~1敗目~ 2年C組 ぬくみずかずひこ



 悪夢の新入生オリエンテーションから1週間。

 本日の授業はすべて終わり、あとはHRが始まるのを待つだけだ。

 ……さて、放課後は部室に行かないとな。

 部活のしんかんシーズンもそろそろしゆうばん。そう、終盤なのだ。

「本格的にまずい……」

 無意識に口に出すと、ようやくれた天井をあおぐ。

 文芸部の見学者は現在0名。そして部活の見学期間は──今日で最後だ。

「どうした、顔色悪いぞ」

「部活の新歓が、ちょっとくいってなくてさ」

 俺に声をかけてきたのはあやみつ。かつてやきしおと色々あったが、なにもなかったどんかん男。

「まあ、オリエンテーションの一件は話題になったからね」

 言いながら綾野の横に並ぶ小柄な男子は、わいい系男子の生徒会会計。さくらひろ

 2年生に進級して、二人ともクラスメイトになったのだ。

「話題になったって、どんな意味で……?」

「うん、悪い意味じゃないよ。心配しないで」

 弱った時には優しいうそが身に染みる。桜井君はいいやつだが、見学者0名という現実が変わるわけではない。

「だけど五人いないと廃部になるんだ。どうにかしないと」

「あれ、去年は部員が四人の時期もあったんじゃないか?」

 不思議そうにたずねる綾野に、俺に代わって桜井君が答える。

「1年生が一人でもいれば廃部はゆうされるんだ。入部したはいいけど、人数足りなくて廃部になったらわいそうだしね」

 とはいえ、文芸部が廃部をまぬがれるには新入部員が必要なことに変わりはない。

 追い詰められたこの状況。責任の一端はあいつらにもあるはずだ──。

 教室の反対側に視線を送ると、そこにはまりの姿。

 八奈見は座った小鞠ににんおりのようにのしかかりながら、同じくクラスメイトのひめみやれんと楽しそうに話している。

 間にはさまった小鞠はとても楽しそうには見えないが、新学期当時は逆立っていた髪の毛も、最近は落ち着き気味だ。

 金魚を飼うにも水をあわせる必要があると聞くし、ようやく環境に慣れてきたのだろう。

 ──そして焼塩とはクラスが分かれた。

 教室でそんなに話すわけではなかったが、なんとなく物足りなさを感じるのは否定できない。

 1年生の終わり。退部をかけた100mの一本勝負。

 どこまでやきしおの気持ちに寄りえたか分からないけど、あの日を境に焼塩の瞳から迷いが消えた。それだけは俺にも分かる──。

 頭越しのあやたちの会話をボンヤリ聞いていると、教室の扉が開いた。

 2─C担任。ツワブキ高校社会科教諭、あまなつだ。正直ちょっと見飽きた。

 甘夏先生はきようだんに上がると、パンパンと手を打ち鳴らす。

「おーい、早く座れー。サクサクいくぞー」

 もう慣れ始めたのか、ダラダラと席に戻るクラスの連中。

 甘夏先生が不機嫌そうに説教を始め──たりはしない。最近の先生は機嫌がいいのだ。

 連絡事項を黒板に書き終えると、先生はきようたくに向きなおる。

「ここんとこ色々あってな。先生、公私ともに大いそがしなんだ」

 もったいぶるように言葉を切ると、ニヤニヤ顔で俺たちを見回す。

「いやー、先生もまだまだ捨てたもんじゃないな。引く手あまた……ってやつ? 先生は一人しかいないのに、まいったなー」

 喜びをおさえきれないのか、教卓をペシペシたたく甘夏先生。

 ここ最近の断片的な情報をぎあわせると、要するに先生にモテ期がきたらしい。

「頼んでもないのに『いいね』をたくさん付けてくれるけど、先生そんな軽い女じゃないからなー。勘違いするなよー」

 ……それ、マッチングアプリというやつじゃないだろうか。

 大丈夫か。使いこなせるのか甘夏古奈美。

 ハラハラして見守る2─C一同に気付いているのか否か、甘夏先生は笑顔のまま教卓に出席簿をターンと叩きつける。

「それじゃ今日はこれでおしまい! 気をつけて帰れよー」


          


