アブソリュートは打撃で勇者の脳を揺らして意識を刈った。勇者は気を失い動かない。勇者とアブソリュートの初戦はアブソリュートの勝利で終わった。

 喜びも何もなくただただ気分が悪かった。

「私を殺して皆を救うか……私を殺しても変わらんよ。他の悪党が出てくるだけだ」

 アブソリュートはつぶやくように言った。

 一息きたいところだがまだやるべきことが残っている。アブソリュートは頭を切り替えて戦後処理を行う。



 勇者との対戦を終えたアブソリュートは戦後処理に移る。

 勇者によって攻撃を受けて負傷したティーチ担任に、今回の騒ぎの原因である勇者。アブソリュートは傘下の者たちに指示を出す。

「レディ、他の教員に事情を説明してここに連れてこい。ミストは勇者を縛って柱にくくりつけろ。オリアナは勇者が逃げないように見張れ。怪しい動きを見せたら攻撃して構わん、全員行動に移れ!」

「「「はいっ!」」」

 それぞれアブソリュートの指示に従い行動を開始する。

 今回負傷したのは勇者によってとばっちりを受けたティーチ担任、アブソリュートによってぼこぼこにされた勇者、勇者によって心労が限界をきたしぶっ倒れたアリシアの三人だった。アリシアの方はミライ家派閥のクラスメイトが介抱しているため心配はしていなかった。

 私は負傷しているティーチ担任の元に行った。他の生徒たちが介抱しているがかなり痛そうにしていた。あまり酷い怪我はしてないように見えるが、勇者の攻撃は通常攻撃でも相手にその元の数倍のダメージを与える。恐らく骨も数本折れているだろう。

「酷い有様ではないか、ティーチ担任」

 アブソリュートが声をかけると、ティーチは痛みでにじみ出る汗をかいた顔で力なく笑う。

「あぁ、全くだ。これでは教員失格だな、それにしてもよく勝てたな。勇者のスキルを体験した身としては化け物だったぞ。さすがアークと言ったところか」

 ティーチが嘆くのも仕方ない。確かに勇者のスキルは強力だ。使い手によってはアブソリュートでも無傷では済まないだろう。だが、理性を失い技と駆け引きもない、力でごり押しの勇者などアブソリュートの敵ではないのだ。

「無理に喋るな、これから医務室に運ぼう。おい、聖女お前もついて来い。お前が医務室で治療しろ」

 アブソリュートは聖女に声をかける。恐らく今回の勇者の暴走は聖女による犯行に間違いないとアブソリュートは考えている。一体どういうつもりなのか問い正したかった。聖女はアブソリュートが勝ったのが信じられないのか悔しそうな表情を浮かべていたが、すぐにいつもの優しい微笑を浮かべアブソリュートの指示に従う。

「もちろんです。人の治療は教会に勤める者として当然のことです。直ちにティーチ先生を搬送しましょう」

「聖女様、私たちが運びます」

 聖女の護衛たちが搬送をしようとするがそういうわけにはいかない。聖女とは話したいことがあるのに、護衛がいては邪魔なだけだ。アブソリュートは聖女の護衛に待ったをかける。

「お前らはいらん、うちの者で運ぼう。何人もぞろぞろと邪魔なだけだ。おいミスト、勇者を縛ったら次は怪我人を運ぶぞ。さっさと来い」

「アブソリュート様人使い荒いっすね。まぁ、別にいいですけどね」

 軽口を叩きながらせっせと作業を終わらせるミスト。だが、聖女の護衛たちは、はいそうですかと引き下がるわけにはいかなかった。護衛の一人がアブソリュートに食ってかかる。

「お前みたいな野蛮な者に聖女様を近づけるわけにはいかん! お前が引き下がれ」

(全くコイツら私が上位貴族だってこと忘れているんじゃないよな? いくら建前で身分は関係ないといっても相応の対応があるんじゃないのか。どっかの王子といい勇者といい、ホントにイライラさせてくれるな。一度分からせないといけないのか……)

 聖騎士は教会が保有する戦力であり、その身分としては平民と変わらない。故に、この自らの身分を勘違いした聖騎士を正さなければならない。

 アブソリュートはスキルの【王の覇道】で無礼な聖騎士を威圧する。

「前に言ったよな、邪魔する奴は容赦しないと。それに貴様さっきから無礼だぞ? たかが聖騎士如きがこの私と同格だとおもっているのか。もしそうなら貴様も勇者と同じ目に遭わせてやろうか」

「ヒッ!」

 威圧をモロに浴びた失礼な聖騎士はあまりの威圧に腰を抜かす。他の聖騎士もたまらず体を震わせた。

 アブソリュートの威圧で冷えた空気に聖女が声をあげる。

「止めなさい貴方たち、アークさんに失礼でしょう! アークさん、護衛の皆さんには後ほどキツく注意いたしますので、この場はどうか収めてもらえませんか? それと、彼女たちは教会の方から決して護衛を離れるなと言われております。一人護衛をつけることをお許しください」

 自らの行いで聖女が頭を下げたことで自分のしたことを悔いる聖騎士。

(まぁ、護衛一人なら許容範囲かな。ゴネたがあった)

「次はないからな? ほらっさっさと行くぞ」

 アブソリュート、ミスト、聖女、護衛についた聖騎士の四人は、負傷したティーチを医務室で治療するために移動した。その後、聖女のスキルと回復魔法でティーチの体は回復したが、念のためとまだ医務室で大事をとることになった。治療を終えたアブソリュートたちは医務室から出る。ここでアブソリュートは本題を切り出す。

「それで、聖女。何か言い訳はあるか?」

「なんの事でしょうか。私にはやましい事などありませんが?」

 聖女は表情を崩さずにひょうひょうとしている。

「白々しい。貴様、勇者にスキルを使って強化し、わざと暴走するように仕組んだな。勇者を使ってあわよくば私を殺すつもりだったのだろう?」

 聖女を問い詰めるアブソリュート。聖女の護衛はこの内容をいいがかりと受け取ったのか、聖女を庇うように前にでようとする。

「貴様、聖女様がそのような事をするはずがないだろう! いいがかりをつけるのは止めろ!」

 アブソリュートに詰め寄ろうとする聖騎士だったが急に動きを止めた。何者かに背後から首にナイフをつきつけられているのが分かったからだ。

「貴様……いつの間に」

 聖騎士の背中に冷や汗が落ちる。

「動くな、今はアブソリュート様が話している最中でしょうが。それにあんたらさっき『次はない』って言われたでしょう? マジで殺されますから邪魔しないのが身のためですよ。まぁ、聖女さんに危害は加えませんよ、多分。ですよね、アブソリュート様?」

 ミストはアブソリュートの邪魔にならないように聖女の護衛の聖騎士の動きを止める。ミストはアーク家の裏の仕事を補佐する役割の家だ。アブソリュートに危害を加える者には盾にもなるし、何も聞かずに任務をまっとうする。今のミストの仕事はアブソリュートの会話を邪魔する者を排除することだ。こういった仕事には慣れている。

「さぁな、コイツ次第だな。どうなんだ聖女?」

 場合によっては人質を取ったとも見えるが聖女には有効なはずだ。

「酷いですね、言いがかりです。それにもし、私の仕業だとしたらどうなんです? 証拠なんてないでしょう?」

 聖女は心外だとでも言うようにこちらを見つめる。

(人質は効果がない? 結構冷淡な奴だったのか、聖女は。それにこの状況で平然と噓をつけるなんてかなりの役者だな)

