺意かぁ」
「あ、ああ、殺意だ」
……なぜ二人とも俺を見る。
怖いので目をそらすと、
「なんか足下がフラフラしますね。大迫力でした」
両手の人差し指でこめかみを押さえながらニコリと笑う。
「小鞠ちゃん。あっちにエアホッケーあったし、勝負しようか」
「わ、私、意外と強いぞ」
そうなのか。エアホッケーが強い
二人の後ろをついていこうとすると、
「あの、私ちょっと疲れちゃって。休みたいので一緒に来てもらっていいですか?」
「ああ構わないけど。ちょっと
見れば八奈見たちは人混みに消えようとしている。
追いかけようか迷っていると、白玉さんはさっきより少し強く、俺の服を引く。
「……ハッキリ言ったほうがよかったですね」
「はい?」
耳元の声に顔を向けると、予想よりずっと近くに大きな瞳。
次に聞こえてきた白玉さんの
「──言いなおします。ちょっと二人で抜けだしませんか?」
◇
目の前のガラスケースの中には、高級感にあふれた装飾品が並んでいた。
並んでそれをのぞきこみながら、白玉さんが小声で歓声をあげる。
「うわぁ、キレイですね。あのネックレス、アメジストかな」
「ええと、ああ、それかもね」
白玉さんに連れてこられたのは、同じモールの中のジュエリーショップ。
高級感あふれる店構えにすっかり
「ごめんなさい、急に誘っちゃって。興味なかったですよね」
「いや、そんなことないって。自分一人じゃ来ないから、けっこう楽しんでるよ」
「本当ですか? 部長さんってやさしいですね」
そう言って笑顔を見せる白玉さん。
──俺が白玉さんの申し出を受けたのは、別に
彼女が八奈見たちと人間関係に悩んでいるので、助けになれればと思っただけだ。本当だ。
そう自分に言い聞かせながら、チラリと隣の白玉さんを横目で見る。
彼女は口元に笑みを浮かべ、ガラス越しにアクセサリーを見つめている。
子供っぽいあどけなさと大人っぽさが同居した小さな顔を、肩まで伸ばした髪が包んでいる。
背は八奈見と同じくらいだが、細身の
華奢だけど小鞠と違い、ひかえめだけど女の子らしい身体のラインが服越しにも分かる。
小顔と長い手足は
……やっぱりこの子、相当
八奈見が
「部長さんの誕生石ってなんですか?」
「え? 俺は12月生まれだから──」
誕生石の一覧表を見ていると、これで何度目だろう。ポケットのスマホが鳴りだした。
……きっと
ポケットに手を伸ばすと、
「へっ?!」
「いまだけ、部長さんを独り占めしたらいけませんか?」
「いやあの、俺でよければいつでも……」
「じゃあもう少しつきあってください」
白玉さんは俺に肩をトンと軽くぶつけると、店の奥に誘導する。
「部長さんの誕生石はタンザナイトですね。石言葉が知的、落ち着き──なんだかイメージにピッタリですね」
「あ、はい。よく言われます」
俺は相づちをうちながら、ゴクリとツバを飲みこむ。
これはひょっとして、俺に恋愛イベントが発生しているのか?
いままで不発だった俺のモテ期がようやく仕事を──。
……ないな。しっかりしろ俺。
モテない俺が
そんなラノベタイトルのような展開は、陽キャのイケメンにしか許されていないのだ。
だからこの展開は俺ではなく、きっと白玉さん自身の物語で──。
「ええと、私の誕生石はなんでしょう」
「……白玉さん、俺になにか相談でもあるの」
白玉さんの笑顔がわずかに揺らぐ。
だけど次の瞬間にそのほころびは、いつもより少しだけあざとい笑顔が覆い隠す。
「大丈夫です。部長さんにはさっき弱音を聞いてもらいましたから」
「相談じゃないなら──誰かを待ってるのかな」
今度こそ、笑顔の仮面がはがれ落ちる。
驚きと不安。白玉さんの顔色が少しずつ変わっていく。
「え……あの……」
「さっきからアクセサリーを見ているようで、ずいぶん周りを気にしているよね。それに俺をこの場所に足止めしようとしてるみたいだし。誰かがここに来るの?」
「それは──」
言葉を探すように開いた唇は、再び閉じて。
逃げだそうとする気持ちを押さえるように、足がわずかに震えだす。
「ごめん、
「…………」
沈黙が不安になって言葉を重ねようとした瞬間、
「──ひょっとしてリコ?」
澄んだ声が聞こえてきた。
スイッチが入ったように、白玉リコが顔を上げる。
その視線の先にいたのは、20代中盤くらいだろうか。
整った顔立ちにもかかわらず『
この雰囲気はいうまでもない。
白玉リコが、かすれるように声をだす。
「お姉ちゃん……」
白玉リコの姉。
だが俺が驚いたのは白玉姉の登場にではない。
その隣に寄り添うように立つ男性。それは──。
「君はC組の
ツワブキ高校国語教諭の
白玉姉妹に田中先生、そして──なぜか俺。
戸惑いが支配するこの空気を破ったのは、白玉リコだった。
強引に俺の腕を取ると、抱きつくように
「私──この人とお付きあいさせていただいてるんです!」
っ?! 俺たち付きあってたの?! いつの間に?
まったく身に覚えはないが、そうだとすれば白玉さんが俺を連れだしたのも、目的不明なゆるふわタイムをすごしたのも
「リコ、あなた彼氏いたの? そんな話、初めて聞いたから……」
「ごめんなさい。お姉ちゃんたち、結婚式の準備で忙しそうだったから言いそびれちゃって」
そう言って、明るく笑う。
明るい笑顔にそれ以上言えなかったのだろう。白玉姉は戸惑いを隠せないまま、俺に視線を向けてくる。
「あなたはいつからリコと、その……お付きあいを?」
「へっ? いやその、いつからというか、シュレディンガーの猫的な……」
「お姉ちゃん、私の彼氏に変なこと聞かないで」