 放課後の部室はアンニュイな雰囲気に支配されていた。

 まりうつろな瞳で本棚を眺めているし、はスマホでバターが溶ける動画をエンドレスで見つめている。

 見学者が来ないあせりから一周し、半ばあきらめ気味なけんたいかんに包まれているのだ。

 ……これはいけない。俺は表情を引き締めると、から立ちあがる。

「みんな、気合いを入れていこう。今日こそ見学者が来ると思うんだ」

 俺の言葉に、八奈見が溜息まじりに顔を上げる。

「そうは言うけどさ、今日で見学期間は最後でしょ? これまで0人なのに、今日になって来るわけないじゃん」

「いや、むしろ逆だ。今日は最後のチャンスなんだよ」

「チャ、チャンス……?」

 まりうたがわしげな視線を向けてくる。

「文芸部に興味がある生徒なんて、人見知りの陰キャに決まってるだろ? そんな新入生があのオリエンテーションを見れば、見学に二の足を踏むのは当然だ」

 自分で言ってて心が痛い。あの日の光景は、いまでも夢でうなされるのだ。

「ただ、本気の入部希望者なら最終日に勇気を振りしぼって見学にくるに違いない。そこをのがさずゲットするんだ」

「見学期間すぎても、入部したかったらいつでもこれるでしょ。なんでわざわざ、最終日に来るのよ」

 おや、はなにも分かってないな。

 俺と小鞠は顔を見合わせて、ヤレヤレと肩をすくめる。

「いいか、俺や小鞠みたいな人見知りの陰キャは公式の見学期間を逃したが最後、気後れして部室に足を踏み入れるなんて不可能だ。俺たちにとって世界のすべてはアウェーなんだ」

「世界はそんなにつらくないよ……?」

 そうかな。八奈見を見てると、わりとつらそうだが。

「ぬ、ぬくみず、アレを出したら、どうだ」

「そうか、こんな時こそアレの出番だな」

 俺は本棚の上の段ボールを下ろすと、中にかくしていた箱を取りだす。

「おかめどうの亀なかじゃん! めっちゃしいやつ!」

「ああ、先輩たちが新歓用にって置いてってくれたんだ。見学者用だから食べちゃダメだよ」

「……あれ。そういえばなんで最中をそんなトコに隠してたの?」

 理由を言う必要はあるのだろうか。俺はないと思う。

 俺は黙って小鞠に箱を渡す。と、小鞠が困ったような顔をした。

「こ、これ、賞味期限、切れてる」

 へ? それじゃ見学者に出せないぞ。らくたんしていると、八奈見が小鞠から箱を奪い取る。

「八奈見さん、それ賞味期限切れてるんだけど」

「温水君、まだ賞味期限とか信じてるの?」

 ……八奈見がまた変なこと言いだした。

「賞味期限って信じるとか信じないとか、そういう問題だっけ」

「賞味期限って『味』って言葉が入ってるでしょ? つまり美味しければ、賞味期限なんて意味がないんだよ」

 はドヤ顔で亀なかにかじりつく。

「うん、しい。はい、みんなもお食べ」

 こうなると逆らってもムダだ。勧められるまま三人で最中を食べていると、スマホから歴史的サメ映画のBGMが流れだす。

 この着信音は文芸部顧問──ぬきだ。

 スマホを見ると、通知画面に『部長さん、保健室にいらっしゃい』のメッセージ。

 ……行きたくないな。

 どうやってスルーするか考えていると、まりが横からスマホをのぞきこんでくる。

「ど、どうした」

「小抜先生に呼びだされたんだ。ええと、俺はいそがしいから代わりに行ってくれないか?」

「うぇ……や、やだ」

 うん、俺もヤダ。八奈見が4つ目の最中を開封しながら、首をかしげる。

「ひょっとして、廃部の通告とかじゃないよね」

「「?!」」

 思わず飛び上がる俺と小鞠。八奈見はお茶をすすると、幸せそうに溜息をつく。

「だって、新入部員がいないと廃部なんでしょ? オフィシャルな新歓期間は今日までだし、先生から一言あっても不思議じゃないよ」

 八奈見にしては筋が通っている。

 不安そうにオロオロしている小鞠の様子に、俺はあきらめて肩を落とす。

 保健室、行くしかない。だけど行きたくないなあ……。


          