 アブソリュートは話しながらも聖女について分析する。

「残念ながらな、魔法なら魔力を辿たどって証明できたかもしれんがお前のスキルは特殊だからな。今回は立証できないだろう。恐らくそれも見越しての犯行だろうがな。全くいまいましい女だ」

 そう今回はどうしても聖女の加担したことを立証できないのだ。聖女のスキル【扇動】は相手の体の内側を強化するからだ。目に見えない所を強化したなんて立証はできない。

「まるで私のスキルを知っているかのような言い草ですね。教会でもトップクラスの方々しか知らないはずですが……それで証拠もないならどうします? 今回の騒動は聖女の仕業だとでも公表しますか?」

(私が言ったとしても誰も信じないだろうから意味ないな。それにそんなことしたら勇者の処分に影響するかもだから絶対やらねぇよ。退学まではいかなくとも停学させるチャンスだし。勇者が停学になればその間のイベントに携われなくなる。見逃す手はない、聖女の思惑どおりに進むのはしゃくだからな)

「ふん、そんなことしてしまえば勇者の責任も怪しくなるな。だから今回はお前の思惑に乗ってやる。だが、お前はアーク家を敵に回したのだ、いずれこの報いは受けてもらうぞ」

「ふふっ、だから私はやってないと言っているじゃないですか。話が終わりなら護衛の方を離してもらえませんか?」

 アブソリュートはミストに目で合図をして聖騎士を解放させる。

「ありがとうございます。では私たちは先に戻りますね。それと、先ほどの護衛の無礼は、貴方の無礼な発言と護衛を人質に取った件で帳消しにしてくれると嬉しいです」

 聖女はアブソリュートに軽く頭を下げてこの場を後にし、護衛の女も後に続いた。

「いいんですかい? このまま帰しちゃって」

 ミストは聖女たちに何もせずに帰したことに疑問を持っていた。

「構わん。それに敵は聖女だけか、それとも教会という組織なのかはまだ判断はつかん。聖女を生かしておけば今後何か企てた時、また聖女を通して動くだろう。その時までに敵の正体を摑む」

(原作で聖女は教会から出たことのない世間知らずな女の子だったはずだ。もしかしたら本性を隠していただけかもしれないが、今回聖女からは明確な悪意を感じた。しかも勇者の暴走と見せかけて私に嫌がらせを行うなど、手口はかなり陰湿だった。今回だけの犯行とは限らない。アーク家の情報網を駆使して調べあげるか……)

 急に黙りこんで考え始めるアブソリュートにミストが問いかける。

「考え中のところ悪いのですが、単純に勇者が聖女さんに強化をお願いしただけじゃないすか? あまり複雑に考えすぎない方がよいのでは?」

 アブソリュートに勝つために聖女に強化してもらった。

 ミストはそう考えたがアブソリュートはそんなことどうでもよかった。

「お前は勘違いしている。今回重要なことは勇者とミライ家側に落ち度があること、聖女がこちらに牙をいたことだ。だから勇者から強化を持ちかけようがなかろうがどうでもいい。どのみち聖女はこっちに牙を剝いたんだ、教会ぐるみだろうがただではすまさん。戻るぞ、ミスト」

 話はこれまでというかのようにアブソリュートは背を向け歩き出す。聖女たちから遅れてアブソリュートたちも修練場に戻ったのだった。



 勇者の暴走により負傷者がでたことでAクラスのレクリエーションは中止になった。生徒の方から特に反対の意見もなかったのでそのまま次の授業に入る事になる。ちなみに勇者は、ミライ家に強制送還され、今は学園からの処分待ちになっている。

 勇者の犯した罪は三つ。


①クラス全員の前でアブソリュートを侮辱したこと

②試合を止めにきたティーチを攻撃したこと

③試合開始前に不意打ちを行ったこと


 これらの行為でアブソリュートは被害を受けたため、勇者とミライ家に責任追求を行うつもりだ。両家の示談の結果を踏まえて学園での処分も決まる。勇者と言えど身分は平民であり、高位貴族相手に侮辱や不意打ちを犯したら処刑も考えられる。

 だが、王家からの介入も考えると処刑はできない。なぜなら、相手がライナナ国を救ったことのある勇者の子孫であり、勇者のスキルを持っているからだ。勇者のスキルはこの世界でかなり貴重で強いスキルだ。将来的に見ても国にとっては利益になる存在であり、失うわけにはいかなかった。

 今回は落とし所が難しくアブソリュートは頭を悩ませるのだった。



 レクリエーションが中止になり、時間割が進んで最後は魔法学の授業が行われる。魔法学では魔法の知識を深めること、使える魔法を増やすことを目的としている。

 この学園で魔法学は王城に勤めている魔法士がきょうべんをとっている。

 アブソリュートは魔法学に関してはある程度、既に学習しているために一番後ろの席で聞き流していた。

「今回の授業は魔法基礎について解説する。私たちが使う魔法は火、水、風、土の基本的な四属性に聖と闇の二種類がある。闇に関して昔は悪属性と言ったりしていたが差別や中傷などが原因となって今は闇属性と呼ばれている」

 使える魔法属性は生まれた時に決まっており、自分の属性にない魔法は使うことができない。例えばアブソリュートは火、水、風、土に闇の魔法が使えるが聖属性の魔法は使うことができない。ちなみにアブソリュートが回復魔法を使えるのは、回復魔法は聖か闇の属性を必要とし、なおかつ大量の魔力を有していなければできないのだ。そのため、使用するにも使い手がかなり限られる。

「基本属性の説明は以上だな。次は魔法と魔術の違いについてだ。誰かこの二つの違いを説明できる者はいるか?」

 教師が生徒たちに問いかける、前に座っている一人が手を挙げて答える。

「魔法は自らの属性に合った魔力を使って発現させます。対して魔術は魔力とスキルを使って発現させます。スキルのあるなしがこの二つの違いだと思います」

「その通りだ。よく学習しているな、クリスティーナ・ゼン。座っていいぞ」

 魔術を使うにはスキルが必要になるため、使い手はかなり少ない。アブソリュートの周りだと傘下のレディ・クルエルが『氷魔術』のスキルを持っている。彼女はスキルを使って、基本属性にない氷を使った魔術を可能にしている。他にも勇者の『ホーリーアウト』も勇者のスキルによって発動しているため、魔術に分類される。

「他にも魔法には貴族の各家で継承する固有魔法があるな。固有魔法についてはそれぞれの家の方針に従うように。学園で使うのは禁止だ」

 眠くなるぐらい長く感じる授業だったがそろそろ終わりの時間を迎える。

「最後に入試主席と次席の二人に魔法を実演してもらう。クリスティーナ・ゼンと……アブソリュート・アークだな。二人とも前に来てくれ」

 胸を張って前にでるクリスティーナとは反対に、嫌そうな雰囲気をかもし出すアブソリュート。

(せっかく勇者との戦いで魔法を温存できたのに、なんでこんな所で披露しなきゃいけないんだよ。最悪だ、魔法学死ねっ!)

 アブソリュートは手札を隠しながらも常に力を示し続けなければいけない。アブソリュートはどの程度実力を示すか考えながら前に向かう。

「ではクリスティーナから自分の得意属性の魔法を使ってくれ」

「はい。クリスティーナ・ゼン、いきます! 『火柱』」

 クリスティーナは初めに天井に届くくらいの火柱を発現させる。

「『風操作』」

 次に風魔法を使って火柱をさらに大きく燃え上がらせる。その火力はまるで油を注いだかのように高くそしてよく燃え上がる。最後に水魔法で火柱を弱めて土魔法で火柱の周りを囲って閉じ込めて鎮火した。

 あまりの魔法にクラスの全員がぜんとする。

「凄いな、クリスティーナ・ゼン。基本属性四つに加えて上位魔法並みの火魔法。

 さすがはしゃくねつこうと言われるゼン公爵家だ」

 教師も大絶賛だった。

 アブソリュートも内心驚いていた。

(マジかよ……あのクリスティーナとかいう奴結構やるな。あぁそっか、勇者は原作と違ってマリアがいないからクソ弱かったけどクリスティーナは関係ないもんな。原作のクリスティーナと同じ実力というわけか。にしてもこの実力者が序盤に死ぬって、何があったんだ?)

「いえ、この程度大したことはありませんわ。あの勇者を倒したアブソリュートさんならこの程度容易たやすいでしょう?」

 クリスティーナがアブソリュートに喧嘩を売ってきた。

 いきなりの挑発にアブソリュートは睨むようにクリスティーナを見た。クリスティーナはアブソリュートの睨みに微笑みで返してきた。アブソリュートはそれを挑戦状のように感じた。

(この女、何喧嘩売ってんの? こっちはいろいろ制限してるからどうするか考えてるのに)

 アブソリュートが睨んでいると、それを見ていたクラスメイトがさらに油を注ぐ。

「いやいや、それはないでしょう。さっきの勇者との戦いだって魔法は使ってなかったでしょう? きっとあんまり得意じゃないんですよ。あまりハードル上げるとわいそうですよ!」

 アブソリュートはイライラしているところに火に油を注がれさらに怒りがわく。

(……アイツは確かミカエルの取り巻きのロイド・ファミリアだったな。舐めているな、アイツも見せしめに使うか。舐められるくらいなら容赦はしない)

 アブソリュートはクリスティーナと同じく火柱を発現させる。だが、それは黒炎の火柱だった。

「黒い炎?!

 教師から驚きの言葉がでる。

 アブソリュートは魔力で火の色を変えることができる。

 父の『黒炎斬』という技をまねて試行錯誤した成果である。

 更に先ほどのクリスティーナと同じように風魔法で火柱を燃え上がらせる。だが、火柱はクリスティーナより大きく太く、そして黒く燃え上がる。まるで地獄の業火のようだった。クリスティーナの時はこれに水をかけて弱らせ鎮火したが、アブソリュートは鎮火せずにそのままロイド・ファミリアの方に火柱を移動させる。

「おいっ! 火柱がこっちくるぞ!! 逃げろ」

 だんだん迫ってくる火柱に気づきクラスメイトたちは逃げ出し始める。ロイド・ファミリアも逃げ出すが火柱はロイドを追っていた。

「噓だろ……なんで俺のところに!?

 ロイドはなんとか回避しようと必死に逃げ回るが、火柱はピッタリと後ろについてきていた。

 ロイドは感じた。これは事故ではなく故意のものであると。

「や、やめてぇ 助けてぇ」

 人は追われている時が一番恐怖を感じるとアブソリュートは考えている。二度と舐めた口を利けないように徹底的に恐怖を与えるつもりだった。こいつは見せしめだ。これに懲りてアーク派閥に手を出す奴らが減るのを願うばかりだ。

 ロイドだけを火柱は追う。そろそろ消すか迷っていると、クリスティーナや教師が水魔法や土を使ってなんとか鎮火に成功した。

「アブソリュート・アークどういうつもりだ!! 人に向けてあの威力の魔法を放つなど許されないぞ」

 教師がアブソリュートをしっせきする。あのままでは命に関わったかもしれないと感じて怒りが増していた。

「いいや、人に向かって放つなどしていない。ただ私の魔法が発現する直前にクラスメイトから挑発されたものだからな。意識がそちらに向いてしまったが故に火柱がそちらにいってしまっただけだ。故意ではない」

 噓である。

 アブソリュートは確実にロイド・ファミリアを狙っていた。正直怪我させる気はなかったのでそこまで大事にはならないと思ってやったことだ。だが、ここで意外な助け舟がはいる。

「先生、私はアブソリュートさんが魔法を発動する段階で、ファミリアが挑発しているのを確認しました。加えてあの火柱を黒く染めるにもかなりの魔力コントロールが必要だと思います。妨害された結果、たまたまファミリアの方にいってしまったのだと思います。非常識にも妨害してきたファミリアに責任があると思います」

 アブソリュートを擁護したのは、先ほど挑発をしてきたクリスティーナだった。

「だが、アブソリュート・アークは鎮火する様子もなかったぞ? これは故意の証拠だろう?」

「それはきっとかなり集中していたのでは? 炎を黒く染め上げるなど、どれほど緻密なコントロールをしていらしたのでしょうね。それに怪我人はいないのですし、痛み分けという形で収めてはどうでしょうか?」

(この女、どういうつもりだ? 挑発したかと思えば私を庇ったりするなんて。意味が分からないな)

「……そうだな。確かにレベルの高い魔法を使用する時に挑発する奴も悪い。私の経験上、緻密な魔法を使う場合はコントロールをミスると暴走するケースもあった。アブソリュートだけの責任ではないな。ロイド・ファミリア、アブソリュート・アークの両者の謝罪をもってこの場は手打ちにしよう」

 教師に促されロイド・ファミリアがアブソリュートと向かい合う。先ほどの黒い火柱がトラウマになったロイドはアブソリュートを見ると体が震えていた。

 先に口を開いたのはロイドだった。

「ご、ごめんっ。もう、言わないから」

「いや、悪かったな。お前がいきなり面白い事を言うからコントロールをミスしてしまった。次は気をつけろよ? また何か言ったらまた魔法が飛んでくるかもしれないから」

(((((コイツ、ワザとだ?!)))))

 周りのクラスメイトたちはドン引きしていた。

 アブソリュートの心のこもっていない謝罪を受けたロイドは力なく笑っている。二度と変なことを言わないと心に誓うロイドだった。



 魔法学の授業がおわりクラスメイトが退室し始める。

 クリスティーナが退室しようとするアブソリュートを呼び止めた。

「アブソリュートくん。あまり暴走するのはよくないと思いますわ。あの程度のに振り回されるのはらしくないと思います」

(……なんだコイツは? らしくないって、何を知った気でいるんだか)

 アブソリュートはクリスティーナを無視して退室しようとする。

「あっ待ってください。さっき庇ってあげたでしょう! あれ貸しですからね!」

「……私の知り合いの金貸しからは、借りた覚えのない物は返さなくてもいいと言われている。全く記憶にないな」

「いや、絶対その人闇金の人でしょう! 闇金の言うことを真に受けないでください。ちょっとっ!」

 アブソリュートは呼び止めようとついてくるクリスティーナを、なんとかまくことに成功した。

(なんだったんだ、アイツは。まぁいいか、勇者とミライ家関連でやることあるし。マリアたちのとこ行ってさっさと飯食って帰ろう)

 アブソリュートはマリアたちが食事準備している場所へ向かうのだった。



 一日の授業がおわりアブソリュートは傘下の者たちと昼食を取っていた。この場ではクラスの離れている者たちとも一緒に食事しながら近況を聞くことにしていた。

「えっ? アブソリュート様レクリエーションで勇者をボコボコにしたんですか?!