 新入生のみんなには、ツワブキ高校保健室での作法を覚えてほしい。

 入室してまず最初にすることは、灯りをつけてカーテンを開けることだ。

 火は危ないのでキャンドルは消し、ムーディーな間接照明のスイッチも切る。その際に物陰にカメラがないか確認するのが望ましい。

 小抜先生と話をする際には第三者に立ち会ってもらうか、難しければ出入口側に座り、テーブルを挟むなどして障害物を間に置く。

 そうまでして、ようやく安心して先生と向き合えるのだ──。


「ハーブティ、冷めないうちにどうぞ」

 恐る恐る座った俺の前に、小抜先生がティーカップを置いた。

「あ、どうも。それでなんの用でしょうか」

「あら、用がなければ呼んじゃだめなのかしら」

「ええまあ、いそがしいので」

 俺はひと口お茶を飲む。

「相変わらずつれないわね。ハーブティーちゃんと飲んだ? 薬が効きにくい体質とか言われたことない?」

「……このお茶、なんか入ってませんよね?」

 ぬき先生は無言でニコリとほほむ。よし、帰ろう。

 席を立とうとする俺に、小抜先生が長い人差し指を向けてくる。

「──じゃあ新歓の話をしましょうか」

 っ! ついにきたか。俺はゆっくり座り直すと、呼吸を整える。

 しんみような俺の様子を見て、小抜先生が静かに口を開く。

「文芸部、今年の状況はどうかしら」

「えっと、それは……」

 言葉が詰まる俺の耳に飛び込んできたのは、思いがけないものだった。


「よければだけど、部員候補を紹介したいの」


 へっ、部員候補!?

 あまりに都合のいい展開に、俺は思わず立ちあがる。

「助かります! どんな人でも入部さえしてくれれば──」

「本当? そう言ってもらえると先生も気が楽になるわ」

「……すいません、ちょっと考えていいですか?」

 都合のいい展開──ではないかもしんない。

 背に腹は代えられないとはいえ、やすけ合いは危険だ。

「ええと、どうしてその人を文芸部に? 話しぶりからすると、うちに興味があるわけじゃなさそうだし」

「その子、少しクラスになじめなくてね。本当は私が面倒をみたいんだけど、ちょっと事情があるの」

「事情、ですか」

 小抜先生は開きかけた口を一度閉じ、迷いながら言葉をつなぐ。

「友人の妹さんで、私も前からよく知ってるのよ。その友人も高校教師だし、かえって特別扱いができないから──君たちに面倒を見てもらえたらなって」

 ……そういう事情があったのか。

 養護教諭として、問題を抱えた生徒に寄りいたい気持ちにうそはないのだろう。

 だが、知り合いとなれば簡単にはいかないし、下手をすればかえってその本人にも悪いうわさが立つかもしれない。

 それはそうとぬき先生の友達……友達か……。

「先生。その友人って、もしかして……?」

「安心して。私、男友達はいないの。理由は聞きたい?」

「あ、大丈夫です」

 聞きだした話によると、その友人は小抜先生と同じ大学の出身。

 後輩だがあまなつ先生と三人で、よくつるんでいたらしい。

 そして部員候補はその妹、1年生のしらたまリコ。

 入学以来、クラスでりつしているようなので、心配して文芸部に紹介したいとのことだ。

「本当にいいんですか。うちの部員って、あまり一般的でないというか……」

「あら、私はみんなを信用してるわ。それと彼女、ぬくみず君に似てるところがあるから」

 俺に? 小抜先生はカップを手にとると、お茶の香りを嗅ぐ。

「リコちゃんって──すっごくシスコンなの。それで最近、ちょっと問題を起こしてね」

「……俺はシスコンではないですが?」

 小抜先生は俺のツッコミを笑顔で流す。

「君も妹さんがお兄ちゃんっ子だと聞いてるわ。リコちゃんの気持ちを分かってあげられるんじゃないかなって」

「まあ……うちの妹のことなら、少しは分かりますが」

 よくは分からんが、世の妹が兄離れ姉離れをするには色々あるんだろう。多分。

「分かりました。じゃあ明日にでも部室で会ってみようと思います」

 連絡先のメモを受け取りながらそう言うと、小抜先生がゆっくりと首を横に振る。

「その子いま停学中だから、学校には来ていないの。直接、会いに行ってくれないかしら」

「……やっぱりもう一度考えていいですか」

 連絡先を返そうと手を差しだす。

 小抜先生は俺の手を両手で優しく包みこむと、ハッキリと首を横に振った。


          