 今回の食事の話題はやはり勇者とアブソリュートの対決だった。自分たちのリーダーが勇者を倒したことで胸が熱くなる。

「それだけではありませんわ! 魔法も剣も使わず素手で完封しましたのよ!! もう一日中目頭が熱熱ですわ。ね、オリアナ?」

「……マジ熱熱。まぶた焼けそう」

 実際に試合を観た者たちから話を聞き他の者たちはその場にいた者たちをうらやましく感じた。特にクリスの落ち込みが酷かった。

「うらやましい……私も観たかった」

 肩を落として落ち込むクリスをミストが励ます。

「まぁ、来年頑張って一緒のクラスになろうや。クリス君はBクラスどんな感じなの? 何か問題とかある?」

「いや、上位貴族はほとんどAにいるから問題はほぼないよ。Aに入れなかったアーク家派閥は皆Bクラスだから勢力的にも負けてないしね。問題があるとしたら……すみませんアブソリュート様、ウリスの奴が模擬戦の授業で戦った奴を半殺しにして謹慎になりました」

「……そうか」


 ウリス・コクト

 コクト子爵家の娘である。

 コクト子爵はライナナ国の闇組織の一つ『むし』の当主だ。

『蟲』はライナナ国だけでなく他国でも活動を行っている。敵国で依存性の高い薬を流行らせ国力を低下させたり、他国の闇組織をせんめつして勢力下に置きシノギを奪って組織を拡大したりしている。ライナナ国ではアーク家が手綱を握っているため、比較的に大人しく他の貴族領の飲食店や娼館で、みかじめ料をとったり高級食パンを売ったりしている。


(昔はオドオドした気の弱い女の子だったのに、いつの間にかこんな暴れん坊になるなんて……やっぱり育つ環境って大事だな)

 アブソリュートは遠い目をする。

「ウリスちゃんいないと思っていたら謹慎になったんですね。ていうか処分決まるの早すぎません? 勇者なんてまだ決まってないのに!」

「相手も子爵だったからね。それに相手が、逆恨みが怖いから大事にしないでくれって泣いて先生やウリスに嘆願したから家同士の問題にならないらしいよ。だから、授業中にやりすぎちゃったから謹慎って感じになるみたい」

 レディの疑問にクリスが分かりやすく解説する。

 学園で起きた問題は貴族間なら家同士で話し合うことが多い。だが、学生の間で既に示談が、済んでいれば学園は大事にせずに軽い罰で終わらせる。今回は相手がウリスにビビったのと、報復を恐れたのでこの程度で済んだのだ。

「ウリスちゃん……ボコった相手に泣いて謝らせるなんてアウトローすぎますね。それにしても何か原因でもあったんです? さすがに意味もなくボコボコにするような子ではないと信じたいのですが……」

「アブソリュート様関連で何か言われたらしいよ。ウリスはアブソリュート様の事を人一倍崇拝しているから………きっと抑えられなかったんだと思う。だからあまり彼女を怒らないでやってくれませんか、アブソリュート様」

(私のために怒ったのか……嬉しいがそれでウリスが罰を受けるのはどうだかな。贅沢な悩みだが、少し過激すぎるなウリスは)

「まぁ今回は大事にならなかったのだから大目にみよう。お前らもあまり暴走するなよ?」

「いや、さっき授業で舐めた事言った奴に、ヤバそうな魔法ぶつけようとしてませんでしたっけ?」

 ミストはアブソリュートにつっこむ。

(コイツはいつも痛いところついてくるな)

 そこで今度は魔法学であったことの話になり、また盛り上がりを見せた。

 食事の終わりが見えた頃マリアがアブソリュートに声をかける。

「ご主人様、ミライ家のアリシア様が面会を求めています。いかがされますか?」

「アリシア・ミライか」

(恐らく勇者の暴走の件で謝罪ってところか。今回は聖女のせいなのに全責任勇者にいくんだもんなぁ。勇者の後ろ盾としてはたまったもんじゃないよな。わいそうだけど、勇者に対してはシビアに対応しよう)

「会わん。正式にミライ家に抗議するので、その時言い分を聞くと伝えろ」

 アブソリュートはすぐに会わずにえて日をまたいでらすことで相手を精神的に追い詰めようとする。

「承知しました、そのように伝えます。それとご報告なのですが……」

 アブソリュートは今朝ウルが勇者にナンパされてひともんちゃくあったことを伝えられる。あまりの内容に頭を抱えた。

「あの勇者は一体なんなんだ……まぁいい。ウルは平気そうだが内心傷ついてるかもしれん。帰り、前に行ったカフェにでも連れていくか」

(女性からみたら男はかなり怖く見える者もいるらしいからな。まだ小さいのに男性恐怖症になったら笑えない)

「よろしいかと思います。ではアリシア様には先ほどのように伝えてまいります」





 アリシアはまるで悪い夢でも見ているかのようだった。

 あの暴走癖はあるが、根っこの部分の善性は信じていた勇者がまさかクラスメイトの前でアブソリュートを罵倒し、担任をぶっ飛ばして不意打ちを行うなんて信じられなかった。気づいたらアリシア自身も気を失って、倒れていた。

「夢ではないのね……。とりあえず、アブソリュート君には今朝の侍女の件も併せて謝罪しないといけないわ。少しでも印象を良くしないと」

 アリシアは食事をしているアブソリュートを見つけて、近くにいた侍女に面会を申し込んだ。

 だが、面会は叶わなかった。

「ご主人様からは『正式にミライ家に抗議するのでその時に言い分を聞く』とおっしゃっていました」

らして精神的に追い詰めるつもりかしら? さすがだわ、私がされて嫌なことを的確についてくる。この調子だと甘さも恐らくないでしょうね。嫌だなぁ、ちょっとは手心を加えてほしいのだけれど)

 わずかな期待を砕かれたアリシアは力なく答える。

「そう。分かったわ、『また後日お会いしましょう』とだけ伝えて。正式な謝罪はその時に。貴女も悪かったわね。ウチの者が馬鹿な真似をして、後で懲らしめておくから」

「いえ、お気をつけてお帰りください」

 マリアの見送りを受けてアリシアはその場を後にする。

 その後、アリシアは屋敷に戻り今後について考える。

(慰謝料だけで済むといいのだけれど……それだけでは済まないわね。勇者には王家も絡んでいるから行き過ぎた要求は仲裁してくれるだろうけど。婚約破棄は私個人としては嬉しい……でも、ミライ家として考えるとそれは避けなければならないわ)

 アリシアが、考え込んでいるところにドアをノックする音が聞こえ、その後使用人から用件が伝えられる。

「アリシア様、旦那様がお呼びです」

 一瞬体がこわるが、すぐに平静を取り繕う。

「分かった。すぐに行くわ」

(これだけの事をやらかしたのだから叱責だけでは済まないでしょうね。あぁ、なんで私ばかりこんな目に遭うのかしら)

 足取りが重く感じながらも父の待つ部屋に向かうアリシア。その日は当主の罵声と何かを打つ音が屋敷中に響いたそうだ。





 放課後、アブソリュートは侍女のウルとマリアを連れて王都のカフェに来ていた。このカフェは以前、王からの慰謝料で豪遊した時に見つけた店だ。あまり派手な内装ではないが、シックな作りをして落ち着いた雰囲気が気に入っている。唯一気になるところは寡黙な店主の顔が怖いところくらいだ。

(相変わらず無愛想で、顔が怖いな。まぁ、あまり私が言えたことではないが)

 アブソリュートたちは席で待っていると怖い顔の店主が注文の品を持ってくる。

「相変わらず人を殺してそうな顔をしているな」

「兄ちゃんが言うな。ハーブティー三つにイチゴのタルト、ショートケーキ、モンブランだ。注文は以上だな? またなんかあったら呼べ」

 テーブルに並ぶのは食欲のそそられるスイーツたち。

「わぁー美味おいしそうなの! アブソリュート様、また連れて来てくれてありがとうございます! 凄く嬉しいです」

 久しぶりにスイーツの店に連れて来てもらい、大興奮なウル。

「礼はいい。さっさと食え」

 ウルに早く食べるように促し、アブソリュート自身も注文したモンブランに手をつける。

(モンブランめっちゃ美味うまいな。この世界に転生する前はあまり好きじゃなかったのに。原作のアブソリュートに影響を受けてるのかな?)

 静かに食べ進めるアブソリュートをマリアは意外そうに見ていた。アブソリュートもマリアからの視線に気づく。

「マリアよ、何をジロジロ見ている。目玉をくり抜くぞ?」

「あぁいえ、すみません。こんなに美味しそうに食べるご主人様を見るのは初めてなもので……なんとなく雰囲気で感じただけですけど。あの……よければこれからは屋敷でもお出ししましょうか?」

 どこか優しげに問いかけるマリア。

 長い付き合いだがアブソリュートは全くと言っていいほど好き嫌いがなかった。それがここにきて、ようやくそれらしい反応を見せてくれたことがマリアは嬉しかったのだ。

「いらん、たまに食べるからいいのだ。まぁ、美味いのは確かだがな。死ぬ前に食べるならこれがいいな」

『最後に食べるならこれがいい』不意に出た言葉だが確かな本心だった。原作では語られていないが、アブソリュートはここのモンブランが好物でよくウルを連れて食べに来ていた。

 もしかしたら、転生する前のアブソリュートは今も心のどこかにいるのかもしれない。

「ウルは毎日でも食べていたいですの!」

「早死にしたいならそうしてやる」

「むっ! それは困りますの」

(……話している感じウルは大丈夫そうかな? まだ幼いから精神的に傷ついていると思ったけど)

「ウルよ。マリアから聞いたが今朝勇者から絡まれたそうだな。その後何もないか?」

「勇者? ……あぁ今朝絡んできました。いきなりれしく声をかけてくるから気持ち悪かったの。でも、ご主人様の言っていたようにマリアが強気で対応しました!」

(気持ち悪いか。確かに主人公キャラって距離感バグってるの多いから色眼鏡なしでみると気持ち悪いよな。気持ちは分かる)

「……そうか。何度も言うが、二人とも私がいない時は自分の身は自分で守れ。そのための力は与えているつもりだ」

「「はい! ご主人様」」

 その後も三人はティータイムを楽しんでから帰宅した。





 アーク家。

 勇者が事件を起こしてから日が経ち、今日はいよいよ勇者の後ろ盾のミライ家と勇者から被害を受けたアーク家の示談交渉が行われる。

 アブソリュートは今回、勇者からクラスメイトの前で名誉を傷つけられたのに加えて不意打ちを受けた。勇者といえど身分は平民であり、被害を受けたアブソリュートは高位貴族だ。本来なら勇者といえど処刑されてもおかしくはないが、王家からの懇願の末に処刑はできなくなってしまった。

 そのかわりに、アブソリュートは王家の宝物庫からいくつか魔道具を拝領した。これは今後、原作イベントをこなしていくにあたり必要な物である。アブソリュートは基本的に自分や傘下の者たちに関係ないイベントはスルーするつもりだ。だが、一年の間に死者を多く出すイベントがあり、アーク家派閥にも被害がでる可能性があった。このまま原作通りに進んでいくためにどうしても介入しなければならないと考え、今回は勇者の命を諦めて魔道具で手を打ったのだった。

 これから来るミライ家との示談の打ち合わせをアブソリュートと、その父ヴィランは行っていた。

「ふむ。アブソリュート主導で進行するのは構わない。だが、落とし所に関しては本当にそれでいいのか? 確かにミライ家にはダメージにはなるが外壁を強化するとなると周りの貴族からは反発があるぞ?」

 ヴィランはアブソリュートの考える示談の内容に納得ができなかった。アブソリュートはミライ家に対して慰謝料とは別に、ミライ家から取れる対魔石を使って外壁を強化しようとしているのだ。理由は将来国との戦いを想定してのものだが同じ景色をみていないヴィランには分からないものだった。

「いえ、王家にも許可をもらったので大丈夫かと。それに私は謝罪も重要ですが、何か形で誠意を見せてもらった方がいいと考えています。主犯の勇者にも大損害ですしこの方向に持っていきます」

「……そうか。まぁ、アブソリュート主導で進めるのだ、好きにしろ。ただし絶対に情けはかけるなよ。ミライ家が勇者の教育を怠らなければ今回のことは起こらなかったのだからな」

「えぇ、大丈夫です。悪が敵に情けをかけるなんてあり得ませんから」

(八割聖女のせいだけどな。だが、勇者をミライ家から切り離すチャンスだ。絶対に切り離してみせる)

 コンッコンッ

 話しも終わりかけの頃、部屋のドアをノックする音がする。

「入れ」

「お話のところ申し訳ございません。ミライ家の方々がお見えになりました」

 外で控えていたマリアからミライ家の到着が知らされる。

「そうか、応接室に通しておけ。では、私たちもこの紅茶を飲んでから行きましょう」

(向こうに合わせる必要なんかない。焦らせるだけ焦らそう)

 ヴィランはアブソリュートの意図をみ取り、共に一服してから示談に臨む。



 アブソリュートたちは一服した後、ミライ侯爵の待つ応接室に向かう。

 ライナナ国の貴族には大きく分けて三つの派閥が存在する。国王を支持している王派閥。王家に権力が集まりすぎるのを危惧して、貴族に力を集めようとする貴族派閥。王派閥と貴族派閥の間に立ちバランスをとる中立派閥。

 ミライ侯爵は王派閥に属しており、勇者とアリシアの婚約が決まってから派閥内での発言力と力が増したことで有名だ。

 アブソリュートとヴィランが部屋に入る。中にいるのはミライ侯爵と顔がアザだらけのアリシアだった。ミライ侯爵とアリシアは中に入ってきた二人を見ると立ち上がり、深々と礼をした。アブソリュートたちは一瞬アザだらけのアリシアを見て硬直しかけたが何事もないように向かいの席につく。

「ミライ侯爵、アリシア嬢どうぞお座りください」

 アブソリュートは二人に座るように促し、二人は席に着いた。

(ミライ侯爵やりすぎじゃね? 聖女抜きにしてもアンタの教育不足の過失の方が大きいんだぞ。もしかして、アリシアに全責任持っていこうとしている? さすがに勇者は連れて来てないか……まぁ何するか分からないしな)

 初めに口を開いたのはミライ侯爵だ。

「アーク卿にアブソリュート殿。この度は、勇者が愚かなことをしてしまい申し訳ない。特にアブソリュート殿には謝罪しても決して許されないことをしてしまった。本当は本人も連れてこようとしたが、反省の色が見えず不快になるだけと思い屋敷にて軟禁しております。申し訳ありません」

 ミライ侯爵とアリシアが深々と頭を下げる。

「勇者といえどたかが平民が事を犯したのだ、ただで済むはずもあるまい。ミライ侯爵、貴方は勇者に一体何を教えてきたんです? 証拠もないのに犯罪者呼ばわりしてきたんだ、まさかミライ家はアーク家を犯罪者だと教えていたのですかな?」