 翌日の放課後。俺とはツワブキ高校から自転車で約20分、なんジャスことイオンとよはし南店のフードコートにいた。

 わざわざ豊橋駅とは反対側のここに来たのは他でもない。停学中の白玉さんと面会をするために待ち合わせをしているのだ。ちなみにまりは逃げた。

 八奈見は俺の隣でテーブルにかたひじをついたまま、スマホから顔を上げる。

「ねえぬくみず君、南ジャスの『ジャス』ってなに?」

「俺たちが物心つく前、ここはジャスコという名前だったらしい。そのごりだな」

「あー、私のおばあちゃんがアピタのことユニーって言うようなもんか」

「なにそれ」

「分かんないけど、そんなんあったんだって」

 きっと20世紀とか昭和とか、そんな前時代の話だろう。

 とりとめのない会話をしながら視線をめぐらす。

 夕方のフードコートには寄り道の学生が多いが、ツワブキ生の姿は見えない。

しらたまちゃんって制服で来るんだよね? どんな子だろ」

「そりゃ入学早々、停学食らうような1年だぞ。とうに違いない」

 は腕組みをすると、得たりとばかりにうなずく。

「だね、きっとスケバンってやつだよ。チェーンとか振り回すやつ」

「この時代、そんなのいる?」

 なんか怖くなってきたぞ。いざとなったら俺だけでも逃げないと……。

 逃走経路を頭の中で確認していると、


 ピッピッピー ピッピッピー


 とうとつに鳴り響く電子音。

「温水君、ちょっと待ってて!」

 八奈見が白い呼び出し機をにぎりしめて立ちあがる。

 え、いつの間に注文したんだ。

 ようようと両手にトレイを持って戻ってきた八奈見が、俺の前に一つを置く。

 を上げているのは白い和風とんこつスープ。スガキヤのラーメンだ。

 隣に座り直した八奈見は、フォークとスプーンがゆうごうした独特のラーメンフォークを器用に扱いながらめんをすすりこむ。

「ええと、なんでいきなり俺の分もラーメンを」

「温水君、フードコートで注文せずに座るなんてギルティだよ? それにぬき先生が、みんなでお茶でも飲みなさいってお金くれたしね」

「先生、お茶って言ったんだよね? これ、ラーメンじゃない?」

「汁物だし、似たようなモノでしょ」

 八奈見にとってはお茶かもしれんが、俺にとってはラーメンだ。

 しかたなく箸を手に取ると、八奈見が俺の肩をポンポンと叩いてくる。

「あの子じゃない? ツワブキの制服着てるよ」

 言って、ちゅるりとめんを吸いこむ。

 の視線を追うと、フードコートの外で、小柄なツワブキ女子がキョロキョロと辺りを見回している。

 背丈は八奈見と同じくらいだが、きやしや身体からだと細い足。肩より少し長い髪は、サラサラとしたストレートヘアで、遠目から見ると、まるでお人形さんのようだ。

 あの子、わいくないか。いや、相当可愛いぞ。

 まさかあの子が停学をくらうような暴れん坊だというのか……?