「いいえ、私はそんなことは教えてはいません。我が家では勇者の教育係は年が同じ方がいいだろうと、娘のアリシアに一任しておりました」

(やはりアリシアに責任を被せてきたな、……くずが)

「にもかかわらずこのような事が起こるとは……この愚娘が!」

 バチィィィィ

 アリシアの頰を叩く鈍い音が響いた。勢いよくぶたれたアリシアは椅子から転げ落ちる。

「申し訳……ありません」

 ミライ侯爵がアリシアをもう一度叩こうと手を振り上げる。

「貴様っ! 謝ってすむわけ「黙れ……」」

 静かな低い声が部屋に響く。アブソリュートの威圧によりミライ侯爵は今まで味わったことのない圧力を全身に感じる。ミライ侯爵は、未だ学生の身でこれだけの圧力を出しているなんて信じられないといった顔をしている。自然と呼吸が不規則に乱れているように感じる。

「ここをどこだと思っているミライ侯爵。なぜ貴様の三文芝居を我々は見せられているんだ? これ以上茶番を続けるなら殺すぞ?」

「も、申し訳ありません……」

 ミライ侯爵もあまりの圧力にアブソリュートが年下なのも忘れて丁寧に謝罪した。そのまま、アブソリュートの威圧で過呼吸気味になりながらも大人しく席に着く。

「もういい、貴様の謝罪に価値などない。アーク家からの示談のための要求は三つ。

 一つ目はアーク領の外壁を補修するために必要な対魔力石を提供すること。

 二つ目はミライ家と勇者はアブソリュートに慰謝料二十億を払うこと。なお、勇者に半額を負担させることにする。払い終えるまでは学園は停学すること。

 三つ目は勇者とアリシアの婚約を破棄すること──以上三つを要求する。異論は認めないぞ?」

「そ、そんな……二十億だと!? それに婚約破棄だなんて。この婚約は陛下が認めたものですよ!」

 ミライ侯爵は狼狽うろたえる。アブソリュートは示談するにあたりアーク家のちょうほう員を使ってミライ家の税収を調べ上げ、相場を無視して払えるギリギリの額を要求した。勇者に関しても、いくら勇者のスキルがあろうがこの額を稼ぐのは国家を救うなどの偉業を成し遂げない限りは不可能である。だが、ミライ侯爵が一番避けたいのは婚約破棄だ。勇者との婚約で今の派閥内での立ち位置を得ることができた侯爵にとって、それを破棄するのは失墜を意味している。

「本来なら勇者といえど処刑だぞ? 王家の介入があったからこの程度で済んでいるのだ。あぁそうだ、慰謝料を全額払い終えたなら婚約破棄の解消をしてもよいそうだ。全く甘い裁定だ。それとミライ侯爵、貴方を王の元へ移送させてもらう。これは王命だから拒否はできないからな」

「な、なぜ私が!?

「なぜ? 貴方はミライ侯爵だろう。さっきはアリシア嬢に責任をなすり付けていたが、本来勇者の教育は後ろ盾であり後見人の貴方の責任で行われるべきものだ。なのに、貴方はそれを怠り、将来国の戦力の要になるであろう勇者の教育に失敗した。故に責任を取らなければならない。言い訳は王家に聞いてもらえ。では父様、ミライ侯爵の移送をお願いします」

「ああ、アリシア嬢は任せたぞ」

 ヴィランは振り払おうとするミライ侯爵を無理やり部屋から連れ出した。

 邪魔者はいなくなりアブソリュートはアリシアに向き直る。

「示談はこれで終わりだ。こちらからの要求を一方的に突きつけた形だがな。後日王家のほうから内容証明とサイン入りの公正証書が届くだろう。まぁ加えてお前の父親は当主から最低でも降ろされるだろうがな」

 これはあらかじめ王家との交渉の際に決まっていたことだ。ミライ侯爵が要求を吞もうが吞まなかろうが結末は同じだったのだ。

「……そう。ごめんなさい……私がしっかりしてなかったから皆に迷惑をかけてしまったわ。私のせいなの全部」

 ミライ侯爵の張り手により口もとが切れて、喋りづらそうにしながらもアリシアは続ける。

「アルト君がアーク家に敵意を持ったのも、私がちゃんと止められなかったからだし。貴方の侍女にちょっかいを出したのも、私が見てなかったから」

 アリシアは立ち上がりアブソリュートと向かい合う。

 アリシアの感情が決壊し涙を流しながら、徐々にアリシアの言葉に感情がこもっていく。

「貴方を犯罪者呼ばわりしたのも、先生を攻撃したのも……全部私が悪いんでし!! ねぇ! なんで私ばかりこんな目に遭うの!? 私何もしてないじゃない、いつもいつもアルト君が何かやらかすたびに私が怒られてきて、さらには家同士の問題に発展したのも私のせい? ふざけないでよ、あんな力を持っている独善的な人が私の手に負えるはずないじゃない……。私には……無理よ」

 まるでこれまでの怒りをすべてぶつけるかのような独白だった。

 原作ではマリアの教育で勇者も今ほど酷くはなかった。それに加えてアリシアのメンタルも、マリアが陰でフォローする形で成り立っていたのだ。今の世界でマリアは、ミライ家にいない。アリシアはずっと一人で背負って抱え込んでいたのだ。

 アブソリュートはアリシアの独白を何も言わずにすべて受け止めた。

「ごめんなさい。被害者は貴方なのに、私が被害者面しちゃって」

 アブソリュートはそんなことはない、と言うかのように首を横に振る。その後アブソリュートはアリシアの手を取り回復魔法をかける。

「アブソリュート君? えっ回復魔法!?

 使い手の少ない回復魔法を使えることに驚くアリシアにアブソリュートは言った。

「アリシア・ミライ。今回お前は悪くない。悪いのは暴れた勇者とそれを放任してきたお前の親。……そして私だ」

「えっ? 違うわ、貴方は悪くない! 貴方は被害者よ」

 アリシアは否定するが、アブソリュートは続ける。

「私にもっと圧倒的な力があれば勇者も手を出そうとは思わなかっただろう。馬鹿にも分かる形で、明確に力を見せなければならなかったのだ」

「そんなこと……」

「だからな……アリシア・ミライ。お前は私を恨んでもいいんだ」

「何を言っているの?」

 アリシアにはアブソリュートの言っていることが分からなかった。

「すべて私のせいにして楽になれと言っているんだ。私はこの国では悪だ。お前一人の恨みつらみぐらいなんてことはない。お前の向けどころのない感情もすべて私のせいだと思えばマシになるだろう?」

 アリシアは一瞬何を言っているのか分からなかったが理解した後、少し表情が緩む。

「ありがとう。でも遠慮するわ、何も悪くない貴方にあたるくらいならアルト君にでもぶつけるわ。……そうか最初からそうすればよかったのね……一人で抱え込んで勝手に爆発して馬鹿みたい」

 アリシアは何か消化できたのか、納得した表情を浮かべる。

 もう先ほどまでの壊れそうなアリシアはそこにいなかった。どうやら彼女の中のき物が落ちたようだ。

「アブソリュート君って、怖いしめちゃくちゃ嫌な感じの雰囲気しているけど、貴方を傘下の貴族たちが慕っている理由分かった気がするわ。貴方って結構いい人ね」

 アリシアの言葉を聞きアブソリュートは嫌そうな顔をする。

「私がいい人だなんてお前頭大丈夫か? 私はこの国では悪者だ。さっきの言葉もお前を思っての言葉じゃない。勘違いするな。回復魔法もお前の傷が見苦しかっただけだ」

 アブソリュートの嫌そうな顔をしながら否定する様子が面白いと感じアリシアに笑みがあふれる。

「うふふっ。不思議ね、久しぶりに笑えた気がするわ。ありがとうアブソリュート君」

「ふん。随分とつまらない日常送っているようだな。」

「ええ、……本当に辛い日々だったわ」

 アリシアは思い返すように天井を見上げた。

 しばらく間が空いた後、アブソリュートの口が開く。

「なぁ、アリシア・ミライよ」

「何かしら?」

 少し間を空けて言葉を放つ。

「お前、私の元に来ないか?」

 それはいきなりの告白だった。

「……はひ?」

 アリシアはなんのことか理解できなかったが、徐々に意味を理解すると顔が熱くなっていくのが分かった。

「えっ、え? それってどういうことかな? ちょっと意味が分からないんだけど……」

(まさか私告白されてるの!? あのアブソリュートに! いやでも、ただの派閥への勧誘かもしれないし)

 アリシアはアブソリュートが回りくどく勧誘しているのかと勘違いするが、アブソリュートの答えはシンプルなものだった。

「そのままの意味だ、アリシア・ミライよ。ミライ家当主の座も勇者もすべて捨てて私の元へ来いと言っている。できれば婚約の形が一番こちらとしても都合がいい」

(こ、告白だったぁぁぁぁぁああ!! 噓でしょ、なんで私なんかに?)

 アリシアは幼い頃から勇者の婚約者として育ち、恋愛というものを体験していなかった。肝心の婚約者である勇者もいつも振り回されてばかりで、正直異性として見たことは一度もなかった。

「な、なんで私なのかな? アブソリュート君って公爵家の次期当主だし、他にいくらでもいるんじゃない?」

「本気で言っているのか?」

「……ごめんなさい」

 アリシアは答えられなかった。

 アーク家は評判が悪すぎて婚約者もなかなか決まらないほどに人気がない。現当主であるヴィランも跡継ぎを残すために他国から嫁を貰ったが、アブソリュートを産んだ後早々に離縁されたという噂もあるくらいだ。アブソリュートに浮いた話がないのも理解できた。

 しかも本来貴族間の婚約は爵位が近い者同士で行われるので、下位貴族が中心のアーク派閥では正妻を務められる者はいない。

 原作でもアブソリュートに婚約者がいたという描写はなかった。国中から嫌われていたアブソリュートの嫁になろう者など、派閥にも他国にもいなかったからだ。幼いころからアブソリュートのすべてを知り、苦悩を分かち合ってきた獣人の女の子を除いては。

「まぁ、別に他意はない。ただお互いにメリットのある話だと思って提案しているんだ。お前は勇者と家から解放され精神的に楽になる。まぁ、私と同じ嫌われ者になるだろうがお前を害するものがいたら私が守ろう。証拠として今学園で私の傘下の者たちに何かしようと思う者はいないだろう? 私としても早々に婚約者が決まると助かる。今、厄介なところからせっつかれていてな。そういうわけだ」

 精神的なストレスからの解放、アリシアにとってはとても魅力的な言葉だった。

「ねぇ、ひとつ聞かせて。アブソリュート君は私のことをどう思っているの? もしかして好きとか…?」

(もし好きとか言われたら……どうしよう。自分で聞いといてすんごいドキドキする!)

「お前に恋愛感情は持ち合わせていない。だが、一人の人間としての強さや魔法のセンスは評価している。将来英雄になれる器だ」

「ふ、ふーん。そうなんだ、まぁ嬉しくないこともないけど、そこは好きだって言うところだと思うな!」

 あっさり恋愛感情はないと否定され、少し思っていた回答とは違っていたが、アリシア・ミライ個人を見て評価してくれたことは素直に嬉しかった。

「それでどうする?」

 アリシアは考える。

 アブソリュートのことは今では素直に尊敬しているし、顔も偏見なしでよく見たらめちゃくちゃイケメンでかなりタイプではあった。だが、まだ心残りがある。

「……ミライ領はどうするの? 次期当主の私がいなくなればミライ家にはまだ幼い妹しかいないわ」

 アリシアはミライ家の次期当主であり、本来婿を取らなければならない身だ。恐らく父が当主の座から降りたら隠居している先代の祖父が代理を務めるだろう。だが、それもいつまで続くか分からない。自分が嫁に行くことで将来統治するものがいなくなるのは見過ごせなかった。

「言っただろう? すべて捨てて私の元へ来いと」

 ミライ家は見捨てろと言っているようだ。確かにすべて捨てればアリシアだけは救われるだろう。だが、アリシアはそんな事を望んでいなかった。

「……ごめんなさい。私いけないわ、確かにアルト君やお父様のことで辛い思い出ばかりだけど、それでもミライ領は私の領地であり私は貴族よ。領民を捨ててまで一人だけ幸せになろうだなんてそんな無責任な事はできない。派閥にしてもミライ家にも派閥があるから、アーク家の下にはつけないわ」

「お前は分かっているのか? 勇者との婚約破棄はあいつが慰謝料を払い終えると解消になる恐れがある。あいつはあの大金を払い終えるための能力を持っている。そうしたらまた勇者の尻拭いに奔走する日々に戻るだけだ。それでもいいのか?」

「分かっているわ。それでも貴族に生まれた身として私にはミライ領に尽くす義務がある。領地を守る貴族として当然の義務よ」

 自分の故郷であるミライ領に家臣たちや領民、それにまだ幼い妹。アブソリュートの元へいくことで失うものを考えたら逃げる選択肢などアリシアにはなかった。

 覚悟のこもった瞳でアブソリュートの目をみる。

「……そうか。お前がそう決めたのならもう何も言うまい」

「……やけにあっさり引き下がるのね」

 もう少し粘るかと思っていたので少々拍子抜けしたというか、残念なような複雑な心情になる。

「提案と言っただろ? 別に断られたからといって私が困るわけでもない。だが、さっきも言ったように勇者は慰謝料を払い終えるとまたミライ家の元に戻るだろう。その時、また我々に何かするようなことがあれば次はこの程度では済まさないからな」

 圧を込めてアブソリュートは忠告する。アリシアは強い圧力を肌に感じ唾を飲み込んだ。

「まぁ、もし勇者が何か悪さを企んでいるようなら一度アーク家に知らせろ。そうしたらお前の命は助けてやる」

「さすがに十億の返済をアルト君ができるとは思わないけど……そうね、肝に銘じておくわ」

 その会話を最後にアーク家とミライ家の示談は終わった。





 アーク家での示談から数日が経った。

 アリシアの父は勇者の教育を怠ったことが今回の騒動の原因だとして当主交代を言い渡され、その後ミライ家の別邸へ軟禁された。ミライ領についてはアリシアが学園を卒業するまで引退した祖父が代理で統治することとなった。

 そして、アリシアは王家から公正証書が届いたタイミングで勇者と婚約破棄について話をすることになった。

 勇者はばつが悪そうな顔をしてアリシアの目の前に座っている。

 アリシアは事務作業のように淡々と話し始めた。

「さてアルト君、私と貴方は婚約破棄。私が学園を卒業するまでに十億の慰謝料を払うことで婚約破棄の解消が決定したわ。慰謝料は国の方で立て替えてくれるようだから国に返済する形になるし、もちろん学園も慰謝料を払い終えるまで停学だから。何か言いたいことはあるかしら?」