 ツワブキ女子は、俺たちの姿を見るとホッとしたように表情をゆるめた。

 その子はフードコートを出ていく他校生の集団を、不器用に避けながらこちらに来ようとするが──流れに押されてなんだか遠ざかっていく。

「……ぬくみず君、あれ大丈夫かな」

 明らかに無関係な集団と去っていくツワブキ女子。多分、大丈夫じゃない。

 最後は八奈見に手を引かれて連れてこられたその子は、目をくるくる回しながらペタリとに座り込む。この子、東京とかには絶対住めないぞ。

「えーと、大丈夫ですか」

「は、はい。すいません、わざわざ来ていただいて」

 しらたまさんはペコリと頭を下げる。

「私、1─Eの白玉リコです」

「俺は部長の温水で、こっちは──」

「八奈見先輩ですね。先ほどはありがとうございました」

 再び頭をさげる白玉さん。メンマを口に入れながら親指を立てる八奈見。

 ……俺はさり気なく相手を観察する。

 なんというかフワフワした女の子らしい女の子で、近くで見るとやっぱり可愛い。

 周りにも顔のいい女はいるが、守ってあげたくなるオーラは圧勝といってもいい。

 じんちくがいそうなこの子が、一体なにをしでかしたんだ。守ってあげないと。

「あー、ぬき先生から話を聞いたんだけど」

「あ、はい。しばらく文芸部に出入りさせてもらいなさいって」

 そう言って、上目遣いで俺の瞳を見つめてくる。

「私、小説のこととかよく分からないんですけど、ご迷惑じゃないですか?」

「それは気にしなくても──」

「まあ最初はちょっと大変かもねー。私も苦労したけど、慣れじゃないかな、慣れ」

 突然吹き荒れる先輩風。八奈見はドヤ顔でラーメンフォークをクルリと回す。


 ピッピッピー ピッピッピー


 と、再び電子音が鳴り響く。は呼び出し機をかかげながら立ち上がる。

「それじゃデザートタイム──じゃない、しらたまちゃんの歓迎会を始めましょうか!」


          


「──この時期は、川沿いの花だいこんの花がれいなんですよ」

「へえ、そうなんだ。素敵だね」

「はい、ぜひ今度みなさんで行きましょう」

 白玉さんはあんみつの最後の一口を食べ終えると、手を合わせて『ごちそうさま』とつぶやいた。

 俺はそれを眺めながら、頭の中で白玉さんの話を整理する。

 ──彼女は姉の影響で始めたさいほうが趣味で、甘いもの好き。人混みが苦手だから、ひとのない早朝の散歩が最近のマイブームだ。

 ここまでの話で判明したのは、白玉さんはわいいということだ。

 心のノートに赤字で書きこんでいると、白玉さんが上目遣いで俺をのぞきこんでくる。

「ごめんなさい、私ばかり話しちゃって。あきれちゃいましたよね?」

「え、いや全然。むしろ話してくれて助かるというか」

「それは部長さんって話しやすいから──ですかね」

 テヘ、とばかりに舌をだす白玉さん。あざとい。そして可愛い。

「……ぬくみず君、クリームぜんざい溶けちゃうよ」

 こいつのこと忘れてた。八奈見がデザート代わりに頼んだ2杯目のラーメンは、すでに空だ。

 八奈見はコップの水を飲み干すと、カツンと音をたててトレイに置く。

「白玉ちゃんはしめにラーメン食べなくて大丈夫? 五目ごはんもあるよ」

「はい、大丈夫です。それに私そろそろ帰らないと。家の電話に先生からの定時連絡があるんです」

 ……そういやこの子、停学中だったな。

 白玉さんはトレイを持って立ち上がると、ぺこりと頭を下げてから食器返却口に向かう。

 なんか隣の店の返却口に返そうとして、注意されてアタフタしてるぞ……。

 彼女の姿が見えなくなったころ、俺はゆっくりと口を開く。

「ちょっと不安だったけど、いい子だったね。八奈見さんもそう思わない?」

 器の底をぎようしていた八奈見が、ジロリとけんのんな視線を向けてくる。

「……なんかずっと、白玉ちゃんにばかり話しかけてなかった?」

「だって彼女との顔合わせだし。八奈見さんも彼女に優しくしてあげないと」

「ふうん、やっぱ温水君、ああいうタイプの子が好きなんだ」

 は不機嫌そうに、ラーメンフォークを俺に突きつける。

「え、どういう意味?」

「そういう意味ですが? あー、やだやだ。男って若い女が好きだよねー」

 えぇ……高2が高1の若さにしつするってどんだけだ。

 俺はクリームぜんざいの器を八奈見の前に置く。

「まだ手を付けてないけど食べる?」

「……食べる」

 コクリとうなずく八奈見。

 新しい犬をむかえる場合は旧犬にいつも以上に気をつかう必要があると、こないだ読んだ本に書いてあった。これもきっと似たようなものだろう。

 面倒だなと思いつつ、俺はグラスにわずかに残った水を飲み干した。


          


 八奈見と並んで南ジャスから外に出ると、辺りは暗くなり始めていた。

「だからさー、ちょっとわいい新入生がきたからって、デレデレするのはどうかと思うの」

「デレデレなんてしてないって。八奈見さんって、しらたまさんに当たりがきつくない?」

 ラーメン大盛り×2、クリームぜんざい+俺の食べかけラーメン。

 総カロリーはかなりのものだが、八奈見の機嫌は一向になおらない。

 八奈見は腕時計をチラ見すると、俺を置き去りにするように足を速める。

「だってあの子、停学してるんでしょ? きっと裏があるんだよ」

「きっと誤解だって。ほら、あんな大人しくて可愛らしい子が悪いことなんてしないよ」

「可愛いのと関係ある?」

 八奈見がジト目を向けてくる。

 ……おっと、旧犬には気をつかわないと。俺はせきばらいをして仕切り直す。

「ええと、彼女がどうこうじゃなくてさ。八奈見さんが停学になっても、俺は信じるよ?」

「なりませんけど?!

 そうかな。いつかやらかしそうだと、わりとハラハラしてるんだが。

 と、駐輪場に向かっていた八奈見が俺の上着をグイと引っ張る。

ぬくみず君、あの車に乗ってるのって」

「え?」

 八奈見の視線の先、停まっていた車の助手席の扉が勢いよく開く。

 そこから降りてきたのは──白玉さんだ。

 くわしい様子は分からないが、運転席の誰かと言いあらそってでもいるようだ。

 なにかがけつれつしたのだろう。彼女が足早に車から離れると、運転席からスーツ姿の男性が降りてきた。年齢不詳な雰囲気はどことなく見覚えが──。

「あれってなか先生じゃない?」

「へ? 現国の?」

 俺はスーツの男を凝視する。あのなで肩、少しくたびれた雰囲気──確かに田中先生だ。

 ちょくちょく文芸部のことを気にかけてくれて、文芸イベントに関するチラシをくれたこともあったっけ。

 だけどなんで田中先生の車から、しらたまさんが降りてきたんだ?

 田中先生は白玉さんを追いかけたが、拒絶されたのだろう。トボトボと車に戻る。

 ……田中先生の車が駐車場から出ていくと、それまで黙っていたが口を開く。

「なんであの二人、一緒にいたんだろ」

「ええと、白玉さんの担任だったりとか……」

「あの先生、2─Fの担任だよ」

 田中先生は真面目で生徒想い。授業も分かりやすくて評判がいい。

 そんな先生と白玉さんが、ゲンカめいた言いあらそいをしていたのだ。

「……裏、見ちゃったね」

 八奈見がポツリとつぶやく。

 俺はそれを否定しようとして言葉が見つからず、どっちつかずな笑みを浮かべた。


          