 国は慰謝料という名の鎖で勇者を縛ることができた。

 勇者は今後、返済するまでていよく国から使われることになるだろう。

 アリシアの向かいに座る勇者は目を閉じて嚙み締めるように話を聞いていた。

 勇者アルトは示談前までは、反省の色を見せずにわめいていたが今の様子を見るに少しは現状を理解してきているのかもしれない。

「……ごめん、アリシア。あの時は何かおかしかったんだ。体がいつもより調子がよくて頭も異常なくらいスッキリしていたけど、不思議なくらい高揚感を覚えて理性が働かなかった。自分を抑えきれなかったんだ!」

「……貴方もしかして変な薬やってる?」

 勇者の弁は怪しい薬の使用者と酷似していた。

 アリシアから疑惑のまなしが向けられる。

「やってない! とにかくあの時は正常じゃなかったんだ。あんなに早くアブソリュートに喧嘩を売るつもりはなかった。賛同者を集めるって言っていただろ。それだけでも理解してくれ! もしかしたらアブソリュートの奴が何か仕組んだのかもしれない」

 少しは反省したように思ったが、この期に及んでまだ苦しい言い訳を並べる勇者にアリシアは内心頭を抱えると同時に怒りの感情が湧いてくる。

「貴方分かっているの? 貴方は無関係の人間に手を出し、不意打ちを行ったのよ! 勇者の貴方が攻撃したら相手に重傷を与えるのを分かっているのよね? それに反則してまで勝ちに行こうとするなんて貴方に誇りはないの? アブソリュート君にだって証拠もないのに犯罪者扱いして、今後貴族の間やクラスで彼がどういう目で見られるか考えたことある? 正直、貴方のこと心底見損なったわ。アブソリュート君のこと、皆は悪だと言うけれど、貴方と違って勝負にはしんだし誇り高い人よ! これ以上彼を侮辱するなら許さないわよ」

 アリシアのあまりの剣幕に勇者は言葉を失った。長い付き合いだがここまで怒った彼女を見たのは初めてだったからだ。

「……ティーチ先生については悪かったと思っている。でも俺は、アブソリュートを倒したらこの国はさらによくなると思ったのも事実だ。アーク家は悪だ。幼い子供を奴隷にし、違法な金利での金貸し。皆アーク家が関わっているって話だ。俺もこの目でアーク家に苦しめられている女の子を見て確信したんだ。誰かがやらなきゃならなかったんだ」

「アーク家が悪かどうかはこの際どうでもいいわ。でもねアルト君、アーク家が人々を苦しめていたとしてそれを正すのは国の仕事よ。貴方一人の裁量でどうにかしてよいものではないし、勇者の力は自分勝手に行使していいものではないの。怪我人を出してそれは分かったでしょう」

 勇者は押し黙る。自分勝手に力を行使した結果、人を傷つけて周りの人間を不幸にしてきたのだ。これでは散々悪と言ってきたアブソリュートと変わらないと気づいたのだ。

「私たちは償わなければならないの。貴方にはこれから屋敷を出て冒険者として活動してもらうわ。十億は普通にやっていたら到底稼げる額ではないけど、冒険者なら依頼によっては返済も夢ではないわ。勿論監視はつくし、許可なく国外に行こうものなら今度こそ命が危ないわよ。冒険者として国に貢献しなさい。それが貴方にできる償いよ」

「アリシア……俺は……」

「話しは終わりよ。出て行って」

 拒絶するように勇者の言葉を遮る。これ以上会話をする気はない、そう言っているように感じた。勇者はそんなアリシアの雰囲気を察し、出て行こうとする。

「………悪かったアリシア。元気でな」

 顔を見せずにアリシアに背を向けたまま別れを告げ勇者は屋敷を去った。

 勇者が出ていくのを部屋から見届け、一人残っているアリシアはようやく肩の荷が下りたのか脱力した表情をしている。ふと思い出す、アルトと過ごした日々。

「……長い付き合いだし、別に嫌いではなかったけど好きでもなかったわね。めちゃくちゃ迷惑な弟って感じ。でもこれで精神的に楽になるわね。もうアルト君の首根っこは王家が押さえているし、冒険者になって問題を起こしても私にはなんにも関係ないんだから」

 今回の結末はアリシアにとって都合の良いものになった。理不尽に責任を押し付ける父と、いつも尻拭いさせられる勇者。どちらも排除されたのだから。

「もしかして知っていて二人を追い出してくれたのかしら? ……さすがにそれは考えすぎかしらね」

 アリシアはアブソリュートのことを思い出す。すると胸の内が疼くように温かい気持ちになっていく。

「『すべて私のせいにして楽になれ』か。優しい言葉ね、そんなことできるわけないのに。思えば異性に優しくされたのって初めてじゃないかしら。あんなに長い時間一緒にいたっていうのに、アルト君そういうところよ」

 アリシアはアブソリュートが言ってくれた言葉が思い出としてずっと胸に残っていた。

「婚約か〜、やっぱりした方が良かったかな?」

 口に出してはみたが、やはりアリシアにはアブソリュートと婚約はできなかっただろう。責任感の強いアリシアにすべてを捨てる事はできやしなかったのだ。

 仮に捨ててアブソリュートの元へ行ったとして後々、罪悪感に押しつぶされる日々が待っているだけだった。



 アリシアはあの事件以来の登校をした。

 教室に入ると心配してくれた友人たちに囲まれて、心配ないと伝える。

 そうこう対応しているうちにアブソリュートが教室に入る。アブソリュートが入る時は毎回クラスがピリつくが、今のアリシアはそれどころではなかった。

(あっ、アブソリュート君だ。どうしよう、挨拶してもいいのかな? 一応久しぶりの登校だし、顔見せるだけでもした方がいいよね)

 アリシアがアブソリュートに近づき声をかける。

「おは「ご機嫌よう! アブソリュート君」」

 挨拶をしようとするアリシアに割り込んできたのは、クリスティーナ・ゼンだった。

「朝からうるさいと思ったらまたお前か……」

「えぇ、えぇ、私ですよ。今日こそは私と勝負してくださいますよね?」

 アリシアは動揺していた。

(え?! あのクリスティーナさんが名前で呼ぶなんて……しかも君付けって……。自分の傘下でさえ家名でしか呼ばないくらい他人に興味なさげなのに、あの二人いつの間に仲良くなったの?)

「やらん。そんなに暴れたいならミストを貸してやるから二人で遊んでこい」

「アブソリュート君……友人は大事にした方がいいですよ? まぁ、いいでしょう。また後で誘いにきますね」

 それだけ言ってクリスティーナは自分の席に戻っていった。アブソリュートは自分の元へ来たアリシアの存在に気づく。

「次はお前か、アリシア・ミライ。なんの用件だ?」

 アリシアは固まっていた。嫌われているアブソリュートにも気さくに話しかけてくれる人が身内以外にいたことにショックを受けたのだ。

(私だけだと思っていたのにな……)

 アブソリュートに対してジト目で声をかけた。

「アブソリュート君って女たらしね」

「……? なんのことだ?」

 アブソリュートはいらぬ誤解を受けるのだった。

 その後、アリシアは勇者と父の手から解放されたおかげでストレスの少ない日常を送ることができた。




 勇者が戻ってくるまでは……。