 白玉さんと田中先生の痴話ゲンカ(?)から2日。

 放課後、俺は人目を避けるように旧校舎の廊下を歩いていた。

 誰にも見られていないことを確認すると、階段裏の暗いスペースにもぐりこむ。

「……時間通りですね、ぬくみずさん」

 そこに待ち受けていたのは一人の女生徒。生徒会副会長、2─Fのそり天愛星ていあらだ。クラスが違うので会うのは久しぶりだ。

 彼女は油断なくあたりを見回すと、さらに一歩奥に身を隠す。

「悪いね、変なことお願いして」

「いつも勉強を教えてもらってますから」

 言うほどいつもではないが、あえてツッコむのはである。

 天愛星さんが数枚のレポート用紙を差しだしてきた。

「これが頼まれた調査書です。取り扱いには気を付けてください」

 表紙のタイトルは『ツワブキ高校教諭 田中ゆう 調査報告書』。

 俺はうなずいて受け取ると、ゆっくりと表紙をめくる。

 ──なか先生はツワブキにん3年目の国語教師で、去年から引き続き俺たちの授業も担当してくれている。あまなつ先生やぬき先生より少し年上のようだ。

「ふうん、ツワブキの前はミコシ高校の先生だったんだ」

「ええ、評判もよかったようです。うちのクラスでも悪い評判は聞きませんね」

 しらたまさんとの一件が気になって天愛星ていあらさんに情報提供を依頼したが、俺の取り越し苦労なのだろうか。

 とはいえ、あの日の光景は、偶然出会った教師と生徒には見えなかったしな……。

 レポート用紙をめくる俺の手が止まる。

「……田中先生って、文芸部のもんだったの?」

「はい。私たちが入学する前、それも年度の途中までですが」

 そう言えばたま先輩が顧問がいないことに関して『色々あった』って言ってたな……。

 天愛星さんは調査書を見つめる俺に一歩近づくと、ささやくように言葉を続ける。

「……あくまでも噂ですが。女子生徒と、なにか問題を起こしたとか」

 へ? あの真面目そうな先生が?

 まさかと思うが、一笑に付すには白玉さんの件は記憶に新しすぎる。

「あの先生、そんなにモテるの?」

「それは分かりませんが。女子には一度くらい、若手の先生にあこがれる時期がありますから」

「へえ、そりさんにもそんな時期が──」

「ありません」

 食い気味に断言する天愛星さん。

「ああいうものごしの柔らかいタイプには隠れファンがつきやすいんですよ。もちろん、私の話ではありませんが」

 なるほど。活発で明るい感じの先生がモテると思ってたが、あんな人生に疲れた感じの人にも需要があるんだな。好みは人それぞれだ。

 だが待てよ。女生徒と問題を起こしたのが本当だとすると、文芸部の顧問をめたのとなにか関係があるのだろうか。

 ひょっとして白玉さんの停学騒ぎも田中先生と関係が……?

 考えこむ俺の顔を、天愛星さんがじっと見つめてくる。

「……え? どうしたの馬剃さん」

ぬくみずさん、田中先生となにがあったんですか?」

「俺はないけど──」

 ええと、白玉さんとのことを言うわけにはいかないよな。

「ちょっとあの先生のことが気になってさ。うん、それだけだよ」

「気にっ?!

 俺の無難なしやくめいに、なぜかビクリと震える天愛星ていあらさん。

「……あ、あのですね。私も理解はある方だと思いますが」

「はあ」

 モジモジと足先で床に『の』の字を書く天愛星さん。

「で、ですが同性間といえど、教師と生徒のしように手をかすわけには」

「……なんの話?」

「だってぬくみずさん、なか先生をねらってるんですよね?」

「違うよ?!

「誰にも言わないので安心してください! 時と場合によっては、じやはしないので間に──」

「そんな時も場合もこないからね?!

 マズい、相談する相手を間違えた。なんとかごまかさないと。

「ほら、文芸部の顧問を交代できないかなって。それで田中先生をこうにしてたんだ」

「あら、ぬき先生になにか問題が──」

 しばらく考えていた天愛星さんのまゆにシワが寄っていく。

「……お気持ちはさつします」

 察してくれた。ウソだが気持ちはうそではない。

「失礼しました。さくら君ではなく私に相談してきたので、てっきりそうだと」

「だって桜井君は生徒会役員だから立場があるし。なんかヤバいことが判明したら、黙っているわけにはいかないと思って」

「……私も生徒会役員なのですが」

 だっけ。だった気もする。

 天愛星さんの責めるような視線からのがれつつ、俺はさらにを塗り重ねる。

「えっとそりさんは、その……F組だし、秘密を守ってくれそうかなって」

「それはまあ、口は堅いほうですが──」

 言いかけて物思いにふけっていた天愛星さんは、なぜか機嫌がよさそうにクスリと笑う。

「分かりました。今後もいつでも相談してください」

「え、いいの?」

 天愛星さんは階段裏のうすやみから外に出る。

「ヤバいことがあるかも、なんですよね?」

 うん、そんなこと言ったな。俺は素直にうなずく。

 スカートをひるがえして振り向きながら、天愛星さんは人差し指を唇の前に立てる。

「なんだか秘密を共有するのも──悪くないものですね」